沈められた鰐のためのハミング

昨晩調べものをしていて、ハチドリと話せる人がいるのを見つけた。

まだ言葉の喋れない1歳過ぎの子供でも、一緒に遊んでいると、言葉が通じているような感覚がすることがある。老人がハチドリを招き入れて、孫と一緒に遊んでいるかのように、心底楽しそうに会話しているのが微笑ましい。何だか話が通じているように見えるのだ。

くちばしを差し入れて水を飲もうとするとき、ハチドリが懸命にはばたくので、羽が見えなくなる瞬間が何度もある。それでも、その懸命さは見える人には見えるだろう。どうやったらハチドリと話ができるのだろうか。誰か教えてほしい。

 その「ハチドリと鰐が共生関係にある」とどこかで聞いたような気がして、いろいろと調べてみたが、どうやら完全に誤りだったようだ。

鰐の開口部に集まって、歯を掃除してあげているのは、ハチドリではなく(ナイル)チドリ。この動画だって、どこからどこまでがCGなのかよくわからない宣伝物だ。

それに、アフリカの川には特殊な鰐がいっぱいいるのだと、この記事で言及したキー子も言っていた。

「おまえのハンドバッグ、ビニールだろう」

「何言っているのよ。この頃アフリカじゃ、ビニールの鰐がいっぱいいるんだって」

三島由紀夫「月」)

ビニールの鰐は今でも場末の土産物屋で見かけたりするが、90年代初頭の日本で泡まみれの川を泳いでいたアリゲーターのことを、どうして誰も覚えていないのだろう。

「バブル アリゲーター」で検索しても何もまともにヒットしない。記録を残さねばならない義務感に駆られて、長目に引用する。

検証バブル―犯意なき過ち

検証バブル―犯意なき過ち

 

「しっぽが犬を振り回している」
 先物取引が現物市場を攪乱する展開に、東証理事長の長岡実はこう吐き捨てた。日米構造協議などによる市場開放を錦の御旗に、外国証券が証券市場を壊している。そんな認識が日本の証券界にくすぶっていた。ソロモンの裁定取引が注目された十二月八日はくしくも四十八年前、日本が真珠湾攻撃で米国との開戦に踏み切った日。それをもじってソロモンの裁定取引は「逆真珠湾攻撃」と呼ばれた。ソロモンの株安元凶論、は脅威をもって浸透していった。
 事実、ソロモンをはじめ外国証券は裁定取引で多額の利益を稼いだ。日本で営業活動をしている外国証券会社の九一年九月中間期決算では、ソロモンが百六十一億円、モルガン・スタンレー証券が百 三十億円の経常利益をあげて日興証券を抜き、野村証券の三百九十八億円、大和証券の二百六億円に続いた。利益上位に顔を出した外国証券は裁定取引で大きな利益をあげたことが共通していた。

 ワニが出るぞー。外国証券に対抗し、日興証券は裁定システム「アリゲーター(ワニ)」を開発した。当初は成果を上げたものの、「あまりに単純な仕組み」を見透かされ、格好の標的となった。日興のアリゲーターが動き出すと、外国証券は日興の裏をかく取引を入れた。当時、「ワニが出るぞ」は株式市場で合言葉のように使われた。日興は損失が膨らみ、相場全体の下げに拍車を掛けたとも言われた。

 日本の先物取引は八八年に始まったばかり。裁定取引は教科書で知っていても、実地経験に乏しい証券界。そんな市場の脆弱さが突かれた。八九年十一月上旬から同年末まで続いた日経平均株価の上昇局面では、日経平均先物三月物と現物市場の指数との価格差が八百ー千円に広がる日が何日もあった。「外国証券に先物売り・現物買いの裁定取引の機会を与えてしまった」と国内証券会社が悔やんでも後の祭り。裁定取引の経験豊富な外国証券会社は、裁定取引の機会があれば、それを確実にものにして利益を稼ぐ。当たり前のことだった。

 九〇年初めから始まる株式相場の暴落で、裁定取引が果たした役割は小さくない。だが、現物と先物の価格差を利用する裁定取引は、本質的には株式相場に対して中立なものと言われる。それが相場の攪乱要因になったのは、当時の株式市場の株価形成や企業の持ち合いによる需給のいびつさなどが表面化したに過ぎないとの見方もある。

 ただ、外国証券の手法には疑惑があった。裁定取引の対象となった日経平均株価は単純平均型の株価指数であるため、一部の小型品薄株の影響を受けやすい。こうした品薄株を意識的に操作して、「現物指数を自らの裁定取引に有利になるように仕組んだ」というのだ。準大手証券の元株式部長は「証券各社は社員を米国へ派遣して、裁定取引を勉強させた。しかし、あんな「裏技」があるなんて教えてもらえなかった」と悔しがる。「日本は金融技術で敗北を喫した。運用技術で外資はプロ。日本は素人だった」。野村アセット・マネジメント投信専務の田辺孝則はこう振り返る。時価総額ニューヨーク市場をしのぎ、「世界に冠たる証券市場」に浮かれていた日本。日本市場を見つめる海外の目は宴の異常さに気付いていた。

冒頭にある「日米構造協議などによる市場開放を錦の御旗に、外国証券が証券市場を壊している」という部分は、特に感慨深い。(ちなみにその周辺で「しっぽが犬を振り回している」と不快感を露わにしている人物は、三島由紀夫の親友でもある)。あのエポック・メイキングな『拒否できない日本』が世に出る4年前、すでに対米自立型保守の思想的源流は、関岡英之を準備しつつあったのだ。

