生者が祈るように、死者も祈ろうとする

アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮だ

このようにアドルノは、詩的なものがナチスなどに政治利用されやすい脆弱性を持っていることを告発している。では、ユダヤ人として強制労働所で働かされ、その野蛮

さに殺されかけた若い男が、生来の詩人だったなら、アウシュビッツ以後をどのように生きねばならなかっただろうか。

パウル・ツェランという詩人の生涯がその答えだ。

ドイツでは教科書にも掲載されているという「死のフーガ」は、最も人口に膾炙しているツェラン詩編だ。

あけがたの黒いミルク僕らはそれを夕方に飲む
僕らはそれを昼に朝に飲む僕らはそれを夜中に飲む
僕らは飲むそしてまた飲む
僕らは宙に掘るそこなら寝るのに狭くない
一人の男が家に住むその男は蛇どもをもてあそぶその男は書く
その男は暗くなるとドイツに書く君の金色の髪のマルガレーテ
彼はそう書くそして家の前に歩み出るすると星がまた星が輝いている
 彼は口笛を吹いて自分の犬どもを呼び寄せる
彼は口笛を吹いて自分のユダヤ人どもを呼び出す地面に墓を掘らせる
彼は僕らに命令する奏でろさあダンスの曲だ

あけがたの黒いミルク僕らはお前を夜中に飲む
僕らはお前を朝に昼に飲む僕らはお前を夕方に飲む
僕らは飲むそしてまた飲む
一人の男が家に住む蛇どもをもてあそぶその男は書く
その男は暗くなるとドイツに書く君の金色の髪のマルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート僕らは宙に墓を掘るそこなら寝るのに狭くない

男はどなるもっと深くシャベルを掘れこっちの奴らそっちの奴ら
  歌え伴奏しろ
男はベルトの拳銃をつかむそれを振りまわす男の眼は青い
もっと深くシャベルを入れろこっちの奴らそっちの奴らっもっと奏でろ
  ダンスの曲だ

あけがたの黒いミルク僕らはお前を夜中に飲む
僕らはお前を昼に朝に飲む僕らはお前を夕方に飲む
僕らは飲むそしてまた飲む
一人の男が家に住む君の金色の髪のマルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート男は蛇どもをもてあそぶ

彼はどなるもっと甘美に死を奏でろ死はドイツから来た名手
彼はどなるもっと暗鬱にヴァイオリンを奏でろそうしたらお前らは
  煙となって空に立ち昇る
そうしたらお前らは雲の中に墓を持てるそこなら寝るのに狭くない

あけがたの黒いミルク僕らはお前を夜中に飲む
僕らはお前を昼に飲む死はドイツから来た名手
僕らはお前を夕方に朝に飲む僕らは飲むそしてまた飲む
死はドイツから来た名手彼の眼は青い
彼は鉛の弾丸(たま)を君に命中させる彼は君に狙いたがわず命中させる
一人の男が家に住む君の金色の髪マルガレーテ
彼は自分の犬を僕らにけしかける彼は僕らに空中の墓を贈る
彼は蛇どもをもてあそぶそして夢想にふける死はドイツから来た名手
君の金色の髪マルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート

 一読、強制収容所の情景を彷彿とさせるこの詩は確かに名詩だが、自身の戦争体験を主題化して「告白」するだけでは、アドルノのいう野蛮さを克服できたとはいえない。

ツェランは妻以外の人々とほとんど交流を持たない「ほぼ絶対孤独」の中で、フランスのシュルレアリスムを自家薬籠中のものとして、煌めきと抑制の双方に満ちた抒情詩を書き残した。ツェランを出版社に売り込もうとした友人が紹介文で「過去半世紀のドイツ詩の中で最も重要」「(同じくユダヤ人の)カフカと対極にありながら、カフカと一対にまでなりうる抒情詩」と書いたのは、あながち間違いではなかったと思う。

「死のフーガ」で披露された技量よりも、詩人としての言語操作技術ははるかに上で、濾過されたシュルレアリスムの影響は、無限≒無限の新領土へと到達し、音韻上の連鎖をもやすやすと捕捉して、以下のような一行を書きつける。

いいついつ、そう、狂念…

漢字に直すと「言いつ何時、そう、狂念…」となるこの一行は、原詩ではほとんど完全に韻を踏んでいる。

Wahnwann, ja Wahn, ―

日本語で読んでもその詩的結晶度の高さを感じらるのは、例えば「眼球たち」のこの部分。

行きまどう眼の中に――読め、そこに、

太陽の、こころの軌跡、

ざわめき過ぎる美しい虚しさ。

死たちと、そこから生まれたすべてのもの。

埋葬されてここによこたわり、

この浄らの気のうちに、

奈落を縁どりつつただよう

種族たちの列

ことばの飛砂がうがちこめられた

すべての者たちの顔の文字――小さく永遠なるもの、

音節(シラブル)たち

ツェランの詩の中にあるのは、死者との語らい。この詩のように墓場が主題化されていようがいまいが、ツェランは想像的な墓地のそばで詩を紡いでいる。

切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話

切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話

 

