短編小説「古城にあった炎の記憶」

彼からのプロポーズを受け入れたあと、来年には結婚式を挙げられたらいいねと、互いに微笑み合った。まだ私たちは、幸せな結婚というものが、実際にどんな形をしているのかを知らない。けれど、最初に私が触れたそれは、色とりどりの植物で飾りつけられてい…

短編小説「マッチ箱サイズのバイオレンス」

「知らない写真家の個展に迷い込んだことがあってね」と、ハンドルを握っている30代の男は喋りつづけた。「画廊の壁には、マッチ箱くらいの写真があったかと思うと、オレよりデカい巨大な写真まである。サイズがバラバラな写真が、白壁に撒き散らされている…

短編小説「聖夜の失神エレベーター」

もしそんな稀少な思い出があるなら、誰もがホワイト・クリスマスのロマンティックな思い出を語りたがるだろう。 でもぼくはあの思い出を語りたくない。自分の胸にだけしまっておきたい。 ぼくは部屋の飾り棚にある小物入れから、女物のレースのハンカチを取…

森羅万象の声に耳を傾ける日曜日

日曜日を日曜日らしく過ごす日曜日が、たまにはほしい。 そんなことを考えながら、今日は休日気分で、ドライブして買い物に行ったり、図書館で読みたい本を借りてきたり、昔好きだった音楽を聴いたりして過ごしていた。 このところ掌編小説を一日一本書くの…

短編小説「真ん中がとびっきり美味しいドーナツ」

同級生の葉子に、高校の廊下で声をかけられたとき、私は少し驚いた。私はチアリーダー部で、葉子は茶道部。文化圏の違う女子なので、これまでほとんど話をしたことがなかったのだ。葉子は私にお願いがあるのだという。 「ごめんなさい。今日からテスト週間で…

短編小説「ドアノーの裏のキス写真」

半地下の凝った空間デザインとか、コンクリート打ちっぱなしとか、白木蓮のシンボル・ツリーとか。両親に子供の頃によく連れて行ってもらったおかげで、街一番のフレンチ・レストランは、見覚えのある馴染みの店だ。といっても、大学院で経営学の修士号をと…

短編小説「箱庭で見つかった失われたリンク」

信号待ちのあいだ、助手席に座っている私は、サイドミラーに写っている歩道の花々を見つめていた。赤や黄の賑やかな寄せ植えが、歩道沿いを飾っていた。彼とイギリスに行ったとき、花飾りは一階の窓辺や二階の高さに浮いていることが多かった。 信号が青にな…

短編小説「オムライス先輩、ひと肌脱ぎますぜ、ベイビー!」

三方を山に囲まれた田舎町。視線が抜けるのは、海のある北西だけだ。北西に広がっている日本海の向こうには、朝鮮半島があった。 小さな田舎町でも、犯罪は起こる。とりわけ、日本海からの漂着物が、この街の裏社会で悪さをしていた。夜の繁華街には暴力団員…

短編小説「ぼくは人喰い鬼じゃない」

天涯孤独と自分のことを言うと、知人は「嘘だろう?」と好奇心で質問してくる。嘘だったらどれほど楽だろう。両親を知らずに孤児院で生きてきたぼくには、残念ながらそれは、嘘の言葉じゃない。 物心ついてから15才まで暮らした児童養護施設は、いつも問題児…

短編小説「フェネックになりたいので、さようなら」

冬になると鬱の患者が増えるように、梅雨の時期も心療内科は忙しくなる。だから、開院二年目の新米院長の私は、休日を返上して診療にあたっていた。会社員にも心の病を抱えている患者が多いので、診療が終わるのは21時くらいになる。帰宅すると、妻の準備し…

短編小説「背の高い美しい先輩」

女子高育ちの私は、年上の女性に憧れの人ができることが多い。大学で劇団サークルに入ってからも、背が高くて美人で何でもできる先輩女性に、いつのまにか魅きつけられていた。誘われるままにファミレスのバイトを始めた。 「あなたは私のできないところをや…

宮沢賢治にトッピングできる三つのもの

飛んでいるのは教え子の女子高生ふたりだったと思う。夕陽をバックにジャンプしている写真は、シルエットしか写っていないのに、プロが撮っただけあって、躍動感があってとても綺麗な写真だった。嬉しくなって、どこかに保存したはず。 その二人が或る時期か…

眠れる遺伝子たちを笑って起こそう

謎以外の何を愛せようか。 そんな名言を残したイタリアの画家のことを思い出していた。 もともと自分は暗号好きで、上の記事のように、暗号関連の本を愛読してきたし、下の記事のように、世界の暗号ともいうべきシンクロニシティーへも強い関心を寄せている…

親切をこんがり温かくトーストしよう

STUDIO VOICE(スタジオ・ボイス)Vol.231 テキスト・ジョッキー再び 1995年03月号 [雑誌] 作者: INFASパブリケーションズ 出版社/メーカー: INFASパブリケーションズ メディア: 大型本 クリック: 2回 この商品を含むブログを見る 現在約600万人いるらしいブ…

鴎外が描いた地下の秘密模様

昨年の9月某日と同じ展開。以前から読みたかった本を借りるために、元隣町の図書館までドライブをしてきた。梅雨の晴れ間の青空は爽快で、車通りの少ない幹線道路をスイスイ。車中でサンドイッチをつまみながら、信号待ちで読書をしながらではあったものの、…

「Unsaid」ウィルスを消毒するデザイン

別名キラー通り周辺で信号待ちをしていると、日曜日の午前中には、式場へ移動中の花婿花嫁が信号を渡るのに遭遇することもあった。私がクラクションを鳴らして祝福を送ると、周囲の車もそれに続いた。花婿は羞かしさをごまかそうとする速足で、花嫁を引っ張…

今晩覚えて帰るべきニャンたる最高の定義!

