しゃもじですくえる御飯があるうちは

なんだかすごい話になってきた。頭の中を巨大なしゃもじがぐるぐると回っている。

2018年、自分がどこへ向かうべきか、助言を賜らんとして、スピリチュアルな方々を歴訪すること2人目。一人目の方から「もっとわくわくして書くこと」というバシャールそのままの助言をいただいたが、その方はバシャールにはお詳しくない方だった。

「突撃隣のバシャ―リアン」とばかりに、二人目に訊くと、ちょっと待っててとスマホを触ること数十秒。

「あなたともつながれるって。コツを覚えてね、だって」と彼女は言った。

 「誰が?????」

 疑問符が5個も並ぶのも無理はなかった。彼女はこともなげにこう答えた。

「バシャールが」

「!!!!!」

頭の中を巨大なしゃもじがぐるぐると回っている。どうやったらコツをつかめるのだろう? 興味津々だ。しゃもじは純和風なのに、斜文字はどうしてイタリックというのだろう。世の中知りたいことだらけだぜ。好奇心が疼いてきた。

 イタリックが格好いいのは、どこかメタリックに似ているからだろうか。体内の重金属を排出するのにターメリックが良いのは、どこかメタリックに似ているからだろうか。と問いを2連続させただけで、今晩の書きたいことにつながったのは幸先が良い。 

内部被曝の脅威  ちくま新書(541)

内部被曝の脅威 ちくま新書(541)

 

 広島に原爆が投下された当時軍医だった歴史の証人による内部被爆本は必読だ。しかし、準拠する被爆体験が70年前であること、この70年間の内部被爆研究にキャッチアップした書物がないかどうか探していた。

しかし、「探していた」と書くと微妙な嘘がある。図書館で別の本を探していたが、書棚に見つからなかった。見つからなかったのにそのコーナーを名残惜しく見ていたら、この本が光っているような気がしたので、手に取ったのである。  

胎児と乳児の内部被ばく

胎児と乳児の内部被ばく

 

どうしてこの本は反原発派の注目すら集めていないのだろう。内部被爆の最新の研究成果を参照するなら、この本を避けては通れないはず。それくらい恐ろしい最新の知見に満ちている。

1.「バイスタンダー効果」で異常が細胞間「伝染」する

個々の細胞のうち、放射線によってDNAが損傷した細胞のみ、異常を発現すると考えられてきた。しかし、その異常細胞の「そばに接している」細胞にも、異常が伝播することが判明したのである。これは「バイスタンダー効果」と言われる現象だ。

 細胞はギャップジャンクションという特別な構造によって、二つの細胞の細胞質間にチャンネルを形成し、さまざまな情報の伝達と交換を行っていることが分かっています。(…)固体でのバイスタンダー効果はギャップジャンクションを介する細胞相互のコミュニケーションによっている、と考えられます。それにより、X線を照射された細胞の情報が遠く離れた、照射されていない細胞に伝達されるということです。何ともすごいメカニズムですが、こんなことは、これまで考えられたこともありません。

 2. 低線量被爆は「嘘」みたいに危険f:id:amano_kuninobu:20180113201234j:plain

どこかの悪戯好きの「怖がらせたがり」が描いた「低線量被爆怖いぞーおばけ」。そんな風にキャプションをつけられたら、むしろ幸福だと思う。 

 一見したところ帽子にしか見えないあの輪郭も、星の王子様によれば、真実は別のところにあった。

 上記のグラフは、これまで y=2x のように、右肩上がりの比例直線になるとされてきた放射線被爆量と人体のダメージの相関グラフだ。残念ながら、20世紀の人類が知らなかった「バイスタンダー効果」を発見したのと同じ実験から、上記のような「二相的線量応答」が実態に近いことが判明したのである。

 え、低線量被爆って、かなり危ないのでは?

