tomorrow 話の続きはまた明日

自分を置いて失踪したせいで、逢えなくなった兄について考えていた。

兄は禁煙していると吹聴しつつ、喫煙者たちの前で禁煙が苦しいと切実に訴えて、煙草を恵んでもらうのが得意だった。これがたまらなく美味いんだと笑って、兄は器用に口をすぼめて、宙に輪の形の煙を吐いたものだ。と、思い出を語り始めてすぐ、自分にはそもそも兄がいなかったことを思い出した。

失踪していなくなった兄が虚構になって自分の頭の中にいるのか、虚構の兄がどこかに実在していて私の頭の中にいるのか、どちらなのかはよくわからない。少し前に新海誠について書き、昨晩カーツウェルについて書いて、ようやく兄に少し追いつけたような気がしている。いや、それも嘘だ。兄は私が15歳のとき失踪していなくなったので、兄の残像は眩しい光の中で毎年若返りつづけている。限られた一過性の季節だけにある瑞々しいあの若さには、もう決して追いつくことはできない。そう考えて、胸に小さな痛みが走ったとき、またしても自分にはそもそも兄がいなかったことを思い出した。

 けれど、兄のいる友人たちが、どことなく羨ましく感じていたのは覚えている。少し先を走っている背中がいつも見えて、時には振り向いてくれる存在がいるなら、未知の海をいく航路も揺らぎ少なく進めるというものだろう。Cargo Ship に多少の重荷が載っていても、適量のバラスト水が入っていれば、航行が安定するのに似ているだろうか。砂時計だって、下にある硝子卵に黒砂がたくさん入っている方が安定して見えるものだ。 

 揺らぎなく、という表現に引っ掛けて続ければ、『アカルイミライ』の兄弟役は羨ましかった。ストリートを彷徨する未熟な若造であっても、少し先を歩く兄がサインを出してくれれば、日本では禁じられている囮捜査に万一遭遇しても、まっすぐ行くべき道を進んで、何かに足を引っ掛けられることもなかったのではないかと思う。

「まっすぐ行くべき道を進む」と言えば、「まっすぐ聞くべき道を進む」望月衣塑子の新書が発売された。菅官房長官に「きちんとした回答を頂けてると思わないので、繰り返し聞いています」と言い放ったあの東京新聞の記者だ。

新書の後半はごく最近の「もり・かけ」蕎麦関連や、これも安倍政権絡みの準強姦事件について書かれていて、ニュースに詳しい人々にとってはお馴染みの情報が並んでいる。それだけ、彼女が日本のニュースの現場の中心にいるということだ。

しかし、読みどころは前半にもある。 

日歯連では11年前の2004年にも自民党橋本派への1億円ヤミ献金事件があり、当時日歯会会長と兼任だった日歯連会長が逮捕されています。

身体を削っての「夜討ち朝駆け」によって、最初に日歯連の「不正献金リスト」を入手したのも、何と望月衣塑子だったのだ。大手紙ではなく地方紙の東京新聞に喋らないと冷淡にあしらう人間も少なくない中、或る警察関係者が洩らしたこのひとことが望月衣塑子の取材姿勢を決定づけたようだ。

 頭がいいとか、どこの社とかじゃない。自分が新聞記者に情報を流すかどうかは、事の本質に関して、その記者がどれだけの情熱を持って本気で考えているかどうかだ。 

新聞記者 (角川新書)

新聞記者 (角川新書)

 

「権力を監視する」「真実を国民に伝える」情熱を最大限に駆使して、現場での厳しいやり取りから情報を引き出す「ブンヤ魂」は、現在の官房長官記者会見でも健在だ。自ら、感情移入しやすい(共感能力が高い)性格であることにも言及がある。

ルーツを遡っていくと、望月流の「現場+情熱+共感」の正面突破主義の原点は、実は小劇場演劇にあるようだ。演劇好きの母親の影響で、夢の遊民社などをよく見にいっていたのだとか。ひょっとしたら自分も彼女と同じ客席にいたのかもしれないと思うと、なんだか感慨深い。

観客が舞台にまでわざわざ足を運ぶのは、舞台にしかない何かがあると感じるから。一時的に演劇人だった自分も「現場+情熱+共感」が大事だと考える性格だ。

現在、マスメディアの注目を浴びた彼女は、主として、金で雇われた工作員たちによるバッシングの標的となっている。

姉さん、ぼくもできることがあったら手伝うよ。とりあえず、宿題片づけておくから、いつでも声をかけて!

