短編小説「ワイン越しに二重に見えるもの」

こういうことを書くと、私より年上の女性たちは、目を尖らせて私を睨みつけるにちがいない。私は26歳で、一日に何度も鏡を見るほど自分の顔が好きで、おまけに結婚適齢期の男性のほとんどが、私の顔を好きらしかった。 デートの誘いは引きも切らなかったので…

短編小説「地下鉄ブルー」

世の人は俺のことを腫れ物でも触るかのよう怖々と接する。それも無理はない。なにしろ俺は禁固10か月を喰らって、今日やっと娑婆へ出られることになった囚人なのだ。刑務所では無闇にあちこちを蹴飛ばしたりせずに、模範囚でいた。それでも、刑期の短縮は認…

短編小説「地球のあくびと引き換えに」

籠の中の鳥は私よ。 8歳とは思えない暗喩で、娘に抗議された土曜の夜は、あまりあくびばかりしてもいられない。 動物好きの娘には、小学生になったときインコを飼ってやった。娘が夢中で餌やりをして芸を仕込んだので、インコは夜中でも「オハヨー!」とか「…

短編小説「渦巻く水に愛を囁かれて」

休日の湖畔のカフェは、湖遊びに来た若者たちの行列ができていた。私は大学生はじめての夏休みを、ひとり旅しながら実家まで帰る途中だった。 綺麗な大人の女性と相席になった。私が会釈すると、女性は読んでいた雑誌から顔をあげて微笑した。女性は30代後半…

ユーモア短編『ベッドの下の奈落にマンマ・ミーア!』

素直さと前向きさが幸運を呼ぶ。そう言い聞かされて、実際に素直で前向きな人間に育ったので、ぼくの就職活動はあっけなく決まった。 並みいるライバルたちを抑えて、第一希望のイタリアの高級家具メーカーに採用されたのだ。採用人数はわずか2名。一流美術…

短編小説「ゴールキーパー上空には白煙のリング」

どこにだって、気取りたがる男はいるものだ。 街の中心部にあるホテルは、吹き抜けを多用して、空間を縦に使う。言い換えれば、横には広がりが限られているので、例えばモーニング・ブッフェのレストランは、かなり混雑することになる。 スーツを着込んだ旅…

短編小説「神様の留守中に受け取ったハート」

今晩は土曜日だから、我が人生最高の土曜日の話をしよう。自分の過去に酔って、いささか筋を踏み外すかもしれないが、そこは昔語りの青春話。多少の誇張はご容赦願いたい。九割のロックの酒に一割のソーダ水という配合でどうだろう。カクテルの名前は「オー…

短編小説「歪んだ真珠のつくりかた」

部屋には沈黙が張りつめていた。私はこの沈黙の意味を考えていた。それは銃声を待っている沈黙かもしれなかった。 バロックとは「歪んだ真珠」という意味だ。酒場に来た男が、得意げにそう私に語った。「きみはバロック的に美しい」とも。青山の本屋に行って…

出産コメディー映画を性モザイク化せよ

キャッチボールで、相手の動態視力がどれくらいか見るために、ちょっと変化球を試し投げしてみることがある。最近投げたのは、「三島由紀夫と同じく自分にも嗜血癖があって…」という一球。このエッセイの冒頭に、その痕跡が残されている。 すると、さっそく…

短編小説「空中に浮かぶ食卓」

大学に入学してすぐ入った英会話サークルを、私は1年半で辞めた。 入学してまもない頃、田舎から神戸に出てきてまだ右も左もわからなかった私を、帰国子女の美男子の先輩が口説いてきた。ボストン育ちの英語はパーフェクトで、学生なのにドイツ車を乗り回し…

ユーモア短編小説「エビフライ好きのプレイボーイ」

別段、蝶ネクタイもしないし、バニーガールの兎耳もつけたこともない。だから、オレのことをプレイボーイだと非難したがる女に出くわすと、面喰らってしまう。偶々、きみにふさわしいイイ男が、きみに出逢うのが遅れているだけでは? そんなにも綺麗なきみに…

ユーモア短編小説「悲劇的でも髭好きでもないジュリエット」

「廃ダムに鶴」っていう諺もつくった方がいいんじゃあないか。 俺が暇な時によく遊びに行く廃ダムは、五年前までは下流の地方都市の水甕だった。それが今じゃ水を抜かれて、景色が面白いんで、ついつい眺めて髭を撫でる時間が長くなっちまうぜ。泥が積もった…

短編小説「幸福になるにはキウイがいい」

新聞社を40歳で辞めて、フリーランスになってから、日本のあちこちへ飛び回って、いろいろな記事を書くようになった。受注先の要望で思い通りに書けないこともよくあるが、それは大手新聞の社会部にいた時も同じ。各地を自由に旅して回れるだけでも、ぼくは…

半時間で何かを話せと言われれば、大学時代の思い出を語る人が多いのではないだろうか。ありあまる若さと時間を、恋と人生を切り拓くのに投じたあの青春時代。 あいにく、ぼくの大学時代の思い出は、半時間にはとてもおさまりそうにない。といっても、話の冒…

短編小説「テリーマンの跡継ぎのためのスープ」

人生で一番の喜びとは何だろう。 ことが、妻と10年前に離婚し、当時16歳のひとり娘の親権を取られて音信不通となった50代の男にとっては、別れた娘からの連絡できまりだろう。 何の前触れもなく、メールボックスに舞い込んできた娘からのメールを、私は信じ…

