顔が無言で呼びかけてくる

3月くらいのこと。39℃前後の熱に連日連夜侵されて、大きな病院へ行っても原因がわからず、それでも何かを書きつづけなければならない、というような状況に追い込まれたことがあった。20代までの生命と宣告された例の難病の再発ではないことは確認できたので、ほっと胸を撫でおろしたものの、あれは何だったのだろう、という疑問は消えない。

それで、まあこういうことは隠した方がいいとも考えて書かずにいたのだが、8/16の夜から、また心身の変調が兆してくるのを感じた。Fiction と現実の間にある複数のレイヤーをそれなりに巧みに操って駆けまわっていたつもりが、自分がいまどこの位相にいるのか、そこからどうやってどこへ行けば、異なるレイヤーに移れるのかがわからなくなったのだ。

昨晩もどこかおかしくて、それがただの偶然なのか、意味あるシンクロニシティなのか、意味があるとしてどんな意味なのか、何も整理できないまま情報の洪水に圧倒されて頭を抱えてしまう感じだった。真剣に自己診断を試みたが、心身の衰弱により知覚が上手く機能しなくなったのか、むしろ収拾がつかないほど知覚が鋭敏に進化してしまったのか、よくわからない。

今日もサリンジャーの伝記を読んでいて、彼が戦前の小洒落たキレものの作家時代に夢中だったウーナ・オニールの写真を見て、悲しすぎてちょっと耐えられない感じになって、しばらく茫然としてしまった。サリンジャー第二次世界大戦に出征後、精神がボロボロになって『ライ麦畑でつかまえて』を書くのに10年もかかってしまう。その10年間も、それ以後も、戦前に書いた Good Old Days の小説の国内再出版を拒否しつづけた。

 戦争が生んだ口語饒舌体では、自分はセリーヌの方を読み込んだ仏文学生だったので、サリンジャーに思い入れはほとんどない。それなのに、サリンジャーの昔の恋人(ノーベル賞作家の美貌の娘)の写真を見て、どうしてあんな風に精神の平衡が崩れたのか。

それは写真が顔写真だったからだと思う。

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豪奢で美しく勝ち気で血筋が良い。

そういった Fantastic creature に、若き日のサリンジャーが、どれほど喉から手が出るほどの強烈な憧憬を抱いたかを想像させる写真で、自分にはこの写真の裏に、数枚の写真が重なって貼りついているところまで見えた気がした。それはサリンジャーの部隊が強制収容所を解放した時の地を埋め尽くす数百体の死体の写真と、以後精神を病んだ「敗残兵」となって隠遁したのを隠し撮りされた庭仕事中のサリンジャーの写真。それらが重なって透かし見えた気になって、涙脆い自分は心が波立つのを抑えきれず、しばらく両手で顔を覆ってしまったのだ。

 そう、すべては顔にある。そんな気がする。

琴里はまじまじと目を瞠いている。その黒目の強い光に気圧(けお)されて、路彦の視線は揺らいだ。うつむいて女の華奢な下顎の線をなぞり、仄白く浮き上がった鎖骨を眺めるともなく眺める。それがいつのまにか、また彼女の顔を視野の真ん中に据えて、見つめ返していた。

 顔というのは何と魅惑的で精妙な器官だろう。無言であっても、顔を見つめるこちら側は、呼び止められたように視線を吸い寄せられてしまう。譬えるなら、一片の言葉が宙に跳ねる魚のように意識の上で把握されるのに対して、いま琴里の眉で、頬で、口元で、まなざしで、ばらばらに兆している或る表情の予感は、湖面の下を泳ぎまわる無数の魚影の暗いざわめきや不意の閃きのように、無意識のうちに人の目を奪うのだった。顔という一枚の皮膚にある名状しがたい深み。……

自分の小説の冒頭、急いで次々に情報を読者に手渡していくべき冒頭で、ここまで行数をとったのは、読者の集中力がしっかりあるうちに書いて、大事な伏線としてラストの恋愛場面で思い出してほしかったから。けれど、本当に大事なのは、「無言なのに顔を見つめるこちら側は、呼び止められたように視線を吸い寄せられてしまう」という部分だ。

「顔は無言で呼びかける」。

実はこれはレヴィナスという哲学者の有名な概念で、顔は特異な個別的存在で、他人の顔は絶対に自分と同化できない他者性そのもの。「顔」から物語を引き出した自分とは違って、レヴィナスは顔が「責任」を呼びかけていると説く。確かに「責任」は英語で responsibility。直訳すると「応答可能性」だ。無防備に露出された「顔」が「殺すな」と呼びかけているから、responsibility が発生しているという見立て。他者性を教える難解だが重要な哲学を残したレヴィナスと、その日本語への媒介者に感謝したい。詳しくはここにあるレヴィナスのインタビューを読んでほしい。

