喧嘩より変化への順応が尊い

 「文学の政治性」という言葉を、これまで自分は比較的多用してきた。これはもちろん、理想的な政治形態を小説で描けばよいということを意味しない。主題論上の話ではなく、方法論上の話だ。どのような手法が、どのような政治性を持っているのか。もう少し発展させながら言えば、芸術の世界で「革命」に似た何かを起こすとしたら、どのような手法で芸術を創り上げれば良いのか。

今やほとんど誰も口にしなくなったその種の言葉を、30年以上前の書物の中で発見して、懐かしくなった。

ゴルゴダのことば狩り―喩体の方法

ゴルゴダのことば狩り―喩体の方法

 

 吉本隆明主宰「試行」の同人だった兵頭正俊は、そのような芸術の政治性の発露を、比喩(喩体)の現場にすら確認しようとする。それを論じる文体も、「優しさを出前する」というよりは、左翼的な純粋志向とアグレッシブさが同居しているように感じられる。この感じが、とても懐かしい。

ところで喩体の観点から見た高橋和巳の文学は、主題的にはほぼ(…)[引用者註:初期的な]段階にある。(…)高橋ほど、その作品のアマチュアリズムを一部の批評家にきびしく指摘されながら、主に左翼の批評家、とりわけ第一次戦後派の作家に、いいかげんでだらしのない、党派的な甘い評価をえた作家も珍しいのではなかろうか。(…)高橋の文学はわが国の左翼になぜこのような批評のネポチズムをよびこみつづけたのだろうか。理由は簡単である。第一にその文学世界の青臭いアマチュアリズムが必然的に通俗的なわかりやすさを条件づけたこと。第二に高橋の方法が従来の写実主義の手法を一歩もでるものでなかったことによって、政治的な前衛で文学上の保守派(社会主義リアリズム論のヴァリエーション)に迎えられやすかったことである。第三に、煽情的で悲しげなかれの文体が左翼ロマンチシズムとだらしなくなれあったこと、第四に、かれの思考の不徹底が左翼の常識をつねに倫理的にかたらせる同伴知識人の線を越えさせなかったこと、第五に政治的行動者に多少のコンプレックスをもちながら、いわば中衛としてかたる感傷的なペシミズムが、かれの生きた時代の知識人、青春に、安全無害性を植えつけたこと。 

 一読、かなりアクセルを踏み込んでいるなという印象だ。この本には、吉本隆明の解説がついていて、その解説中でも、半分くらいは左翼運動員の誰かとの喧嘩話が占めている。解説として重要なのは、「解説を依頼したのが著者ではない」ことを言明した上で、吉本隆明が結びに置くこの言葉。 

政治運動のなかにも、大衆運動のなかにも凄む者がいるかとおもうと、最低の被差別者を観念的に演技して、いつも脅しつけている者もいる。これらは観念の倫理的貧困と〈痩せほそり〉をめぐって、 嘘と虚像を競いあう遊戯に転化してゆく。そしてこの一種の貧困と抑圧をめぐる〈痩せほそり〉の観念の運動が、限界を超えて、倒錯にゆきつく経路はあり得るのだ。そのとき民衆を解放するという理念が、もっとも民衆を弾圧し、虐殺するという歴史の逆説が事実として出現する。この本の著者は、 渦中にありながらそういうことに内省的でありうる数すくない存在だと思える。 

ゴルゴダのことば狩り』自体が、左翼運動内部の問題性についてかなりの紙幅を費やした書物だ。崇高な理念を掲げた背後に、どのようないじましい私利私欲が蠢いているかを喝破する兵頭正俊は、吉本隆明の言う通り透徹した批評眼の持ち主であり、おそらくそれは左翼運動の苦渋の現場で培われたものなのだろう。 

さて、アクセルをふかし気味に相手を批判するといえば、本家本元の吉本隆明の啖呵の圧倒的罵倒力に言及しないわけにはいかない。(「痩せ細り」も再登場する)。

黒田喜夫へ:こういう相も変わらずの〈倫理的な痩せ細り方の嘘くらべ〉の論理で、黒田喜夫は何を言いたいんだ

小田実へ:この鈍感な〈威丈低〉を装ったごうまんな男

柄谷行人へ:柄谷行人のやっている主要な仕事は、ぜんぶ無意味に近い『抽象的な理念』の世界である。つまり温室で栽培されたカイワレ大根みたいなものさ

浅田彰へ:頭ん中が本でいっぱいになったイカレポンチ

金井美恵子へ:典型的なイモ女流の知的スノビズム

 あまり当たっていないような気もするが、論客の罵倒芸を競えば、間違いなく戦後トップに君臨する語群だろう。 

最後の吉本隆明 (筑摩選書)

最後の吉本隆明 (筑摩選書)

 

吉本隆明の著作の中で、自分が最高位に位置づけるのは『共同幻想論』と『言語にとって美とは何か』だ。後者が、自前の言葉で練り上げているのに、ソシュールなどのヨーロッパの構造主義思想と同時代性を備えていたことはよく知られている。

個人的に研究したい論点は、前者の『共同幻想論』が最終盤にかけて、天皇制や権力の起源を考察している辺りで、これは調べていくと、折口信夫柳田国男の仕事と関わりが深いことがわかる。

さらに、80年代に入り、高度経済成長と高度資本主義を無批判に享受する姿勢に、埴谷雄高から批判を受けたとき、吉本自身は「重層的非決定」のもと、平行して「柳田国男論」で探求を進めていると反論していた。

最高傑作『共同幻想論』が最晩年の「柳田国男論」でどのような思想的発展を見せたのか。追いかけてみたが、どうも思想的脈絡が敏捷に跳ねていない感じだ。 

柳田国男論・丸山真男論 (ちくま学芸文庫)