読者も今の声には聞き覚えがあるにちがいない。イソコ家の追いガツオが追いポジを込めて送った声援にちがいない。

さまざまな工作活動による妨害に負けずに、決して負けずに、自分が信じられる声援だけを背後に聞きながら、新聞記者の現場で頑張ってほしい。

と、ここまで書いて、はたと筆が止まった。あれ? もっと書くことを用意していたのに、頭が真っ白になってしまった。不味いな。私にも何らかの工作活動が仕掛けられているのだろうか? …わかってしまった。残念ながら、仕掛けられていた。何とも酷い捜査をやられてしまっていた。

読み返してみて、どこかおかしい気がした。書くべきことと書くべきことをつなぐはずのミッシング・リンクが消えていたのだ。

黒砂… ship… 負けずに… 

望月衣塑子が言うように記者クラブ制度も大問題だが、現在の日本のジャーナリズム界が抱えている最大の問題が、あやうく「囮」捜査でもみ消されるところだった。「オ」取りの被害に遭っていたのだ。正しくはこうだ。

クロス・オーナーシップ… マケズニー…

 「クロス・オーナーシップ規制」問題は、自分たちを弱体化させかねない規制なので、主流マスメディアは一切報じない。だから、情報強者の覚醒民でも、知らない人は少なくないのではないだろうか。

検索しても、ほとんどヒットしない。日本のために仕事をしているきわめて少数の政治家が、ここに登場することになる。以前、原発安全装置を国家ぐるみで取り外しておいた大問題に言及したのも、この人だけだった。私たちは、政治家を見極める目を持たなければならない。

欧米の先進国の多くでは、言論の多様性やメディアの相互チェックを確保するため、新聞社が放送局を系列化する「クロスオーナーシップ」を制限・禁止する制度や法律が設けられている。日本でも、総務省令(放送局に係る表現の自由享有基準)にクロスオーナーシップを制限する規定があるが、一つの地域でテレビ・ラジオ・新聞のすべてを独占的に保有するという「実際にはありえないケース」(岩崎貞明・メディア総合研究所事務局長)を禁止しているにすぎない。

 

その結果、読売新聞と日本テレビ朝日新聞テレビ朝日といった新聞とテレビの系列化が進み、テレビが新聞の再販問題を一切報じないことなどに見られるようにメディア相互のチェック機能が働かず、新聞もテレビも同じようなニュースを流すという弊害が生じている。原口総務相が表明した「クロスオーナーシップ禁止」の法制化は、このようなメディアの歪んだ状態を正す可能性をもつ。  

クロス・オーナーシップについては、マケズニーというアメリカの学者が関連本をいくつか書いている。これが最もこの問題の核心に近そうだが、未邦訳。引用されている数行しか読めなかった。

democracy has to respect individual freedoms, but these freedoms can only be exercised when the citizenry is informed, engaged and participating

民主主義は個人の自由を尊重しなければならないが、その個人の自由は市民が情報を与えられ、関与し、参加するときにのみ、行使できる。 

Corporate Media and the Threat to Democracy (Open Media Series)

Corporate Media and the Threat to Democracy (Open Media Series)

 

旧刊の内容はこんな感じだろうか。あのチョムスキーも推薦文を寄せている。 

 Moving consistently from critique to action, the book explores the political economy of the media, illuminating its major flashpoints and controversies by locating them in the political economy of U.S. capitalism. It deals with issues such as the declining quality of journalism, the question of bias, the weakness of the public broadcasting sector, the state of media studies as an academic discipline, and the limits and possibilities of anti-trust legislation in regulating the media. It points out the ways in which the existing media system has become a threat to democracy, and shows how it could be made to serve the interests of the majority.

 一貫して批評から行動へと足を進めながら、この本はアメリカのメディアにおける政治経済性を探求し、メディアをアメリカ資本主義の政治経済の中に置くことで、主な引火点や論争に光を当てている。この本が扱っているのは、ジャーナリズムの質の低下、偏向の問題、公共放送部門の脆弱性、学問分野としてのメディア研究の実態、メディア規制における反トラスト法の限界と可能性などの問題。既存のメディアシステムが、どのようにして民主主義の脅威となっているかを指摘し、どのようにして多数者の利益に奉仕させられているのかを示している。 

ツイッター上では、クロス・オーナーシップ規制が「ある欧米」と「ない日本」とでは、どちらがジャーナリズムの質が高いのかという議論になっているみたいだ。

ジャーナリズムの質の高低は、評者の主観も含め、それを決定する要因が複合的すぎる。クロス・オーナーシップ規制単体の有無によって、導入前後でどのような正負の影響が生じたのかを記録した論文を読みたかったが、見つけられなかった。

管見の限りでは、寡占マスメディアによる横並び報道の「洗脳可能状況」を改善し、独立系メディアの興隆にプラスに働きそうなので、クロス・オーナーシップ規制には賛成したい。

それより、マケズニーとニコラスの共著による最新刊の方が、刺激的な知見に満ちていそうな感じがする。 書名は『People Get Ready』。

 実は、自分は物真似が結構得意。ギター弾きの友人に簡単なコードを奏でてもらって、この曲も真似て歌ったことがある。人工的にハスキーボイスを作り出すのに若い頃から凝っていて、一緒に飲んだアメリカ人に Rod Stewart の真似を披露したら、歌声は凄く似ていると喝采を送ってくれた。ただし、彼はもっと英語が上手だと付け加えて。

原曲はブルージーでいま聞いてもクールだ。

さあ、出発だ!

