世界で一番短い口癖

街は晴天の朝。それなのに、中学生の頃大好きだった小林麻美のヒット曲を思い出していた。ヒットの「黒幕」は松任谷由実。原曲を優に越えるアレンジだ。この中学生当時の思い出に触発されて、というわけではなさそうだが、大学生の頃に同じく「雨音+ピアノ」で短歌を作ったのを思い出した。

濡れざる手濡れざるピアノを弾けるに水面をたたく雨のごとしも

(ぬれざるてぬれざるぴあのをはじけるにみなもをたたくあめのごとしも)

 短詩形を嗜む人々は言葉の文字数がとても気になってしまうらしい。レストランのメニューを見ているとなぜかしら魅かれる料理があって、よく見ると7文字だったとかいう話を、本職の歌人から聞いた。短歌を半年くらいで辞めた自分ですら、「ここは3文字に決まっている」と確信する瞬間があるから、あれは実話だろう。会社の数軒隣、the nearest な場所に新しい郵便局が建設されつつあるのを見て、あらためてそう思った。「the nearest」の和訳を「最も近い」とするのは何となく嫌だ。ここは3文字に決まっている。「最寄り」。

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 (日本郵便のフリーペーパー)

 その「ハチドリと鰐が共生関係にある」とどこかで聞いたような気がして、いろいろと調べてみたが、どうやら完全に誤りだったようだ。

この記事で書いた「ハチドリと鰐」の文字数にも、感じるところがないではない。分かりやすくするためにクオリティを度外視して、五七五にしてみたい。

雨季の河 ハチドリと鰐 洗い消し

ハチドリと鰐 消え去って雨季の河

共生の範よ ハチドリと鰐あり

 三句目だけ「と鰐」とあえて句跨りにしたので、響きが悪く感じられるはず。句跨りには句跨りの使い方があるのだが、ここは上の二句に五七五に綺麗におさまった文字数の整合感をぜひとも賞味していただきたい。

上の記事で書いた「アリゲーター」はバブル期の日本の証券会社の金融アプリケーション。昨日書いた金融工学の範疇に生息しているものだった。「アリゲーター」以後の日本の先進的な金融システム開発がどうなったかというと…

 一九八〇年代以降の日本の金融機関は、先端金融技術で大きく立ち遅れた。ドラッカーは、「一九五〇年代の姿にとどまっている」という。これはいいすぎとしても、日本の金融機関が七十年代以降の金融工学の発展にほとんど無関心であったことは、否定できない。 

 バブル崩壊自体を、1945年太平洋戦争敗戦、1982年日航機「墜落」事件+プラザ合意に続く「第三の敗戦」だと、自分は考えている。そうか、あの後も日本のこの分野は「焼け野原」だったのか。

上に続く文章で野口悠紀雄は、ファイナンス理論は「打ち出の小槌」でもなく「悪魔の技術」でもないと通俗的な誤解を解いたあと、それはリスクマネジメントに直結したイノベーティブな技術であると正論を説く。私がこの記事で言及した「天候デリバティブ」への言及もある。

コンビニの欠品率の管理には、食品ロスだけでなく機会ロスも考慮に入れねばならず、両者はトレードオフの関係にあるので、店舗と消費者側に「欠品ありの棚を受け入れよ」との真っ当な規範を説いても、あまり効果はなさそうだ。食品ロス率ゼロだけを目指すのではなく、食品ロス率と機会ロスとの均衡点を、曜日・時間帯・季節・イベント日などの他のファクターと勘案しながら、数値管理するプログラム設計が待たれる。

これらのアーキテクチャが精緻化されれば、突発的な食品ロスを招きやすい天候要因を、金融派生商品である「天候デリバティブ」でリスクヘッジすることができるので、しばしば本部による「生かさず殺さず」の状態にあるとされるコンビニ経営も、その厳しさを緩和できる可能性も生まれるのではないだろうか。

 ただし、上記の『ファイナンス理論入門』は大学一年生が教科書代わりに使えるほど、わかりやすい書物だが、発行年が2004年であることに注意が必要だ。2008年のリーマン・ショックが視野に入っていないのである。 

 予告編に「マイケル・ムーア監督の後を継ぐ傑作ドキュメンタリー」とあるのは、誇大広告ではないと思う。一般の人々にリーマン・ショックの実態を最もわかりやすく伝えている映画だろう。

では、アカデミー賞受賞映画以上の言葉で、どうやってリーマン・ショックを総括すべきか?