 誰もが不安げに抱いてしまうそんな疑問に対して、元々はダイオキシンの母胎汚染分析の世界的権威だった長山淳哉(英文論文126編。国際学会発表96回)は、明解な結論をくれる。

3. 低線量被爆ICRP基準より約160倍危険です

 ほぼ同じ「約160倍」を示す客観的な研究が二つ示されているのにも驚いた。

一つは、乳児白血病の発症リスク。チェルノブイリからの放射性降下物による被爆では、数か国の平均被爆線量は0.067ミリシーベルトであり、乳児白血病の発症リスクは43%増加したという。

この研究結果を、診断用X線検査により胎児のときに被爆した赤ちゃんの小児がん発症リスクと対比すると、前者が後者より「約160倍高い」という結果が得られる。

 おいおい、待ってくれよ。放射線にセンシティブな乳児の例を使って、センセーショナルに騒ぎ立てようとしているだけだろう? だいたい前者は乳児白血病、後者は小児がんでは、病気が違うのだから、きちんと対応した対照群だとは言えないだろう!

 OK。わかる、わかる。自分も初読ではそう思ったんだ。よく読むと異なる病気だなと。

しかし、スウェーデンが国家的規模で行った2度の疫学調査(トンデル論文2004、2006)の双方が、セシウム137による土壌汚染が1平方メートルあたり100キロベクレル高くなるごとに、がん発症リスクが11%高くなることを示した。二度の研究の過剰相対リスクはどちらも実質ほぼ同じ値だった。(もちろん、年齢、性別、人口密度、喫煙習慣、社会経済状態、職業などのリスク要因を補正したあとの結果である)。

これらの研究結果とICRPの基準としている過剰相対リスクとを比較すると、前者の方が約160倍高かったのである。

ほぼ同じ「約160倍」を示す2つの客観的な研究。

これらが、特殊な偶然ではないことを示すために、長山淳哉は原発事故がなくても簡単に研究者が入手できるデータから、恐るべき研究を紹介する。

病院のX検査のような瞬間的な低線量被爆でも、核芽や核橋のような形態異常が2~5倍に増加発生するという研究結果を引用してくるのである。観察できる形態異常でっすらその数なのだから、いずれ癌化しかねない「遺伝子不安定性」がどれほど高まるかは推して知るべし。従来のICRPによる「安全神話」を徹底的に疑うことから、私たちは再出発しなければならないと著者は主張を結んでいる。 

(近い立場のテレビ番組)

 

 

良書は頭に苦し。「放射脳」などというラベリングで反原発派を嘲弄していた原発推進派の方が、ひょっとしたら科学的合理性が乏しかったのかもしれない。そんな印象を抱いてしまう読後感だった。

つい最近も、「反ワクチン脳」とかいう厭な造語を目にして、憂鬱になったところだった。

低線量被爆の危険性が当たっても、反原発派の自分が少しも嬉しくないのは、自分の素人の勘が偶々当たることよりも、ウルリッヒ・ベック的な「リスク社会」で、誰もが非専門的である諸々のリスクに対して、まともな「熟議」が成り立たないことの淋しさの方が強いからだ。

ちょっと「科学的」、あるいは、ちょっと「知識が深い」。どうして人々はそんな些細な自己顕示にこだわって、他人を見下したがるのだろう。もし、仮にそうだとしても、ちょっと「非科学的」、あるいは、ちょっと「知識が浅い」人々が、致命的な損害を被らないよう交流できる熟議空間を、社会に確保することの方が大事なのではないだろうか。1%による「分断統治」戦略への耐性のなさよ。

ちょっとした思考実験だと思って聞いてほしい。

自分の心を豊かに保つ個人的な対処法のひとつは、フィリピンのゴミ山で暮らす人々を思い浮かべることだ。

見下したいわけじゃない。自分はまだ安全だと胸を撫で下ろしたいわけじゃない。

自分は、偶々こんなに恵まれた国、こんなに恵まれた時代に生まれたけれど、ああなっていたかもしれないし、ああなっても自分が生きていったように、自分の代わりにいま生きていってくれている人がいることが、なぜかありがたい。なぜか嬉しい。なぜかとても尊く感じる。

……そんな不思議な感覚。

この日本でも、たった一代二代遡っただけで、全然異なる苦境を凌いで、人々は精一杯生きていた。そういう血の通った実話を、耳を傾けて聴く機会も少なくなってしまったのだろうか。

たぶん私たちは、私たちの心を弱くしている心の毒素を、デトックスしなければならない。例えば、自分がこれまで聞いた中で、日本の大晦日で最も深く心を動かされたこの曲を聴きながら。