真珠の痛みを人は知らない

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ここで、アンビエントミュージックについてこう書いた。

引き続きフーコーに倣って「系譜学」的な観点に立てば、アンビエント・ミュージックの起源はエリック・サティの「家具としての音楽」になるだろう。室内環境と密接に関わる音、というより、室内環境そのものである音楽をアンビエント・ミュージックは志向した。

そこで紹介したハロルド・バッドには、ブライアン・イーノとの共作がいくつかあって、甘めのテイストを好む自分は「Pearl」を愛聴していた。遅すぎるフェイド・インで、静かにリバーブの利いたピアノが盛り上がってくる一曲目の冒頭が、懐かしくてたまらない。

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このブライアン・イーノより半世紀前、アンビエント音楽の源流を作ったのは、エリック・サティの「家具の音楽」だった。サティは、モーツァルトなどが依拠した調性音楽を解体した最初の音楽家で、現代音楽のルーツをなしているとも言われる。「革命児」や「変わり者」とも呼ばれたのは、しかし、単に人間的に変わり者だったからという理由も否定できない。

「犬のためのぶよぶよとした前奏曲」「犬のためのぶよぶよとした本当の前奏曲」などのような人を喰った名を付けて楽曲を発表したところにも、その音楽家らしからぬ諧謔精神は現れている。

エリック・サティを日本へ紹介したのは坂口安吾で、1931年に同人誌にコクトーの「サティ論」を翻訳したのが日本初上陸。これが当時25歳でアテネ・フランセフランス文学を勉強していた安吾の文学的出発となる。時代は太宰治が自殺未遂や心中未遂を繰り返していた頃だ。本格的な処女短編は「木枯の酒蔵から」。この短編は普通の小説ではなく、安吾言うところの「FARCE」で、ナンセンスな莫迦話だ。ところが、これが滅法面白い。純文学嫌いな普通の人が読んでも、一番面白い純文学の部類に入るかもしれない。

主人公の風博士の遺書を読み進めていくと、風博士が蛸博士と論争中だったことがわかってくる。

諸君、彼は余の憎むべき論敵である。単なる論敵であるか? 否否否。千辺否。余の生活の全てに於て彼は又余の憎むべき仇敵である。実に憎むべきであるか? 然り実に憎むべきである! 諸君、彼の教養たるや浅薄至極でありますぞ。かりに諸君、聡明なること世界地図の如き諸君よ、諸君は学識深遠なる蛸の存在を認容することが出来るであろうか? 否否否、万辺否。余はここに敢あえて彼の無学を公開せんとするものである。

しかし、歴史学者らしき風博士の論文は、文字通り吹けば飛ぶようなナンセンスな出鱈目でしかない。

しかるに嗚乎、かの無礼なる蛸博士は不遜千万にも余の偉大なる業績に異論を説となえたのである。彼は曰いわく、蒙古の欧州侵略は成吉思汗の後継者太宗の事蹟にかかり、成吉思汗の死後十年の後に当る、と。実に何たる愚論浅識であろうか。失われたる歴史に於て、単なる十年が何である乎! 実にこれ歴史の幽玄を冒涜するも甚だしいではないか。

論敵からの異論に対して激昂した風博士は、蛸博士の自宅に侵入してカツラを盗もうとするのだが……。青空文庫で全文が読めるので、興味を持った人はそちらをご覧いただきたい。

坂口安吾 風博士

個人的には、風博士が自らの途方もない大失態に気付いた瞬間、口から飛び出た「POPOPO!」という擬音が忘れられない。満州事変勃発と同じ年に「POPOPO!」の七文字を書けた作家は皆無だろう。この「POPOPO!」に代表される安吾のファルス志向が、サティ譲りのものだとする研究論文まで、すでにいくつか書かれているらしい。坂口安吾研究会が今世紀になって発足するほど注目の絶えない安吾には、彼自身が個性的であるという以上のアクチュアリティがありそうだ。

