貴重な虚構のためのホッチキス

こういうことを話すと、現代の若者たちは信じられないという顔つきになるのではないだろうか。

自分が大学生の頃には、携帯電話はなかった。

より正確には、とびっきり高価だった当時の携帯電話は少数の青年実業家たちだけの持ち物で、彼らは弁当箱より大きな携帯電話を肩掛けして持ち歩いたり、耳の横に氷枕のようにあてて「しもしも」とか言ったりしながら、人々の羨望のまなざしを集めていた。

だから、恋人たちが勝手に相手の携帯電話やスマホを盗み見て、大喧嘩に発展するなどということもなかった、と言いたいところだが、実は当時までの恋人たちが盗み見る対象メディアが、あるにはあったのである。

それは、日記。

自分も交際していた女の子に日記を盗み見られたような気がして、何だか不愉快な気分になったことがあった。一触即発? まさか。一線を侵犯されても喧嘩しない大人の知恵なんて、この世にはいくつだってある。日記で彼女をべた褒めして、どういうところが可愛らしいか、どれほど可愛らしいかを熱烈に綴っているうちに、彼女はこちらが求める可憐さに接近してくれて、二人の愛はさらに深まっていった。好きな相手になら、どんな「偽日記」だって書いてみせるさ。Fiction!

 この記事で言及した太宰治の『女生徒』を書き換えた美少女誘拐小説の原点は、きっとあのときの機知にあったのだと思う。

青春真っ只中の若者が読むべき日記と云えば、戦前はきっと『三太郎の日記』だったのだろう。昭和が終わる直前の中学生の頃に父親に買い与えられて、何だか時代錯誤にも思えたが、引き込まれるように読み耽った記憶がある。難解だったが、中学生の没入を誘ったのは、それが微熱のこもった一種の青春小説だったからだろう。

父親はひとことでラベルを貼ると、小林秀雄好きでモーツァルト狂のディレッタント。反抗期の思春期に、父とはその話をしたくなくて、読書リストから小林秀雄を積極的にカットしていた。

それでもマエストロの影は執拗に追いかけてきた。或る私大入試の小論文で小林秀雄にまた会ってしまったのだ。うまく書けた手応えはあった。合格したが感動はなかった。元々論文の類を書きこなすのは得意で、超高校級のリテラシーを持っているとの自負もあった。東大後期の論文模試では全国1位、4位、20位の戦績。ほとんど勉強らしい勉強をしなかったくせに、勝手に東大へ行けると思い込んでいたのだが、天網恢恢疎にして洩らさず。不勉強に天罰が下った。

見事に足切りにかかって、後期論文試験は受けられなかった。その不合格にも特に感慨はなかったが、その年の東大文Ⅲ哲学科には、ITバブルに乗ってネットの「ナマ扉」を開けた風雲児がいたらしい。時代の寵児となる直前の彼と、一緒に酒を呑んでみたかったような心残りもある。

さて、大学に入って文芸批評を集中的に読むようになると、後進の俊英たちが「往時の巨匠」小林秀雄をどう乗り越えたのかが、気になり始めた。私流の答案のイメージはいくつか湧いている。この記事で小林秀雄ベルグソン読解を調べたのも、そのイメージに沿ってのことだった。予想通り、小林秀雄の洞察力は、ベルグソン哲学の核心には届いていなかった。

 世にいくつかある「小林秀雄乗り越え本」の中では、この本が一番面白いのではないだろうか。「ヤンキーな小林秀雄が、岩野泡鳴の洋楽翻訳に魅了されてロックンロールしたから、当時最高の青春の寵児になった」というこの本の主旨は、ほとんど「小林秀雄Yoshiki」説そのもので、笑い転げてしまって仕事にならなくなる。サンキュー武道館、最高だぜBaby!

ドーダの人、小林秀雄 わからなさの理由を求めて
 

 ロックンロールの音量を絞って、もう少し真面目なふりをして小林秀雄のことを考えることにしよう。当時の主要な問題系の「私⇔社会」をめぐって、横光利一が「四人称の純粋小説」の答案を出したのと同じ「試験」で、小林秀雄は「私小説」に対して「宿命」を対置してみせた。

 人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は哲学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。(「様々なる意匠」)

普通の人が読めば、「私を描いた私小説」と「私の宿命」とはぴったり重なるようにも思えるかもしれない。しかし、初期の小林秀雄の抜群の嗅覚の良さは、そこがきちんと常人とはズレていたことだ。上の引用部分を丁寧に読めば、小林の思考が偶然という他者性へ開かれていることがわかる。Aにもなれたが偶然Bになったのなら、人は思いもかけない偶然によってAである途中で不意にBにならざるを得ないこともありうる。社会内に生息する無数の他者が、そのような偶然の他者性に開かれているのなら、それを基盤により大衆に寄り添った社会を構想することだってできたはずだ(ロールズの「無知のヴェール」)。さほど難しい話ではない。