柳田国男論・丸山真男論 (ちくま学芸文庫)

 

 というのは、『共同幻想論』にあったレヴィ=ストロースとの構造主義的な親近性が消え、逆に実証主義で裏打ち可能な外形的な事実性には瞑目してしまっているのである。論旨は「内視鏡」と名付けた思考法によって、あたかも自分自身が村落共同体の一員となったかのように記述する柳田国男を拾い上げるのに終始している。このような往時の村落のありようと自分の実存を「想像的同一性」によって同化してしまうと、論の構築は困難にならざるをえない。実際、柳田国男が農政学へ研究対象を進めたさまを追いかけながら、吉本隆明が結論付けるのは、農地解放により実現しかかった理想的な村落共同体が、近代化によって不可避的に崩れていくさまでしかない。同じく疎外論的であるにしても、高度資本主義に抵抗しつつ、柳田国男的なものをどう蘇生させるかの戦略には届きようがないのである。

そして、このような吉本隆明の限界点が最初に露呈したのが、1980年の蓮実重彦との対談。当時、吉本隆明が56才、蓮実重彦が44才だ。 

事件の現場―言葉は運動する (1980年)

事件の現場―言葉は運動する (1980年)

 

 これを読み返してみて、思ったよりワンサイド・ゲームだったんだなと感じた。後進の蓮実重彦の方が、相当に押し込んでいるのである。吉本隆明の威勢が良いのは、いつも調子で中村光夫をこきおろすときくらいだろうか。

中村光夫というのは何だ、ということです。中村光夫の批評ほどつまらないものはない、とぼくは思っています。(…)あの人が批評でやったことは二つあると思うんです。一つは、「です」とか「ます」とかいう口調で、対象とする作家(…)に批評の言葉が思い入れをすることを回避したこと。しかしそれが同時に味もそっけもない。これほど読んでつまらないものはないというスタイルになった一つの理由だとぼくは理解しています。 

 ここで吉本隆明は、批評家が小説の主人公や作者へたやすく想像的に同化できるとする小林秀雄の直系であることを告白している。鍵言葉は(とりわけ「悲劇」への)「思い入れ」だ。この戦前めいた批評傾向を、蓮実重彦は比較的短い語数で批判の言葉に言い換えてしまう。

蓮実:いまのお話を聞いてて、一つの事実――これは吉本さんのお仕事全体にかかわる事実だと思うんですが――ある一つの事実の断定に関して、禁じられたり、欠けたりしているものを起点として自分の姿勢を正当化するという一つの方法が出てきていると思います。(…)それはロマン主義じゃないんでしょうか。

ここで、あ、危ないな、と本能的にキナ臭さを感じられれば、吉本隆明の良い読者だと言えそうだ。いつもの吉本なら「ロマン主義なわけないじゃあないか。一般的に言われているロマン主義とぼくの○○主義が同じわけないだろう!」とか、少なくとも、「ロマン主義で何が悪いんだ! 世の中たいていロマン主義だろう、このへちま野郎!」ぐらいの切り返しがありそうな厭な予感がするのだ。

驚いたことに、吉本隆明はこう答える。

吉本:ええ、ぼくもそう思いますね。

これでは喧嘩にならない。そして、喧嘩にならないだけではなく、事実、ファッションモデルを務めたりして高度資本主義社会を享受する傍ら、思想家として誇るべき仕事だった「柳田国男論」でも、理想的村落共同体へ「思い入れ」の内観によって没入し、近代化による喪失を疎外論的に論じるところで、思想の筆が止まってしまうのである。

蓮実重彦が縦横に諸事を語る中で、「知が大衆化しつつある」という知識社会学的な観点からの短い台詞に何度か出くわして、それが彼の問題系の中で、どこか孤絶した文脈に置かれていることが気になっていた。「知が大衆化しつつある」という短い指摘は、蓮実重彦の思想のどこに結びついているのだろうか。

今となっては、それが吉本隆明の思想に宛てた短い挽歌だったのではないかと感じられる。「知識人 対 大衆」の社会図式が消えると同時に、急速に色褪せてしまった吉本隆明の最も精彩に富んでいた部分の思想が、そこで懐かしい一瞥で顧みられているように感じられてならないのである。

かつて、文字情報は 1対1 でしか伝達されなかった。グーテンベルグによる印刷機の発明によって複製の書物が誕生し、文字情報は 1対n で伝達されるようになった。そして、インターネットの普及により、文字情報は n対n で伝達されるようになった。

数十年前の「試行」の同人が、変わりやまないメディア環境や大衆の知的欲求地殻変動に乗りつつ、あるいは逆らいつつ、常時三万人の読者へ向けて「情況」に即したマガジンを発信しつづけていると聞いたら、かつての思想界の巨人はどんな表情をすることだろう。

私たちは、先人たちが作り上げたものから学ぶことができ、作り上げなかったものからも学ぶことができる。ここで肯定しなければならないのは、状況の変化を恐れないこと、それに自らを変化させて生き残ることの、容易には会得しがたい尊さなのだろう。

 

 

 

 

 

(喧嘩の悪口雑言を目にした後は、天使のようなボーイソプラノで癒されたくなる)

私がどこへ行くとしても
遠くどこまでも行くとしても
どんなときも あなたは輝いている
暗い闇夜を抜け 私に呼びかけてくるように

私がどこかへ昇っても
遠くどこまでも昇るとしても
私を空の向こうへ 高く引き上げてくれる
嵐の夜にも 私を抱き上げてくれるように

精霊よ来たれ 天より御使いを
精霊よ来たれ

空を越えて はるか彼方へ