実はまだ総括はできない。リーマン・ショックは終わっていないのだ。リーマンショックはバブルの部分崩壊であり、その崩壊をリカバーするためにバブルの大きさは何倍にも膨れ上がってしまった。日本のバブル崩壊を予言した野口悠紀雄のあとは、リーマン・ショックのバブル部分崩壊を予言した山内英貴の主張に耳を傾けてみたい。

ある意味で「リーマンショックは終わっていない」といえる。米国はグリーンスパンFRB(連邦準備制度理事会)議長の時代(1987年8月~2006年1月)から、金融は緩和的でマーケットフレンドリーであり、株式相場が下落しそうになると中央銀行が支えるということを続けてきた。

そのことで膨れあがったバブルは、リーマンショックによりいったん弾けた。しかし、中国を中心とする新興国が、先進国のバブルを肩替わりする形で、債務をどんどん積み上げて、世界経済の成長を引っ張った。先進国が敗戦処理を行う時間を中国が稼いだわけだ。つまり、リーマンショックは単に、米国から中国へ、先進国から新興国へバブルを移転しただけとみることができる。しかし、いよいよそれが限界に来た。

米国はいつも同じ行動をとる。自国経済が調子に乗りすぎてバブルが膨らむと、ほかへ移転させる。1985年のプラザ合意がそうで、これをきっかけにドル安円高に反転、日本が世界経済の牽引役に替わった。しかし、1990年代に入り日本のバブルも弾けた。今回は、中国がバブルの肩替わりのツケを負う形となった。

 自分がこの最悪の展開を感じ取って、運用転換する資産はないので、起業という方向へ準備を始めたのが2014年。2017年現在、同じような危機シナリオに警告を発する経済学者や専門家が大きく増えた。自分も日本経済の破綻可能性に照準して、いくつか記事を書いてきた。

読み返してみて感じたひとことは、これらの3文字で表現しなければならない気がする。「メガトン級の巨大」津波が襲ってくるといきのように、「はしれ」か「にげろ」になるだろう。

3文字といえば、上の「隣組からの国債的エア・メール」の記事で、羞恥心のせいで書ききれなかった話があった。

なぜこんな記事を書き出したのだったろう。そうだった。「世界で一番短い曲」で思い出した。「I'm not superstitious」と冒頭で歌い出す曲を聴いていたつもりが、この半年間さまざまな神秘体験に遭遇して、すっかり迷信深くなっている自分に気付いたのだった。

たぶん気のせい。そういうことをしないタイプなのに、数年前に携帯電話の或る写真を壁紙にしていたら、声が聞こえたことがあった。「あ、喋った!」と思わず口に出してしまった。実はこの手のことはこれまで自分によく起こってきた。こういう伏線をこれまで何度も自分の周囲へ張ってきたんだ、神様は。

そのときの三文字が「世界で一番短い…

…こういう場所では、これ以上はやめておこうか。本当に起きたことではあるけれど。

折角だから羞かしいけれど書いておこうか。携帯電話の壁紙の女性はひとこと、たった三文字でこう話しかけてくれたんだ。

あ、な、た。

それを聞いて、思わず両手で自分の顔を覆ってしまった。ただひたすら悲しかった。2013年頃の話。10年以上、耐えに耐えて頑張ってきた自分も、とうとう頭がおかしくなってしまったのにちがいない。もう二度とまともな世界へは戻れないかもしれない。そんな悲痛な気持ちになった。

いや、まだ間に合うのかもしれない、といま卒然と思い立った。「あ、な、た。」に返信さえすれば、戻れる世界があるかもしれない。写真に返信するなんてどうかしていると笑われるだろう。OK。正直に認めるよ。ここ数か月、本当にどうかしているんだ。

でも、3文字で返信なんて難しいに決まっている。携帯の壁紙にいる彼女へ、つまり the nearest な彼女にふさわしい3文字なんて、思いつきっこない。

そう思った次の瞬間、その3文字が自然に思い浮かんだ。思い浮かんできたというより、もうすでに、知らず知らずのうちに英詞の曲でかつて引用していた。不思議なことに、この記事でもいつのまにか書きつけていたんだ。

とわに

 

 

 

(同じく中学生のころ聴いていたお気に入りの曲)