「宿題をやっつけちゃおう」とマハトマは囁く

高校時代、ほとんど級友と話さない大人しい男子がクラスにいた。掃除の時間、みんなが手を止めて楽しく談笑していても、ひとり離れた場所で掃き掃除している。その様子がどこか寂し気だったので、彼に「マハトマ」という渾名をつけて、皆の輪に入れようと企んだ。

地味な風貌の彼が、英語の教科書上のガンジーに滅法似ていたこともあって、彼はクラスカースト内でのプチ・ブレイクに成功した。「マハトマ」と呼ばれるようになっただけでなく、「マハトマ的に偉大なパンは?」と問われて「焼きそばパン」と答えると、周囲がオーッと嘆声をあげる、などという不思議な光景まで生まれた。

彼を取り巻く子供たちの異変に気付いた担任が、「念のための確認だけど『マハトマ』というのはどういう意味?」と私に訊いてきた。妙な渾名をつけられてイジメられているのではないかと心配しているようだった。「『マハトマ』とは『偉大な魂』を意味します。彼の偉大さを称えた渾名です」と私は即答した。心の中でこう呟いた。厭だな先生、ぼくが弱い者イジメをするわけないじゃないですか。

という具合に、すべて実話でありながら、今晩もこのブログ主の好感度が良いガンジーになったので、本題に進むことにしたい。

山口県萩市にある松下村塾を訪れたときは度肝を抜かれた。間取りでいうと、8畳くらいの講義室を中心とした粗末な小屋。こんな小さな「巣」から、吉田松陰を慕う憂国の志士が旅立ったのかと思うと、胸が熱くなった。

萩市の近くには津和野という歴史情緒の残る街もあって、そこは明治の軍人であり小説家だった強者を輩出した。強者とは森鴎外。informationという英語に「情報」の訳語を充てたのは鴎外だ。

というわけで、話は必然的に、秘密情報の扱いをめぐる「ツワネ原則」へ辿りつくことになるのだ。そのツワネ原則を「未来少年コナン」ならぬ「地雷老年コクナン」が、「(ツワネ原則は)民間団体がつくったものなので、遵守する必要がない」と放言したという衝撃的な記述に目が留まった。

 アメリカの財団、Open Society Justice Initiativeによる呼びかけにより「安全保障のための秘密保護」と「知る権利の確保」という対立する2つの課題の両立を図るため、国際連合米州機構、欧州安全保障協力機構、人及び人民の権利に関するアフリカ委員会の関係者を含む、世界70か国以上から500人を超える専門家により、2年以上かけて作成された。2013年6月に南アフリカの都市・ツワネで採択されたことから「ツワネ原則」と呼ばれる。

ツワネ原則 - Wikipedia

 もちろん、アメリカの財団が日本の国家主権を持っているわけはないから、それを遵守させる強制力がないのは事実だろう。では、日本の国家主権はどこにあるのだろう?

(最近、小学生でも知っていることを、凄い形相で否定する政治家がいるので、吃驚しちゃう。この人のいう「そもそも」がそもそもおかしいことは、説明しなくても大丈夫だよね)。

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(画像引用元:http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2015/09/post_3119.html

 日本の主権は国民にあって、その国民が国家権力が悪いことをしないようにルールで縛ったものが日本国憲法。地雷老年コクナンはあまりわかっていないようだけど、こういうのを世界の常識では「立憲主義」っていうんだ。

最近できた新党の名前に「立憲」が入っているのは、地雷老年コクナンに「立憲主義」をきちんと覚えてもらうためだったというのが真相らしい。もう覚えられたかな?

赤松議員は「立憲民主党」について、「立憲主義によって真の自由と民主主義を断固として守り抜いていく」と由来を説明。「この党名の下にみんなが結集して、日本の民主主義と自由を守っていこうという思いだ」と意気込む。http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/11/news104.html

 というわけで、日本国憲法は国家権力が国民のために服従しなければならないルールブックなのだ。その日本国憲法では、国民に「知る権利」があることを保障している。

民主主義社会における国民主権の基盤として,国民が国政の動きを自由かつ十分に知るための権利。(…)日本の最高裁判所も「国民の知る権利」に言及しつつ報道の自由の意義を説くにいたっている(最高裁判所判決 1969.11.26. 最高裁判所刑事判例集 23巻11号1490)。「知る権利」には,情報受領権と情報収集権という二つの側面があり,後者にはさらに情報収集活動が公権力により妨げられないということ(消極的情報収集権)と政府に対して情報の開示を要求する(積極的情報収集権)という二つの場合が含まれる。憲法上の権利として積極的情報収集権が存するか否かについては議論のあるところであるが,学説上抽象的権利としてこれを認めようとする見解が有力になりつつある。1999年に日本では情報公開法が制定され,行政機関などに情報の開示が義務づけられた。

