追いかけて追いかけて雪かき

今朝、友人と久々に歓談しに今治へ行ってきた。知り合ったのは半年前くらい。すっかり打ち解けて、東京へ進出してやっている仕事の話を聞かせてくれた。未来が変わる話は他人の話でもスリリングで面白い。刺激をもらった。

ほんま、自分も… と言いかけて、さらに言葉を継ぐ。ほんま、自分も頑張らないかんな、言うてるんですけども…

冒険や探求の楽しさは人生の他の何にも代えがたいというのが持論だが、昨日言及した柄谷行人に倣えば、それは「探究」と表記すべきなのかもしれない。

探究(1) (講談社学術文庫)

探究(1) (講談社学術文庫)

 

 冒険に愛される勇者がいるように、探究に愛される研究者もいる。自身の神秘体験から、いわゆるオカルト的な世界へ傾斜していったユングの晩年も、権威や名声こそ失ったものの、量子力学へ通じる人類未踏の処女地をひとり歩いていったことが、現在では分明になっている。 

書肆風の薔薇」は文学専攻の大学院生御用達。しかしこの本については、ジャン・リカルドゥー通の渡部直己も「ジュネットは読んでいない」と公言しているし、自分以外に読んでいる人を見たことがない。だから、晩年のジュネットが、やはりいくらかは権威や名声を犠牲にする形で、きわめて謎めいた領域。つまりは、「主要な登場人物の名前には意味がある」とする、日本人にはきわめて馴染み深い議論を展開している。

物の名は、その物の性質に照らし合わせて、必然的なものが選ばれているとする。例えばディオニソスはディオデュスとオニノンに語源的に分解できる。これは「ワインを与える者」という意味になる。 

ジュネットの緻密で晦渋な研究者らしい文体を読みこなせなくても、そこで語られている内容のおおよそは、以下の「まとめ」の内容と同じだ。今や日本の文芸評論家が「読まず嫌い」により、誰も引用しなくなったジュネット。けれど、その高踏的な文学理論研究家が、オカルトめいた「この世の不思議」を研究していたと聞くと、親しみやすさが増しそうだ。

心理学者のアーネスト・ラベル(Ernest L Abel)氏は、野球で三振を表す「K」で名前か苗字のつづりが始まる野球選手は、他の選手よりも三振しやすいと述べている。

(…)

私たちが人からどのような方法で呼ばれるかは、1つの象徴であると共に、鏡でもある。

 権威や名声を遠ざけてしまうほど、探究に愛された晩年を送ったといえば、ソシュールもそうだ。晩年のソシュールが凝りに凝ったのはアナグラム研究だった。おっと、またしても薔薇が風に吹かれているのが綺麗だ。 

ソシュールのアナグラム―語の下に潜む語 (叢書 記号学的実践)

ソシュールのアナグラム―語の下に潜む語 (叢書 記号学的実践)

 

 アナグラムは錯字法とも呼ばれる。文字の種類と数はそのままに、順番だけを入れ替えて、別の意味内容を生成させる言葉遊びだ。 

「菊の季節に桜が満開」→「貴様の靴に落書き完成」 

詩や文学の話になると、「アイツに訊いてみろ」と言われる存在なので、自分も人名でアナグラムを作ったことがある。非公表の本名で作ったアナグラムがこれ。

雪 偲ぶ肩

友人たちに頼まれて次々に作ったもののうち、憶えているものもあるが、友人たちの本名を公表できないので、面白味を伝えるのは難しい。

夏目漱石なら、こんなのはどうか。

メソ季節なう

 メソメソしてしまう季節は誰にでもあるものだ。ロンドンへ留学した漱石がホームシックになってしまったときに、思わずツイッターで呟いたひとことのようにも見える。

「雪 偲ぶ肩」といえば、幼少時に渓谷沿いの山道をくねくね車で進んで、四国の松山市から日本海側の舞鶴市へ帰省した長距離ドライブを思い出してしまう。

渓谷を生み出している京都の由良川の青緑が、子供心に焼きついている。由良川ではカヌーくだりもできて、最新のドローン撮影のこの映像は由良川ではなさそうだが、幼少時の青緑の記憶そのままだ。 

