人びとを引き裂いている非道な力から

2003年くらいからとんでもないトラブルに巻き込まれて、あれよあれよという間に、自分を叩くバッシング小説が純文学のスターダムに並んだりしたのが、当時も今も可笑しくてしょうがない。小説の中でモデルにされていた自分は、たいてい最後に行き場を失くして自殺していた。事情をよく知る作家の書いた小説では「事故による不幸な犠牲者」ということになっていた。でかした! よくぞ、書いてくれた!

いずれにしろ、最大の感想は、こんなにもいるのかよ、「漱石=猫」主義者たち!というものになる。ひとことでいうと、「ニャー!」という驚嘆の鳴き声だ。

まあ、腹を抱えて笑うと同時に申し訳ないなとも感じたのは、当時自分の好きだった作家や音楽が、さしたる理由もなく貶めるバッシング系の文脈で登場させられていたこと。

その筆頭は、スチャダラパーになるだろうか。当時、自分が贔屓にしている「王子様」と共演もしていたし、『5th wheel 2 the Coach』や『偶然のアルバム』は、今でも愛聴盤だ。

誤解のないように明確にしておくと、あそこで他人の好きな文化物を貶めたがっていた凡百の純文学作家より、スチャダラパーの持っている言語感覚やB-BOYブンガク能力の方が上なのは、確かなことだニャン。

というわけで、スチャダラパーBOSE加山雄三と一緒に、小野リサがボサノバの創始者たるカルロス・ジョビンと共演した時の話をしているのを、引き込まれて見ていた。

カルロス・ジョビンはスタジオの庭に遊びに来る鳥たちを、鳴き声だけですべて識別できたそうだ。当時少女だった小野リサは、いつも彼に鳥の鳴き声を教えてもらっていたのだとか。心温まる思い出話だな。

「ボサノバと鳥の鳴き声」。これだけで小粋なエッセイが書けそうだ。そのテレビ番組で、当時ブラジルにいたらしき小野リサが、加山雄三の持ち歌の中で大好きだと口を極めて絶賛していたのが、この曲。ボサノバ全開の佳曲だ。 

他人から文化受容を聞き出して、マウンティングの材料にしたがる奴というのはどこにでもいて、手始めにこちらへ「好きな作家」を聞いてくる。そんな場面に何度も遭遇したことがある。

昔は「大江健三郎」だと真面目に答えていたが、大江がほとんど読まれていないらしく、話がよく途切れるので、最近は「村上春樹」と答えることにしている。すると、マウンターたちは小莫迦にした表情で「『ノルウェイの森』とか好きなの?」と、一般向けのベストセラー小説でマウントしてこようとする。

そういうとき「あれも悪くないね。初期の蓮実重彦そっくりだし」とか、出鱈目を創作して返すのが好きだ。相手はぎょっとした表情になって「え? どこが似ているの?」と訊いてくる。「あれ、有名な話だよ。『風の歌を聞け』のデレク・ハートフィールドって、蓮実重彦がモデルだよ」とか、虚構の上塗りをする。

いつまでも少年の瞳をした悪戯好きが身上。気取り屋さん相手に、こういう莫迦話を吹っかけるのが、好きでたまらない。相手はたじろいだまま「あの二人って、お互い批判し合っていたと思うけど…」と曖昧な口調で、文壇ゴシップを伝えてくる。

「確かに。『批評空間』を初期から読んでいたから、あの『愛あふれる批判』には、さすがの俺もグッときちゃった」と言って、片目を瞑って見せる。

「まさか、蓮実重彦の『結婚詐欺師』っていう春樹批判の裏には…」

と、ここまで相手が気付けば、しめたもの。最後にこう締め括る。「小説でも書けないこと。書くとしたら、小説でしか書けないことって、やっぱり世の中にはあるんじゃないかな。最近になってやっとだよ、村上春樹の小説にゲイ・モチーフが登場するようになったのって」

マウンティングしようとしてきた相手は、しばらく言葉を探そうとするが、見つからない。話の思いがけない未知の展開に意気阻喪して、頭を軽く左右に振りながら立ち去っていくのだ。Fiction!