日本で「戦後」というと太平洋戦争を指すが、軍産複合体に支配されているアメリカは、第二次世界大戦後も朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争イラク戦争、と続いて、丁寧に全部換算すると、建国以後の歴史のうち93%もの期間、戦争しつづけているのだそうだ。

 「顔は無言で呼びかける」という言葉を聞いて、私が最初に思い浮かべるのは、「湾岸戦争幼児たち Gulf War Baby」。ショッキングな写真群だが、このような欠損を抱えてこの世に登場しなければならなくなった子供たちの顔をじっと見つめて、その顔が無言で何を訴えているのか、ぜひ見届けてほしい。サリンジャーのように、戦勝国にも無数の傷だらけの「敗残兵」がいるのだ。

gulf war baby - Google 検索

サバルタン(社会的従属集団)の声なき声をどう引き出すかを論じたスピヴァクの短い名著の射程は、おそらく上の湾岸戦争幼児だけでなく、このブログで語ってきた「死者」や「未生の未来世代」の声なき声に耳を傾けることの重要性までを捉えていると思う。 

サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー)

サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー)

 

 現代思想の話をすると、急に眠くなったような顔をする人が結構多い。その顔から「遠い国の小難しい話はやめてくれ」という声が聞こえたような気がする。OK。いまここの日本に話を移すと、Gulf War Baby ならぬ Gulf Disaster Baby がどこかに生息している、というちょっとショッキングな話になる。いまニュースで流れている「海の向こうで戦争がはじまる」話も大事だけれど、忘れてはいけない6年前の出来事もある。

湾岸戦争幼児たちが、あのような欠損を抱えた生を享けたのは、劣化ウラン弾のせいだと言われている。同じ劣化ウラン弾を使ったイラク戦争でも、帰還兵士の子供が同じ症状を持って生まれた。

3.11.東日本大震災の陰に隠れて、多くの人々が忘れてしまったようだが、同日震災の影響によって、東京湾劣化ウランが激しく燃え上がり、工場周辺の放射線測定値が急上昇した重大事故があった。 

追いかけているブログは、さほど多くない。さほど多くないのに、工作員を思わせる書き込みが「デマ認定」をしたがっている様子に、背景事情を推測したくなってしまう。

 タイミングが遅れても尚、事故の重要性を指摘するジャーナリストもいる。

「ジャーナリスト同盟」通信:市原・チッソの劣化ウランの行方<本澤二郎の「日本の風景」(1946) - livedoor Blog(ブログ)

 ネット上にいるフリーランスのジャーナリストや「覚醒民」たちが、主流メディアでは決して流れない情報を流通させ、いまだ目覚め切らない多くの人々を覚醒させていく草の根ジャーナリズムだけが、この国にわずかに残された希望のように思えて仕方ない。

佐々木中の著作の一部があまりにも感動的だったので、文脈を「書き残すこと」から「草の根ジャーナリズム」につなぎ変えて、引用したい。

ヴァルター・ベンヤミンが言っています。「夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは、橋でも翼でもなくて友の足音だ」と。足音を聞いてしまったわけでしょう。助けてもらってしまったわけでしょう。なら、誰の助けになるかもわからないし、もしかして誰にも聞こえないかもしれない。足音を立てることすら、拒まれてしまうかもしれない。それでも足音を響かせなくてはならないはずです。響かせようとしなくてはならないはずです。一歩でもいいから。

最も良質な草の根ジャーナリズムの中で、あなたに向けられている顔は、無言であなたに何を呼びかけているだろうか。 

写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-

写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-

 
フォトジャーナリスト13人の眼 (集英社新書)

フォトジャーナリスト13人の眼 (集英社新書)

 

 

 

(荒涼たる孤独な場所からの呼び声、といえばこの曲)

A desert road from Vegas to nowhere
some place better than where you're been
A coffee machine that needs some fixing
In a little cafe just around the bend

ヴェガスからの寂れた道を
行くあてもなく進んでいる
今までいたところより
少しでもましな場所を求めて
修理しないといけない
壊れたコーヒー・メーカーが
曲がり角の近くのカフェにある

 

I am calling you
Can't you hear me
I am calling you

きみを呼んでいる
聞こえるかい?
ひたすらきみのことを呼んでいる

 

A hot dry wind blows right through me
The baby's crying and I can't sleep
But we both know a change is coming
coming closer, sweet release

熱くて乾いた風が
身体の中を吹き抜けていく
赤ん坊が泣いている
眠れないけれど
お互いにわかっているはず
もうすぐ何かが変わると
すぐそこまでそれは来ている
甘い解放が

 

I am calling you
Can't you hear me
I am calling you

きみを呼んでいる
聞こえるかい?
ひたすらきみのことを呼んでいる