そのアクチュアリティを考えるときに欠かせないのが、かの有名な「日本文化私観」だ。 

見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか。

法隆寺平等院も焼けてしまって一向に困らぬ」という部分を読むと、敗戦後の焼け跡の中で書かれたにちがいないと、読者は即断してしまいがちだ。まだ無数の焼夷弾は落ちていない。同じエッセイで、安吾京都府亀岡市大本教の「弾圧の痕跡」も観に行っている。「とにかく、こくめいの上にもこくめいに叩き潰されている」とまでは述べたものの、それ以上の感想は書かなかった。安吾にとっては、崩壊後の焼け野原は一種の常態だったのだろう。彼は建築物が立ち並んだいつもの街並みを見ても、焼け跡が見える人だったのである。

安吾のこのアナーキズムに通じた諦念や悟りについては、三島由紀夫が上手い評言を残している。そういえば、トンネルは一種の建築物だが、通り抜けるためにしか存在しない。

坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐたから、明るくて、決してメソメソせず、生活は生活で、立派に狂的だつた。坂口安吾の文学を読むと、私はいつもトンネルを感じる。なぜだらう。余計なものがなく、ガランとしてゐて、空つ風が吹きとほつて、しかもそれが一方から一方への単純な通路であることは明白で、向う側には、夢のやうに明るい丸い遠景の光りが浮かんでゐる。この人は、未来を怖れもせず、愛しもしなかつた。未来まで、この人はトンネルのやうな体ごと、スポンと抜けてゐたからだ。

法隆寺が焼けても困らぬ」とした「日本文化私観」と、真珠湾攻撃の9人の軍神たちを二人称複数で称賛した「真珠」は、ほぼ同時期に書かれている。この二つには後者から前者へという前後関係がありそうに見える。「真珠」湾攻撃の開戦後、焼け野原の予感がきわまって「焼けても困らぬ」心境になったかのように。

しかし、安吾の場合は、最初からトンネルの向こうに焼け野原が見えていて、トンネルに入る手前の日光の中で軍隊を称え、自分のトンネルを自分でてくてく速足で抜けて、焼け野原に辿り着いたような趣がある。この独特のアナーキストには、最初からトンネルの向こうの焼け野原が見えていたように思われるのである。

では、実際の真珠湾攻撃はどうであったのか。山本五十六が戦後最大の「過大評価」軍人であるとの声が、最近高まっているのをご存知だろうか。その根拠も充分に説得的だ。

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能う限り控えめに言っても、日本はアメリカに対して戦端を開くべきではなかったと、自分は考える。小説の一隅で、大学の卒業旅行をしている若者たちに、こんな反戦感情のこもった会話をさせた。

インパール?… インパールも知らないのか、路彦は… 真珠湾ではなくて?… 「リメンバー・パール・ハーバー」はアメリカ人の民族的合い言葉。日本人が記憶すべき合い言葉は「リメンバー・インパール」さ… 対英国軍の局地的敗北をどうして記憶するのさ… 何もかも糞だったんだ、あれは。まるで意味のない侵攻作戦のために、補給線なしのまま熱帯の高山地帯に突撃して、自ら夥しい餓死者と熱病死者の列を累々と生み出しながら、敗走に次ぐ敗走さ。あそこで死んだ誰もが、完璧な犬死だった… 止せよ、シニャック

「そういう言い方は止せ」

 自民族中心主義という軛から逃れて、可能な限り客観的で公正な目を向けたとき、パール・ハーバーインパールのどちらに人は、より多くの痛みを感じるだろうか。その答えはどちらでもいい。ただ、残されている記録に目を通して戦争の惨状を目の当たりにするとき、坂口安吾の「日本文化私観」も「真珠」も、ましてやハロルド・バッドの「Pearl」も、想起するとそれらが甘すぎて、胸が悪くなるような気分になる瞬間がある。

私たちは、敗戦の痛みをまだ充分に引き受けないまま、生きている。数々の書物が、心揺さぶられるほど深くまで、それを教えてくれる。そのような痛みを伴う読書こそが、「真珠」のように貴重な体験なのかもしれない。 

インパール兵隊戦記―歩けない兵は死すべし (光人社NF文庫)
 

 

 

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