炎で浄められたルネッサンスの道

時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない

本当に心身の調子が悪かったり、本当に書くべきことが何も思い浮かばなかったり、それら二つが同時に重なったり、ということは、本当にある。

今日の午前中、不幸にもそのような状態に陥ってしまったので、自分が生まれる前に流行した寺山修司作詞の曲を思い浮かべたりしていた。ハーモニカが切なかった。

けれど、心身の相関性は意外なほど大きい。経験則から、自分はそう考えている。睡眠と食事と運動で整えて、リスタートを切って、これを書いているというわけだ。 

17歳で寺山修司作詞でデビューしたという経歴だけでも、凄味がある。自分がよく聴いたのは「私は風」というプログレッシブ調の名曲。若い頃、風邪を引いたときによく口ずさんだが、「私は風邪」と歌っても、誰もあの名曲を知らなかったのは寂しかった。

どうして、自分ばかりが、生まれる前の文化にこうまで惹きつけられるのかは、よくわからない。

カルメン・マキは、ここで話した夏木マリとほぼ同い年で、同じくジャニス・ジョップリン好き。「私は風」での熱唱には、ジャニスになり切ったかのような迫力とオーラがあり、寺山修司の作詞を継承したかのような孤独と寂寥のメッセージがある。

20代の頃、この曲のルーツにあるのは、この曲ではないかと感じていた。

Imagine the burning embers
They glow below and above
Your sins you won't remember
And all you'll find there is love
Ashes are burning brightly
The smoke can be seen from afar
So now you're seeing how far
Ashes are burning the way
Ashes are burning the way

 

残り火が燃えているのを想像して
炎があなたの罪を上から下まで燃やしている
もうあの罪を思い出すことはない
そして あなたがそこに見出すのは 愛だけとなる
灰は輝くように燃えている
その煙は遠くからも見える
そして今やあなたには見えるはず
あなたの進む道を はるか遠くの先まで
燃えあがる灰が焼き尽くしているのを
燃えあがる灰が焼き尽くしているのを

 7:28くらいからのクライマックスは、こんな歌詞だったらしい。約20年ぶりの今日、宗教的な慈愛に満ちたこの部分を聴くと、言葉にはしづらい感動を覚えてしまう。 

政府によって存在を抹消された上記のロック・バンドがどんな曲を歌っていたのか、ずっと気になっていた。やっと曲を聴くことができて嬉しい。

音楽性は叙情派プログレッシブ・バンドと言われたルネッサンスに近く、歌詞は(機械翻訳で読む限りは)カルメン・マキの寄る辺なさに近い。実際、冒頭で拳を噛んで涙をこらえている少女は、あてどなく夜の線路の上を歩いていくのである。

しかし、英語版 wikipedia もドイツ語版 wikipedia も、数奇な運命を辿った Klaus Renft Combo のことを、あまりよく知らないような気がする。日本人が書いた小説の一節の方がより詳細なのは、どこか不思議な気分だ。

監視国家―東ドイツ秘密警察(シュタージ)に引き裂かれた絆

監視国家―東ドイツ秘密警察(シュタージ)に引き裂かれた絆

 

 小説の中で、卒業旅行でユーラシア大陸横断(と云っても隣国の中国は割愛)を成し遂げた数人の大学生の6年後を描いた。久しぶりに再会した二人が、卒業旅行のベルリンでの思い出を語る場面は、こんな感じ。

 「ベルリンでは歩きに歩いたわね。まるで遠足みたいに」
と琴里が共通の記憶に触れて懐かしむ。
「丸太みたいにかちかちになった脚とドイツビールの後を引く苦味。この一つしか記憶に 残ってない」と路彦が大架装に溜息をついてみせる。
「あの頃から振り回されてばかりね、真哉くんには」

卒業旅行の一行全員が、道に迷ったシニャックに連れられて、何時間もべルリンの複雑な街路をあちこちへ歩かされたのである。旧東ドイツの伝説的ロックバンド(R…。正確な名前は忘れた)に会いに行くんだと彼は息巻いていたが、4時間迷ってようやくたどり着いたのは、R…がよくビールを飲みにきていたと嘯く老人のいる小汚い酒場だった。

