トウフ・ガナッシュにうってつけの日

カフカの『変身』は、作家の伝記的事実に照らせば、「お金にならない文学ばかりにかまけて、この穀潰し虫!」という家族からの罵倒に由来する。

罵倒句にもいろいろあるが、「死ね」とか「死んでしまえ」なんていう殺伐とした文句が飛び交っているのを見かけると、せめてもうちょっと粋な罵倒句を考案する素養はないものか、と溜息が出てしまう。二葉亭四迷という筆名が、投げつけられた「くたばってしまえ」という罵倒に由来するのは有名な話。別段、文人が使う言葉でなくとも、「おととい来やがれ」なんかは興趣があって悪くない。

ある男が「おととい来やがれ」と怒鳴りつけると、「おとといも来ましたよ」と相手に澄ました顔で言い返されて、急に不安になってどぎまぎしてしまう。相手に冷静に「今ここにいるあなたは、おとといのあなたとは別人なのですね」と見破られると、主人公はわっと泣き崩れて、「お願いです。おとといの私に会わせてください」と土下座してしまう。これだけで短編が書けそうだ。

ただ、最初に挙げた「死んでしまえ」を小粋にアレンジするのは、なかなか難しい。これが相撲界であれば、「新弟子前へ」と親方が一喝すれば、十両陥落どころか入門のあの時代にまで格下げされて、いちから出直さねばならない辛さを、弟子たちに感じさせることができる。ただ、腹の出た立派な体格の相撲関係者にしか通じない罵倒句だろうし、使える場面はめったになさそうなので、千載一遇のチャンスが来たら、すかさず使ってしまいたい。

罵倒句こそ書かなかったものの、かつてどこかで「漱石=猫」主義批判を書いたことがあって、きっと自分は何かに怒っていたのだと思う。何に怒っていたかはあらかた忘れてしまったが、この記事で、夏目漱石自身が数式的な+記号もそのまま、「猫党にして滑稽的+豆腐屋主義」を自称していたらしいことを知って、とても驚いた。そうか、漱石は、脱国家主義的な個人主義を「豆腐屋主義」と呼んでいたのか。

豆腐屋になれということではなく、金物屋も仕立て屋も、国家から自律してさえいれば豆腐屋主義者になりうることを考えれば、豆腐屋主義は対帝国のマルチチュードの先駆的概念とも言えそうだ。このような脱国家的な多数性を表すのに、豆腐を持ってきたところに漱石のセンスを感じる。何しろ、豆腐はほとんどの食材と喧嘩せずに親和するので、あらゆる多数的な生のありようを代入しうる未知数として、うってつけだからだ。大豆食品の底知れぬポテンシャルよ。

どうやら、外国人は豆腐の味にパンチが足りないと感じるらしく、「飽きてきた豆腐を華麗に味つけする52の方法」とでも意訳できるこの記事で、信じられないような豆腐の変幻自在加工ぶりを披露している。

19番のココナッツ味の豆腐蕎麦は美味いのではないだろうか。意外な果実のライムが清涼な風味を加えてくれそう。けれど、ナンバーが増えるにつれて味つけがエスカレートしていき、最終的に豆腐がウィスキー入りのチョコレート・ガナッシュにまでなってしまうのを見ると、何となくお嫁に出すんじゃなかったと感じてしまう。いくら何でも「あなた色」に染まりすぎではないだろうか。

 しかし、世界は広い。マリファナと豆腐が合うという噂まであるらしい。マリファナをやったことがないので、真偽はよくわからない。西海岸出身のサイプレス・ヒルマリファナの愛好者であり、マリファナを推進していることで有名なラップ・グループだ。

5:05くらいから、ラップとラップの合間に豆腐屋の笛がリピートされている。彼らが豆腐を呼んでいるのか、豆腐が彼らを呼んでいるのか。

ギターを叩き壊すといった過激なパフォーマンスを披露するロッカーは数多い。おそらくロック史上最も過激なパフォーマンスは、ブラック・サバス時代のオジー・オズボーンがステージ上で蝙蝠を食いちぎった事件だろう。その蝙蝠と豆腐が合うという噂まであるらしい。蝙蝠を食べたことがないので、真偽はよくわからない。 