先日、東京へ行く機会があった。成田ー松山間を格安のLCCが飛んでいるので、ぐっと距離が縮まった印象だ。東京での数時間のフリータイムをどう過ごそうか。そう考えながら歩いているうちに、いつのまにか、かつての小型の愛車をよく停めていた界隈を歩いてい…

ケトルが歌う「Table for Two」

OU! 何かに驚いてしまった。Oh! 何ということだ。そのあとで、何に驚いたか忘れてしまった自分に、またしても驚いてしまった。とはいえ、ブログ記事の冒頭で「OU!」などと驚きの声を書きつけてしまったら、読者に何か驚かせるようなことを書かなくて…

建築とラブソングの陰影礼賛

ミュージシャンがヒット曲を作るとき、曲を先に書く「曲先」と詞を先に書く「詞先」があるらしい。しかし、世界広しといえども、紙媒体に載るはずもない「曲先」でショートショートを書いたのは自分くらいではなかろうか。小説になりそうなお気に入りの曲が…

短編小説「星々が近くにある遠くの街へ」

シングルマザーが夏休みを迎えると、父親が担当しがちな自由研究まで手がけなければならない。といっても、ひとり娘はまだ小学校二年生。自由研究はシンプルでかまわないはず。むしろ大変なのは、娘は反抗期にはまだ早い年齢なのに、事あるごとに「ママの嘘…

短編小説「芸術的な完全犯罪者のキス」

会ったことのない男同士が合う場所は、どこが良いのだろうか。 絵画のバイヤーをやっている知人が、小説家のぼくに会いたいと電話をかけてきた。事件に巻き込まれているかもしれないので、催眠をかけて調べてほしいという依頼だった。 最初は断った。事件に…

短編小説「優しすぎる男はフライパンで焼く」

「ねえ、あなた。今日は会社でどんなことがあったの?」 妻は30才になったばかり。ぼくより5歳年下だ。結婚して3年経つが、まだ子供はいない。 ぼくはテレビのニュースを眺めたまま、なま返事をした。 「少しくらい話の種になることはあったでしょう?」 料…

短編小説「激しい雨の中でも全存在を信じる」

激しい雨が降っていた。防衛庁の敷地の一角に、小さな簡素な施設がある。一見したところ、電気設備や水道設備を集約した業者点検用の設備室のように見える。実際、電気や水道の計器が所狭しと立ち並んでいるのだが、その奥にコンクリートで囲まれた車一台分…

短編小説「札束抱擁型の甘い献身」

昼下がりの都会の雑踏。探偵が窓を閉めると、事務所の中に静寂が戻った。 「それで困り果てているんです」 ソファーには日焼けしたスーツ姿の男が座っている。男が煙草の煙を吐き出した。 「探偵さんご本人がお困りだとは珍しい。トラブル解決のお仕事なのに…

短編小説「青空に描いた眉毛」

高層建築の窓から東京の夜景を見下ろすと、夜景の中心に深淵が真っ黒な口を開けているのがわかる。皇居だ。地下鉄で5駅ほど離れているこの場所から、東京の黒い虚焦点が眺められるのは、高層ホテルの最上階にいるからだ。 表徴の帝国 (ちくま学芸文庫) 作者…

短編小説「ダイアモンド製のオリオン座」

ぼくは四十歳の誕生日をひとりで迎えた。四十才といえば不惑の年齢だから、祝福のない孤独な夜に涙したりはしなかった。けれど、両親と久しぶりに電話で話すくらいのことは、あってもよかったのではないかと思う。 母はぼくが十歳のとき、心臓病で亡くなった…

偶然拾ったカトリーヌの囁き

今朝は何とも言えないような感動に包まれている。どこまで共有してもらえるかわからないが、今晩はその感動について語りたいと思う。 自分がゆえしれず強く惹かれるものは、自分の進んでいく未来への道標になっている。強く惹かれているそれを、道標と考えて…

短編小説「雪原にあるダイヤル式黒電話」

どすん、どすん、どすん。 森の中のホテルに泊まりに来ていた。その一室の扉から音がしている。 最初は鉄製の扉に人の身体がぶつかったのだと思った。ぼくが振り向いて見つめていると、また身体が扉にぶちあたる音。二人が扉に身体を預けて、柔道の組み手を…

短編小説「ワイン越しに二重に見えるもの」

こういうことを書くと、私より年上の女性たちは、目を尖らせて私を睨みつけるにちがいない。私は26歳で、一日に何度も鏡を見るほど自分の顔が好きで、おまけに結婚適齢期の男性のほとんどが、私の顔を好きらしかった。 デートの誘いは引きも切らなかったので…

短編小説「地下鉄ブルー」

世の人は俺のことを腫れ物でも触るかのよう怖々と接する。それも無理はない。なにしろ俺は禁固10か月を喰らって、今日やっと娑婆へ出られることになった囚人なのだ。刑務所では無闇にあちこちを蹴飛ばしたりせずに、模範囚でいた。それでも、刑期の短縮は認…