ところが、小林秀雄のいう「宿命」は、彼の批評の中で急速にポテンシャルを減衰させて、小説に作家の「宿命」を読み、「宿命」を読む批評家としての自分の「宿命」を肯定するという具合に、すっかり甘えん坊に成り下がっていく。これはどうしたことか。一番短く言うと、その批評の残念な様態は、小林秀雄が「私⇔社会」図式の背後にあるさらに大きな対立図式「言語」⇔「歴史」の両方に、真に出遭わなかった、ということになるのだろう。(鹿島茂は、小林秀雄ヴァレリー理解が、読むべき方向性とは真逆だったことを論証している。ベルグソン理解で見るより、こちらの方がはるかにわかりやすかった。なるほど)。

その理由を追って、小林秀雄志賀直哉的な嫌人性があったとか、父が早逝した母子家庭出身だったとか、作家論的な事実に根拠を求めるのも有力な道筋だ。自分はここで、同時代の小林秀雄批判の白眉。坂口安吾の「教祖の文学」を想起するのが癖になっている。

 小説は十九世紀で終つたといふ、こゝに於いて教祖はまさしく邪教であり、お筆先きだ。時代は変る、無限に変る。(…)別に大変りをしなくとも、時代は常に変るもので、あらゆる時代に、その時代にだけしか生きられない人間といふものがをり、そして人間といふものは小林の如くに奥義に達して悟りをひらいてはをらぬもので、専一に生きることに浮身をやつしてゐるものだ。そして生きる人間はおのづから小説を生み、又、読む筈で、言論の自由がある限り、万古末代終りはない。小説は十九世紀で終りになつたゾヨ、これは璽光様の文学的ゴセンタクといふものだ。(…)
 人生はつくるものだ。必然の姿などといふものはない。歴史といふお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。仮面をぬぐ、裸の自分を見さだめ、そしてそこから踏み切る、型も先例も約束もありはせぬ、自分だけの独自の道を歩くのだ。自分の一生をこしらへて行くのだ。
 小林にはもう人生をこしらへる情熱などといふものはない。万事たのむべからず、そこで彼はよく見える目で物を人間をながめ、もつぱら死相を見つめてそこから必然といふものを探す。彼は骨董の鑑定人だ。

坂口安吾 教祖の文学 ――小林秀雄論――

安吾が、「雨ニモ負ケズ」そのまま、農民たちのために東奔西走して客死に近い亡くなり方をした宮沢賢治を、小林秀雄の真逆の位置に張り込んでいることに注意してほしい。時代のルーレットは回っていた。ずいぶん長い間、ルーレットの玉はぐるぐると周回して落ちてこなかった。やがて、銀色の玉は平面の円盤の上へ落ちてきてカタカタとと円周を走り、小林秀雄とは真逆の位置でぴたりと止まった。勃発した敗戦を運命づけられた戦争に対して、小林秀雄はほとんど口にすべき言葉を発することができなかったのである。それは、小林秀雄が「言語」⇔「歴史」の双方に深くコミットできなかったことよりも、安吾に「骨董鑑定人」と形容させた小林の特質、「動かない人だったこと」の方がはるかに大きいと思う。 

ニホンザルの生態―豪雪の白山に野生を問う (自然誌選書)

ニホンザルの生態―豪雪の白山に野生を問う (自然誌選書)

 

 現代思想の領域は、『悲しき熱帯』はもちろん、『ニホンザルの生態』にまで及んでいる。

無類に面白い動物行動学の本書は、野生のニホンザルの群れが、地縁と採食と防衛と繁殖を目的とする機能的な遊動集団であり、それに不要な順位序列文化を持っていないことを証し立てている。驚くべきことに、野生のニホンザルの群れには、ボス猿さえほとんどいないらしいのだ。

では、私たちが目の当たりにしてきた、あのサルの序列社会とはいったい何だったのだろう。ボス猿の空位をめぐる熾烈な跡目争いがあり、末端のサルたちでさえ絶えず歯茎を剥き出しにして「オレノ方ガ上ダ」と威嚇し合う、いじめや加害に満ちた醜い序列社会は。あるいは、チンパンジーの群れと群れが争い合い、敵の群れの赤ん坊を誘拐して嗜食するような陰惨な社会は。

伊沢紘生はこう結論付ける。それは、餌付けされたり縄張りを争ったりするような場合の、「限定資源」を奪い合う場合にのみ発生するサル社会なのである、と。

昭和初期の小林秀雄が餌付けされた動物園のボス猿なら、宮沢賢治は遊動する野生の群れの複数リーダーの一人だった、と言えるだろうか。

何もしなくても餌が降ってくるような動物園にいるのなら、小林秀雄的な生を愛するのも良いだろう。しかし、絶え間ない変化に晒されて、新たな森、新たな水源、新たな植生に適応しなければならない大変化の時代で生き残るためには、苛烈な序列社会とは截然と異なる行動原理を、私たちは生きなければならないにちがいない。