 どこか唐突に文壇に出現したようにも見えたこの書物。印象的な書名はツェランの詩からの引用だ。セカンドベビーブーマーは、ニューアカ的な現代思想ブームには「遅れてきた青年」たちだったのだが、10年代に入って、ここまで哲学的な博識を披露できる俊英に会えるとは思わなかった。語り流しでここまで語れるのは素晴らしいと思う。

例えば、ある有名人の死に接したとき、人はしばしば「○○時代の終焉」という一語を語りがちだ。引退した新聞記者が、そのように書くのは安直だとどこかで語っていた。それが安直なのは多くの人々にわかるとしても、なぜ安直なのか、安直なのになぜ語ってしまうのかを語りうるのが、知的選良たる証しともいえる。

後者の問いに対して、「終わり」を語りたがるのが「説話論的磁場」というものなのだと軽く片づけた蓮実重彦(『物語批判序説』)と同じくらいのあっけなさで、前者の問いに対して、佐々木中はやすやすとこう語り流す。私の言葉で言い直せば「『文学の終わり』なんて言っている奴は、格好つけて「終わり」って言いたいだけで、文学を何も知らない奴ら。迷惑だ」といった反論。擁護者による感情論ではなく、実証的な根拠のある完膚なきまでの論破だ。端折りながら引用しよう。

(…)識字率の一斉調査がおこなわれるのは一八五〇年です。(…)十九世紀半ばと言えば、「ああ、偉大なる文学の日々」ということになりますよね。一八五〇年、ロシア帝国の文盲率はどれくらいだったか。九〇パーセント、です。例えばあなたに友達が一〇人いて、その中で一人しか自分の書いたものが読めない。そういう状況です。(…)では、この一八五〇年前後に誰が何を出版していたか。プーシキンが一八三六年に『大尉の娘』を出す。ゴーゴリが一八四二年に『死せる魂』を出す。ドストエフスキーが一八四六年にデビュー作『貧しき人々』を。トルストイが一八五二年に『幼年時代』を。ツルゲーネフが一八五二年に『猟人日記』を。無茶苦茶だ。何なんですかこの人たちは。茫然でしょう。(…)端的に九割以上読めないんですよ。ロシア語で文学をやったって無駄なんです。こんな破滅的な状況で、何故書くことができたのか。

はっきり言いますよ。(…)そもそも文学なんて終わりで、などという様悪(さも)しいことを一度でも公言したことがある人は、フョードル・ミハイロビッチドストエフスキーという聖なる名前を二度と口に出さないで頂きたい。不快です。

この周辺は、小説家は書籍産業の言葉ではなく、芸術の言葉で思考すべきだという言い換えも成立しそうだ。芸術に付きまとう孤独に耐えること、というか、単身で或るフォルムに作品をひとり表現することは孤独そのものであり、孤独こそが芸術の条件であるとも言えそう。この書物は数晩で語り流したものとは思えないほど濃密な情報が詰まっているので、またあらためて取り上げて考えてみたい。

文脈は文学から医学へ移る。

『切りとれ、あの祈る手を…』いう書名を見たときに、最初に脳裡に思い浮かんだのはラザロ徴候のことだった。ネット上に画像がないので、安易な臓器移植に警鐘を鳴らしているこの新書から引用する。

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脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書)

脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書)

 

 これは、臓器移植のためにドナーの心配維持装置を停止した直後の連続写真だ。A→Eの順番に見ていくと、心配を停止したはずのドナーが、胸の上で何とか祈ろうとして手を合わせているようにも見える。ラザロ徴候のラザロとは、キリストによって死後4日目に蘇らされた人物名に由来する。脳死者が、死者と生命が蘇る可能性のある存在の中間にいることを想像させる写真だ。

ドナーはこのあと臓器を「切り取られる」わけだが、慣例的に心肺停止装置の停止の場面に患者家族を立ち会わせないことになっているのには、ラザロ徴候を見た患者家族が精神的に動揺するのを避ける狙いがある。