年末年始の帰省のとき、京都の山あいは雪になる。丹波さんちの警告は深いので、雪道をのろのろ走る車からは、見下ろせば由良川ブルーがあり、見上げれば白く彩られた雪嶺を見上げることになる。

そのようなある種ブルーな気持ちで、今晩の自分は、ふと三宅雪嶺を見上げていた。 

 「国粋保存主義」を提唱した政教社の言論人・三宅雪嶺の思想の核心は、「国粋保存」よりも「真善美」にあった。「個人」は天賦の才を伸ばして「真善美」に貢献し、各国は各々の「真善美」を実現して、人類社会は進歩していく。 

雪嶺は『真善美日本人』を公刊したあと、すぐにその対概念である『偽悪醜・日本人』を出版する。「偽悪醜」を断って「真善美」へ向かうべしと説くのは、しかし、日本人だけへ向けてではない。「国粋主義」という看板とは裏腹に、日本人が西洋人の欠点を補って、率先して世界を「真善美」に満ちた円満な世界へ近づけるべしとする「国際主義」の側面も持っていたのである。

さて、10年代の日本人には 「真善美」に近い日本人と「偽悪醜」に近い日本人とでは、どちらが主流派を形成しているだろうか。精神論は好きではない。実体論、それも経済論の側面から、経済分析における「真善美」と「偽悪醜」について考えてみたくなった。 

昨晩自分が目を通したこの経済書は、今朝の新聞書評欄でも多くの国民の耳目を引い田にちがいない。野口悠紀雄は日本を代表する傑出した経済学者だ。

同じく、日本三大「ユキオ」と言えば、三島由紀夫野口悠紀雄鳩山由紀夫ということになるだろう。実は前二者はちょっとした接近遭遇を果たしていたらしい。三島由紀夫が大蔵省在職中に書いた書類(平岡公威の記名あり)を、同じく大蔵省在職中の野口悠紀雄が発見したことがあるのだとか。几帳面に作られた書類だったとどこかの本に書かれていた。

バブル景気の渦中にあって、それがバブルであることを最初に指摘したという煌びやかな伝説が、野口悠紀雄の名刺代わりに語られることが多い。それにとどまらず、彼の専門分野ではないはずの税制の分野においても、ほとんど無名の(「累進型消費税」に近い)「支出税」を提唱し、その税理論上の優位性を縷説できる学者なので、経済系イデオローグとしての総合的卓越性は抜きん出ているように感じられる。

さてバブルの渦中で「これはバブルだ」と言明できた日本人2人のうちの1人が、とうとうこんな衝撃的な断言をしてしまった。

17年度以降において新規国債と借り換え債の平均利回りが一挙に3%になるとしよう。(…)17年度の利払い費は、予算額より1.6兆円増加して10.8兆円となる。そして、22年度における利払い費総額は27.4兆円と、17年度予算の3倍近くになる。(…)新金利が3%の場合(…)23年度における利払い費は30兆円を超える。(…)これは「悪夢のシナリオ」としか言いようがない。なお、以上のほかに債務償還費もあることを忘れてはならない。債務償還費は、17年度で14.4兆円、一般会計予算総額の14.7%を占める。それを加えれば、国債費は、現在の予算総額の半分程度になるのだ。財政再建ができないどころではない。これは、財政破綻以外の何物でもない。

