諜報者たちの終わらない「戦後」

宮崎駿の『風立ちぬ』のモデルとなったせいで、堀越二郎は一躍有名になったが、彼が中村天風に師事していたことは、どれくらいの人々が知っているのだろう。

金でもなければ、名誉でもない。如何なることがあっても、また如何なる時でも、明るく朗らかに生き生きと勇ましく、積極的で肯定的な態度と言葉。

かかるものを常に持てと一喝する天風哲学自体は、経営哲学と親和的なこともあり、「アメーバ経営」の稲森和夫の支持も得て、「炎の妖精」の異名をとる元プロテニス選手の松岡修造の「熱すぎる積極性」の基礎ともなって、21世紀でも生き続けている。

天風哲学のさらなる深みは、引用したあれらが「宇宙霊と一体となるために必要なものだ」と語っている点にあるのだが、話の先を急いで、或る観点から、中村天風にきわめて近い2人の名前を挙げたい。

一人目。藤田西湖。「ラストサムライ」ならぬ「ラスト忍者」を自称し、甲賀流忍術以外に南蛮殺到流拳法、大円流杖術、心月流手裏剣術、一伝流捕手術も習得して継承したらしく、その忍者としての能力は、超自然的な透視能力(千里眼)にまで達していたらしい。

二人目。沖正弘。求道系の「沖ヨガ」の提唱者で、「生命は神だ」と説き、すべての職種の人々がすべての人生の瞬間を「生活ヨガ」を実践しながら生きうる「道」を確立した。

中村天風も含めたこの3人に共通するのは、究め上げた道が「霊性」の領域にまで到達していること。そして、3人ともが、日本の諜報組織に深く関わった過去を持っていることである。中村天風日露戦争時に「軍事探偵」として従軍したし、藤田西湖はあの陸軍中野学校の教官であり、沖正弘はその学生だった。

とうとう日本のスパイ養成所だった陸軍中野学校へ話が及んでしまった。自分は遅れて読んだ読者になるのだろうが、この本は「戦争を知らない子供たちの子供たち」にきっと強烈な読後感を残すことだろう。

陸軍中野学校の真実  諜報員たちの戦後 (角川文庫)

陸軍中野学校の真実 諜報員たちの戦後 (角川文庫)

 

 「残置諜者」。誰もがあまり聞き慣れない言葉だと思う。その最大の実例は小野田寛郎だが、彼が敗戦を知らずに30年間もフィリピンの密林で戦いつづけたというのは誤解らしい。正確には、日本の敗戦も戦後日本の繁栄も知りながら、任務解除の命令が届かなかったため、残置諜者としての敵対工作活動を止めなかったのだという。陸軍中野学校で習得したゲリラ兵士としての技能を生かし、フィリピンの米軍から弾薬を奪い、密林でサバイバル生活を送り、最終的には突撃の覚悟を固めていたのだとか。

たった一人の30年戦争

たった一人の30年戦争

 

その孤独をきわめた「30年戦争」にもある種の感動を禁じ得ないが、敗戦国日本に残置された諜報員たちが存在したことにも、強い感銘を感じずにはいられない。

市井の人間が考えても、「諜報と防諜」が同じコインの裏表であることはわかる。「中野は語らず」の精神を墨守して、陸軍中野学校のかつての諜報員たちが自らの工作活動に口を噤んでしまうのもわかる。

『諜報員たちの戦後』はまだ描き足りない絵で、あちこちに絵筆の入っていない空白だらけのノンフィクションだが、それでも「占領軍監視地下組織」の一員だった陸軍中野学校の卒業生が、実際にGHQに潜入して情報収集活動をしていたことまでは実証に成功しているのである。そして、さらにその「残置諜者たち」はあの下山事件にも関与したらしいのだが… その周辺はもう証言も証拠も取れないらしく、私たちは想像を逞しくするしかない。

