夜空ノムコウの岩国空域

ここでテトラポッドについて書いているときに、高校時代の思い出が蘇った。 

四国の地方都市にも大企業と呼ばれる企業はあって、そういう企業は社宅を持っていた。もう潰されたが、社宅は空港の近くにあった。自宅とは全然明後日の方向にある空港近くの海岸沿いまで行って、テトラポッドが折り重なっている手前のコンクリートに腰かけて、ちょっとしたパンやおにぎりをかじりながら、彼女と門限ぎりぎりまで毎日のように話をした。

ジェット機の音がかすかに聞こえた。その翼を明滅する灯で縁取りながら、東京行きの最終便が夜空を旋回して、都会へ飛び立っていくのを、毎晩のように二人で眺めた。あれから、ずいぶんな時が流れて、自分も大人になった。それなのに、今でも松山から東京へ飛行機で飛び立つたびに、現在の自分を、17歳の自分が海岸沿いでじっと見上げているような錯覚に捉われてしまう。少年時代を置き去りにして、明後日の夜空へ自分が飛んでいってしまうような不安と寂寥を感じてしまう。

 17才の頃、東京行き最終便の機影が消えていく夜空の向こうに、自分が何を見ようとしていたのかはわからない。

大人になった今わかるのは、日本の空の主権が及ばない二大空域の一つを、自分が見え上げていたということだ。日本には何らの法的根拠もなく、米軍が秘密裡に占領している「空の植民地」が二つあるのである。その岩国空域と横田空域。

地元のご老人の方々に聞かされた1966年の墜落事故に、米軍岩国基地との管制のやり取りは影響しなかったのだろうか。噂では、当時新婚旅行先として人気だった道後温泉を目指していた新郎新婦が12組も亡くなって、引き上げられた遺体から、海蛇が何匹も這い出てきたのだとか。何とも痛ましい。事故原因は何だったのだろうか。 

原因がわからないといえば、首都圏の真上を占める横田空域が、どうして何の明示的な書類手続きさえなく、米軍に堂々と占領されているのか、理由がよくわからない。「日本を取り戻す」と国民に約束するのなら、まずは最低限の主権を取り戻そうぜ。

 吉田敏浩『「日米合同委員会」の研究』を編集したのは、私的2017年新書ランキング1位をすでに勝ち取った『知ってはいけない』の著者矢部宏治。作者編集者ともに渾身の情熱で連続リリースしている「戦後再発見」双書は、わかりやすいのに最重要との感覚を遺してくれる、実に読み応えのあるシリーズだ。 

 忙しい人には、『知ってはいけない』掲載のダウンロード無料の漫画を読めば、概略の一部は把握できる。

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もちろん日本を操る超法規的リモコンこと「日米合同委員会」の議事録を請求しても、こんな返答が返ってくるだけ。

日米双方の合意がない限り公表されない。

 それではその「日米双方の合意がない限り公表されない」の根拠となる文書の公開請求を書けると、この返答が返ってくる。

日米双方の合意がない限り公表されない。

 このように情報公開法の趣旨に逆らって、国民には知らぬ存ぜずを通しておきながら、国の裁判を有利にするためなら、国は惜しみなく自己愛を注いで当該文書を開示してくる習性があるらしい(2015年沖縄、米軍の県道使用に関する裁判にて)。さすがは現政権下のメルヘンチックな書類運用だ。日本を取り戻す前に、理性を取り戻してはどうか。 

このような社会問題を扱った本で、最も書きづらいのは、ではどうしたらその問題を解決できるかの具体的な突破口や目標到達のためのロードマップを素描することだろう。これも、問題が問題なだけに、筆者が苦心惨憺しているさまがうかがえる。

  • 「日米合同委員会」をあるべき場所へ戻す。具体的には、日本の国会の下に付ける「日米地位協定委員会」へ戻す。
  • 与野党を問わず、国民の付託を受けた国会議員国政調査権を行使して、「日米合同委員会」の実態を解明すべきだ。 

 正論中の正論だ。何も付け加えることはない。そう言ってももちろんかまわないが、本当は、こういう「植民地」の場所から、占領された市民それぞれの職業的人格的特性にあった「抵抗表現」がどんどん続出していかなければ、「永続敗戦状態」から脱することは難しいだろう。

 そんな反省を自分に強いたのは、この記事に遅れて届いたアニータ・ロディックの自伝を読んだから。 

ザ・ボディショップの、みんなが幸せになるビジネス。

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 この広告なんて、風刺とユーモアの利いた素敵な「抵抗表現」だと思う。

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さて、今晩でこのブログの記事数はほぼ200に達した。フルタイムほぼ休日なしの勤務と並行しながら、ほぼ毎日1記事をアップロードしてきたことになる。現在もひとりぼっちでこれを書いているが、自分で自分を hold me tight やりたい、気分だ。 

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書き始めたとき、何となく次の恋愛小説の題材を集める作業と重なればいいなと考えていた。全然重ならなかった。しかし、次の恋愛小説の枠組み自体が、自分の中で大きく変質してしまったような気がする。

自分のハートの中で「これが来ている」感じが vivid にあるのは、子宮頸がんワクチンの被害少女たちを交えた恋愛物語。

あれだけの数の少女が副反応被害で人生を無茶苦茶にされたら、全国にかなりの数いるにちがいない、少女たちに思いを寄せていた男の子たちが、当初想像していたのとは全然異なる「恋愛行動」を取ることは、絶対にありそうだし、あってほしいのだ。 

2013年4月から12~16歳の少女に無料接種が推奨されたので、当時16歳だった被害少女は2017年の今年、20歳になった計算になる。彼女たちに恋していた男の子たちも同年齢のはずだ。

日本の官僚が集まる街角で、20歳の青年が、街頭に設置した大画面に映された「子宮頸がんワクチン副反応被害者」の実態を紹介して街頭演説を行っていると、フラッシュモブの手法で、通行人が次々に倒れて被害少女たちと同じ症状で震えはじめ、程よいところで立ち上がってダンスチームになり、サポートソングを歌とダンスで披露する。そんな「抵抗表現」があっても良いかもしれない。

そういった「抵抗表現」が、ネットやテレビや本屋や街角にあふれかえるような環境下で、何とかして現外務省官僚、もしくは元外務官僚の心を動かして、日米合同委員会の「密約」文書を wikileaks へ情報漏洩してもらうのを狙うのが、ひょっとした問題の解決へ近づくショートカットかもしれない。

わずか数時間で書き上げたこの解答に、どれくらいの価値があるのかはわからない。わからないまま、しかし、こういうことを書くこと自体は肯定されるべきであるとの意思表明として、アニータ・ロディックが自伝本の最後に引用している一節で、この記事を締め括ることにしたい。

市民の務めとは、発言し続けることである。

ギュンター・グラス)