という小噺を書いている間に、『暗い波』を聴き終えてもらえただろうか。20世紀末から、現在の21世紀初頭まで、世界を覆いつつある「暗い波」について、どうしても考えていく必要がある。すなわち、国民国家を侵蝕するグローバリゼーションについて。

経済の話題でマウンティングしてくる輩には、「ノーベル経済学賞」が「ヌーベル中央銀行賞」であることをひとくさり説明したあと、ノーベル賞を取っちゃったけれど、スティグリッツは悪くないと思う、と返すのが、自分のルーティーンだ。 

スティグリッツのラーニング・ソサイエティ

スティグリッツのラーニング・ソサイエティ

 

スティグリッツの最新刊では、日本の「イノベー神」こと野中郁次郎の世界的業績『知識創造企業』を20年遅れで追いかけている印象だ。

世界銀行IMFを通じた「ワシントン・コンセンサス」による国家発展はことごとく失敗したが、日本は独自のやり方で成功したので、アフリカなどの新興国が正しく発展するための知恵は、学習とイノベーションを動態学的に組織する日本の「知識創造経営」から学ぶべしというのが論旨らしい。 

知識創造企業

知識創造企業

 

2016年5月のこの記事の冒頭で示されているように、スティグリッツ宇沢弘文の指導を受けたり、慶應義塾大学客員教授を務めたりしたことのある日本通だ。しかし、必ずしも日本についての該博な知識を持ち合わせているわけではないようだ。

「80年代の日本の企業は雇用を保障し、そのことが人的資本への投資を可能にしていたはずである。現在では非正規雇用アメリカでも例がないほど増やしている。何が変わったのか?」 

 それは、アメリカの対日戦略が変わったのである。東西冷戦の終結後、アメリカにとっての次の「仮想敵」が、日本の経済力へシフトしたことは、元外務官僚の孫崎享などが夙に指摘しているところ。

冷戦後の1985年、撃墜の疑われる日航機「墜落」事故とプラザ合意による円の急激な切り上げが発生し(第二の敗戦)、1989年の平成バブル崩壊(第三の敗戦)から、1995年の阪神淡路大震災オウム事件(第四の敗戦)を経て、2001年からの小泉ー竹中新自由主義路線が、日本という国のあり方を決定的に変えてしまった。

ワシントン・コンセンサスによる発展途上国搾取に対して批判的なスティグリッツも、先進国間の序列下の搾取構造(アメリカの対日支配構造)には目が届かないのだろうか。

といっても、2001年世界同時多発テロの年に始まったドーハ・ラウンド(世界初の貿易多角化交渉)での、スティグリッツの提案は、感動的なほど理想主義的なものだった。 

フェアトレード―格差を生まない経済システム

フェアトレード―格差を生まない経済システム

 

 そもそも、GATT最後のウルグアイ・ラウンド以前、交渉に参加したのが先進国だけだったことから、先進国優位の機械製品は自由化され、発展途上国優位の農産品や繊維部門は貿易障壁が高いという南北格差が残っていた。

スティグリッツ(とチャールトン)は、そのような発展途上国の不公正な状況を是正するだけでなく、特別優遇措置(一種のアファーマティブ・アクション)を適用すべきだと主張したのである。

スティグリッツの主張した「ドーハ市場アクセス・プロポーザル」では、WTOの全加盟国が、自国よりも貧しい途上国のすべてに対して、すべての物品の貿易を自由化するよう提言している。これが実現していたら、マクルーハンの言うような「ひとつのグローバル・ビレッジ」の中で、富の再配分が急速に進行したことだろう。いわば、南北問題の急速なシュリンク。世界的問題の世界的迅速解決!

スティグリッツは、この絵本に書いてある内容を、本当に世界的な貿易交渉の現場で、政策提言したのだ。

今朝、目が覚めたとき
あなたは今日という日にわくわくしましたか?
今夜、眠るとき
あなたは今日という日にとっくりと
満足できそうですか?
今いるところが、こよなく大切だと思いますか?

 

すぐに「はい、もちろん」と
いえなかったあなたに
このメールを贈ります。
これを読んだら
まわりがすこし違って見えるかもしれません。

 

世界には63億人の人がいますが
もしそれを100人の村に縮めると
どうなるのでしょう。


100人のうち

52人が女性です
48人が男性です

 

30人が子どもで
70人が大人です
そのうち7人が
お年寄りです

 

90人が異性愛者で
10人が同性愛者です

 

70人が有色人種で
30人が白人です

 

61人がアジア人です
13人がアフリカ人
13人が南北アメリカ
12人がヨーロッパ人
あとは南太平洋地域の人です

 

33人がキリスト教
19人がイスラム
13人がヒンドゥー教
6人が仏教を信じています
5人は、木や石など、すべての自然に
霊魂があると信じています
24人は、ほかのさまざまな宗教を
信じているか
あるいはなにも信じていません