さらにドナーからの臓器摘出時に、脳死判定に拠れば「死体」であるはずなのに、麻酔をかけるのも臓器移植時の慣例なのだという。それもそのはず。

看護婦たちは本当に心底動揺していますよ。[脳死患者に]メスを入れた途端、脈拍と血圧が上昇するんですから。そしてそのまま何もしなければ、患者は動き出し、のたうち回りはじめます。摘出手術どころじゃないんです。ですから、移植医は私たち麻酔医にきまってこう言います。ドナー患者に麻酔をかけてくれ、と。(Sunday Telegraph [2000.8.20])

 現役の医師の手によって書かれた小説にも、ドナー患者の麻酔をめぐる次のような一節がある。

貴島の方は麻酔科の医師が二人ついて全身麻酔をかけているが幹三の方には誰もいない。初めから意識がないのだから麻酔は不要だというわけである。確かに痛みを感じて訴える意識はなかった。理屈はその通りであったが、殿村は生身の身体に切りつけるような不気味さを感じた。

現役医師の手になる1968年の『ダブル・ハート』というこの小説が、誰のものかおわかりだろうか?

作家の名は渡辺淳一。『失楽園』ブームを巻き起こした自称「情痴小説」の第一人者だ。正式な作家デビューは1965年の『死化粧』で、翌年の芥川賞の候補作になった。

『死化粧』を読んでみると、確かに純文学系の作風で、カミュの『異邦人』のテイストに近かった。「 今朝ママンが死んだ」のが『異邦人』なら、「今日ママンの脳腫瘍摘出手術をしたが、摘出しきれずにママンは死んだ」というのが『死化粧』と言えるだろうか。実母の脳外科手術なのに、紗幕越しに現実を見ているような奇妙で無感動な疎隔感がある小説。

渡辺淳一の手術小説の系譜は、その3年後の『ダブル・ハート』を経て、勤務先の大学で、かの有名な和田心臓移植が行われたのを契機に、『小説・心臓移植』が誕生。それが今度は直木賞候補になったという歴史がある。

ここまでを調べていて、え、ダブル・ハート?と反応してしまい、慌てて小説をあたってみると、やはりそうか、そうだったか。和田心臓移植の直前に、渡辺淳一は「異所性重複心移植」を描いた小説を書いていたのだ。

実は偶然、私が書いた小説も「異所性重複心移植」の動物実験を扱った。自分の小説に説明させよう。

異所性重複心移植とは、ちょうど電池を並列でつなぐように、レシピエントの心臓にドナーの心臓を結合させて、不全化しているレシピエントの心臓機能を増強する移植手術である。追加の心臓は同所の胸腔ではなく、異所の腹腔か頸部に植え付けられる。心筋生検をカテーテルで行えるという長所はあるものの、世界で年間1、2例しか臨床応用のない珍しい心移植であり、手術時間の長い難手術の部類に入る。

『ダブル・ハート』を読み始めて気がかりだったのは、現役医師と比べると、自分の手術場面の描写が大きく見劣りするのではないかという不安。 

『ダブル・ハート』から。

殿村は軽く目を閉じた。殿村にはわからない別の力が殿村にメスを持たせた。直ぐメスは生きているように幹三の左胸部に近づき、皮膚に当てられると第五と第六肋骨の間を斜上に腋の下へ向かって走っていった殿村のメスも津野のメスも走っていく方向は同じである。切開線が腋窩の殿村は手を止めた。

「心臓の二つある犬」から。

そう叱りつけながら、教授はよく動く手袋の白い指尖を、早くも無名の犬の腹部の上に辷らせている。4と5の間だ、と数を言って路彦に確認を促したのは、指尖で数えた肋骨番号のことで、その二つの間が切開場所になるのである。

 教授は路彦の補助を待たずに、自分で電気メスを取り上げた。メスの刃先をわずかに刺入させて滑らせ、トマトの薄皮を切るように、表皮だけを巧みに切開する。 

 『ダブル・ハート』から。シャワー・シーンを書きたくなる気持ちはよくわかる。

汚れた思いを捨て去るように、殿村は風呂へ入った。ゴム手袋に覆われていた掌と指をごしごしと力を入れてこすった。力を入れれば入れる程、黒い影は一層身体の中へ滲み込んでいくようだった。

 「心臓の二つある犬」から。

 水が来る。水が降ってくる。水滴のいくつかが路彦の頬をはらはらと叩く。水から身体を離すと、落下する無数の水滴がつかのまの垂直の波線を描いて、明るんだ目の前の空間を満たしているのがわかる。そのせせらぐ破線の束の中へ身を差し出して、彼は自分を労わるように裸の胸をさすり、腕を撫で、ゴム手袋に締め上げられていた指尖をほぐした。

