ハーヴェイ・ロードを夢見て

ABBEY ROAD

ABBEY ROAD

 

 このジャケット写真を真似する観光客が後を絶たず、すっかりロンドンの観光名所となったアビイ・ロードは、横断歩道として初めてイギリスの文化遺産に指定されたらしい。

アビイ・ロード』のジャケット写真においてメンバー4人のうちポールが1人だけ目をつぶって裸足であり、左利きなのにタバコを右手に持っている。路上に駐められたフォルクスワーゲン・タイプ1のナンバープレートが「28IF」であるのが「もし(IF)ポールが生きていれば数え28歳」。白いスーツで長髪にひげを蓄えているジョン・レノンは「牧師」・黒いスーツを着ているリンゴ・スターは「葬儀屋」・スーツ姿で目をつぶって裸足のポール・マッカートニーは「死人」・デニムシャツにジーンズ姿のジョージ・ハリスンは「墓堀人」などと解釈されいわゆる「ポール死亡説」の根拠の一部になる。

アビイ・ロード - Wikipedia

この『アビイ・ロード』の写真を根拠にして、「本物のポール・マッカートニーは24才で事故死して、その後釜としてそっくりさんがギターを弾いている」というポール死亡説なる奇説が流布されたのが面白い。「事故死」は残念だが、あれほどの作曲や演奏や歌唱ができる人間が世界にもう一人いたのなら、世界の豊かさを祝福したいと戯れにコメントしたくもなるが、もちろんデマの一種だ。

このような人をくすりとさせるデマなら微笑ましい。しかし、歴史上に塗りたくられている真のデマゴギーは凄まじいもので、学校で教えられた歴史しか知らないほとんどの人は、それらにまったく気づかないほど、限りなく透明に近い漆黒だ。

手元に山川の日本史の教科書があるので引用しよう。

 「金解禁と世界恐慌

財界からは、大戦後まもなく金本位制に復帰した欧米にならって、金輸出解禁(金解禁)を実施して為替相場を安定させ、貿易の振興をはかることをのぞむ声が高まってきた。1929(昭和4)年に成立した立憲民政党浜口雄幸内閣は、蔵相に井上準之助日銀総裁を起用し、財政を緊縮して物価の引下げをはかり、産業の合理化を促進して国際競争力の強化をめざした。そして1930(昭和5)年1月には金輸出解禁を断行し、外国為替相場の安定と経済界の抜本的整理をはかった。

 解禁を実施したちょうどその頃、1929年10月にニューヨークのウォール街で始まった株価暴落が世界恐慌に発展していたため、日本経済は解禁による不況とあわせて二重の打撃を受け、深刻な恐慌状態におちいった(昭和恐慌)。輸出が大きく減少し、正貨は大量に海外に流出して、企業の操業短縮、倒産があいつぎ、産業合理化によって賃金引き下げ、人財整理がおこなわれて、失業者が増大した。政府は1931(昭和6)年から重要産業統制法を制定し、指定産業での不況カルテル結成を容認したが、これが統制経済の先駆けとなった。

 ここだけを読めば、ニュートラルな記述に読めるかもしれないが、この部分につけられた注記を読めば、何かがおかしいことに気が付くだろう。日清戦争日露戦争勝利した近代日本にとって、初めての大失敗が金解禁に端を発する昭和恐慌だったことは間違いない。なぜ現代の教科書が、当時の空疎な大義名分を強調して、その失敗を「弁護」しているのだろうか。

金輸出解禁とは、輸入品の代金支払いのために正貨(金貨や地金)の輸出を認めることをいい、自由な金輸出には為替相場を安定させる働きがある。また、金輸出の解禁は金兌換を再開して金本位制に復帰することを意味した。(注1)

 為替相場の実勢は100円=46.5ドル前後であったが、100円=49.85ドルの旧平価で解禁したので、実質的には円の切上げとなった。円高をもたらして日本の輸出商品を割高にし、ひいては日本経済をデフレと不況に導く見込みの強い旧平価解禁をあえて実施したことには、円の国際的な信用を落としたくないという配慮に加えて、生産性の低い不良企業を整理・淘汰して日本経済の体質改善をはかる必要があるとの判断があった。(注2)

 浜口雄幸内閣の蔵相である井上準之助が、世界恐慌の真っ只中で金解禁に踏み込んだことが、大量の日本の金銀の流出を招き、昭和恐慌を招き、娘を身売りしなければならないほどの農村の窮乏を起こした。その反動として、五・一五事件二・二六事件などの青年将校たちによる暗殺事件が起こった。

宮沢賢治が『グスコーブドリの伝記』に、一緒に暮らす妹が、見知らぬ男にさらわれる逸話を書き込んだのも同じ頃のこと。当時の東北の貧村では、娘たちの身売りだけでなく、「お腹いっぱい食べられる」といった甘言を弄して、婦女子を連れ去る事件が後を絶たなかったという。二・二六事件青年将校たちが、しばしば「愛する女性ー母なる自然ー日本」というように、国家(代名詞はshe)を女性的に身体化して殉死しようとしたのには、身体ごと奪われて底辺へ転落していく女子たちの悲惨な宿命的光景があったのだ。