 道すがらシニャックから聞いた話。R…はいわば旧東ドイッのローリング・ストーンズで、仲間を売れという国家保安省(シュタージ)の脅しをはねつけたために、音楽界から抹殺された。そればかりか急進派の作詞担当が拘置所にぶち込まれ、あろうことか放射能を照射された。要監視人物としてマーキング(!)するのが、その異常な加害行動の目的だったらしい。釈放はされたものの、運命は結局、彼の自由を売ってしまう。放射能被爆が原因で、彼は聞き慣れない癌になって死亡してしまうのである。
 否(ナイン)・ヒトラー! 否(ナイン)・スターリン! そんなシニャックの掛け声に唱和して場末の酒場で乾杯すると、極東から来た卒業旅行の若者たちは勢いよく空腹の胃に黒ビールを流し込んだのだが、路彦は晴れやかな祝杯気分からは程遠かった。彼の心を重くしていたのは、半日歩き回った疲労ではない。R…は店の常客だと自慢していた酒場の主人が、国家保安省(シュタージ)の名を聴くと露骨に顔を顰め、放射能(ラジエーション)という英語を理解した後も、ありえない(ウンメェークリヒ)、ありえない(ウンメェークリヒ)と、自分の罪を否認するかのように国家保安省(シュタージ)の罪を否定したからだった。真実は常に遅くやって来るものだ。けれども、ベルリンの壁崩壊後数十年を経ても尚、その到来が遅れていても良いものだろうか。……  

東独の国家保安省は、要監視人物を放射能を使ってマーキングして、それを測定するための専用のガイガー計数管も開発していたのだとか。自分たちの権限を拡大したいという組織肥大化欲望は、国家保安省の情報収集範囲をどんどん拡大させ、東独崩壊後には、会社内のラブレターや或る家庭のリビングの連続撮影画像まで出てきたのだという。ベルリンの壁崩壊直前には、東ドイツの国民の8人に1人は、国家保安省の何らかの「工作員」だったと言われている。その空前絶後の監視密度の高い社会は、「宗主国ソ連の政策変更(ペレストロイカ)によって、あっけないほど簡単に崩壊した。

巨大な国家や民間の権力的組織に対して、99%側が、少なくとも対抗可能なジャーナリズムを持っていなければならない。そうでないと、99%側の「生活世界」がたやすく浸食され、崩壊させられてしまうという貴重な教訓を、旧東独の国家保安省は私たちに教えてくれている。

では、現在のドイツはどうなのだろうか?

旧東独と同じことが国民に行われてはいないものの、やはりこの地でも1%グローバリストたちが社会の要所へ浸透し、政治や言論が歪められているだろうことは否定しにくい。

上記の記事で言及したドイツ大手新聞記者のウド・ウルフコットが、2017年1月に亡くなった。病死とも謀殺とも言われているが、その真偽を詮索するより、彼の「遺言」に耳を傾けることの方が重要だろう。

「ドイツとアメリカのメディアは、ヨーロッパの人々にロシアとの戦争をもたらそうとしています。

もはや、あとへは引けない段階に達しており、私は勇気を出して言うことを決意しました。私が過去にした人々の誘導やロシアに対するプロパガンダは間違って います。同様に、私の同僚らが過去及び現在にわたってしていることも間違っています。なぜなら、彼らは賄賂を受け取ってドイツだけでなくヨーロッパ中の人々を騙しているからです。」

(…)

「私は「オクラホマ州の名誉市民」になりました。

なぜだと思いますか?

私が米国とその政策を支持する内容を書いていたからです。私は中央情報局、つまりCIAによって支援されていました。

なぜだと思いますか?

