自分で自分を hold me tight やりたいくらい淋しい

とりあえず一段落ついた気分だ。お疲れさま。そして、本当にありがとう。何しろ、ようやく「真実」へ辿りつく旅が終わったのだから。

あとは誰がどのような言説を振りかざして負のカルマを背負いたがっているのかをよく見届けて、自分の生き方にプラスのカルマを積み増すべく参考にするといい。そうしたければ、退出したっていい。「教師」も「反面教師」も勢揃いしているだろうから、学習機会の素晴らしさとしては他に類がないはず。

一つだけ憶えておいてほしいのは、きみたちのする行為の一つ一つは、他の誰もが見ていなかったとしても、自分が見ている、ということだ。付け加えるなら、神様(やハイヤーセルフ)もご覧になっている。きみたちの頑張りに、当初は世界が充分に応えてくれないような気がして、気分が腐ってしまうこともあるかもしれない。けれど、その頑張りは必ずどこかで帳尻が合うようにできている。それを信じて思いっきりやれば、自分で自分を褒めてあげられるような最高の場面を作り出せる(6:24から)。

(ただし人前ですぐに自分を褒めると、未熟な子供っぽい人だと思われるので、注意しよう)。

きみたちの幸運を祈る!

業務連絡は以上。

さて、2001年に出版された『CODE』の有名な四規制概念は、現在でも有用性を持っていると思う。

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Seatbelts: The government may want citizens to wear seatbelts more
often. It could pass a law to require the wearing of seatbelts (law regulating
behavior directly). Or it could fund public education campaigns to create a
stigma against those who do not wear seatbelts (law regulating social norms as a means to regulating behavior). Or it could subsidize insurance companies to offer reduced rates to seatbelt wearers (law regulating the market as a way of regulating behavior). Finally, the law could mandate automatic seatbelts, or ignition-locking systems (changing the code of the automobile as a means of regulating belting behavior). Each action might be said to have some effect on seatbelt use; each has some cost. The question for the government is how to get the most seatbelt use for the least cost.

シートベルト:政府が国民にシートベルトの着用頻度を上げてもらいたがるとする。すると、シートベルトの着用を義務付ける法律が成立するだろう(法による直接的な行動の規制)。あるいは、シートベルトを着用しない人々に汚名を貼りつけるような公共的教育キャンペーンが展開されるだろう(行動を規制する手段しての社会規範の法規制)。あるいは、シートベルト着用者の保険料を低減するよう補助金を出すだろう(行動を規制する手段しての市場の法規制)。最後に、法律が自動シートベルトや始動ロック装置の装備を強制するかもしれない(ベルト着用行動の規制手段としての自動車アーキテクチャの変革)。それぞれのアクションがベルト着用に或る程度の効果があるだろうし、ある程度の費用がかかるだろう。政府にとっての問題は、最低の費用で最大のベルト着用者を得る方法はどれかということである。 

http://codev2.cc/download+remix/Lessig-Codev2.pdf

 その大きな議論についてはちょっと脇において、7章にある一般論としての規制手段のフレームワークが非常に面白かった。曰く、何かをコントロールする手段にはこの4つがあり、実際に物事をコントロールするのはその総体だという。

 法(law):法律、規定、規約
 規範(norms):道徳、世間、文化、一般常識
 市場(market):市場原理、(経済的)インセンティブ
 アーキテクチャ:物理的な環境・制約(→サイバー空間においては、コード) 

何か大きな変革を起こそうとする人は、少なくとも上記4つの領域が、相互に関連しながら、状況を動かしていることに敏感である必要がある。

(と、ここまで書いて、会社の通路に段ボールを敷いて寝ていたら、3時間くらい寝てしまい、風邪を引いてしまった。発見したのは、中心部にあるこの会社は朝6時くらいになると、寝るには結構うるさいということだ。いや、本当、猫まっしぐらだぜ。実は、私が猫をかぶっているのではなく、猫が私をかぶっているらしいのだ。ストレスが強くかかると、猫が今にも私を脱ぎ捨てそうになってしまうので困ってしまうニャン)。

さて、レッシグの人や事物を動かす四規制概念に敏感な人は、視野の隅にあるそれらにもよく目が行き届いている。

この記事で言及したジャーナリストの大治朋子は、次世代ジャーナリズムのあり方を考えながらアメリカ各地を取材しているうちに、その一歩を寄付税制(法)という壁の前まで運んで、立ち止まった。 

 アメリカは寄付社会だと言われる。(…)2011年の寄付総額は2984億ドルで(…)同年の米歳入総額(2兆3140億ドル)13%にも達する。(…)

 一方、日本はどうか。(…)2010年の日本の寄付総額は約1兆341億円で(…)政府の歳入(決算)総額(約100兆円)に占める割合は約1%にすぎずアメリカの比ではない。