短編小説『アンドロイドは豚しゃぶしゃぶの夢を見るか』

森の木々の間を、高い鉄条網がうねうねと伸びている。その柵の向こうに、木々にカムフラージュされた低層の秘密訓練施設があった。施設の中の二段ベッドの上で、ぼくはしばらく雨音を聞いていた。森に雨が降りしきっているので、夜の訓練メニューのジョギン…

ユーモア短編「勝手にしやがりたがる幽霊」

夜更けに、無人の探偵事務所で物音がした。 探偵のぼくは最近の心身の不調が祟って、酷い風邪をひいていた。また酷い咳が出た。しかし、咳がおさまっても、物音が消えない。誰もいないはずの事務所の廊下を、誰かが歩いてくる音がする。私は念のためドアの扉…

短編小説「マジックタイムのテレビを撫でると」

人を見る目が育ってきたのは、ぼくが30代の半ばを過ぎてからだ。 ある晩、仕事関係の立食パーティーで、20代の女性と話し込む機会があった。髪をしきりに直していたのと、自分を卑下する癖があるのがわかったので、冗談のつもりでこう言った。 「今のきみは…

短編小説「生命にかかわるコルク」

「明日は家具屋さんを見に行きましょうね」 真夜中なので、ホテルのツインルームの電灯は消してある。フィアンセが明日の予定の話をしたので、ぼくは暗闇の中で頷いた。 「碑文谷とか、自由が丘とか、あの辺りを歩こうか。骨董は現物を見ないと始まらないか…

ユーモア短編「まっさらな新しい日」

b 探偵事務所に入ってきたとき、最初にその男がずいぶんくたびれているのに気づいた。スーツはよれよれで、靴が埃をかむって汚れていた。初夏の街中をずいぶん歩き回ってきたのがわかる風貌だった。 私が勧めたソファーにどっかりと座り込むと、男は失踪し…

短編小説「メロンもマロンも空論」

探偵が話し合いに指定したのは、私の自宅マンションだった。都内の商社に勤める夫と私の二人暮らし。結婚と同時に新築マンションを購入したので、室内にはまだ3年目の真新しさがある。 玄関で探偵と名乗った男は、意外にもプログラマーのような風貌の30才く…

短編小説「きみを幸せにする殺し屋」

目醒めたとき、今日が何曜日かを思い出したくなった。月曜日だと思いあたって、あ、でも自分で開店したベーグル屋は先月倒産したんだった、もっと寝ようか。けれど、すぐ、今日から殺し屋の仕事をすることになっているのを思い出した。 中学校の音楽教師をし…

短編小説「恋敵のミルクティーの甘さよ」

自分たちがバブルの中にいるのかどうかは、バブルの渦中にいてはわかりにくいらしい。とりわけ、ぼくのような入社3年目の平社員は、上司が矢継ぎ早に送ってくる仕事メールと催促メールにアップアップ。朝8時に出社して夜23時に退社するのが精一杯の毎日だっ…

小説「青春ワンチャンレモン」①

高校三年生の3月が別れの季節なら、その9か月前、初夏の7月は再出発の季節だ。 水泳部の寛太も総体で負け、演劇部だったぼくも地区大会の初戦で敗退した。全国大会へ勝ち進んだひと握りを除いて、どの同級生も、顔に判で捺したような敗北感とあきらめを湛え…

ユーモア短編小説「二冊の洋書の夏物語」

「説明はいらないだろ」 彼の家を訪れた或る晩、彼はジャズの名曲を引き合い出して、そう説明を拒もうとする。私は首を横に振る。 彼は小説家で、私が彼のアイディアやインスピレーションを書き留める役を務めることがよくある。今も私はベッドの上で、両手…

ユーモア短編小説「パリの暴走族に祈る」

毎朝、先生は祭壇に向かって、世界浄化の祈りをお捧げになっておられます。その慈悲深いお姿を見守っているだけで、私はいつも清らかな感動に満たされるのでございます。 ある朝、お祈りの儀式のあと、先生が懐ろから一枚の紙を取り出しました。メールの文面…

エッセイ「燃えあがる皿、皿、皿」

誰もが高校生だったのだから、通じやすい昔話は話してしまえばいい。 今では信じがたいことに、かつてのぼくは高校三年生で、17歳だった。授業はたいてい退屈だったので、ノートの片隅に詩や脚本の断片を書き込んでは、夢想していた。誰にだって、そういう青…

ユーモア短編⑦「ハッとしたりグッときたりのハッピー・バースディ」

編集長殿 前回のMCバトル@お寿司屋さんの短編が面白かったとのこと。グッピーくんには内緒にしたる話ですが、すぐに伝えたくなるくらい嬉しかったです。グッピーくんが女性誌で恋愛相談コラムを持てるようになる日が来るといいな。 実は、あのお寿司屋さん…

ユーモア短編⑥「さる高貴な? 斜陽でご猿」

編集長殿 グッピーくんの恋愛短編小説の原稿を送っていただき、誠にありがとうございます。グッピーくんは、これを実体験に基づいた「私小説」だと説明したそうですね。とても驚きました。私も当事者ですので、私の実体験に基づいて注をつけておきました。こ…

ユーモア短編⑤「柔らかいグッバイに衝突しちゃって」

編集長殿 上でお話ししたオープン恋愛カウンセリングでのすったもんだのとき、恋愛カウンセラー「塔不二子」の名刺を、グッピーくんのノートPCの上に置いてきました。恋愛相談サイトは男友達に作ってもらいました。名刺は私の自作。「無料相談受付中」の文字…