晴れ時々パープルレイン

「しくじった。惚れちゃった」
とその人は言って、笑った。(…)
「しくじった」とその男は、また言った。「行くところまで行くか」
「ピザですわ」

まさか、さっそくこの思い出深い記事を活用できるとは。というわけで、今日のブランチは、地元のイタリアンレストランでピザとパスタをいただいた。けれど、実はお目当ては地元野菜のサラダバー。

ある程度のアンテナ感度のある人は、サーブされる外食の皿の上がどんどんフォトジェニックになっていること。つまりは、SNSなどの新メディアでの浸透力と拡散力を狙って、料理がどんどん写真映えするように変化していることに気付いているはず。

ここのサラダバーでも、紫のじゃがいものシャドークイーンや、茎が彩り豊かなスイスチャードなんかをピックアップできるようになっていたのが嬉しかった。

シャドークイーン - Google 検索

スイスチャード - Google 検索

地産地消に喜ぶ地元農家の笑顔の写真もディスプレイされていて、減らすべきフードマイルも最小値にできるし、マクロビオティックの伝道師こと桜沢如一が推奨する「身土不二」の美学も満たすことができる。レストランは家族連れが多く、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のようなキューバ系の陽気な音楽が流れていて、賑やかだった。

春の祭りの美女を由来とするのがメイクイーンなら、シャドークイーンは夜の女王だ。確かに断面にどことなく夜の女の風情があり、じゃがいも界一のセクシーさを感じさせてくれる。もし、じゃがいもだけでデヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット』をリメイクしたら、シャドークイーンが間違いなく美貌のジャズ歌手の座を射止めることだろう。 それははっきりしている。

けれど、はっきりしていないこともある。悩めるハムレット風に言えば、このじゃがいもが青なのか紫なのか、それが問題だ。青紫にも赤紫にも見えるその女王の姿は、瑠璃色と呼び直すべきなのかもしれない。日本語では瑠璃、ヨーロッパでは世界最古の宝石ラピス・ラズリにちなんで「アジュール」などと呼ばれる色だ。

この瑠璃色の青みをあらわすには、「青」よりも「蒼」が使われることが多いような気がする。

color air 青・藍・蒼・碧の違い

専門家によれば、「蒼」とは「顔面蒼白」で使われるように、生気のないくらい青を指すらしい。

フランスのアズールの詩人と言えば、真っ先にマラルメの名が挙がる。調べてみると、確かに「アズール」の訳に「蒼」が使われている。最終連だけ引用しよう。

Il roule par la brume, ancien et traverse
Ta native agonie ainsi qu'un glaive sûr
Où fuir dans la révolte inutile et perverse?
Je suis hanté. L'Azur! L'Azur! L'Azur! I'Azur!

それは昔から霧の中を回っている。
確かな剣のように、お前の運命である最期をつらぬいて。
無益な反抗と背徳のなかで、どこへ逃げればいい?
私はつきまとわれている。蒼空に、蒼空! 蒼空! 蒼空! 

「蒼空」がポーやボードレールの影響下で、若者の叛逆精神を横溢させた詩だとすると、ドビュッシーの『牧神の午後』につけた中期の詩は、上演こそされなかったものの、兄による独演をあてこんだ独白劇の新境地を拓くものだった。

Faune, l'illusion s'échappe des yeux bleus
Et froids, comme une source en pleurs, de la plus chaste :
Mais, l'autre tout soupirs, dis-tu qu'elle contraste
Comme brise du jour chaude dans ta toison?

半獣神よ 幻想はどんなに純潔な女の
蒼く涼やかな眼からも 涙の泉のように流れでるもの
しかし 溜息にくれるその女は おまえの獣毛のなかで
昼の熱風のように際立って違うと おまえは言うのか? 

 ここでの原文は英語に直すと「blue」だが、訳語は「蒼」。マラルメ・ブルーは青紫に近い色で統一されているということなのだろう。しかし、晩年のマラルメは初期にあった「どこまでも自分を追いかけてくる蒼空」のような、わかりやすい自明のイメージを峻拒してしまう。言葉と言葉を錯綜させながら、混沌とした中に、その不協和音とともに織りなす交響楽を追い求めようとした。マラルメから初期の蒼空は消えてしまったのである。

マラルメの「蒼空」を消したのが芸術の聖性への拝跪だとしたら、Pink Floyd の青空を消したのは戦闘機ということになるだろう。(下の動画ではその冒頭が切れているが)、曲の冒頭で子供が母にこう呼びかけている。

Look mummy, there's an aeroplane up in the sky
見て、ママ。お空に飛行機が飛んでいるよ 

Did you see the frightened ones?
Did you hear the falling bombs?
怯えている人々が見えたかい?
爆弾が落ちてくる音が聞こえたかい?

 

Did you ever wonder why we had to run for shelter when the
promise of a brave new world unfurled beneath a clear blue sky?
どうして私たちが防空壕に駈けこまなくてはならないのだろう
そう思ったことはあるかい?
澄みきった青空のもと勇敢な新世界が広がっていくいう約束だったのに

 

Did you see the frightened ones?
Did you hear the falling bombs?

怯えている人々が見えたかい?
爆弾が落ちてくる音が聞こえたかい?

