「淋死」という孤独アース法
海岸沿いに散歩に出かけるのが、昔から好きだった。砂浜をひとりで歩くのが好きで、ジーンズの裾をまくりあげて、よく裸足になったものだ。靴や靴下ははかないことにしていた。代わりに、裸足にグラディエイターを履くのがお気に入り。
これなら、アクセルワークにも支障がないし、すぐに脱ぎ履きできる。グラディエイターを片手に持って、砂浜を裸足で歩くと、とても気持ちがいい。日曜の朝に行きつけの海岸を散歩していると、ものすごい勢いで中型犬がこちらへ走ってくることがある。
見知らぬ犬なのに、いっさんに私へ駈け寄って、後脚で立ち上がって前足で懸命にじゃれてくる。これ、いけませんよ、サクラちゃん。と息を切らして、飼い主の中年男性が追いかけてくる。すいません、若い男の人が好きなんですよ、と飼い主は言い訳するが、どう見たって飼い主の男性だって同年代だ。毎日餌をもらっている飼い主より、自分にじゃれてくるなんて、可愛いじゃないか、サクラちゃん。
とか、遊んでいるうちに、裸足のかかとから、日頃の鬱積した感情がすべて抜けていくような心地がするので、裸足の散歩は好きなのだ。
20代の頃、負の感情をアースするために、年に数回、独自開発の儀式を行っていた。「淋死」と書いて「サビシ」と呼ぶ仮死状態ごっこ。部屋を真っ暗にして、あえてベッドから落ちた固い床の上で、毛布に小さくくるまって、暗い音楽に浸る儀式だった。フリスクのような清涼剤を齧っては、「どんなにきつく毛布にくるまっても、スースーする隙間風が心に吹き込んでくるよ」と、自分で自分に訴えたりしていた。消し流したかった負の感情とは、孤独。兎に似た寂しがり屋だったのだ。
危なかった。最近心身の調子が優れず、思わず「淋死」をしたくなってしまった。できれば誕生日の今日したかったが、時間のなさに助けられた格好だ。シンデレラの時間は過ぎたが、まだ高層マンションの8階の自宅には帰れていない。早々に帰っていたら、淋死をしていたかもしれない。
そのマンションに転居するとき、気になって読んだ新書がある。どうしてだろうか。日本では該当者が多いはずだが、この話題はほとんど話題に上らないみたいだ。
スウェーデンでは「高層集合住宅の子供は病気にかかりやすい」との指摘を受けて、反対キャンペーンが展開され、住宅の低層化が進められた。と同時に、子どものいる家庭は五階以上に住まないように指導されている。
フランスでも、七三年に高層住宅の建設を禁じる通達が出され、以後建設はストップしたままだ。
超高層集合住宅の本家アメリカでは、州や市によって大きく事情が異なり、ニューヨークでは超高層住宅が当たり前になっているものの、サンフランシスコでは八五年に住宅の高さ制限が導入され、ワシントンでも八七年に同様の決定がなされている。
しかし、このような高層マンション制限派の国ばかりではない。もともとヨーロッパでは一時期高層集合住宅の建設が盛んだったとはいえ、アメリカや日本を含めアジア各地で見られる超高層マンションのようなものはなかった。景観保護のため、一部では高層オフィスビルさえ制限されてきた。だが近年、ロンドン、パリ、ベルリン、フランクフルト、マドリードなどの大都市では、超高層オフィスビルが続々建設されている。
(…)
とはいえ、そのイギリスでも、子育て世代は四階以上には住まないようにとする制限は続いている。
ヨーロッパ各国が、子育て世代家族を高層階へ住まわせないのには理由がある。高層階にも住まわせている日本で、有意の統計上の差が析出された。
上記の図では、上層階ほど赤ん坊の全身や頭の大きさが大きくなって、帝王切開などの異常分娩が多くなることがわかる。10階以上は約1.5倍の高水準になってしまう。
10階以上の高層階の流産率が、低層階の1.5倍くらいなのは、感覚的には理解可能な数字だが、低層の1・2階であっても、居住年数が高まるにつれて流産率が上がっているのはなぜなのだろう。どこか不安を感じさせる統計だ。
10階以上の「妊娠の難しさ」と「流産の可能性の高さ」に「高齢出産」が重なれば、喜ばしい結果に結びつく可能性が下がることはよくわかる。