このシミュレーションが衝撃的なのは、その前段までのすべての経済的帰結が、隙なく論理的に組み立てられているからだ。個人的なメモとして、以下に整理しておく。

  1. 「出口」として、金融緩和と金利抑圧をやめると、金利が上がり、保有国債に評価損が発生する。
  2. 金利上昇率は、フィッシャー方程式により、日銀目標インフレ率2%を達成したなら3%前後が濃厚。
  3. 損失計上を延期するために国債保有したままにしても、種々の理由(本書第6章参照)で、現時点で一斉売却したのとほぼ同額の巨額損失が生じる。
  4. 日銀当座預金高は保有国債残高とほぼ同等なので、国債の運用利回りから当座預金付利を差し引いたものをシニョリッジ(通貨発行益)と考えるべき。すると、日銀目標インフレ率2%を達成すると、シニョリッジはマイナスになってしまう。マイナス分は事実上の国民負担だ。
  5. 「出口」での日銀の債務超過額は45兆円程度が予想され、自己資本約7.6兆円の6倍程度にも達する。すると、日銀券への信用が失われ、物価が上昇し、円安から輸入インフレになり、資本フライトが発生して、日本経済が破綻する。
  6. 日銀によってETFで株価を買い支えることができなくなるので、株価は暴落する。
  7. 平均的なシミュレーションで、5年後の2022年度における国債関連費が一般会計予算総額の約半分となり、財政破綻する。
  8. 今すぐ「出口」を駆け抜ければ、金利が低いので損失は大きく抑えられる。(流血を止血するのに多少の痛みが伴うとしても、止血は早ければ早いほどいい)。

 管見の限りでは、野口悠紀雄の明晰な主張はすべて正論だが、これらの主張の背景に、現代に生きる日本人として、3つの注意すべき点があることを、見落とさないようにしたい。

  1. 予測の難しい変数である「金利」と「インフレ率」に拠っていること。
  2. 「日銀の信用」という最後の砦が、情報操作可能なものであること。
  3. マネタリーベースの拡大がマネーストックの拡大につながらないこと、つまりは両者の間に壁があるのは、「失敗」ではなく「奸計」だということ。

私見では、日銀が献身しているゲームでは、世界的なバブルを延命させること(万が一にも国内金利を上げて日本が「アガリ」へ至ったりしないこと)が目指されており、体面を保つためだけに口では「目標インフレ率2%」「道半ば」などと言っているだけにすぎない。

広く世界的な中央銀行ネットワークを念頭に置いて言い換えると、マネタリーベースとマネーストックの間に流通しがたい壁を作って、つまりは、1%らの金融商品流通と99%の各国国民の実体経済との間に壁を作って、99%を潤わせるかのような言説を撒き散らして「信用」を保ちながら、実際は1%のみを潤わすバブルの狂宴を、中央銀行ネットワークは続けられるだけ続けようとしてきただけのように感じられる。 

日銀の金融緩和は、一度として日本の「実体経済のパフォーマンスを改善することはできなかった」と、序章で野口悠紀雄は断言する。その通りだ。おそらくそれが目指されていたのだ。

野口悠紀雄の主張は、いつも「超超整理」が行き届いていて、(最近「超」が1つ増え)、明晰で読みやすく、経済学者としての倫理観以外の情念的な歪みがほとんどない。誰でもわかるし、誰でも説得される文章なのに、私たちは政治的現実を変えることができなかった。

たぶん、私たちはまたしても負けたのだ。

例えば、野口悠紀雄バーナンキの「マネーの増加が永続的と人々が信じればインフレ率が高まる」という発言を引用して、そう信じさせることができないことを理由に、井上智洋が主張する「ヘリコプター・マネー」は奏功しないと主張する。

しかし、デフレ・ギャップの範囲内、あるいは、世界一の債権国として債権を担保にしうる範囲内であれば、10~20年のロードマップのもとに、長期的なマネーストックの拡大政策を立案することは充分に可能だと自分は考える。

無念だ。私たち日本人には、そこまで政治的現実を変えるための時間が、もうないかもしれない。世界的なバブル崩壊が間近だという声が、あちこちから絶えまなく聞こえやまない。最も数の多い口の揃った大きな声は、来年の2018年が Xday だという。

そのようなある種ブルーな気持ちで、今晩の自分は、ふと三宅雪嶺を見上げていた。いや、正確にはユキオからユキコに視線を転じて、三宅雪子の勇気ある発言のことを思い出していた。 

検索しても見つからなかったのは残念。円安に振れた数年前、「今が米国債の売りどき」だとツイッターで呟いていたはず。

(この時期の発言だっただろうか)

