稲穂のそよぎに耳くすぐられながら
南国の松山に珍しく雪が降りしきる中、図書館からいま帰ってきたところ。
だしぬけに「年上と人間関係を築けないのは、きみの人間的欠陥だ」とか婉曲に示唆されて、面喰らったことがある。私の何を知っているというのだろうか。きっと、20代後半、私が「ヤクザイルの舎弟」だった時期があるのを知りもしないで、難癖をつけているのだと思う。やれやれ。
男ばかりの職場の中で、ずば抜けて風貌が極道寄り。クロムハーツの髑髏系シルバーアクセサリーを愛用していたので、その先輩のことを心の中でこっそり「ヤクザイル」と呼んでいた。ところが、どういう風の吹き回しか、極道要素ゼロの自分が、ヤクザイル先輩の寵愛を賜ってしまい、何やらとても親密になってしまったのだ。
よく覚えているのはヤクザイル先輩の情婦(交際女性)と連れ立って、三人で焼肉を食べにいったときのこと。焼肉店の学生アルバイトがスープを持ってくる皿が、カタカタカタと露骨に音を立てて震えていた。自分以外の二人は平気な顔をしている。アルバイト店員は完全に誤解しているのだ。
スープをテーブルに置いて、素早く立ち去ろうとしたアルバイトを、ヤクザイル先輩が呼び止めた。そして、牛肉の部位について蘊蓄を披露して、店員を試す質問をした。
店員は真っ青になって「申し訳ありません。ぼくにはわかりません」と答えた。
ヤクザイル先輩は「せっかくこういう店で働いているんだから、牛肉の知識くらい頭に入れておきなよ」と優しく諭した。優しく言っているのだが、風貌が風貌なので、店員はますます縮みあがって、「仰る通りです。きちんと全部勉強します!」とハキハキ度100%で答えてくる。
可哀想になったので、私が助け舟を出した。「牛肉も細かく別れているから、全部は憶えきれないですよね」。
すると店員はヤクザイルの友達はヤクザイルだと思ったのか、「はい、仰る通りです」とハキハキ度100%で返事して、対立命題の両方を全肯定してしまった。おやおや、私の話を全然聞いていないな。
店員が退出した後、ヤクザイル先輩の情婦が「今の店員、真面目だったよね」と言って、先輩に相槌を求めていた。「おう、そうだな」とか答えているのを尻目に、私が心の中で「それは、100%、いや1000%誤解されているからだ!」と叫んだのは言うまでもない。
ヤクザイル先輩のような種族の人間が、どうして自分を可愛がってくれたのか、当時はよくわからなかった。
ただ、組織マネジメントや人事の本を読むようになってわかってきたのは、あらゆる上下関係が、本質的な優位劣位ではなく、互酬的な信頼と実利で成り立っているということだ。
自分は仕事が速い方なので、進んで先輩の分も仕事をしたし、先輩は先輩で、入社したばかりの自分が馴染みやすいように要所で顔を利かせてくれた。
定着はしなかったものの、「バカ王子」という渾名をつけてもらったのも、いま思うと嬉しい思い出だ。何と言っても、莫迦を直せば、王子になれるのだもの。
当時は、「どちらかというと『若王子』でしょう。妙なワルにつかまってしまった被害者」とか、切り返したのではなかったか。風貌は極道寄りでも、話せば相手がどんな人間かわかるので、すっかり打ち解けていたのだ。
あれから、ヤクザイル先輩と情婦は結婚したのだろうか。交際が途絶える前に二人が結婚していたら、参列して、二人の頭上に祝福のライスシャワーを投げかけたかったような心残りもある。
さあ、今日も莫迦を直して、少しでも王子に近づかなきゃ。バケルラッタ。
というわけで、今晩も超インテリを装って、戦後思想史と絡めてライスシャワーについて語りたいと思う。
ライスシャワーについて語るつもりが、ライシャワーのストーリーについて語ることになってしまうのは、それが「ス取ーりー」である以上、やむを得ないことだろう。
