月の光でできる虹

最近、恋愛小説のことを考えている時間が長い。

月の光で虹ができるとしたら、その虹のように美しい女性

恋愛相手の女性を形容する文脈で、これまでに何度か聞いたことがある歯の浮くような常套的比喩だ。その二度と会えそうにない儚さや薄幸な美しさが、ある種の男性が女性に抱きがちな幻想を反映してるのにちがいない。こういう甘い空想的な修辞が、少年時代の自分は好きだった。詩が何であるか、女性が何であるかを知らなかったのだと思う。

空想の中にしかありえないはずの虹。しかし、検索をかけて数クリックで、知ろうと思えば何でも知ることができるのが高度情報化社会の最大の強みで、これを生かさない手はないだろう。

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検索をかけると、てっきり空想上の産物だと思っていた月虹 luna rainbowは実在するらしく、数クリック先には月虹を撮影したテレビ番組まで見つかった。カメラの露光を上げているので、写真では月虹が夕刻の虹のようにも見えるが、虹を生み出しているイグアズの滝の壮麗さには言葉を奪われてしまう。

月虹 - Google 検索

月虹で恋愛小説を書くことはなさそうだが、詩情に満ちた恋愛小説が何かを問われたら、別格の一冊を除いて、仏文出身らしく『大胯開き』と『肉体の悪魔』を挙げることにしている。このように書名を並べると、初耳の人にはポルノめいた小説に聞こえるらしいが、前者はバレー用語で身体の柔らかさを最も簡単に示せるポーズ。写真を見れば一目瞭然だが、言葉でいうなら、両脚の足先から付け根までを同時に床に付けること。小説中の「エッフェル塔姉さん」に似ているかどうかは定かではないものの、数クリック先で陽気なフランス美人が Le grand ecart のやり方を教えてくれている。(4:35くらいにポーズ完成)。

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コクトーに比類のない詩才があることは疑いないが、それが対象に審美的な何かを付与するために駆使されているのではないことは、憶えておいた方がいい。詩は飾るためのものではない。例えば主人公が失恋して自殺を決意した直後の一節。

一等二等の差別はあるけれども、人生はわれわれすべての人間を一緒くたにして、死の方向へ全速力で進む一台の列車の中に、つめこんでしまう。(…)

 もし一等二等の間を連絡する通路が、ひそかに二つの魂を接近させ、混じり合わされることになれば、二つの魂のうちの一つが旅行を終えたり、途中で下車したりすることは、きっと彼らの初々しい恋愛を幻滅させ、死という目的地へのパースペクティヴを堪えがたいものにするにちがいない。平野の真中に汽車が長く停まっていてくれたらいい、と彼らは思うだろう。そこで昇降口へ目を向ける。すると、電線が動くので、下手なハープの弾き手に見える窓は、繰り返し繰り返しアルペジオを練習している。

 コクトーの詩や箴言の背景には、このように運命論的な死の匂いが常に貼りついている。フランスのブロガーが引用していたのは、この一節。

ある若いペルシアの園丁が、王子にこう言った、

「王子様、今朝私は死神に出遭いました。死神は私に向って、何か悪いことの起こりそうな仕草をして見せました。どうかお助け下さい。今晩までに、何とかしてイスパハンに逃げのびたいのですが」

親切な王子は自分の馬を貸してやった。午後、王子が死神に出遭った。

「なぜお前は」と王子が訊いた。「今朝、うちの園丁をおどかすような真似をしたのかね?」

「おどかすような真似だって?」と死神が答えた、「とんでもない、驚いた仕草をして見せたまでだ。だって、あの男、今朝はイスパハンからこんな遠いところにいたのに、今晩はそのイスパアンでおれにつかまる運命なんじゃないか」

これらの詩的箴言とは別に、コクトーの筆は、とんでもなく入り組んで錯綜した恋愛関係を、「詩才だけが可能にする速さ」で綺麗に描き分けている。

美しき多情なあばずれジェルメーヌ①を中心に、その妹分のルイーズ②、主人公のジャック③、ジェルメーヌのパトロンの金持ちオシリス④、ジャックのイギリスの友人ストップウェル⑤、ルイーズのトルコ人彼氏マヒエディン⑥の6人について、①④、②③、①③、②⑥、①②、①⑤、①⑥の恋愛の順列組み合わせと、その恋愛関係を誰が知っていて誰が知らないかが巧みに情報処理されている。

凡才には描きがたい①②のベッドシーンに遭遇しても、詩人はわずか二行で事足りる。

彼女たちは頭文字のようにからみ合って、眠っていた。そのからみ方はあまりにも精巧なので、一人の肢体が相手の肢体と見紛うばかりであった。一糸まとわぬハートの女王を想像していただきたい。

それにしても、欧米諸国と日本のアマゾンを覗いたが、まともなレビューが日本の1件しかついていないのは、どうしてだろう? コクトーも「ノベリスツノベリスト」なのだろうか?