 また、アメリカでは寄付の主体は個人が全体の約4分の3を占め、会社など法人からの寄付は5%に満たない。これに対し日本では、企業が約7割を占める。

 背景には、日米の寄付控除における制度の違いがある。アメリカでは法人より個人が優遇されているが、日本では逆に、個人より法人が優遇される。たとえば日本では、法人は寄付先に公益性の縛りがなく、幅広く損金として算入することが認められているが、個人に対しては、寄付金控除の対象は解く特定公益増進法人と認定NPO法人に限定され(…)「税額控除」額は寄付者の年間所得額の25%を上限としている。これに対しアメリカでは、企業には課税所得の10%しか損金算入を認めていないが、個人の寄付には(調整総所得の)50%まで寄付金控除を認めている。 

  こんな風に、北極と南極くらい真逆の制度がまかり通っているのには、もちろん理由がある。日本の寄付税制は、社会的弱者ではなく、あべこべに裕福な社会的強者の「税金逃れ」として利用されている実績があるのだ。ジャーナリズムを考えているうちに、法制度の問題にまで「捜査」の足が及ぶところが、いかにも本物のジャーナリストらしい。

[引用者註:寄付税制の寄付先となっている公益法人を使えば] 結局、法人自らが課税されず、かつ、その法人に寄付をした個人の所得や財産、相続財産も課税されないという、いわゆる国税三法(法人税所得税相続税)のすべてで税務上のメリットを享受できてしまうという、ちょっととんでもないくらいの税効果が生じます。 

(…)

 いわば、海外の遠くのタックスヘイヴンよりずっと身近にそれに近いものがあったことを発見したような衝撃的な感覚ですが、実はこれ、あながち大げさな例え話でもないかもしれません。

公益法人を活用した節税スキーム | 柳澤国際税務会計事務所

アメリカ社会が持っているのは、寄付文化に代表される相互包摂性だとよく言われる。

「ゐーまーる」ともいう。ユイ(結い、協働)+マール(順番)の意で、順番に労力交換を行なうこと、相互補助と訳される。おもに農家の畑仕事についていうが、転じて他の仕事についてもいうようになった。

これに対して、日本は沖縄の「ゆいまーる」を例外として、相互包摂性の弱いことでも有名な国だ。国家がおかしくなると覿面に社会がおかしくなってしまいやすい。その日本で効果的持続的に社会を改善していきたいと考える有志は、レッシグの「法」「規範」「市場」「アーキテクチャ」の四概念とその相互影響は常に頭に入れておいて損はない。

例えば、上の記事で言及した発送電分離の「巨匠」は、電力システムにスマートグリッドスマートメーターを導入してアーキテクチャを整備した上で、オプション取引などの市場経済性を導入して、消費者(需要家)のメリットや全体的節電を導くべきだと主張している。反論困難なシャープで革新的な発想だと思う。

 日本の電力会社は、大口需要家に対して「需給調整契約」と締結し、電気料金を割り引いている。需給がひっ迫(電力供給が足らない)ときに、電力会社が供給を抑制したり、遮断したりできることを条件として、料金割引を行っているのである。しかし、これは一般消費者家庭は対象外の契約である。
 この契約を金融取引的な概念に置き換えていえば、これはいわゆるオプション取引であり、電力会社が供給をストップする権利(オプション)付きで需要家に電力供給契約をしていることにほかならない。需要家はオプションを電力会社に売り、そのオプション料(プレミアム)を料金割引と して受け取っている。

(…)

アメリカでは最近、このオプションに目を付けた電力商社(マーチャント)が電力会社からオプションを転売してもらい、それを組み合わせて商売する行為が始まっている。使っていないオプションを安いプレミアムで買い付け、(卸電力価格の高騰時など)オプション価値が高いときに行使 する仕組みであり、金融手法に則ったビジネスである。

(…)

さらに2011年夏のお願い節電では何の対価もなしに、庶民は節電に自主的に協力した。これは儒教的には正しい行為であるとしても、経済メリットを最大化しょうとしている電力会社にタダで「よいとこどり」をさせてしまっている。

 本来、節電は供給者と需要家との間の経済取引によって行われるべきである。大口需要家には対価(プレミアム)の支払いがあるのに、小口にはないという仕組みは経済的に不公平である。この仕組みを変えて、節電に経済価値を付加したのがいわゆる「デマンドレスポンス(DR:合理性のある節電行為)」である。デマンドレスポンスには、節電を促すインセンティブ料金体系と価格シグナルが不可欠である。

(…)
さらに上から下へ一方的に電力を供給する垂直統合型の制度は、デマンドレスポンスで節電した電力を集約して電力取引に利用する体系とは相反するものである。デマンドレスポンスで節電した電力は日本ではネガワット取引と呼ばれ、アメリカでは卸電力市場で取引され、節電需要の合計が
発電所1基分になることも珍しくない。(…) 

発送電分離は切り札か: 電力システムの構造改革

発送電分離は切り札か: 電力システムの構造改革

 