 

17人は中国語をしゃべり
9人は英語を
8人はヒンディー語ウルドゥー語
6人はスペイン語
6人はロシア語を
4人はアラビア語をしゃべります
これでようやく、村人の半分です


あと半分はベンガル語ポルトガル語
インドネシア語、日本語、ドイツ語、フランス語などを
しゃべります

 

いろいろな人がいるこの村では
あなたと違う人を理解すること
相手をあるがままに受け入れることが
とても大切です

 

また、こんなふうにも
考えてみてください
村に住む人びとの100人のうち

 

20人は栄養がじゅうぶんではなく
1人は死にそうなほどです
でも15人は太り過ぎです

 

すべての富のうち
6人が59%をもっていて
みんなアメリカ合衆国の人です
74人が39%を
20人が、たったの2%を分けあっています

 

すべてのエネルギーのうち
20人が80%を使い
80人が20%を分けあっています

 

75人は食べ物の蓄えがあり
雨露をしのぐところがあります
でも、あとの25人はそうではありません
17人は、きれいで安全な水を飲めません

 

銀行に預金があり
財布にお金があり
家のどこかに小銭が転がっている人は
いちばん豊かな8人のうちの1人です

 

自分の車をもっている人は
豊かな7人のうちの1人です

 

村人のうち
1人が大学の教育を受け
2人がコンピューターをもっています
けれど、14人は文字が読めません

 

もしあなたが
いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに
信仰や信条、良心に従って
なにかをし、ものが言えるなら
そうではない48人より
恵まれています

 

もしもあなたが
空爆や襲撃や地雷による殺戮や
武装集団のレイプや拉致に
おびえていなければ
そうではない20人より
恵まれています

 

1年の間に、村では
1人が亡くなります
でも、1年に2人
赤ちゃんが生まれるので
来年、村人は
101人になります

 

もしもこのメールを読めたなら、
この瞬間、あなたの幸せは2倍にも3倍にもなります
なぜならあなたにはあなたのことを思って
これを送った誰かがいるだけでなく
文字も読めるからです

 

けれど何より
あなたは生きているからです

 

昔の人は言いました
巡り往くもの、
また巡り還る、と

 

だからあなたは、
深ぶかと歌ってください
のびやかに踊ってください
心をこめて生きてください
たとえあなたが、傷ついていても
傷ついたことなどないかのように
愛してください

 

まずあなたが
愛してください
あなた自身と、人が
この村に生きてある
ということを

 

もしもたくさんのわたしたちが
この村を愛することを知ったなら
まだ間にあいます
人びとを引き裂いている非道な力から
この村を救えます
きっと  

 

世界がもし100人の村だったら 総集編 POCKET EDI (マガジンハウス文庫 い 1-1)

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 しばしばスティグリッツを評して、経済学者以上に社会活動家か宗教指導者であると揶揄されるのは、このような彼の理想主義的な側面を指している。当然のこと、スティグリッツの提案はまともに相手にされず、発展途上国の対外輸入や外国投資家らの「特別保護」は、自由市場化推進を金科玉条とする世界銀行IMFの主張と厳しく対立した。

 スティグリッツは26歳で教授になるほど神童めいた天才ぶりを発揮しながらも、アマースト大学という一般教養教育を重点化した地味な大学で学んだ。そこで、彼は好きなように物理学や英文学や哲学や数学を学んだのだという。

アメリカのケインズ学派の重鎮であるサミュエルソンに学び、リーマン・ショック以後に「ケインズへ帰れ」を高唱したスティグリッツは、エリートでありながら99%への連帯意識を隠そうとしなかった。

しかし一方で、グローバル化による格差拡大への強い抵抗心がありながらも、1%グローバリストという脱国家主体の支配へ、99%の国民がどのように闘争線を引いていくか、という難題に対しては、「金融部門の改革」のような平凡な政治課題を並べることしかできなかった。

いま99%が直面している最大の困難は、莫大な企業献金や不正選挙やマスメディア支配によって、それが何であれ、99%側が政治的課題を解決できないことにある。

スティグリッツは、ケインズが最終段階で実現すべきと説いた世界通貨の導入を提起している。しかし、世界通貨ともなりうる可能性を秘めた暗号通貨へのスタンスは、その可能性を最大限に考慮したオープンなものではない。