とはいえ、このたった一冊の本から、少なくとも三筋の川が純文学の領野へ流れ込んでいるのを視認できたので、読後感は幸福だった。

1つ目が、陸軍中野学校が東京の空襲を避けるために「疎開」した先が、群馬県の富岡高校だったこと。その地が選ばれたのは、遊撃戦に最適な地形だったこともさることながら、長野県松代と東京との距離が100km前後という物資や情報の伝達の利便性が考慮されたのだという。

長野県松代とは? これは日本の政府中枢機能が移転を予定していた地。村上龍の傑作の最大の舞台となる土地である。

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

 

陸軍中野学校の関係者の中には、「占領軍監視地下組織」を形成するほどに、「時計の針が5分進んでいた」不撓不屈の強者たちが存在した。その史実は小説と同程度に数奇だとまでは言ってもかまわないだろう。

わずか7年で陸軍中野学校はその幕を閉じるが、「諜報員たちの戦後」は終わらない。戦後の自衛隊にて「調査学校」の名で再び諜報機関が組織され、中野で教官をしていた山本舜勝が副校長を務める。その山本舜勝は60年代になって、純文学に最も近い自衛隊幹部となるのである。

楯の会」を結成して自衛隊体験入隊を始めた三島由紀夫と、公私ともに深い親交を結んだ自衛隊幹部。山本舜勝は、市ヶ谷駐屯地での割腹事件直前まで、「楯の会」によるクーデター作戦の立案に協力していたとも言われる人物である。

そして、この系譜に一冊の小説が意外な形で連なってくる。

インディヴィジュアル・プロジェクション (新潮文庫)

インディヴィジュアル・プロジェクション (新潮文庫)

 

「元スパイ私塾訓練生だった…」というあらすじだけを読めば、表面的には「戦後」と阿部和重的なものは隔絶している。ただ、阿部和重が純文学系の作家の中では例外的に情報処理能力と情報感度が卓越していることは特筆しておく必要がある。

ネット上の情報が多くなかった90年代から、良識を逆撫でするかのように、いわゆる「陰謀論」に親炙していることを隠さなかった阿部和重だが、今世紀の始まりを飾った9.11同時多発テロが首謀者一味の言う通り「とんでもない陰謀論」だったことがほぼ確実になり、クライシス・アクターたちによる自作自演テロを毎週のように見せられる10年代後半、ここまでの「情報戦」での阿部の立ち回り方は、やはり優雅で卓抜だったと感じざるを得ない。

『諜報員たちの戦後』の冒頭では、陸軍中野学校の卒業生が、B29の米軍捕虜たちを公開処刑した事案に巻き込まれる様子が描かれている。そのB29を知らないかもしれない若い読者へ向けて、阿部和重が新作小説にB29という記号を再召喚するとき、そこで目指されているのは「太平洋戦争を忘れないで」といったキャンペーンではないだろう。 

キャプテンサンダーボルト

キャプテンサンダーボルト

 

 陸軍中野学校の「謀略の本義」という教科書には、

国家間の闘争は単に武力によるのみならず、謀略をもって、戦時と平時とを問わず、軍事、経済、思想等、すべての部門に用いられる。(大意)

と書かれている。

最近になってようやく、熾烈な情報戦で飛び交うdisinformation群に「Fake News」という名前がついたばかりだ。私たちは今、戦時にいるのだろうか、それとも平時にいるのだろうか。それすらも決しがたい、どうしようもないB級fictionのような現実にいたとしても、いずれにしろfictionの内外を問わず「情報戦」は続くし、続けよ、続けなければならない。戦いが次々に生起する限り「戦後」は終わらないのである。

現実の側で虚構を塗り重ねながら任務を遂行した残置諜者たちや、fictionの生まれる内側に立って現実なるものをいかに断片化し変形していくかに挑む作家たちが、「中野は語らず」式の婉曲な言葉やミュートされた無言で伝えようとしているのは、そのような今ある闘争への注意喚起と決起の呼びかけなのかもしれない。

 

(5/2分)