 この辺りまで読めば、「発送電分離の巨匠」がなぜ著書に『発送電分離は切り札か』という挑発的ともとれる書名を付けたのかが、わかるだろう。「発送電分離」という法改正を伴う最適なアーキテクチャさえ得られれば、民間による市場原則にのっとったネガワット取引市場(アーキテクチャ)が出現し、小口契約者に不当に強いてきた節電の規範意識以上の(場合によっては発電所1基分以上の)節電が可能となり、日本のエネルギー安全保障度が高まる。そのようなレッシグの四既成概念すべてが相関した発展的な未来図が、著者には見えているのである。

しかし、そのようなフェアで薔薇色の発展的未来図は、国が変わらない限り、というより日米原子力協定が変わらない限り、簡単には実現しそうにない。

この壁をどう突破するのか。原発事故で安全な故郷や食物を失った人々の悼みをどう引き受けていくのか。それらの問いに対して、自分はひとことで言うと「電民分離」。少しだけ詳しく言うと、自主スマートメーターつきの蓄電池技術をリフォーム市場へ投入して、消費者が夜間電力活用のコストメリットを享受するモデルを思い描いている。太陽光やスターリングエンジンによる自家発電も、もちろん有力だ。 

賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか (幻冬舎新書)
 

さて、レッシグにまつわるこの記事を書き出したのは、食品ロスやフードバンクに最も詳しい井出留美による興味深い新書を読んだことが、きっかけだった。本はその分野の有用な情報(例えばヴァーチャル・ウォーターやフード・マイル)が目白押しだが、「もったいない精神」を中心とした消費者の意識改革(レッシグのいう規範)に、いささか記述が偏りすぎているような気がしたのだ。日本人の「期限意識過剰」や欠品棚嫌いが商品価格に転嫁されているといった実態には、確かに問題があるが、啓蒙による意識改革がその実態を変えるには、国家的規模の労力と時間がかかるのではないだろうか。

ここは市場とアーキテクチャの力を借りたいところだ。

アーキテクチャについての自分の提案は、平凡なものだ。発想は平凡なのに、検索しても出てこないのはどうしてなのだろうか。それはひとことで言うと、「時間段階型値札」。これが進みそうなのは、コンビニのお弁当だろうか。消費期限までに3段階くらいの複数の値段(600円→400円→200円)を設けて、それをバーコード管理すれば、値下げシールを貼って回る必要もない。

 具体的に計算してみましょう。コンビニのお弁当のロス率は約15%で、平均して7個に1個が売れ残ります。7個完売して売上3000円を確保するなら、本来は1個430円でいいはず。
 でも、いつも6個しか売れないとしたら、売上3000円を確保するために1個500円で売らないといけません。
つまり、ロスを織り込んで1個あたり70円高く売られているわけです。

「廃棄の秘密」『Big tomorrow』連載第62回(2013年8月号) | 小川先生 〜 小川孔輔のウェブサイト

 コンビニの欠品率の管理には、食品ロスだけでなく機会ロスも考慮に入れねばならず、両者はトレードオフの関係にあるので、店舗と消費者側に「欠品ありの棚を受け入れよ」との真っ当な規範を説いても、あまり効果はなさそうだ。食品ロス率ゼロだけを目指すのではなく、食品ロス率と機会ロスとの均衡点を、曜日・時間帯・季節・イベント日などの他のファクターと勘案しながら、数値管理するプログラム設計が待たれる。

 これらのアーキテクチャが精緻化されれば、突発的な食品ロスを招きやすい天候要因を、金融派生商品である「天候デリバティブ」でリスクヘッジすることができるので、しばしば本部による「生かさず殺さず」の状態にあるとされるコンビニ経営も、その厳しさを緩和できる可能性も生まれるのではないだろうか。

最近私が言及してきたソーシャル・ビジネスは、横文字だが新奇なものではない。その源流は、日本でいえば近江商人や澁澤栄一に遡ることができる。 

近江商人は江戸の三大商人のひとつ。(…)近江商人の心得には仏教の影響があり、親鸞のいう「自利利他の円満」が目標とされていました。この自利利他の円満というビジネス・マインドは、「売り手良し、買い手良し、世間良し」(三方よし)という、近江商人のミッション・ステートメント(経営理念)を生み出し、日本中で信頼を得る秘訣となりました。(…)

 日本の株式会社の父である渋沢栄一1840年-1931年)は、経済と道徳を調和させる、という商業道徳を唱えました。(…)

 渋沢は「自利(経済・欲望)」と「利他(道徳・思いやり)」を異なるものととらえたうえで、その調和を求めました。渋沢は商業道徳を自ら実践し、多数の人材と資金を集め、日本近代化に必要な多数の株式会社の設立というイノベーションを起こしました。 

近江商人の「三方よし」とは少し文脈が違うが、自分が所属する会社の全体を見回しながら、レッシグのいう「法」「規範」「市場」「アーキテクチャ」の四つが最適に機能しているかを、時々指差し確認するのも悪くないと思う。

今日も記事が長くなった。後はこう書くしかないだろう。

四方よし

 

 


(Instrumental)