最近の動向まで視野に入れると、国家権力を縛る日本国憲法の下に、情報公開法(1999年)と公文書管理法(2011年)と秘密保護法(2013年)が並んだというわけ。

ここまでの論理フローがくっきり見えただろうか。

憲法が権力に国民の知る権利を保障するよう命令している→国民に知る権利を保障するための最高のガイドラインであるツワネ原則を大いに勉強する→勉強の成果が反映された宿題を提出する

 コクナンくんは「宿題をするのが厭だ!」とごねて、また主権国民の感情的地雷を踏んじゃったようだけど、厭な宿題でも宿題はやらなきゃ。

このサイコパス的性格は、どうやら安倍の生育過程で培われたようなのだ。そのヒントになるのが元共同通信記者で政治ジャーナリストの野上忠興が「週刊ポスト」(小学館)に連載している「深層ノンフィクション 安倍晋三『沈黙の仮面』」だ。安倍家取材40年の野上が安倍の幼少期からの生い立ちを追い、その人格形成の過程を描いている。

問題の平気でウソがつける性格は、実は小学校時代からのものだったようだ。安倍には2歳年上の兄がいる。この兄弟の性格が対照的で、夏休みの最終日、兄は宿題の日記ができていないと涙顔になっていたが、安倍は「宿題みんな済んだね?」と聞かれると、まったく手をつけていないにもかかわらず、「うん、済んだ」と平然と答えたという。ウソがバレて、学校側から1週間でさらに別のノート1冊を埋めて提出するようにと罰が出ても、本人がやらず、安倍の養育係だった女性が代わりにやってあげていたというのだ。一般人の子どもはウソをついたら必ず代償があると教育されるのが普通だ。ところが、安倍にはその経験がなかった。罪悪感が皆無で、自分のウソに責任をとらないまま、大人になってしまったようなのだ。

さて、提出された秘密保護法の出来はどうだったかというと、噴飯物だった。「厭な宿題はやらない主義」が伸び伸びと発揮されてしまった。ツワネ原則を大幅に無視したものだったのだ。

ツワネ原則の策定者は「特定秘密保護法は知る権利を厳しく規制する過度な法律で、国際的な基準を下回っており、日本の情報公開や知る権利にとって大きな後退となる」との声明を発表したという。こんなに後退したら首相交代ものだよ。

秘密保護法批判の急先鋒である海渡雄一は、詳細に文言を検証した上で、日本の秘密保護法がツワネ原則に悖る箇所を、8項目列挙している。 自分の言葉でまとめ直そう。

秘密保護法 何が問題か――検証と批判

秘密保護法 何が問題か――検証と批判

 
  1. ツワネ原則は国民の公的機関への情報アクセス権を認めており、国家秘密の存在自体は容認するものの、その権利を制限する正当性の説明責任は政府にあることを原則化している。→日本は無視
  2. ツワネ原則は、政府による人権違反、大量破壊兵器保有、環境破壊など、秘密化できない項目が明示されている。→日本は無視
  3. ツワネ原則は秘密指定は期間限定でなければならないと厳しく定める。→日本では、30年以内もしくは60年を期限とするが、かなり広い範囲の情報が例外設定できるので、永久秘密情報化しやすい。
  4. ツワネ原則では国民の側が秘密解除を請求できる手続きが明記されている。→日本では、その手続きが行政機関の長の裁量に委ねられている。
  5.  ツワネ原則では裁判手続きにおける公的機関の必要な情報公開は不可欠だとしている。→日本は無視
  6.  ツワネ原則は、安全保障部門の秘密情報管理には独立した監視機関を設立し、それがすべての情報を実効的に監視できなければならないとしている。→日本では意見を言うだけの有識者会議が設けられただけ
  7. ツワネ原則は、内部告発による公益がより大きければ内部告発者は保護されなくてはならないとしている。→日本は公益通報者保護法とどう整合させるかも含めて、無視
  8. ツワネ原則はジャーナリストと市民活動家を処罰してはならないと定めている。→日本は無視

2013年、秘密保護法の反対運動は大きなうねりを生み出して、人間の鎖が国会を包囲した。

田中龍作ジャーナル | 【秘密保護法】 「今日はたまりかねて来た」 人間の鎖、国会包囲

法案が成立してしまった現在、怒りの矛先をどこへ向けて良いかわからなくなっている国民がいたら、それは「公文書管理法の違反の実態」にあると指差して、ヒントをあげたい気持ちだ。