私が親米主義者だからです。」

(…)

 ドイツを「親アメリカ」的な方向に誘導するためのシンクタンクで有名なものに、「アトランティック・ブリュッケ」があるが、メルケル首相、ガウク大統領本人の他にも、歴代の首相、政治家、約400人のジャーナリスト等がメンバーである。 

ロシアへ情報戦の謀略を働くCIA。その手先となっているドイツ主流メディア。

このわかりやすい構図に付け加えたくなるような、以下の記事で書いたプーチン大統領メルケル首相の鮮やかなコントラストも、上記のドイツ新聞記者の証言の有効な傍証になりそうだ。

  プーチンを知りたいなら、お勧めしたいのはこの本。一見したところ平凡に見える書名「プーチンの世界」は、メルケル首相の「ミスター・プーチンは、私たちとは違う世界に住んでいる」という発言を踏まえたもの。事情通は、前者が1%グローバリストのドイツ代表であり、後者が99%に属するロシア国民を守る大統領であることを知っていることだろう。世界が違うのは当然だ。

さらに、二人の首脳の間には、思わず吹き出してしまうようなコミカルな話もある。当然のこと、メルケルプーチンを毛嫌いしているわけだが、意外にも物真似好きでロシア語が堪能なメルケルは、しばしばプーチンの物真似を側近たちに披露しているらしい。

 メルケルのものまねの十八番はプーチンだという。インナーサークルの側近らを前に、特異のロシア語でプーチンの口調を真似ながら、ペンギンのような歩き方の癖まで再現して見せたと伝えられている。  

世界最強の女帝 メルケルの謎 (文春新書)

世界最強の女帝 メルケルの謎 (文春新書)

 

 個人的には、「Creepを歌うプーチン大統領」の物真似を、ぜひともサミットなどでメルケル首相には披露してほしい。

そのメルケルの物真似が似ていたかどうかについて、確たる情報はない。そして同じく確たる情報はないものの、メルケルがこの人にどの程度似ているかどうかが、とても気になってしょうがない、という人は多いだろう。

これまでいろいろなブログを引用してきたが、この記事の衝撃力は並大抵のものではないはず。The Greatest Job!

アンゲラ・メルケル[Angela Dorothea Merkel]は、ドイツ民主共和国旧東ドイツDDR)、ドイツの共産圏部分で、 1954年に生まれた。

 

彼女の伝記によれば、彼女は1954年7月17日に生まれ、東独が管理した教会のルター派の牧師の娘である。

 

最近では、しかしながら、ソ連KGB(訳注:KJBを訂正)アーカイブファイルは、全く別の話を明かしている。

 

東独シュタージ[Stasi] のファイルは、彼女が1954年4月20日の生まれで、彼女の誕生の詳細はドイツのカール・クラウバーグ[Karl Klauberg] 博士の記録に含まれていたと表示している。


博士は、ソ連の裁判所で有罪判決を受け投獄されたナチの「死の医師」の一人であった。

 

7年後、彼が後に見事な科学者として認められたとき、彼は釈放され、そして人工授精の父として認められた。

ソ連はさらに興味をそそられさえした。クラウバーグ博士がアドルフ・ヒトラー精子の凍結サンプルを保存していたことを発見したときだ。 

ドイツは歴史上のどこで間違えたのか。そして、歴史上のどこで立ち直ったのか。

軽々には論じることのできないその問いに、小説の主人公たちをベルリン市内を彷徨させた自分は、1つだけヒントを書き加えておきたい。

 それは、第一次世界大戦前に「貨幣論の父」とも言われるベルリン在住のジンメルを持ちながら、その貨幣論を充分に政治や社会に生かすことなく、第一次世界大戦での敗戦とハイパーインフレを招いてしまったことの失敗。

そして、それを良薬として、第二次世界大戦後のドイツは、貨幣論に強い国民性を備えるまでに立ち直ったこと。

アメリカを潤すために金融緩和を続けて国を滅ぼしつつある日本とは違って、他国贈与型の金融緩和に抵抗するドイツの国民性が健在なおかげで、EUの金融緩和は部分的なものにとどまっている。というより、ECB(主たる:プレーヤーはドイツ中銀)はもはや表立った金融緩和策自体を打つことができない。そこには、ハイパーインフレの教訓により、きちんと足枷が掛けられているからだ。

The shortfalls prompted questions about how close the ECB is to hitting its bond-buying limits in Germany, the euro zone's benchmark issuer and (at least until now) the deepest and biggest source of bonds under the ECB's QE program which is currently scheduled to run until the end of 2017. According to Barclays calculations, if the ECB maintains its buying program as is, it would hit its mandated, 33% ceiling on German Bund holdings as soon as soon as October, or just over 4 months from now. 

