種を弾き飛ばしあう菫たちのように

暗い部屋でチェット・ベイカーを聞きながら、ずっと膝を抱えていることもある。自分は感傷的な男なのだと思う。

けれど、自分の世界からそのような感傷性を差し引いても残るものは確実にあると自負しているので、少女趣味の「星菫派」ではないつもりだ。愛聴している坂本龍一も、聴く者を積極的に感傷へ誘う局面があったとしても、「星菫派」ではないだろう。

ノヴァーリスのような西欧の星菫派から一番遠いところで詩を書いたのが、マラルメだろう。そしてマラルメを対象にした批評のうち、知る限り最上の書物がこれだ。これを読んで初めて、自分はテマティック批評が本当に分かったような確信が得られた。(出版不況の折り、よくぞ出版してくれたと快哉を叫びたい気持ちもあるが、例によって溜息が出るような値段だ)。

マラルメの想像的宇宙

マラルメの想像的宇宙

 

 あまりにも浩瀚なこの書物を読みこなすのは、決して容易なわざではない。アルチュセールの自伝を読んで、彼の指導教官がジャン=ピエール・リシャールの父だったことを知ったが、その息子のサラブレッドはロラン・バルトにかなり近い場所を並走していた。変幻自在のバルトよりも、手法にそれほど転位のなかったリシャールの方が、テマティック批評のありようを実体験しやすいはず。凡庸な形容だが、これほど美しい文芸批評を味わう機会は、人生にそれほど多くはないだろう。

時間がなくて急いでいる人には、訳者あとがきに目を通して、「もっと客観性を!」との声に「解釈は主観的でしかありえない」とリシャールが応接した辺りに、日本ではしばしば混同されがちな記号学と解釈学の天敵同士の対立を読むと良いし、周縁に追いやられていたリシャールのキャリアコースを辿って、それがそのまま「バルト対ピカール論争」における、ヌーヴェル・クリティック対アンシャン・レジーム(講壇批評の本拠地のアカデミック・ポスト群)をなぞっており、論争直後にその旧本拠地を脅かすパリ五月革命に直結した(標語の一つは「敷石を剥がせば砂浜」)という史実をもって、当時の思想動向の中心線をさらに明確にしても良いだろう。

 いや、20年がかりの翻訳で日本語となったこの本の見事さに、やはり言及しないわけにはいくまい。マラルメの偏愛する主題、「花火、噴水、花束、扇など、炸裂するように開きながらも、固定された中心につながれている形態」について言及した一部。

偽の翼を形象し、起こらない飛翔を演出する扇は、まさに虚構の道具なのが、その形態と運動という、二つの理由によってそうなのだ。花のように開き、分散する襞となって広がる扇は、しかしつねに唯一の中心に固定されている。そのうえ、「巧妙な」動き、付随した揺れ、――この揺れもまたやはり捉えられており、行くことを戻ることに否応なく結びつけている――によって、生命をあたえられる。すなわち、一言でいえば、扇は羽ばたくのである。

例えばロッキング・チェアにでも揺られながら、このよう極上の文芸批評の美酒に浸っていたいのはやまやまだが、「偽の翼を形象し」という最初の七文字で、あっけなく酔いが醒めてしまう。誰だこんな時間に電話をかけてきたのは?という気分になる。揺れている椅子から立ち上がって、読みさしの本をテーブルの上に伏せて、さてあのことについて考えなくては、という苦い責任感のようなものが込み上げてくる。

昨晩少しだけ言及したデビッド・アトキンソンには、日本の観光資源に関する著作が多いが、元々はゴールドマン・サックスのアナリストだった。

デービッド・アトキンソン 新・観光立国論

デービッド・アトキンソン 新・観光立国論

 