中国大陸に布教するために来日した宣教師一家の生まれ。ライシャワーは日本生まれの日本育ちだった。戦前、「日本はまだ中世のままだ」との本国の偏見に対して、円仁の研究者だったライシャワーの博学と見識の高さが、日米終戦後、頭角を現すようになる。
父が宣教師だったことから、同じく若くしてクリスチャンとなった新渡戸稲造と親交があったという史実も面白い。新渡戸稲造は英文学と経済学を学んだのち、留学。アメリカ人女性と結婚して、戦前の最高の日本文化論『武士道』を英文で書き上げた。ベルサイユ講和会議の日本代表を務めたのち、国際連盟の事務局次長となった。当時の日本で最も深い国際教養を身につけた一流の国際人だった。世界的な人種差別反対規定を提起したり、エスペラント語の推進に尽力したりしたのも、クリスチャンとしての博愛精神や平和希求の精神的基盤があったからかもしれない。
一方のライシャワーも、戦前のキリスト教系の大学教育に飽き足らず、ハーバード大学院に進んで、個人主義的なリベラルアーツのエッセンスを身につけた。親交があった以上、新渡戸稲造への思想的共鳴はあったにちがいないが、ライシャワー自身が書き残した記録から、彼が最も影響を受けた日本人は、自分を育ててくれた3人のお手伝いさん(おハルさん、おキクさん、おキヨさん)なのだという。筆致は熱烈だ。
日本の女性は、いつも男性よりも強く、男性よりも度胸があると思われてきました。男性たちには日本人特有の男らしさ(マッチョ)があり、それをみせびらかしますが、それでもまだ、本当に内なる強さをもっているのは、日本の女性たちですよ。
キャリアの絶頂期に、丸山眞男や三島由紀夫や丹下健三とも親交のあったライシャワーは、しかし、没落部家出身のお手伝いのおハルさんの方を、こう称賛している。
彼女は私の知るだれにもひけをとらぬほど立派な人だった。彼女が備えていた伝統的な日本人の特性が、私にうつったと考えるのが好きだ。
ライシャワーのキャリアの絶頂期とは、ケネディ政権が出駐日大使を務めた時期のこと。占領国の駐日大使が「イーコール・パートナーシップ」を打ち出したことは、大きな注目を集めた。しかもそのパートナーシップを、ライシャワーは「相互に利益を得られる貿易、文化・知的交換、開発途上国に対する援助での協力、民主的な世界秩序での確立、法の支配に対する尊重の促進、国連の強化、これらすべてを包含するもの」と定義したのである。
常態化していたCIAによる自由民主党への秘密工作資金の注入を中止させたのもライシャワーなら、実現の10年前にケネディ大統領に沖縄返還を推進するよう提案したのもライシャワーだった。
覇権大国アメリカの外交の最先端にいながら、ライシャワーはどうしてこうまで、リベラルな政治力を行使しようとしてきたのだろうか。
石橋湛山がジョン・デューイの薫陶を受けていたのも意外だったが、日本生まれのクリスチャンであること以上に、ライシャワーが人生の指針を定める時に参照していたのが、ドイツの詩人ゲーテだったことにも驚かされた。
ゲーテのこの一句が常に頭の片隅にあったのだという。リベラル・アーツ万歳!
人に対しては、その人が当然あるべきように扱いなさい。そうすれば、その人がなりうるものになるのを助けることになる。
ライシャワーの一回り下、あの水木しげるの座右の書も、ゲーテだったのだという。『ゲゲゲのゲーテ』とは卓抜な書名だ。
できれば「若き目玉親父の悩み」という漫画も書いてほしかった。きっと、恋心を寄せている女性から、ラブレターの返事として、サザンオールスターズの「TSUNAMI」が送られてきて、それを聞いているうちに、自分の流した涙で風呂に入ってしまう展開だったにちがいない。
見つめ合うと 素直に お喋りできない…
さて、ライスシャワーについて書くつもりが、思わずライシャワーについて長々と書いてしまったので、ライスシャワーに話を戻さなければならない。ライシャワーの父が同時代を生きた新渡戸「稲」造を媒介にして?