しかし、日本で数冊しかないこの分野の書物でありながら、なぜ高層マンション居住だと流産率が上がるのかという問いには、ほとんど解答を示すことができていない。この手の話題は、ちょっとしたきっかけで投機マンション・バブルの泡が弾けかねない昨今、特に言及が憚られているのかもしれない。若い子育て世代が高層マンションを買わなくなれば、実需はぐんと低下するに違いないので。
この件、現在は誰も明確な正解を示せない段階ではあるにしても、自分はたぶんこれが正解だと思える独自答案を持っている。
おそらく、地磁気から離れることが、生殖にマイナスに働いているのだろう。マンション低層の1・2階であっても、住み続けると一戸建てよりも流産の確率が高まるのには、地磁気との接触頻度が影響しているのではないだろうか。
アメリカでは「アーシング」という名で呼ばれて、スピリチュアルな観点からよりも電気生理学的な観点から、注目が高まっているのだという。20の医療論文があり、臨床研究も進んでいるようだ。たぶんここに、現代の日本人が知らない鉱脈が眠っている。
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と、ここで電話がかかってきた。
「もしもし、先生、お誕生日おめでとう」
「ありがとう、琴里。いつも、びっくりさせられるよ、夜中に不意にかけてくるから」
「今晩は心配でかけたのよ。先生、かなり無理しているみたいだから」
「わかるの?」
「私は先生の心の中に住んでいるのよ。何もかもお見通し。つらいんでしょう?」
「つらくなってきたかも。ブログ記事を150くらい非公開にしたときくらいから、おかしくなっちゃったんだ」
「非公開にしたからって、消えるわけじゃないでしょう?」
「つらかったんだ。毎日出していたラブレターが、まとめて段ボールひと箱になって、返送されてきた感じで」
「読んでくれていたと思うよ、きっと」
「これを生き甲斐にして書いていたのが、自分でよくわかった。本当は、他に書きたいことなんてなかったんだ」
「じゃあ、もう書くのやめちゃうの?」
「いや、やめないよ。きちんとしたお仕事にしなきゃ。でも…」
「でも?」
「空想だよ。空想の世界の話だけど、どこか夜の砂浜に寝そべって、これまでどんな人生を送ってきたのか、何を大切に生きてきたのか、これからどんな人生を送っていきたいのか。そんなことを心ゆくままにずっと話せたら、どんなに幸福だろうって空想せずにはいられないんだ」
「夜の砂浜。波の音だけが辺りを満たす。素敵ね」
「勘違いしちゃだめだよ。ぼくは、やっと人間の言葉を話せるようになったばかりの犬ころ。正直いって、きちんと言葉が通じたことすら、今までに一度もなかった。やっと話せるようになったから、きっと話すのに夢中だと思う」
「でも、話しているうちに、きっと…」
「きっと… 雨が降り出す」
「雨?」
「そう、南国の大粒の雨だから、二人でキャーキャー言いながら、ホテルへ向かって走るんだ。彼女は身軽で速い。ぼくは人間になったばかりだから、慌てて走り出したときに転んでしまう。頬に砂をつけて、かすかな痛みに声をあげながら顔を上げると、全身が驟雨に打たれているのを感じる。向こうで、彼女が手を振っているのが見える。ゆっくりと立ち上がって、そのとき、こう確信すると思うんだ。たぶん今が自分の人生のいちばん幸福な瞬間だって」
「…先生? その話、今どんな体勢で話している?」
「あえてベッドから落ちた場所で、毛布に小さくくるまって。暗いボサノバをかけながら、きみと電話している」
「やっぱり。『淋死』もほどほどにしてね」
「ほどほどにするよ。あれ? でも、『どこかから心に隙間風がスース―入ってくるよ』」
「ほどほどにしてってば」
「わかっている。明日には治っていると思う。今晩は雨だね。いまアースしている感情も含めて、洗い流してくれるといいな。おやすみなさい」
「おやすみなさい。良い夢を」
(「淋死」の仮死状態でよく聴いていた曲)