秘密保護法の「特定秘密」は秘密であっても、公文書の一種であることを政府は認めている。期間限定の非公開措置を取られていても、文書の作成義務、ファイル管理簿への記載、公開や保存の年限管理、内閣への報告義務などの法的義務が課されるというわけだ。

こういった愚行の数々を記録すること。その記録の数々から、愚者たちの悪巧みの足跡を浮かび上がらせること。元を辿れば、透明なイカと同じくらいスケスケで見え見えの悪巧みなのだ。仔細に目を凝らせば、おキャスぃところだらけなのが、すぐにわかるはず。 

公的機関に何を記録するよう義務付け、その記録を情報公開によって国民が共有することに、民主主義の基盤はある。同じような気持ちで数日前に書いた上記の文言と重なった領域で、現在この分野で読みうる最良の内容に満ちた新書に出会えた。 

国家と秘密 隠される公文書 (集英社新書)

国家と秘密 隠される公文書 (集英社新書)

 

 こんな重要な論点を知らなかった不明を恥じたい。

何と、公文書管理法には、行政機関がその行政手続きをとった「経緯も含めた意思決定に至る過程」や「事務や事業の実績」を合理的に跡づけたり検証したりできるよう、文書を作成することが義務付けられているという。

「その文書は破棄しました」とか「そういう文書はそもそも存在しないので出せません」とか「それは怪文書です」とか、いろいろとおかしな発言が繰り出されたせいで、大好きな蕎麦が「もり」「かけ」ともに、すっかり不味くなってしまった昨今、公文書管理法違反で公的機関の違法行為を突き上げていくのは、かなり有力な追及の方向性だと感じた。こんなわかりやすい正攻法があったのか。

すでに機敏な動きを見せている組織もある。

2017/9/16
本日、午後5時半、東京地検特捜部からご連絡をいただき、学校法人森友学園に対する国有地売却に関する公用文書等毀棄罪容疑での、当会の告発につきまして、受理の上、大阪地検特捜部に移送とのご連絡をいただきました。

健全な法治国家のために声をあげる市民の会

http://shiminnokai.net/doc/isou170915.pdf 

 公文書管理を専門とする三宅弘弁護士の主張は、正論中の正論だろう。

 交渉記録の廃棄をもし故意にやっていたら、刑法の公用文書等毀棄罪に該当します。故意ではないとしても、保存義務について裁量権を乱用しているということで明らかに公文書管理法違反です。国有財産の処分は、税金の使い道という広い意味でいえば、「国民共有の知的資源」に対して、我々国民に知る権利がある。それに対して説明責任を果たすというのが公務員のあるべき姿です。

実は今日の午前中、自分が一番熱心に探し回っていたのは、この本だった。地方都市のどこにもなかったのは残念。お金の都合がついたら購入したい。 

原子力情報の公開と司法国家: 情報公開法改正の課題と展望

原子力情報の公開と司法国家: 情報公開法改正の課題と展望

 

 ん? ひょっとしたら、この時代の夜をどちらへ突き抜けるべきか、方向性が見えてきたという人もいるかもしれない。闇の中にひらいている口は見分けにくい。それでも、この闇の核心がどこにあるのか、どこに突破口があるのかが、朧気ながら感じられてきたのではないだろうか。

嬉しいことに、同じ方向に光を見出そうとしている出版人もいるようだ。まもなく出版されるこの新書は、大きな注目を集めずにはおかないだろう。タイトルも自分のこの夜の印象とソックリだ。2/16発売らしい。

公文書問題 日本の「闇」の核心 (集英社新書)

公文書問題 日本の「闇」の核心 (集英社新書)

 

ひょっとしたら、多くの人々の問題の急所が見えてきて、日本は少し良いガンジーになっていくかもしれない。経済的にだけではなく、社会的にも倫理的にも成長し、成熟していく国になっていく感じになってくれるだろうか。

いや、成長や成熟には、まだまだ漢字が足りないようだ。

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(画像引用元)

惜しい! 成蹊大学成城大学を出ていれば、きっと書けるようになっていたと思うよ。

え? 成蹊大学出身で、しかも謎の卒業を遂げたっていうのは、本当なのだろうか。

 まったく。いつまでたっても放っておけない漢字だな。マハトマ(偉大な魂)に到達するまでには、まだまだ伸びしろがありすぎるガンジーがするぞ。

いいよ、宿題ができないなら、手伝ってあげるよ。

さあ、皆で一緒に、この国の宿題をやっつけちゃおうか!