 午前中から『大胯開き』と『肉体の悪魔』を連続で読んで、意識に糖分がしたたかにまわったせいで、少し頭がふらふらする。読後に感じたのは、前者から後者へ文学上の深い影響が及んでいること。ラディゲを発見したのはコクトーなので、二人は師弟関係にある。そればかりか、二人は地中海沿いの町で一緒に暮らして、コクトーが『大胯開き』を書き、ラディゲは『肉体の悪魔』の校正をしていたのだとか。

その港町はあの「紺碧海岸」の外れにあって、今でもバカンス好きな欧州人で夏には賑わいを見せるらしい。しかし、コクトーとラディゲの濃密な師弟関係は、ラディゲの20歳での夭逝により、わずか数年で途絶してしまった。

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その港町が2人の記憶を失っていたら悲しいと思って検索していたら、その町に人気の小さな礼拝堂があるのが見つかった。外観に目を凝らしただけで誰が壁画を描いたのかがわかる。こういう写真を見ると無性に旅に出たくなる。

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先日のGWは、例によって海外旅行に行く経済的時間的余裕がなく、瀬戸内のしまなみ海道を走っていた。その中間地点くらいにあるレモン名産の島に、多彩なフルーツの味をそろえたジェラート屋があるので、立ち寄った。島のレモン味のジェラートを舐めながら、店に掲示された有名人の写真を眺めていたとき、タレントに交じって或る二人組のロッカーの写真があったのを、いま思い出した。ポルノめいた題名の恋愛小説の話をしたばかりだったせいかもしれない。

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その二人組のロックバンドはこんな歌詞のデビュー曲を引っ提げて、瞬く間にスターダムにのし上がったのだった。二人はすぐ隣の島の出身だ。

 僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう
アポロ11号は月に行ったっていうのに
僕らはこの街がまだジャングルだった頃から
変わらない愛のかたち探してる 

 少年時代、月虹のイメージに憧れていたとき、自分は詩も女も知らなかった。

アポロ11号について、私たちはまだまだ知らないことがあるはず、と書くと、アポロ計画陰謀論者のレッテルを貼りにきて莫迦にしようとする人々がたくさんいそうだ。さしあたり、グレーだと感じている懐疑論者だと旗幟を鮮明にして話を進めるが、キューブリック監督の生前のインタビューが発掘されて、「自分が捏造映像を撮影した」との「告白」が世を騒がせたというなら、話は変わってくる。

ただ、ここにはさらに高度な情報戦があり、さらにもう一回の宙返りがある。「捏造映像を撮影した」とするキューブリック監督のインタビュー自体が捏造の可能性が高いのだ。悪戯にしては手が込みすぎている。誰が? 何のために?

9.11テロ疑惑国会追及―オバマ米国は変われるか

9.11テロ疑惑国会追及―オバマ米国は変われるか

 

 そのことに気付いている Trutheたちの数が多いことに勇気づけられるが、先頭を切っているのは、上記の9.11告発本で共著者に名を連ねているこの人だろう。

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disinformation 情報攪乱(偽情報)という諜報戦上の戦略行為をご存知だろうか。今回の例で説明すれば、キューブリック・インタビューが偽の捏造であることを発覚させることによって、その反動で、それを信じて騒いだ人々を「騙された莫迦」という種族に貶め、同時に「捏造インタビューで語られた内容までもが捏造である」との認識を流布することを企図する情報戦略のことである。

とりわけアポロ11号については、すでにdisinfomationの「前科」があって、それはフランスのテレビ局が制作した「Operation Luna」という番組。ネオコンラムズフェルドまで登場する迫真の「虚偽着陸の告発番組」に仕上がっていたが、エイプリルフールに発表されていたことと、番組内に映画中の虚構人物の名前が鏤められていたことが、程よい時期に発覚。その反動で、番組を真に受けた人々の顔に泥を塗り、アポロ計画陰謀論自体が捏造、つまりは「アポロは本当に月へ行った」という無根拠な空気を醸成することに成功した。

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(ちゃんとタイトルに「disinformation」が入っています。Great Job!)

しかし、ここまで書けば誰にでもわかると思うが、もしdisinformationが繰り返し流布され、(その流布する主体への資金援助の出所が同じであり)、disinfomationが偽であるとの予定通りの発覚の反動によって、そこで「共通した内容」が同じく「捏造」であるとの誇大な印象を振りまくなら、その「共通した内容」こそが、dininformerたちが隠蔽したい情報だということになる。キューブリックの偽インタビューの登場は、逆にアポロ計画陰謀論説をより濃いグレーにしたとみるのが妥当だろう。

私たちは夜の森の中にいて、熾烈な情報戦のさ中にいる。わずかな月の光を頼りに、数クリック先へ進んでより真実に近い情報をつかみ、さらにまた数クリック先へ進んでいく。そのような前進を続けるほかない。

しかし、それが決して孤独な一人の闘いではない。真夜中に覚醒したますます多くの人々と協働しつつ、ともに歩み進められる闘いなのだという希望を、微かではあるが確かに実在する月虹のような貴重なものとして、ここに書き添えておきたい。

 

 

 

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