その購入債権がどれくらい不足するかが、ECBが債券購入の限界にどれくらい接近しているのかという問いを引き起こす。というのも、ドイツは、(少なくとも現在までは)2017年末まで継続予定のECBのQEプログラムのもとで、EU内の指標となるべき債券発行者であり、最大量かつ最大額の債供給源だからだ。

バークレイズの計算によると、ECBが債券購入計画をそのまま維持すると、早くも4か月過ぎの10月に、ドイツ国債の強制的な保有上限である33%に達してしまうだろう。

 貨幣論を語るのが、現代思想はとても得意だ。

マルクスは貨幣に「物神化」を読み取って、貨幣には労働者たちの搾取が怨念のように籠っているので、貨幣が資本や資本主義を生むので、貨幣を敵視して、資本主義社会を転覆する社会を構想した。

ところがヘーゲルとなると、貨幣は「偉大な発明」ということになる。資本主義や物神の象徴のような貨幣が、実は自由や主体性の根拠ともなると主張したわけだ。考えてみれば、社会的地位もコネクションもない人間が大きなことをしようとするとき、貨幣のない世界なら、それは不可能だが、貨幣のある世界なら、お金があってうまく使えれば、たいていのことが自由にできる。

 ジンメルヘーゲルに近い線で、貨幣の積極的な効用を主張している。その立場は、レヴィ=ストロースを知る人なら未開社会の部族間「通貨」が女性であったことを知っているので、貨幣がそれよりはるかに近代化された決済手段だと主張するのは、さほど難しくないように感じられる。

  ジンメルの主張のうち、今ここから見て輝いているのは、社会の近代化の大枠の中で、「貨幣による客観化が進んだ」と「生活世界の空洞化」が進んだとしているところ。後者の論点は、後期近代で主要な場所に上がってくるもの。ボードレール風の「都会の孤独」に近い近代初期の段階にいたジンメルの視力が、そこまで届いたということは遠望の人といって良さそうだ。

そして、前者の「貨幣による客観化が進んだ」という部分は、後のレヴィナス貨幣論につながる水脈をしっかりと捉えている。レヴィナスはそのように客観化できる指標を人間が得たことで、そこから法や正義を引き出すことが可能であり、貨幣は法や正義の部分概念となりうると、後年に論を進めた。

では、最新の貨幣論は? やめておこう。

バタイユミヒャエル・エンデにも面白い貨幣論があるが、「最新の現代思想」 なんかに飛びつくよりも、私たちには先にやらなければならないことがあるからだ。

貨幣の機能には、価値尺度の体現、決済手段、(兌換貨幣の場合)価値の蓄蔵などがある。貨幣の属性には、等質性や運搬性や匿名性などが求められる。

こういったものを現代思想とはとても呼ぶことはできない。しかし、このような貨幣のごくごく基本的な位置づけに、いま大きな変化が起ころうとしているのをご存知だろうか。

それは「現金の廃止」だ。

もちろんメルケル首相のお膝元でも大騒ぎになっている。

 ところが、ドイツではこの500ユーロ紙幣廃止の提案にさまざまな批判が噴出した。中央銀行であるドイツ連銀は、高額紙幣を廃止してもマネーロンダリングなどの犯罪が減少する保証はなく、この提案には別の隠された目的があるのではないかとの懸念を示した。その目的とは、500ユーロ紙幣廃止を「現金廃止」の第一歩にすることである。支払手段としてクレジットカード、デビットカードプリペイドカード、電子マネーなど多様な手段が普及している現在、現金をまったく使わなくても生活できる環境が整いつつある。スウェーデンデンマークなどこれら代替支払手段が普及している国々では、現金の発行や流通にかかるコストを鑑み、現金廃止が議論されている。これに対してドイツは欧州の中でも現金での決済がまだ多く、現金廃止に否定的な意見が多いようである。現金がなくなれば消費行動がガラス張りにされてしまう銀行預金を現金化することができなくなりマイナス金利を免れることもできなくなるため、これは銀行システムを守るために預金者に新たな負担を強いる措置だといった批判が聞かれた。(強調は引用者による)