それにしても、何という偶然だろう。異所性重複心移植なんて、心臓移植の中でもほとんど臨床応用が期待できないマイナーな手術方式なのに、それを描いた小説が偶然二つ生まれた。しかも、この偶然には続きがあって、私が兎ロゴで有名な月刊プレイボーイ誌で連載を読んだ『鈍感力』には、部分的に宛先があったという噂も、かなりの重みを伴いつつ耳にしている。この周辺のシンクロニシティの嵐は、Stray Rabbit という名前で小説にしようと以前から考えていた。

さらには、つい一昨日誰かの旅先 destination となった「金沢」という地名の意味を、自分の運命 destiny と絡めて語ったことがあったのを想起した今朝、『鈍感力』の作者の文学館が札幌にあることを知り、その出資者と設計者の名を見て、名状しがたい揺らぎやまない謎に襲われた心地がして、両手を顔で覆ってしまった。

札幌の渡辺淳一文学館の出資者は大王製紙井川高雄、設計者は安藤忠雄。偶然にも、ここで語った「無人美術館」と同じ顔触れだ。

それとも、自分がシンクロニシティに対して敏感になりすぎているだけで、これらはすべてがただの偶然なのだろうか。

ただ、このような謎めいた壁に直面するとき、自分がしばしばブランショの小説を思い浮かべるのは事実だ。佐々木中上記の著書でブランショが過小評価されていると声高に述べていたが、ブランショの小説はとらえどころがないように見えて、ヤスパースの哲学につなぐと、その存在理由がきわめて明瞭に見えてくる種類のものだ。

ヤスパースが限界状況と呼ぶのは、争いや苦悩や罪責や死など。逃れようとしても逃れられないものばかりで、しかも限界状況の渦中で人は必ず挫折する。その不可避的な挫折が、自らの有限性を悟らせると同時に、限界状況に現出している超越者の暗号に気付かせる。そして、人はその暗号を解いていくことで、超越者とつながった真の実存へと至ることができる。

試みに要約したこのヤスパース哲学のエスキスのうち、超越者からの「暗号」という概念が、何よりもブランショの小説に似ているというのが私見。

それは、「暗号」に唯一解がなく、決定不可能性そのものであるということにとどまらず、ブランショがそこここに巧みに偶然性を貼りつかせているからだ。死、忘却、期待、運命などのブランショ一流の鍵語を、あらゆる体系的思考を揺るがす偶然性で裏打ちしているのである。だから、というか、そもそもの最初から、ブランショは答えではない。問いでもなく、やはりあらゆるものでありうるように見える「暗号」なのだ。

ではその暗号をどうやって解読すべきなのか。

 この局面に至ると、ヤスパースの哲学は 神秘主義無神論という違いはあるものの、投企とアンガージュマンの哲学者サルトルに接近してくる。サルトルのいう自由とは、ほとんど決定不能に近いほど選択肢が無数にあること。そして、そのほぼ決定不可能性から逃れられないことをも意味している。彼の云うように「人間は自由の刑に処せられている」のである。それでも、自らを未来にある何ごとかに投げ込んで、絶えず自己を更新し生成していくこと。それがサルトルによる「暗号」解読の模範解答だ。

自分はサルトルよりはるかに神学寄りな位相で思考している。例えば、小林秀雄による「他の職業の誰でもあり得たのに、今この自己であるのは驚くべきこと」などは、偶然性の強度が低すぎて床屋向けの哲学談義でしかないように感じられる。人生の分岐点は職業選択だけでなく無数にあり、一つの分岐で選択したのちも、そこにあった選ばなかった選択肢が、決定不能なのになぜか他に決定した過去の選択可能性の亡霊として、人生に何度も回帰してくるものだ。

座標軸で数値化されていると私たちが思い込んでいる時間や空間だって、目盛り通りではないことが、もはや明らかだ。時間については、ベルグソンの「持続」。空間については、量子力学。一般的な時空観を転覆させているのが、ここでもやはり「偶然性」であることは、いくら強調してもしすぎることはないだろう。時間や空間が伸縮したり折り畳まれたりしうるのなら、私たちが死者と共存した時空を生きていることだってありうる。世界観の基盤を「死者と生者が入り交じった偶然性に満ちた混沌」に置き、「死者の声」「悼み」「祈り」を私が鍵言葉にしているのには、このような哲学的背景がある。

そして、超越者からの「暗号」解読の手がかりは、ユングも十分に果たさなかったシンクロニシティの解読にかかっているのにちがいないとだけ書いて、この記事を唐突にここで終わらせることにする。

この判断にもきっと、謎めいた何らかの偶然が作用しているのにちがいない。

 

 

 

 

(80年代後半のパーティ・ソング。アコースティックの方が歌詞がソウルフルに聞こえる)