  

The flames are all gone, but the pain lingers on.
戦火はすべて尽きたが、痛みは尾を引いている

 
Goodbye, blue sky
Goodbye, blue sky.
Goodbye.
さよなら、青空
さよなら、青空
さよなら

この曲を含む2枚組の大作『Wall』が制作されたのは、1979年。1955年から1975年まで続いたベトナム戦争がビデオクリップに反映されている。ブルースカイの中から爆撃を繰り返している戦闘機乗りの視野が生々しい。いや、その映像でも戦争の生々しさからは程遠いというべきだろう。そこには犠牲者が映っていないからだ。

戦闘機たちが爆撃をつづける空の下では、ピューリッツァー賞にも輝いたあの写真の子供たちがいたのである。 写真だけでなく、動画も残っている。

彼女が全裸なのは、爆撃によって燃えあがった服を破り捨てたからであって、その他の理由ではない。それは戦争の悲惨さのごく一端でしかなかったのだが、このような戦争の記憶を遺そうとしている人々の写真の共有を、新興巨大企業が妨害したことも最近ニュースになった。児童ポルノと見間違えたらしい。

しかし、燃えあがる服を破り捨てた少女は、実際に酷い火傷を負ってもいた。その後14か月入院し、17回もの外科手術を受けなければならないほど。

そして、被災から約20年後、再び半裸となって肩の火傷の傷を示しながら、真新しい皮膚に包まれた生命に頬ずりしている彼女の写真が感動的だ。 

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 ここまで来るのには火傷の後遺症以上の紆余曲折があった。医者を目指したが「反戦少女像」であることが露見して学校を強制退学。宗教は彼女を救わず、ジャーナリストのつてを頼っているうちに、それがベトナム首相の耳に入り、キューバで教育を受ける機会が提供されたのだとか。彼女はそのキューバベトナム人男性と恋に落ち、結婚した。

 さて、悩めるハムレットにとって、じゃがいもが青なのか紫なのか、それが問題だった。

澄み切った青空が私たちの頭上に広がっていれば言うことはないが、放射性物質を含んだ「黒い雨」ならぬ「紫の雨」が、時には降ることがあるという気味の悪い話がある。

Look mummy, there's an aeroplane up in the sky
見て、ママ。お空に飛行機が飛んでいるよ 

また陰謀論にイカれていると笑いたがる人もいるだろう。これは、現在でも尚、一部の好事家に限られた偏向的思考なのだろうか? 「陰謀論」という言葉自体が、政府の公式見解を疑う人々を貶めるために、1967年にCIAが作った「工作言語」である事実が知られている現在でも?

ノン、と言わねばならない。9.11.世界同時多発テロで、崩壊した第七ビルに爆弾を仕掛けたという工作員の自白が出たり、ペンタゴンに明らかに飛行機ではない飛翔体(ミサイル)が撃ち込まれる映像を見ても、まだお目覚めでないとはほ本当に驚きだ。

この動画は何度見ても衝撃的だ。Fake News系主流メディアの皆さんは、第七ビルが計画的に「制御解体」される情報を、事前にお仲間から得ていたようだ。

日本は、情報弱者と呼ばれても仕方ないようなみっともない偏向が、特別多く残っている言論空間だと思う。

主流メディアによる洗脳に惑わされずに、「見て、ママ。お空に飛行機が飛んでいるよ 」という子供を守ろうとして闘っているのは、Pink Floyd の歌詞の通り、母親の愛なのかもしれない。

この件について、最初に「紫の雨」が降っているのかもしれないと書いた。確かに、アルミニウムやケイ酸バリウムが交じっていたとしても、雨粒が紫色になることはない。しかし、「パープル・レイン」には虚しさや淋しさという意味もある。「パープル・レイン」を代表曲に持つ世界的なアーティストの言葉に耳を傾けてみよう。彼の死には、いまだに暗殺説が囁かれている。

 

陰謀論」という工作言語でのレッテル貼りから覚醒して、地域社会全体が共同体内の人々や子供たちの健康を守るために、声をあげはじめた自治体もある。私たちも「ラスト・チャンス」を生かすべきでなのはないだろうか。

 悩めるハムレットは、まだじゃがいもが青なのか紫なのか、それが問題だと考えているらしい。ハムレットハムレットだから、いつまでも悩んでいればいい。しかし、空が青であるべきか紫であるべきかは、悩むまでもない愚問だというべきだろう。パープル・レイン的な化学物質からも虚しさや淋しさから遥かに遠い「青」であるべきなのは、はなから決まっている。

例えば、9月の秋めいてきた日曜日の午後、涼しい風に吹かれながら、郊外にある丘の芝生の上に寝そべるとき、隣にいる人や周りの子供たちにサングラスは似合わないし、マスクも必要ない方がいい。他愛のない話をして笑い合いながら見上げたいのは、青空! 青空! 青空!

 

 

(今日行ったイタリアンレストランでずっとかかるのを待っていたキューバ音楽系ラブソング。憧れの作家の経済番組経由で聴くようになった曲で、これは別人によるカバー) 

(歌詞はスペイン語。英訳を基にした和訳)

Kiss me more, kiss me much more times
as if this beautiful night is
the very last time

キスして、何度も
まるで今夜の美しさが
最後のように


Kiss me more, kiss me much more times
because I fear I will lose you
I’ll lose you sometime

キスして、何度も
あなたを失うのが怖いから
いつか失うのが

I want to have you right by me
to look at me in you eyes and
see you beside me
I think that maybe tomorrow
I’ll be away far
far from where you’ll be

すぐそばにいてほしい
あなたの目に映る私が見えるくらい
あなたがそばにいるのをすぐに確かめられるくらい
たぶん明日には
私は遠く離れてしまう
あなたのいる場所から遥か遠くへ

 

Kiss me more, kiss me much more times
as if this beautiful night is
the very last time

キスして、何度も
まるで今夜の美しさが
最後のように


Kiss me more, kiss me much more times
because I fear I will lose you
I’ll lose you sometime

キスして、何度も
あなたを失うのが怖いから
いつか失うのが


Because I fear I’ll lose you
I’ll lose you sometime

あなたを失うのが怖いから
いつか失うのが