 それが今や、日本の文化財の装飾や修繕を引き受ける国内最大の会社社長となった。1%グローバリストの巣窟から、異国の伝統文化の「守護神」への八艘飛びのような大飛躍。

ところが、彼以外にも、今世紀初頭に弾かれたかのように八艘飛びをして、華麗な転身を遂げたVIP(very inportant person)がいた。堤未果藤原直哉だ。その契機となったのは、9.11。ニューヨーク貿易センタービルに「偽の翼を形象し」た何かが衝突した日だった。あの政府発表を信じている人はもういないだろう。ペンタゴンへ「偽の翼」が衝突する映像は、すでに全世界に公表されている。

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9.11当日、堤未果は隣のビルの20階にある野村證券で働いていたらしい。謀略による国家破壊を肌身で体験して、彼女の中で何かが変わった。弾かれるように遠い畑のジャーナリストへと転身し、それから華々しい活躍をつづけているのは周知のとおりだ。

ほぼ毎年、万人に伝わりやすい文章で、9.11以降、1%グローバリストたちによって突き崩されつつあるアメリカの民主主義のレポートを発表し、その悪辣な切り崩しによる「内植民地化」が、日本でも同時進行しつつあることに警鐘を鳴らしている。アクチュアリティと時評性が高いので、最新作が最良。ぜひこの国の若者たちに、この新書を手に取ってほしい。

政府はもう嘘をつけない (角川新書)
 

 藤原直哉も9.11直前に、ニューヨーク貿易センタービルのすぐ近くのビルを訪れたらしい。訪れたのは、BBCの生放送中に、スタジオから現場記者に、なぜか崩壊前なのに名指しで「容態」を確認されたあの第7ビル。今や伝説となった「自動崩壊ビル」だった。

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 といっても、藤原直哉はその第7ビルへ、ソロモン・ブラザーズの社員として、本社訪問をしただけだ。9.11前なので何も起こらなかった、と書きたいところだが、その日の藤原直哉には、デスクを並べて仕事に励んでいる本社の優秀な社員たちが、専用の檻に閉じ込められたニワトリの列に見えて仕方がなかったのだという。天啓だろう。

その後の藤原直哉は、自然や霊性への傾斜を強めるとともに、積極的に9.11内部犯行説について言及し始めた。その勇気ある言及に、「業界」が嬉し気にざわめいた。

自分が勝手に所属していると信じ込んでいる業界があって、その名を「陰謀論」業界という。しかし、「陰謀論」という蔑称こそが、CIAによる真実追及者への侮蔑的レッテル貼りの「言語兵器」であることが公文書で明らかになっている今、私たちはその「業界」を何と呼ぶべきだろう?

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OK。呼び名はどうでもいい。

中東で戦争を起こすために、「偽の翼」が金融中心地ニューヨークで炸裂し、それに弾かれるように「金融」の中心に関わっていた人々が、「真実」に関わることを生業とするようになった。そのことの方が遥かに大事だ。二人に影響されて生き方を変えた人々も、少なくないことだろう。

可憐な花の代名詞である菫は、花が絶えたあと種を実らせ、ある瞬間に豆鉄砲のように種を飛ばす。他にも、種の入っている鞘が何らかの刺激を受けて弾け、種を飛ばす植物はたくさんある。そのような植物が群生している場所では、最初に弾けた種が別の鞘に当たって種を弾けさせ、その種がまた… という具合に、或る日さながら爆発するかのような壮観を現出させるらしい。

星や菫が好きだっただろう12歳の「オルレアンの乙女」は、ある日神の声を聴いて、フランス軍に従軍し、少女でありながら奇跡のように軍を鼓舞し統率して、異国に占領されていた祖国の一部を解放したのだという。 

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「業界」に属していると思い込んでいる無名の自分も、勝手にその一部に連なった気分になって、一人称複数の代名詞を使ってもかまわないだろうか。真実が爆発的に弾け広がるその日を待ちながら、ジャンヌ・ダルクの勇壮な鼓舞の声真似をしながら、最後にこう叫んでおきたい。

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