彼は現実と出遭い損なっているように感じられる。

リベラルアーツの世界を泳ぐハートフルな理想主義的ケインジアン」。

自分がスティグリッツに抱くのは、そのような第一印象だ。しかし、その讃辞が控え目なものであること自体よりも、おそらく現存のノーベル賞級の経済学者に自分が抱くうち、これが最大級の賛辞であるのが淋しくてたまらない。

 2001年のドーハ・ラウンドでの「ワシントン・コンセンサス」を問題にするのなら、2004年にアメリカで出版されてベストセラーとなったこの本を参照すべきだろう。発展途上国を搾取するエコノミック・ヒットマンだった当人が、2001年の世界同時多発テロを受けて、脅しや圧力を振り払って、ようやく出版した告発本。

 エコノミック・ヒットマン(EHM)とは、世界中の国々をだまして莫大な金をかすめとる、きわめて高収入の職業だ。彼らは世界銀行や米国国際開発庁(USAID)など国際「援助」組織の資金を、巨大企業の金庫や、天然資源の利権を牛耳っている富裕な一族の懐へと注ぎこむ。その道具に使われるのは、不正な財務収支報告書や、選挙の裏工作、わいろ、脅し、女、そして殺人だ。彼らは帝国の成立とともに古代から暗躍していたが、グローバル化が進む現代では、その存在は質量ともに驚くべき次元に達している。

 

 かつて私は、そうしたEHMのひとりだった。

 

 1982年、私は当時執筆していた(…)本の冒頭にそう書いた。その本は、エクアドルの大統領だったハイメ・ロルドスと、パナマの指導者だったオマール・トリホスに捧げるつもりだった。コンサルティング会社のエコノミストだった私は、顧客である二人を尊敬していたし、同じ精神を持つ人間だと感じてもいた。二人は1981年にあいついで飛行機の墜落で死亡した。彼らの死は事故ではない。世界帝国建設を目標とする大企業や、政府、金融機関上層部と手を組むことを拒んだがために暗殺されたのだ。私たちEHMがロルドスやトリホスのとりこみに失敗したために、つねに背後に控えている別種のヒットマン、つまりCIA御用達のジャッカルたちが介入したのだ。 

 

エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ

エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ

 

元エコノミック・ヒットマンのジョン・パ-キンスは、TEDにも登場して熱弁を振るっている。字幕を付けられるので、英語の勉強もかねて見ると良いと思う。

暗澹たる光景に見えることだろう。1%グローバリストたちの毒牙は、世界中にますます多く広く拡大している。

けれど、この数か月のどこかで、自分はすっかり恐怖心を克服してしまった。死んだり殺されたりしたら、また輪廻転生を得て、別の人間として蘇ることができると確信するようになった。幽界にいた何人かの幽体と接触できたことが大きい。そこで起きたことのすべてが、スピリチュアリズムや宗教書に書いてある通りだった。

根拠のない確信で申し訳ない。

すでに開発されており、あと10年程度で多くの人々が活用できるようステップ・ダウンされるという噂のフリーエネルギー。出口王仁三郎の予言した通り、「弥勒の世」はフリーエネルギーから始まるのに違いない。例えば、フリーエネルギーが世界的に普及した50年後、次の世代たちは、ひょっとしたらこんな風に私たちに語りかけるかもしれない。

生きていくのが困難な人々を救うというフロンティアが、まだ残っていた時代が羨ましい。できることなら、時間を巻き戻して、私たちもその難業に挑戦してみたい。

少々空想が楽観的に過ぎるだろうか。けれど、自分の中でこの確信は揺らがないような気がする。

「もしもあなたが、空爆や襲撃や地雷による殺戮や武装集団のレイプや拉致におびえていなければ、そうではない20人より、恵まれています」。

アフリカのような発展途上のフロンティアは、今後数十年残りつづけるだろう。

自分は工業用ダイアモンドなので、本当に傷つけられたことなんて、一度もなかった。その真正の幸運に感謝したい。いつか、少しでも多い人々と、下の詩句を共有できたら、本当に幸せだろうと思う。

だからあなたは、
深ぶかと歌ってください
のびやかに踊ってください
心をこめて生きてください
たとえあなたが、傷ついていても
傷ついたことなどないかのように
愛してください

(…)

もしもたくさんのわたしたちが
この村を愛することを知ったなら
まだ間にあいます
人びとを引き裂いている非道な力から
この村を救えます
きっと  

 

 

 

 

 

(好きなボサノバの名演)