SAKURAの暗号

桜の森の満開の下』を代表作に持つ坂口安吾に、「アンゴウ」という傑作短編があるのを今朝知った。短編名は「暗号」であり「安吾」であり「暗合」なのだろう。青空文庫で読める。

坂口安吾 アンゴウ

代表作の『白痴』に見られるように、女性を肉感で知覚する癖のある安吾が、失明した妻が自分の左側に来るか、右側に来るかで、自分と異なる左利きの親友との不貞を疑う場面が、いかにも彼らしくて懐かしい。

推理小説のように主人公が妻の不倫を内偵するうちに、思いがけない局面が拓けて、天から降ってきたような synchronicity の神秘に、主人公が心搏たれる結末部分も、自分好みだ。

この短編に出会ったのは、青空文庫ではなく、戦争×文学コレクションの「戦時下の青春」巻。 

 この短編集の中で、最も有名な小説は野坂昭如の「火垂るの墓」だ。野坂昭如については、この記事で触れた。

あらためて読んで、戦時の実態を描いた貴重な文献的資料であることはもとより、純文学らしい文体の緊密度にも感じ入るところがあった。

「お母ちゃんどこにいった?」「防空壕にいてるよ、消防裏の壕は二百五十キロの直撃かて大丈夫いうとったもん、心配ないわ」自分にいいきかせるようにいったが、時折り堤防の松並木ごしに見すかす阪神浜側の一帯、ただ真赤にゆれうごいていて、「きっと石屋川二本松のねきに来てるわ、もうちょっと休んでからいこ」あの焔の中からは逃げのびたはずと、考えをかえ、「体なんともなないか節子」「下駄一つあらんようなった」「兄ちゃん買うたるよ、もっとええのん」「うちもお金もってるねん」蟇口をみせ、「これあけて」頑丈な口金をはずすと一銭五銭玉が三つ四つあって、他に鹿の子のおジャミ、赤青黄のおはじき、(…)

 生れて始めて人力車に乗り、焼跡の道を走って、着くとすでに危篤で、動かすことなどかなわず、車夫は手をふって車代を断り帰り、その夕刻、母は火傷による衰弱のため息をひきとった、「ほうたいとって顔みせてもらえませんか」清太の頼みに、白衣を脱ぐと軍医の服装の医者は「みない方がいいよ。その方がいい」ぴくとも動かぬほうたいだらけの母の、そのほうたいに血がにじみ、おびただしいハエがむらがって、血泡の男も片足切断の女もすべて死に、(…)

 七月三十一日の夜、野荒しのうちに警報が鳴り、かまわず芋を掘りつづけると、すぐそばに露店の壕があって、退避していた農夫に発見され、さんざなぐりつけられ、解除と共に横穴へひったてられて、煮物にするつもり残しておいた芋の葉が懐中電灯に照らされて、動かぬ証拠、「すいません、堪忍してください」怯える節子の前で、手をついて農夫に詫びたがゆるされず、「妹、病気なんです、ぼくおらな、どないもなりません」「なにぬかす、戦時下の野荒しは重罪やねんど」足払いかけて倒され、背筋つかまれて「さっさと歩かんかい、ブタ箱入りじゃ」だが交番のお巡りはのんびりと、「今夜の空襲福井らしいなあ」いきり立つ農夫をなだめ、説教はしたがすぐ許して、表へ出るとどうやってついて来たのか節子がいた。壕へ戻って泣きつづける清太を、節子は背中さすりながら、「どこ痛いのん、いかんねえ、お医者さんよんで注射してもらわな」母の口調でいう。

横になって人形を抱き、うとうと寝入る節子をながめ、指切って血ィ飲ましたらどないや、いや指一本くらいのうてもかまへん、指の肉食べさしたろか、「節子、髪うるさいやろ」髪の毛だけは生命に満ちてのびしげり、起して三つ編みにあむと、かき分ける指に虱がふれ、「兄ちゃん、おおきに」髪をまとめると、あらためて眼窩のくぼみが目立つ。節子はなに思ったか、手近かの石ころ二つ拾い、「兄ちゃん、どうぞ」「なんや」「御飯や、お茶もほしい?」急に元気よく「それからおからたいたんもおあげましょうね」ままごとのように、土くれ石をならべ、「どうぞ、お上り、食べへんのん?」

火垂るの墓」はスタジオ・ジブリによって1988年に映画化された。子供向けの人気作『となりのトトロ』と同時上映だったところに、ジブリが子供たちの記憶に何を遺そうとしているのかを、読み取ることができる。

夏が来れば毎年のようにテレビで放映されていると感じていたが、 実際は放映は隔年で、それも2011年を最後に途絶えているのだとか。

それでも、映画の中の節子が大好きだったドロップ飴はまだ人気なのだという。

佐久間 サクマ式ドロップスレトロ缶 115g×10個

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 『火垂るの墓』の再放送再開を祈って、「SAKURAの暗号」であるかのように、2002年に宇多田ヒカルがリリースした「SAKURAドロップス」を、清太と節子のために替え歌にしてみた。

  

 「SAKUMAドロップス」

街が焼け 母が消え

祈ることは これが最後の orphan

燃え尽きた きみの灰から 螢 舞って

光よ届け

神戸駅 倒れて きみがいた

日々を思うよ ずーっと

兄ちゃんと呼ばれたらもう

ただ食べさせてやりたくて

どうして二人ぼっち

空襲のした

盗んでまでも

それでもまだ生きたいんだろう

それはきみがいるから

街が焼け 母が消え

祈ることは これが最後の orphan

燃え尽きた きみの灰から 螢 舞って

光よ届け 

作詞まがいのことに挑戦するのは初めてで、俳句や短歌とちがって、一音に対して何文字を載せるのかに自由度があるので、自分には難しい作業だった。「きみがいた日々を思うよ」の部分で難渋していたとき、右の耳元でそれを助けようとする女性の声が聞こえたような気がしたことも、付け加えておこうか。

原作にはない映画の独創として、1:25:34から、二人が野宿した丘の向こうに、高度成長を遂げた神戸の夜景が重なる最終場面に、自分は強く心を動かされる。「アスファルトを剥がせば焦土」。あの名場面をどのように歌詞に織り込むかに、最も心を砕いた。サビの歌詞が「光よ届け」の一句で終わるのは、そのためだ。

この「SAKUMAドロップス」の歌詞に込めた思いが、光 light となって誰かに届き、和製ディーバそっくりの美声で歌い上げる動画を、いつか見られるような奇跡 miracle に遭遇できたら、そんな幸せなことはないと、ふと呟いてしまう。