否、否、否。
同じくリベラルな国際外交人だった新渡戸稲造には、田山花袋や島崎藤村と親しかった詩人志望の柳田國男を、日本の郷土文化に通暁した民俗学の大家にしたという隠れた業績がある。
親友の国木田独歩が死んだ直後、新渡戸稲造が講演で唱えた「地方学(じかたがく)」に大いに触発されて、旅に出た。そして、九州や四国や東北に残存している土俗的文化を探査して、『遠野物語』などにまとめたのである。
柳田國男は新渡戸稲造と同じく農政学を学んだこという出発点を持つものの、新渡戸のような華やかな国際的舞台での活躍もなければ、官僚や新聞社社員としても目立った成功をつかむことはなった。
柳田國男の提唱した「一国民俗学」は民俗学の国民国家化だとして評判が悪いが、時代状況を考えてみてほしい。産業革命後の勃興期にあった日本は、膨張する国民を生き永らえるさせるのに、大陸へ進出するほかないとする機運が高まっていた時代だ。
ここでいう主権線とは、国土すなわち日本の領土のことでありまして、利益線とは、主権線の安全に密接な関係のある隣接地域のことだと山県は説明しています。そして、利益線を防衛する方法は何かと問われれば、それは日本に対して各国のとる政策が不利な場合、責任をもってこれを排除し、やむをえない場合は『強力を用いて』日本の意思を達すること、つまり武力行使であると述べています。『我邦利益線の焦点は実に朝鮮に在り』という有名なフレーズが使われたのも、この意見書においてでした。
柳田國男の「一国民俗学」とは、石橋湛山の小日本主義と同じく、大陸への膨張と植民地支配を目指す拡大主義路線に抵抗しようとする「利益線否認」の国境画定だったと見るべきだろう。
柳田國男の著作が大きな話題を呼んだのは、郷土文化研究の後にまとめられた『蝸牛考』になるだろうか。言葉の伝播や変化に、終焉的な存在だった子供たちが、大きく関与していることを実証した。続く『小さき者の声』も、同じく道端の子供が担っている郷土文化の研究だ。子供たちだけでなく、『女性と民間伝承』や『妹の力』などの著作もある。
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そして、最終的に日本最大の民俗学者が辿りついた先は、「何故に農民は貧なりや」という究極命題の解明だった。
世界的な人種差別規定を提起したり、支配言語から最も遠い国際共有語の普及に尽力したり、お手伝いさんの女性を生涯尊敬したり、勝者が敗者を対等に扱おうとしたり、地方に根付いた子供や女性の文化的伝播力を証明したり、農民たちの貧困の解決を究極の研究課題としたり。
「下、下、下の下」のようなすべての周縁的なものへ、愛と倫理あるまなざしを注ぐことから生まれてくる、創造的で多産な文化的社会的資本のネットワークがある。
利他的な社会起業家の中には、軍事的衝突や経済的搾取などのシステムを「終わりのない未熟な男の子ゲーム」と称して、侮蔑を隠さない女性たちもいる。性別を問わず、「今だけ、金だけ、自分だけ」の機会主義的言動から、距離を充分に置こうとする人々も多い。そのような言動を取らせるのは、生得的な性格のせいだけではない。正確な状況判断によるところもあるのだ。
社会学者によって、新しい社会動向だと実証された下記の5項目。これらをさらにまとめて、「中心から周縁へ」と言い直せることにお気づきだろうか。フェミニストなら「女性性を抑圧してきたファロゴセントリズムの崩壊」と呼び直すかもしれない。
- 個人志向から社会志向へ、利己主義から利他主義へ
- 私有主義からシェア志向へ
- ブランド志向からシンプル・カジュアル志向へ
- 欧米志向、都会志向、自分らしさから、日本志向、地方志向へ(集中から分散へ)
- 「物からサービスへ」の本格化、あるいは人の重視へ
金融緩和バブルの崩壊、東京オリンピックの中止、次の原発事故、対中戦争の勃発、朝鮮半島有事。
2018年は、これらの悪夢のシナリオのどれかが惹起する可能性が高いと言われている。とりわけ、バブルの崩壊は、ほとんど秒読みの状態だと言ってかまわないだろう。そのようなディストピアへの転落の可能性が短期的に高まりつつあるのと並行して、中長期的には、これまで周縁化されていた豊かな文化的社会的資本が活性化されていき、人々の生き方やエートスが変化していく好循環の兆候も感じられる。
この国の最も美しい風景の一つ、風に押されながらそよぐ稲穂の輝かしい穂先を思い浮かべながら、「国破レテ山河アリ」のあとの日本を、どう蘇らせていくかを想像するのが楽しい。
瑞穂の国をこのまま殺してはいけない。そう思う。
現状とは大きく異なる権力構成のもとで、現状喧伝されているのとは大きく異なる価値観の人々がつながりあって、新しく社会を組み替えていく未来図を、もう少し想像していたい。シャワーの水音のような派手な音はしなくても、さざめきのような稲穂のそよぎに耳くすぐられながら。
街にあかりが揺れる頃
お前と会えたらいいな
静かな店で
ふたりきり
小さな声で話そ