1%グローバリストたちのシナリオには、ほとんど説話論的と呼んでも良いような、定型的反復がある。今晩、金解禁から昭和恐慌への流れを追っていて、史実の裏付けがまだ取れていないうちから、あ、これはいつものパターンだ、と声が出てしまった。

①国庫最高権力者たちに隠密裏に命じて国の金庫を開けさせる(金解禁)→②金庫の中の金銀をごっそり頂戴する(日本の正貨流出)→③金庫を閉めさせて国庫最高権力者たちに国富流出の責任を取らせる(襲撃、退陣、髙橋是清による金輸出再禁止)→④口封じに暗殺する(浜口雄幸井上準之助とも直後に暗殺死)→⑤自分たちの奸計が気付かれにくいように「手下」たちを栄光化する(教科書での擁護よりの記述、城山三郎『男子の本懐』)

上記の記述の主語は、すべて「1%グローバリスト」だ。この推測がどこまで当たっているのかはまだ調査中ではあるが、昭和恐慌の周辺を調べているうちに、よく知っている場所へ辿りついてしまったことは報告しておきたい。 

 『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』で、幕末や明治の日本の明るく勇ましい勃興を描き出した司馬遼太郎が、「昭和は暗すぎる」と呟いて、昭和を物語化することを忌避したのも、頷けるような気がしてならない。

そのような「限りなく透明に近い漆黒」に果敢に抵抗した先人たちもいた。

東洋経済新報」の主幹ジャーナリストだった石橋湛山は、既存の経済理論に盲従しない「在野のエコノミスト」髙橋亀吉という部下を得て、自分たちの頭で新たな状況に即応した経済観に立って、旧平価ではなく新平価による金解禁を主張したのである。

驚くべきは、極東の島国にいた湛山たちが、ほぼオンタイムでケインズの『貨幣改革論』や「チャーチル氏の経済的帰結」を読み込んで勉強していたことだ。つまり、当時の湛山たちは、進取の気性と自前の刻苦勉励で、世界標準時にいたケインズと同じ先進的な経済提言を行っていたのである。ここに書かれているケインズの主張は、金解禁論争での石橋湛山たち少数派の主張とほぼ同じだ。

通貨の過大評価と景気の関係については、ケインズも注意して観察していた。ケインズ第一次大戦後の一九二五年、英ポンドが、一度は放棄していた金本位制に旧平価で付記しようとしたとき、これに強く反対した。金本位制では通貨が割高になるため景気に悪影響を及ぼす、というのが彼の反対の理由だった。結局、三一年にイギリスは金本位制を持ちこたえられず、ポンドを切り下げた。このとき、ようやくケインズはイギリス経済の前途を楽観するにいたったという。つまり、金本位制復帰においてポンドを無理に高く維持することは高金利・デフレ圧力となり、製造業の活動、とくに輸出産業にマイナスであると考えていたのだ。これが大筋である。 

経済敗走 (ちくま新書)

経済敗走 (ちくま新書)

 

 世界大恐慌の真っ只中に、井上準之助(グローバリストの牙城である中央銀行網出身)が打ち出した旧平価による金解禁は大失敗に終わり、リベラリストにしてナショナリストでる石橋湛山が、同時にエコノミストとしての先見の明の持ち主であることが証明された。しかし、在野のジャーナリストでは、「複雑怪奇」な大海での日本の舵取りへの影響力に限界を感じ、恐慌後の湛山は本格的に政界入りを目指すこととなる。

新古典派経済学からの攻撃によって見えづらくなっているが、そこへ集まった賢者たちによる合理的な政策の実現を、ケインズのかつての居住地にちなんで「ハーヴェイ・ロードの前提」という。たとえ、現在の状況では、政治的利害を持たない「賢者」たちが政治的決定に関与することは難しくとも、草の根にいる人々が自分の頭で学ぶべきものを学び、多様な人々と熟議を続けられる情報回路が確保されていれば、そこも国を誤らせないハーヴェイ・ロードの一部と言えるだろう。草の根ジャーナリズムとも呼ばれる、そのような知に満ちた「路地」が、この国の言論空間に行き渡っていくことを夢見たい。

 

(『アビイ・ロード』にある名曲のカバー) 

Once there was a way
To get back homeward
Once there was a way
To get back home


Sleep, little darling, do not cry
I will sing a lullaby


Golden slumbers fill your eyes
Smiles await you when you rise
Sleep, little darling, do not cry
And I will sing a lullaby


Once there was a way
To get back homeward
Once there was a way
To get back home


Sleep, little darling, do not cry
And I will sing a lullaby