第二の敗戦が日航機「墜落事故」+プラザ合意、第三の敗戦がバブル崩壊、第四の敗戦がオウム+阪神淡路大震災、第五の敗戦が東日本大震災+フクシマ原発事故。凄まじい「永続敗戦」リストが自分の頭の中にはある。「逆真珠湾攻撃」に襲撃されて壊滅状態となったバブル崩壊後の日本を、自分が「第三の敗戦」と呼ぶ理由も首肯してもらえることと思う。

「逆真珠湾攻撃」で殊勲を上げたアメリカ1%の一人が、バブル崩壊後にとんでもない栄達の階段を登っていった姿を、上記日経新聞検証本はこのように描き出している。

九八年六月、日興証券は米トラベラーズ・グループ(現シティグループ)と資本提携すると発表した。山一証券の破綻で大手証券四社体制は崩れ、残った日興も外資の傘下で生き残る道を選んだのだ。現在、シティグループは日興の筆頭株主である。裁定取引で成功を収めたソロモン・プラザーズ東京支店長のデリック・モーンは米本社の会長まで上りつめる。その後、ソロモンはトラベラーズ・グループに買収され、トラベラーズ・グループはシテイコープと合併してシティグループとなった。モーンは今、シティグループ副会長の要職にあり、日興証券の取締役も兼ねている。

 先物取引オプション取引の導入は東京市場が国際化するために、自ら選んだものだった。新しいツールをビジネスチャンスととらえ、最大限に活用した外国証券と、勉強不足で防戦一方だった国内証券――。モーンの上り詰めていく姿は、バブル崩壊後大きく塗り替わった「国内証券勢力図絵」そのものだった。

 本が出版されてすぐにすべてを読んだわけではないが、個人的な思想遍歴も含めて「対米自立型保守」思想の時系列を、バブル崩壊前後に限定して、ざっと書き出しておきたい。

1991年 バブル崩壊スタート

1998年 吉川元忠『マネー敗戦』

2000年 村上龍NHKスペシャル 村上龍失われた10年”を問う』

2000年 日経新聞社『検証バブル―犯意なき過ち』

2001年 マイク・ヴェルナー『円の支配者―誰が日本経済を崩壊させたのか』

2004年 関岡英之『拒否できない日本―アメリカの日本改造が進んでいる』

2005年 田中康夫が「郵政民営化反対」を掲げて新党日本を結成。

たぶんこの問題系に関わり始めたのは、大学時代に友人に代筆を頼まれたレポートのために、『複合不況―ポスト・バブルの処方箋を求めて』(1992)という本を読んだのが最初だったと思う。バブル直後で実態がつかみにくかったこともあって「これだけでは全然わからないな」という感想を持った。

その後、村上龍が経済(とサッカー)へ傾斜していくのを追いかけようとして、自分なりに「失われた10年」がどうして生まれ、どのようにして克服すべきものなのかを考えはじめた。当時のバブル検証本をいくつか読んでいるうちに、『拒否できない日本』が一大センセーションを巻き起こすのを、かなり心理的に近い場所で目撃したのは、忘れられない体験だ。

その直後、作家出身知事を「右の石原、左の田中」とする通俗的な二分法が、自由を称揚するはずの田中康夫が意外にも「郵政民営化反対」を連呼し始めたことで、かなり崩れるのではと期待を寄せた。しかし、メディア操作下にある国民の固定観念の反動性の方が強かったらしいのには、がっかりだった。

3・11後、日本人は大きな謎を解くための旅をはじめた。

 この本の有名な前書きの一節に心動かされて、「旅」を始めようとする人々に、自分のささやかな読書遍歴が、一種のマイルストーンとして、少しでも役に立ったら嬉しい。

「逆真珠湾攻撃」を受けて、はじけた泡にまみれて二度と浮上しなかった鰐。

真珠湾についても、敗戦湾についても、それが充分と呼ぶにはわずかすぎる一部であったとしても、すでに書くべきことは書いた。 

夏の汗に濡れた肌着をドラム式洗濯機に入れて、気が付くと、それが真夜中に静かにぐるぐる回りつづけるのを、疲労と失望の入り交じった感情とともに、ぼんやりと眺めていることがある。そのドラム式洗濯機は、原発事業に手を出したせいで崩落しつつある日本企業によるもの。フッサールを究めた秀才にも、結ぼうとする相手の手が「死の商人≒死神」の手だとは見分けられなかったらしい。ドラム式洗濯機でバブル時代へタイムスリップしても、当時の人々はもとより後世の人間でさえ、あれを財政政策のドメスティックな失敗だと信じ切っている。

敗戦を敗戦だと認識できないことが、次の敗戦を招いていく。

申し訳ない。少し疲れているみたいだ。熱いシャワーを浴びて、泡立てたボディーソープで身体を洗って、眠ることにしたい。その泡では消せない何かが、終わらない敗戦後を生きる人々に刻印されていることを忘れずに。

ハチドリの英名は Humming Bird。眠りにつくために、チェット・ベイカーでもしばらく聴こうか。それは、鼻に歌声の抜けるハミングと呼ぶには、少し口が開きすぎているかもしれないが、子守唄なので眠りに落ちるのには申し分ない。心を落ち着けるために、この国に新しく生まれてきた子供たちが、安らかな眠りについている図を想像することにしよう。 そうすればすぐに眠れるだろう。

(1:37:48くらいから)