何というべきか、私たちは大変化の前夜にいるので、気付いている情報強者ですら浮き足だって、常識では受け入れがたいことを口走ってしまう。その「祭りの前」な感じを、どうか少しでも感じてもらいたい。

 上記の2冊の著者である齊藤元章は、エクサスケール(京の100倍)のスーパーコンピュータの出現が、人類の歴史を飛躍的に塗り替える「前特異点(プレ・シンギュラリティ)」を形作ると主張する。そして、前特異点到達後、人類はフリーエネルギーを開発し、エネルギー問題と食糧問題と医療問題を解決してしまい、人類はほぼ「不労」かつ「不老」の人生を手に入れると続ける。

 人類がほぼ「不労」かつ「不老」の人生を手に入れる前に、当然のことながら大量失業時代が到来する。その大量失業をどう対処すべきかという問題に解答する試験時間は、残り10~15年しかない。わずかなのに、問題が難しすぎて誰も答えを出せていない。

逸早く解答を書き上げたのが、本山美彦。1943年生まれでありながら、労働者問題に蓄積のある左派だけに、大量失業問題への反応は敏速だった。このペースで最新動向にキャッチアップできるのは知性が若いと思う。

人工知能と21世紀の資本主義─サイバー空間と新自由主義

人工知能と21世紀の資本主義─サイバー空間と新自由主義

 

 マケズニーの近著も、おそらくそれと同じ線にありそうだ。テクノロジーの急激な進歩による「労働者不要経済」と「市民不要民主主義」にどのように抵抗して、あるべき民主主義を立て直すのかに論旨の主眼があるようだ。

People Get Ready: The Fight Against a Jobless Economy and a Citizenless Democracy

People Get Ready: The Fight Against a Jobless Economy and a Citizenless Democracy

 

人工知能の進化による大量失業問題にどう対処するのか。 日本語で読める本のうち、いま一番注目を集めているのは、この新書のようだ。 

 世評の高いあとがきから先に読んだ。バタイユケインズに時代の同時性と概念の対極性があるという指摘には、すっかり虚を突かれてしまった。言われてみれば、確かにそうだ。

  パリでバタイユが「普遍経済学」の着想を膨らませているのと同時期に、ドーバー海峡の向こう側では、ケインズが経済学の「一般理論」について思案していました。それらは「供給の過剰」と「需要の不足」をそれぞれ強調しており、裏表の関係にあります。

 さて、人工知能の進化が社会に与えるインパクトを、経済学や哲学から描き出している本書。読み物としてはとても面白いが、「絵に描いた餅」の感触をどうしても拭い去ることができない。私の無学に由来する誤解なら良いのだが…。

本書のハイライトを引用する。BIとは Basic Income の略で、国民一人あたり月額7万円程度を一律支給する仕組みのこと。AIとはご存知 Artificial Intelligence の略で、人工知能のことだ。

  財源はさしあたり、所得税、消費税、相続税法人税のいずれでも構いません。もちろん、どれがBIの財源にとってより適切であるのかを結論づけるには、多くの議論が必要となるでしょう。いずれにせよ、さきほどの所得税を財源にした場合の試算によって、現在の経済状態でもBIは十分実施可能であると感得してもらえたかと思います。
 純粋機械化経済では、BIの実施はいっそう容易になります。そこに至ると、年々成長率が上昇していくような爆発的な経済成長が成されるので、得られる税金も爆発的に増えていきます。BIの財源に頭を悩ますことがバカらしくなるほどの税額が得られるようになるでしょう。
 税額の増大に合わせて給付額を増やしていくこともできます。月7万円などというしみったれた額に留めておく必要はありません。もし、所得の一定率、例えば20%をBIにあてるというルールを採用した場合、経済成長率と同じような率でBIの額は増大していく ことになります。
 極度のインフレにだけは陥らないように気をつけなければなりませんが、このようなルールに基づいてBIの給付額を爆発的に増やしていくことは恐らく可能でしょう。
 こうしてBIの給付額を増大させることによって、AIの発達の末に訪れるはずの途方もなく実り豊かな経済の恩恵を、一部の人々ではなく全ての人々が享受できるようになるはずです。
 しかし、もしBIのような社会保障制度がなければ大半の人々にとって、未来の経済は暗澹たるものになりかねません。BIなきAIはディストビアをもたらします。しかし、BIのあるAIはユートピアをもたらすことでしょう。