諸事情に配慮して、その行動原理が何かは今は語らずにおこう。

何かは語らずとも、私たちが執拗に見せられている愚かさや醜さ、この国の風景の急速な荒廃。それらの中を逃れようもなく生きながら、それらとはまったく異質なものを、内に大切に抱いて生き残ろうとしている人々が、たくさん存在しているのを感じる。

「偽日記」から始まったこの記事は、実は古谷利裕の「偽日記」の或る歌詞の記述に触発されて書き出したものだ。

●いまさら気づいた勘違い。キリンジの「エイリアンズ」の詞で、「そうさ僕らはエイリアンズ 街灯に沿って歩けば ごらん新世界のようさ」という部分を、いままでずっと「そうさ僕らはエイリアンズ 街灯に沿って歩けば ご乱心世界のようさ」だと思って聴いていた。

「どこかで不揃いな遠吠え」とか「仮面のようなスポーツカーが火を吐いた」とか、不穏な兆候のイメージがつづいて示された後、とうとう世界は「ご乱心」してしまい、「暗いニュースが日の出とともに街に降る」ことになる。つまり、世界は崩壊する。「素晴らしい夜」というのは反語的表現だと思っていた。そして、そのようにして崩壊する世界を前にして、世界から隔絶された場所に二人きりで存在するエイリアンであるかのようなカップルが、この世界を見送る「ラストダンス」を踊る。そういう絵を想像していたのに(このような絵自体が、世界から隔絶されたカップルのもつ幻想だ、と)、「ご乱心世界」が「ごらん新世界」にかわってしまうと、その絵が崩れてもっと普通の感じになってしまう。「この僻地」のありきたりの夜に「魔法をかけ」て「新世界」にするという、よくあるイメージになる。

あと、この曲に出てくる「僕」は人間の男性であるとして、「君」が人間である感じがどうしてもしない。「君」を人間としてイメージすると、この曲から感じられる強い「この世界の片隅で二人ぼっち」感や、過剰に潔癖であるかのような繊細さ、あるいは抽象的な寂寞感と、どうしても釣り合わない感じになる。仮に、「僕」を人間の男性と、「君」をラブドールの女性としてイメージすると、ぼくとしては割としっくりくる。

キリンジの歌詞は、文学的で難解とも評されているらしく、解釈を試みているファンサイトが数多くある。どれもかなり当たっていそうだ。それらを私流に要約してみると、こうだろうか。

空洞化した「まぼろしの郊外」のありふれた夜、そのような郊外とは「異質な何か」を抱えた恋人同士がキスを重ねているわずかな時間、わずかな空間だけ、儚い別世界が開かれる。

この通りだろうと考えつつも、まったく別の解釈が複数成立してしまうのが、批評の面白いところ。古谷利裕は、歌い手が呼びかける「大好きな君」が、ラブドールではないかと解釈している。確かに「きみ」の存在感は、そこにいないのでは?と思わせるほど稀薄だ。ただ、個人的に、この名曲はどうしても非性器的な文脈に回収したい。 

  虚構を楽しみ慣れていない人の中には、バシャールの名言に頷いたり、スターシードという概念に言及したりしていると、すぐに莫迦にしにきたがる人もいる。頼むから静かにしてくれないか。虚構をそれにふさわしく半信半疑で楽しんでいるだけだから。

頼むから静かにしてくれ〈1〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

頼むから静かにしてくれ〈1〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 今晩の自分は、「エイリアンズ」を、自分たちがスターシードだと気づき始めたそれぞれに孤独な人々が、友愛の合図を送り合っている様子を歌った曲だと解釈したい。

確かに、「きみ」の存在感は、そこにいないのでは?思わせるほど稀薄だが、本当にその場所にはいないのではないだろうか。「きみ」と「ぼく」は、頭上に垂れこめた一枚の夜空でつながっているだけのかもしれないし、「自虐ジョーク」を言えるような何らかのネット・メディアでつながっているのかもしれない。ただ、「きみ」と「ぼく」が別々の場所にいる感じだけが伝わってくる。

もう少し解釈で戯れてみれば、「禁断の実=キス」とは、「hotchpotch=ごった煮」のような玉石混交のネット情報の氾濫の中で、思いがけず結ばれる結び目(=hotchkiss)を表しているのにちがいなく、そのようなセレンディピティだけが「魔法をかけられる」と、歌詞は伝えたいのだろう。

   私たちが執拗に見せられている愚かさや醜さ、この国の風景の急速な荒廃。それらの中を逃れようもなく生きながら、それらとはまったく異質なものを、内に大切に抱いて生き残ろうとしているエイリアンズが、たくさん存在しているのを感じる。

彼らに友愛を込めて手紙を書きたい。きっと書き出しはこうだ。

一緒になって、しかし、それぞれの自分の場所に立って、この星のこの僻地で、魔法をかけませんか?

魔法が使えそうな素敵な相手になら、どんな手紙だって書いてみせるさ。For Our Precious Fiction!