Everything gonna be alright

昨晩『戦場のメリークリスマス』に言及したので、自分が高校時代に運動会で披露した「グラ劇」のことを思い出した。「グラ劇」というのは、グランドを使って上演する演劇のことで、私が上演した劇は(また想像上の兄貴に笑われそうだが)「戦場のマリア」という題名だった。なぜ自分がそのように「G線上のアリア」に似た戯曲名をつけたのかは、今でもわからない。

運動会当日、会心の出来だったという記憶はないものの、後になって7歳下の弟の在学中に「明らかに主題的に影響を受けたグラ劇」が上演されたとも聞いた。驚いたのは、この記事で言及した「双数姉妹」の劇団女優と呑む機会があったときのこと。

私の「戦場のマリア」を見て、早稲田の「双数姉妹」に入団した後輩がいたらしいのだ。訊けば知らない名前で、面識のない後輩だった。自分が思わぬ種子を蒔いてしまったことになる。その劇団は学生劇団トップの人気を誇る一方、学業との両立が難しいことでも有名だったので、彼が無事大学を卒業できたか心配だ。

 演劇と言えば、又吉直樹の『劇場』は、ろくでなしワナビーの劇団主宰の小説だった。実はまだ読み込む時間が取れていないので、言及はできない。ただ『火花』に出てくる「神谷」という天才気取りのお笑い芸人のことがまだ心に残っていて、アイツはやけに面白い男だったと思い出してしまう。いや、本当に。

笑いを取りに行こうとして、男性の自分の身体に「F」カップの豊胸手術を施してしまうところも心憎い。その豊胸はEカップでもGカップでも駄目で、Fでなければならなかったのだ。というのも、神谷のお笑いの真髄はお客さんを笑わせることにあるので、いかに1:1の交際中である女のヒモに成り下がっていようとも、女性1人に対して自慰やHや愛へと関係を昂進させていく道を突き進むことはできず、(当然彼女とは別れ)、1:nの客を喜ばせるエンターテイナーとなるべく、「自慰」の手前で踏みとどまる「表現」をなさねばならないからだ。

私の予想では、おそらく『火花』には続編があって、テクストはこのようなプロットを準備しているような気がする。

Fカップ豊胸後の神谷はテレビ業界からは締め出されるが、小劇場演劇界へと転身してキワモノ男優としてカルト的な人気を誇るようになる。しかし、その豊胸ゆえに芸や演技の幅が広がらず、生活はぎりぎり、ホームレス転落直前。しかし、「たとえわしが線香花火でしかのうても、消えると思われてからが綺麗なんや、そいつを見せたるわ」とばかりに、腹部に妊婦体感スーツを着込んで営業するうちに、カリスマ助産師のマタニティ講演旅行にアシスタントとして抜擢され、妊婦と同形で妊婦の身体的負担の分かる伝説のイクメンタレントとして、テレビ進出を果たす。

その成功の陰で、あるシングルマザーと恋に落ち、家庭を築こうとした直前、シングルマザーが子供を置いて失踪。途方に暮れて、涙目で赤ん坊をあやしていると、かつてヒモの自分を養うために風俗産業に身を落とし、そこの客に口説かれて去っていった元彼女が現れて、どうしても泣きやまない二人目の赤ん坊の子守を頼んでくる。何をしてもどうしても泣きやまなかったその赤ん坊が、神谷のFカップの乳首を含むと嘘のようにたちまち泣きやむ。

といっても、二人が復縁するわけではない。しかし、置き去りされた他人の赤ん坊と、自分を棄てた女の血のつながりのない赤ん坊を、神谷が懸命にあやしているうちに、元彼女の彼を見る目が変わってくる。「どうしてFカップにしたの?」と訊いてくる。「『Failure』のつもりで、自分の人生無茶苦茶にしてやろう思うて」とか強がりをいう神谷に、元彼女は最終場面でこう語りかけるだろう。「嘘でしょう? 別の意味があるはず。戸籍のつながりなんかなくても、どんなに複雑な関係にあっても、私とあなたはずっとフレンドよ」  

神谷の属性のうち、ボブ・マーリー好きというところにも油断できない。

『火花』のラストシーンで、神谷は「エブシンゴノビーオーライ」の入っているボブ・マーリーのCDを借りたがる。そして「なんやねん、ライブ・バージョンかい」と客室の個室露天風呂の湯船から突っ込みを入れるのだが、こういう台詞を最終場面で叫ぶことができるところに、神谷の神がかった素晴らしさがある。

誰も知るように、ツッコミとは、ボケを最も生かす文脈を即座に読み取り、そのボケと常識的な思考枠組みとの落差を観客に印象付けて、その落差の電位差で反射的に笑いを発生させる営為だ。

 おい、待たんかい。

 どこかからツッコミが入ったようなので、ボブ・マーリーに話を戻そう。

ジャマイカの英雄だったボブ・マーリーには、永らく暗殺説が囁かれつづけている。源流の記事はコチラ。

Bob Marley died of melanoma cancer in 1981. He was 36-years-old. The official report is he contracted cancer after injuring his toe which never healed while playing football in 1977. The conspiracy theorists allege that Marley was given a pair of boots with a piece of copper wire inside that was coated with a carcinogenic substance that pricked his big toe by Carl Colby, son of the late CIA director William Colby. There is an eerie similarity between Marley and Castro involving poisoned shoes. Cuban ambassador to T&T, Humberto Rivero said the CIA and Cuban exiles tried more than 600 attempts to kill Castro from exploding cigars, injecting him with cancer, to a wet suit lined with poison. In the case of Marley the CIA allegedly used cancer in his shoes, for Castro they placed the highly toxic poison thallium salts in his shoes.