 資産がフライトするように、特定の国家への帰属を必要としないロボットや工場もフライトしやすい。パナマ文書パラダイス文書の名を挙げなくても、巨大企業が日本に残って、やすやすと巨額の納税をしてくれることは考えにくいのではないだろうか。よしんば日本に所在地を置いたとしても、資本家は政治家を買収して民主主義を「閉店」させるだろう。労働者たちはどうやって抵抗すればいい? ストライキ? いや、「技術失業」により、すでにそのときには労働者階級は消失しているだろう。

生活保護とさほど変わらないBI制度が確立したとしても、新たな圧倒的多数の奴隷階級が誕生し、奴隷階級に生まれた子供が決して一握りの支配階級へは到達できない「逆T字型」階層社会が出現していることだろう。

経済学者の頭の中の作業仮説の一つとして読むなら面白いが、AIとBIという組み合わせも適切なのかどうかも疑わしい。筆者の言うような労働人口が全人口の1割程度に落ち込んでも国民を生き残らせることができるような急激な国力増進は、AIの進化ではなく、より正確にはフリーエネルギーの発見によるのではないだろうか。BIについても、貧困層の人々を支えていくのは(中央銀行貨幣ではない)地域通貨によるアソーシエーショニズムになりそうな気がする。

作業仮説としてなら、現時点で普及しているアメリカのフード・スタンプ体制を、BIの現実的バリエーションの一つと考えてみるのも面白い。2016年の段階でフードスタンプ受給者は、何と4700万人。アメリカ国民の7人に1人が「配給食」を受け取っている計算になる。1%グローバリストたちの人口削減計画「予行演習」はきわめて順調だと言うべきだろう。

やがて、支給されるスタンプカードは(国家が追跡可能な)暗号通貨となり、本人認証にはチップを生体内に埋め込んだバイオメトリクスが使われ、食品添加物・ウィルスを混入し放題の「奴隷階級」が制度的に確立されるだろう。

敬虔なキリスト教徒でない人間も、その時点に達したときは、聖書のこの一節を読み返すことになるかもしれない。

 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。

 この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。

 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。

 そして、その数字は六百六十六である。

1.植え付ける位置が聖書で言う位置と一致する。
2.聖書で言う機能と一致する。
3.ベリーチップ(グルコチップ)を製作した製作者が証拠する。

上記のブログ主の方は、合計8個の理由を上げて、生体認証チップが聖書でいう「獣の刻印」だと主張している。重要なのは、聖書の予言が当たるかどうかではなく、1%グローバリストが聖書の通りに世界を動かすことで、99%側の抵抗を減殺するよう動く可能性があることだ。

BI(に似た食糧配給)があるからと言って、井上智洋の言うようにユートピアが訪れるとは、必ずしも信じられない。

ここへ来て、スイス、ドイツ、フィンランド、オランダ、フランス… の各国で、BI関係で何らかの新展開が巻き起こっている。しかも、BIの頭に Universal(普遍的な)という一語を加えた形で。

世界同時多発的に勃興しているUBIブームは、1%グローバリストたちによる国境を越えた「新統治政策」と見るのが妥当なところだろう。

井上智洋は「ポスト京」開発精鋭部隊の齊藤元章や河合雅司と共著を出しているので、また明日以降読んでみたい。

 またしても話が暗い方向へ振れてしまった。未来学者カーツワイルのポジティブすぎる生活習慣を最後に引用しておこうか。 

 このような治療法などの医療技術の発達により、「今後15年以内に人間は毎年1年以上命を延ばせるようになる」とカーツワイルは述べています。つまり、私たちは後15年ほど生き抜けば、いつまで経っても年齢が寿命に追いつけなくなり、事故死でもしない限り1000年でも2000年でも生きることになります。
 カーツワイル自身、永遠に生きる気マンマンで、一日に250錠ものサプリメントを飲 んで健康を維持しつつ、不老不死が可能になる日を待ちわびているそうです(最近100錠に減らしたらしい)。

カーツワイルの未来予想は、これまでほぼ的中している。希望を感じさせる逸話のような気がしないでもない。

自分を置いて失踪したせいで、両親に逢えなくなったアニーについて考えていた。

イソコ家の顔である望月衣塑子は、演劇少女時代にミュージカルの「アニー」役を演じたことがあるらしい。ふと、お魚をくわえたドラ猫を裸足で追いかけたくなるような、お日様も笑っているような、そんな希望に満ちあふれた曲だ。

 たとえ不遇な状況にあっても、また目覚めればひたむきに走れる明日が来ると信じて、希望の予感とともに眠りにつくことにしたい。