もう少し踏み込んで書いているのは、この記事。

ではなぜ、現金廃止が中央銀行にとって都合がいいのか。まず、今の世界の経済状況を考えると、銀行倒産のリスクは高く、取り付け騒ぎが起きることを銀行は恐れている。また、倒産危機の際、銀行救済のためのベイルインが、マイナス金利で簡単に実行できる中央銀行の視点では、通貨量をコントロールできることで、金融政策を簡単に実施できる。

 つまり、消費が下がれば、銀行預金に大幅なマイナス金利を課せることで、国民はお金を使い、消費活動を上げることができる。経済が過熱していれば、国民による消費を下げるため、預金金利を高く設定、消費より貯蓄の拡大を図る。銀行にとって都合のいい制度であり、国民の経済活動は完全に銀行によって監視、コントロールされることになる。  

(強調は引用者による)

二番目の記事の第一段落がわかりにくいかもしれない。一番目の記事の「銀行預金を現金化することができなくなりマイナス金利を免れることもできなくなる」という部分が参考になるだろう。

現金がある現在では、経営不振の銀行の倒産危機に対して、99%側の国民は現金を引き出すことで、自分の資産を守ることができる。

ところが現金という存在がなくなると、経営不振の銀行に預けているアカウント上の数字を、どこへも移動させようがなくなる。資産フライトが不可能になるのだ。

そして、すでにヨーロッパで施行されているベイルインの仕組みにしたがって、顧客は自分のアカウント上の数字が吹っ飛んだり激減したりするのを、指をくわえてみていなければならなくなる。

恐ろしいことが進行していることに、なるべく多くの人が気付いてほしい。そして「現金の廃止」と同時に始まる「暗号通貨による全消費行動の監視」が、さらに恐ろしい事態を招きかねないことも。

この記事の締め括りとして、ケインズの有名な一節を引用すべきだろう。

社会の基盤をくつがえすには、通貨を堕落させることほど巧妙で確かな方法はない。インフレの過程では、経済法則の隠れた力をすべて、社会秩序を破壊する方向に動員でき、しかも社会の秩序が破壊されていく理由を、百万人に一人も理解できないのである。

私をケインジアンだとラベリングしてくる勢力から、「では、きみなら没落しつつあるこの日本で、どんな経済政策を打つのかね?」と問われているような気がしたことが、少し前にあった。私はケインジアンではないし、歴史上弾けなかったバブルはない。八方塞がりで、破局は不可避だ。この悲観論が、自分の経済的な政策立案能力のなさのみに由来することを祈ろうと思う。

これを読む誰であれ、手持ちの資産のうち、少なくとも半分くらいは gold の現物に変えておくことをお勧めしたい。

 

上記の文章の後に続けて、「今は、破局を生き延びて、この国の再生の物語を協働して紡いでいくために、連日連夜、私は本を読んだり文章を書いたりしているような気がしている」と書いたとき、「再生=Renaissance」の等式へ思い至るべきだった。

No way out. 「出口なし」だが、目の前には道がある。

胸の中の火を絶やさず、どんな苦しい道行きからもポジティブな何かを引き出しつつ、何とかして、日本のルネッサンスが少しでも実り豊かなものになるよう働きかけられたら。

それが長すぎるこの夜々に自分が抱いている最大の願いだ。

 

 

 

 

(え? 2017年にまだライブ演奏をしている! 歌姫アニー・ハズラムは御年70才のはず。Oh, God Grandma! 最後の高音が細ってかすかにしか伸びていかないところ、観客が歓声でフォローしようとしている場面に感動。「all you'll find there is love」。しかと受け取りました)(12:30から見せ場)

Imagine the burning embers
They glow below and above
Your sins you won't remember
And all you'll find there is love
Ashes are burning brightly
The smoke can be seen from afar
So now you're seeing how far
Ashes are burning the way
Ashes are burning the way

 

残り火が燃えているのを想像して
炎があなたの罪を上から下まで燃やしている
もうあの罪を思い出すことはない
そして あなたがそこに見出すのは 愛だけとなる
灰は輝くように燃えている
その煙は遠くからも見える
そして今やあなたには見えるはず
あなたの進む道を はるか遠くの先まで
燃えあがる灰が焼き尽くしているのを
燃えあがる灰が焼き尽くしているのを