ただし、まとまった分量の「売り」を仕掛けようとした瞬間、その米国債が紙屑になってしまう「魔法」がかけられていることを、私たちは知っておかねばならない。

これは本当に現実に起きていることなのだろうか。タチの悪い夢を見せられているような気分になってしまう。

じつは米国には「国際非常時経済権限法」(IEEPA)という法律がある。米国の安全保障や経済に重大な脅威が発生した場合、外国が保有する米国の資産については、その権利の破棄や無効化などができるという法律だ。つまり、非常時には中国が持つ米国債も凍結され、チャラにされてしまう可能性がある。

日本やASEAN諸国と領土紛争を抱える中国は、そのために最後の一線を越えることができない。もし中国が他国を侵略したり、米国債の大量売却を試みれば、IEEPAが発動され、中国が持つ1兆2732億ドル(約130兆円)もの米国債は紙くずになりかねないのだ。  

外国が保有する米国債をチャラにする伝家の宝刀。 - るいネット

 さて、ユキオからユキコを経て、「世界的なバブル崩壊は不可避なので、どのようにして生き残るかを考えよう」といういつもの持論へ辿りついてしまった。

目下、世界に君臨する1%たちは、世界的なバブル崩壊後の通貨システムについて、世界政府系暗号通貨を真打に据えておいて、金地金相場の相場抑圧の効果も得つつ、民間系暗号通貨であるビットコインを潰すべく、派手な攻勢を仕掛けてきているようだ。乱高下のニュースをよく目にする。

短期利益確定好きの投資家たちにとっては、ビットコインが不換紙幣につづく次代の「最終通貨」のように見えていることだろう。 

しかし、私見では、ビットコインは過渡的な何かにしかならないように思われる。

 続けて「ここが最も重要だ。ビットコインを運営しているのはP2P(ピア・ツー・ピア)でつながったコンピュータの集まり。集まりに過ぎないのに、信頼が求められる事業を実行していることはコンピュータサイエンスにおける非常に大きなブレイクスルーだ」と強調した。野口氏は「銀行が発行する仮想通貨は、同じように『仮想通貨』と呼ぶが、管理主体が存在する。ビットコイン的な仮想通貨とは根本的に異なる。ここを理解しておくことが非常に重要だ」と考えを示した。

ビットコインや暗号通貨について、自分も何冊か読んだことがある。この発言者はかなり詳しいから信頼できそうだと思いながら読み進めていくと…

(…)

 その上で、量子コンピュータの発展が仮想通貨やビットコインにとって「非常に大きな脅威になる」と警鐘を鳴らした。現在の仮想通貨やブロックチェーンは暗号化技術に支えられている。しかし、現在のコンピュータをはるかにしのぐコンピューティング能力を持つ量子コンピュータが発展すると計算スピードが飛躍的に上昇し、「ブロックチェーンを支えている暗号化技術が破られてしまうと考えられている」(野口氏)のだ。

 量子コンピュータの発展は、これまで考えられていたものよりもかなり加速している。野口氏によれば、米IBMは5年以内に実用的な量子コンピュータを発表するという。その時には、「現在の公開鍵暗号方式に依存したシステムは成立しなくなってしまう。つまり「ビットコインブロックチェーンも成立しなくなる」(野口氏)のだ。

 またしても「ユキオ!」。1940年の戦中生まれだから、現在は77歳でいらっしゃるはず。どうしていつまでも先頭を走りつづけられるのだろう。追いかけても追いかけても、先を走っている。最高に格好いい77歳だぜ。三島由紀夫と同い年になった自分なんて、まだまだ未熟な青二才だということを痛感してしまう。

ほんま、自分も… と言いかけて、さらに言葉を継ぐ。ほんま、自分も頑張らないかんな、言うてるんですけども… 今日は「野口悠紀雄」という名前だけでも、覚えて帰ってほしいな、思てるんですけど…

別段、誰から褒められたいわけでもないが、自分は今後も少しでもこの国のためになればと願って、「雪かき仕事」というか「悠紀雄書き仕事」を続けていこうと、あらためて決意を「超超」新たにしたのだった。