 ボブ・マーリーは1981年にメラノーマという癌で亡くなった。36歳だった。 公式の報道によると、1977年、彼はサッカーをしている間、ずっと爪先の痛みが消えず、その後に癌を発症した。陰謀理論家は、マーリーは、CIA長官ウィリアム・コルビーの息子カール・コルビーによって、銅の針金の先端が中に突き出たシューズを与えられたのだという。マーリーとカストロの間には、毒殺靴に関するぞっとするような類似点がある。トリニダード・トバゴの米国大使ウルベルト・リベリ氏は、CIAとキューバの亡命者たちが、カストロの葉巻を爆発させたり、ウェットスーツに毒針を仕込んで癌にさせようとしたりして、600回以上暗殺を試みたと語った。 マーリーの場合、CIAは発癌物質を靴の中に仕込み、カストロの場合、CIAはきわめて有毒なタリウム塩を靴に仕込んだと言われている。

 このガーディアンの記事は東京オリンピックの中止可能性を懸念することでも知られている原田武夫によって取り上げられ、日本の有力者も同じ「秘密兵器」の餌食になっている可能性を想像させる貴重な記事となった。

  もともと「秘密兵器」暗殺説に言及していたのは、外務官僚出身の孫崎享によるエポック・メイキングな名著。その名も『戦後史の正体』(2012)だった。

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

 

 首相在任期間が極端に短かったせいで、「名相」とは呼びづらいものの、読書好きであれば、石橋湛山の名声がそこここに轟いているのを聞いたことがあるはずだ。40年近く外交の現場にいた孫崎享の発言は段違いに重い。彼が石橋湛山の死に疑念を持っているなら、調べてみようと思って、この記事を書いた。

石橋湛山が首相就任後、脳溢血によって、わずか63日で退陣を余儀なくされた前後について、増田弘『石橋湛山』の記述を追ったが、遊説などで過労が蓄積していたことがわかっただけで、目ぼしい不審点はなかった。「われわれが幸運なら、石橋は長く続かないかもしれない」というアメリカ側の内部向けコメントに、条件節と主節が逆(「石橋が長く続かないなら、われわれは幸運だ」の方が自然)ではないかとの疑念もないではないが、それだけをもってさらに推論を進めることは難しそうだ。

ただし、高校生向け教科書を模して万人向けの記述がなされている『戦後史の正体』は、紛れもない名著で、あちこちに線を引きたくなる。

 さて、日米安保よりも「多角的安全保障」を優先した防衛問題懇親会の西廣整輝氏はどうなったでしょう。一九九五年一二月四日、ガンで死亡しました。

 もうひとりの重要人物、畠山蕃氏はどうなったでしょうか。こちらも一九九四年一〇月、ガンで防衛医大に入院し、翌九五年六月一日に五八歳で死亡しました。その葬儀の席で樋口廣太郎氏は「人間はこんなに早く逝くのか」とのべています。

  対米自立型の保守思想を持った防衛事務次官の二人が、対米隷従を望むアメリカの利益にかなう形で、相次いで癌で死亡したのは、確かに不自然に感じられる。

誰も知るように、ツッコミとは、ボケを最も生かす文脈を即座に読み取り、そのボケと常識的な思考枠組みとの落差を観客に印象付けて、その落差の電位差で反射的に笑いを発生させる営為だ。日本を取り巻く現実にも、通念と真実の間に、驚くほどの落差がある。

『火花』の自称天才漫才師の神谷が、「なんやねん、ライブ・バージョンかい」とツッコミを入れるとき、神谷自身も期せずして、ボブ・マーリー的な暗殺靴による死が、過去に録り終わった「スタジオ・バージョン」ではなく、今ここで生起しつつある「ライブ・バージョン」であることに、観衆の注意を喚起しているのである。

こういった神業を、本人がまったく意図しないまま、いつのまにかやってのけるところが、いかにも神童的だ。「every little thing gonna be alright」。そして、神童だからこそ、あそこまで楽観的な歌詞のレゲエを愛し、その底抜けの明るさに愛されることができるのだろう。

30年くらい前の話。なぜ自分がそのように「G線上のアリア」に似た戯曲名をつけたのかは、今でもわからない。冒頭でそう書いた。

今その理由がわかったような気がする。『騎士団長殺し』のイデアも言うように、現実世界を取り巻いている霊界には、時間も空間もない。たぶんあれは、この記事のオチとエンディング・テーマを示唆してくれていたのだろう。媒介となって教えてくれて、サンキュー、神谷。

ボブ・マーリーの底抜けの楽天性に似た歌詞がちりばめられているので、つらいときには、こんな曲を聴いて、気分を入れ替えるのがいいと思う。