のっけから、オジーオズボーン自らハーモニカで豆腐の笛を吹いている。オジーが豆腐を呼んでいるのか、豆腐がオジーを呼んでいるのか。

しかし、呼び寄せたのは、意外な果実の梨の妖精で、オジーのパフォーマンスに清涼な新味を加えてくれた。千葉県船橋市の家具屋さんの店主らしい。

ふなっしーがメタルの帝王と共演したのも、おそらくは同世代の自分から見て「事件」にちがいないが、「裏真実界」の帝王「ふなっせー」も忘れてもらっては困るなと思う。

医療、ガン、食生活、住宅… などなど、この国に立ち込めた闇を薙ぎ払う獅子奮迅の活躍ぶりで、もちろん大豆食品についても造詣が深い。

 1945年8月9日、長崎原爆の悲劇・・・。この惨禍のなかで、毎日、味噌汁を食べることで原爆症を免れた人たちがいる。
 それが「長崎の奇跡」で知られる、浦上第一病院・秋月辰一郎医師の活躍だ。(…)
 彼は爆心地から1.4kmほどの病院で自らも被曝しながらも、塩辛く握った玄米むすびと味噌汁の食事を徹底、従業員、患者から一人の死者も出さず、秋月医師自信は2005年10月20日、89歳の長寿をまっとうしている。(…)
 彼は職員に銘じた。「被曝した人には塩がいい。玄米にうんと塩をつけて握るんだ。塩辛い味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対いかんぞ」
 秋月医師は、日本の「食用論の父」とたたえられる石塚左玄(1851~1909 日本の軍医・医師・薬剤師。玄米・食養の元祖で、食養の元祖で食養会をつくり普及活動を行った)を尊敬し、その系譜を継ぐ桜沢如一氏(1893~1966:思想家・食文化研究家。マイクロビオティックの提唱者として有名)の「桜沢式栄養学」を学んでいた。(…)
 「長崎の奇跡」のなかでも大活躍したのが、味噌汁だ。秋月医師は、その後『体質と食物―――健康への道』(1980年クリエー出版)という著書のなかでこう述べている。
 「日本人は、五穀を主食にしている。ということは、日本人の身体は、米、麦、大豆から成り立っている。米、麦、大豆が日本人を支えている三本の柱である」

 放射能汚染列島を生き抜く味噌、ビール、乳酸菌の効能 船瀬俊介マスコミのタブー100連発月刊「ザ・フナイ」9月号より kanegon

わが身に危険が迫ってもこれだけは伝えたい日本の真相!

わが身に危険が迫ってもこれだけは伝えたい日本の真相!

 

3.11.東日本大震災の直後、ロシアのプーチン大統領が、ロシア国民のために名古屋の赤味噌30トンをスピーディーに輸入したという未確認情報もある。大豆食品の底知れぬポテンシャルよ。

同じく東日本大震災直後、日本はと云えば、国民の非難に役立てるべきSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータを、何と一か月以上も公表しなかった。そして、開いた口が塞がらないことには、120億円以上の税金を投入して作られたこの避難指針提供システムを、原子力規制委員会は今後一切国民に使わせないことに決めてしまったのである。

福島の地元住民からは、事故当時こんな現地情報も入った。

相馬市のある小学校に子供達が戻ってきた。なぜ? 本当の理由は、その子供達が福一が核爆発を起こした直後、外で遊んでいたため大量に被爆しており、身体から7マイクロシーベルト放射能を発していることで、避難所にも受け入れてもらえないから。小学校に隔離されたに等しい。医師に「もうこの子達を救えない。手遅れ」と言われたと。これは母親から聞いた。「でも外には口外しないように言われている」と。口止め料については、確認できなかった。 

 原発事故関連の本はいくつも出版されているが、初期被爆にフォーカスしたこの本には、しっかりとした科学的な客観性とともに、国民を見殺しにした当局の杜撰な事故対応と見殺しにされた人々の悲劇が、淡々と記述されている。

見捨てられた初期被曝 (岩波科学ライブラリー)

見捨てられた初期被曝 (岩波科学ライブラリー)

 

 国から見殺しにされて深刻な被爆をした人々は、異常な確率で障害児を出産する。チェルノブイリでは25倍だった。生まれてきた障害児たちは、今度は、母親に見捨てられる。見捨てられた障害児たちは「遺棄乳児院」という悲しい名の施設に引き取られる。その様子を撮影した13:20から2分間だけでもいいので、ぜひ観てほしい。

同じことか、これ以上酷いことが、日本でも確実に起こる。

主流メディアでは、「もり」だの「かけ」だの、私利私欲を追及した蕎麦話が尽きない。選挙前はTPP反対をぶち上げていたのに、選挙が終わればTPP賛成へ寝返る政治家。脱税疑惑を追及されると、急にお腹がPPPになって、表舞台から逃げる政治家。

あまり露骨な言葉で他人を罵倒したりするのは好きじゃない。けれど、私腹を肥やしてまるまると膨れ上がった黒すぎる腹をこうまで見せつけられると、心の中であの罵倒句を叫ばずにはいられない。 

豆腐の角に頭をぶつけて新弟子前へ!