すべてはタラちゃんのせい

書くことに困ったら、自分がワクワク・ドキドキすることを書けばいい。

そう助言をもらったことがあるので、小学生のとき一番ドキドキした東京一人旅のことを書こうと思う。何を表彰されに行ったのか、それが作文だったのか、俳句だったのか、あまりよく覚えていない。何ぶん小学生だったので、どこかの甘い審査基準に、幸運にも引っかかったというような話だったと思う。取材と写真撮影のために東京へ行くことになった。可愛い子には旅をさせろという諺が、家族会議で持ち出されたが、一人旅に決まった理由が、もっぱら旅費節減が理由だということも、小学生の自分にはもうわかっていた。

 羽田空港でサインボードをもって取材記者が待ってくれているはずだった。ところが、その人の姿が見当たらない。きみ、きみ、と老人に呼び止められて振り向くと、「時田君だね」と自分の名前ではない名前を言われて、「さあ、一緒にお家へ帰ろう」と肩に手を置かれて、連れて行かれそうになった。もちろん「時田」ではない本名を名乗って丁重にお断りしたが、あのとき優しそうな老人についていったら、どんな人生になっていたのだろうかと、それからの人生でふと考えることはあった。

 虎ノ門のオフィスで取材をされた後、六本木のホテルにチェックインすることになっていた。生まれて初めて地下鉄に乗って、食事を終えたのが20:00くらいだったと思う。 門限のない嬉しさに、しばらく辺りをうろつくことにした。近くの公園を通りかかった。すると、そこで衝撃的な光景を目撃してしまった。

公園のベンチに座っているカップルが、キスをしていたのだ。80年代の地方都市の小学生は、キスというものは人前では決してしないものだと思い込んでいた。映画のクライマックスで男女がキスするのは、それが虚構だから嘘っこでそうしているだけだと思っていた。事実、自分の暮らす街の通学路や中心街では、一度もキスしているカップルに合ったことがなかったのだ。

六本木の公園の薄暗さに目が慣れてくると、さらに心臓が飛び上がりそうなくらい驚いた。キスをしているカップルは一組だけではなかったのだ。別のベンチ、遠くのベンチでも男女はキスしていたし、ベンチに座れなかったカップルは木にもたれてキスを交わしていた。何という破廉恥カンカンな街なのだ、六本木は。「東洋の魔境」という言葉が思い浮かんだ。それまで自分が親しんでいた東京は、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズに出てくる街のイメージ。奇怪な人々がうじゃうじゃいて、妖しげな夕暮れで不思議なことが次々に起こる魔都だったのだ。

その次に、自分が取った行動は、後から思い返してもよくわからない。小学生の自分は何を思ったのか、何も悪いことをしていないのに怖くなって、一目散に走って逃げた。きっと、ああいうものに魅入られて、大人の男女のロマンスをじっと見ていると、魔都では何が降りかかってくるかわからない気がしたのだろう。

このとき目撃したものを、地元の小学生の友人に話すと「大人が公園みたいなところでキスするわけないだろう。嘘をつくなよ」と言い返されてしまった。それ以来、この記憶は鍵のかかった箱の中に閉じ込めてしまった。

ひょんなことで、その記憶がよみがえったのは、有名な英語の童話を聞いたときのこと。(0:58から英語) 

シティーマウスの住む都会にやってきたカントリーマウスは、食事の豪華さには感激したものの、危険が多すぎるせいで、頻繁に走って逃げなければならないことに閉口してしまう。息せき切って走る逃走の連続。

シティーマウスの話に接するたびに、小学生時代に東京で目撃した「都市チュー」のことを思い出さずにはいられない。小学生時代の最もドキドキした思い出だ。

思い出話はそれくらいにして、以前書いた「都市鉱山」の続編のつもりで、今晩は「都市油田」について書こうと思う。

昨晩、海に漂う汚染スクラブの問題を書いていて、これは解決するのに長い長い時間がかかりそうだと感じて、落ち込んでしまった。先進国が打つべき対策をすべて打っても、海岸には発展途上国からのプラゴミが山のように打ち寄せるし、海洋そのものは地球大に広大なので、廃棄物や廃液による汚染も、ほとんど止めようがない。

直感でこう思った。「これはもうゴミを資源にするしかないな」。ゴミの処分をお金を払って代行してもらう限り、この地球大の問題はたぶん解決しない。「ゴミの資源化」、つまりゴミを出すとお金がもらえるような循環型社会を世界へ波及させていかないと、根本的な解決は望めそうにないような直感が働いたのだ。

ゴミ問題を論じた本は、内容が古くなっているものが多かった。最もバランスが取れているのは、『ごみ処理のお金は誰が払うのか』だろう。 この良書の内容も含めて分析すると、ゴミ処理の主要な問題は、3つの領域にまたがっていることがわかる。

  1. 消費者による細かいごみ分別
  2. ごみのエネルギー資源化
  3. 拡大生産者責任の確立

 ゴミ関係でも不快な裏話がたくさんある。香川県豊島の産業廃棄物の不法投棄事件は有名だ。偶々、豊島出身の友人がいて、ごみの文脈に触れずに故郷の話をすることができないと嘆いていた。自分の育った古き良き故郷が失われしまった感じなのだという。

近隣の直島がアートでの町おこしに大成功しているので、その余勢を駆って、隣の豊島も瀬戸内国際芸術祭で抱き合わせで輝いたのは、記憶に新しいところ。

 黄金週間に出かける旅先には、ちょうどいい候補地だと思う。風光明媚な瀬戸内の島とそこに根付いたアートを、 都会から来た美大生たちが楽しんでいる姿も、ついでに鑑賞できる。

さて、数日前に続いて、今日も南国のこの町に雪がちらついていたのは、「北の国から」の頼りだったのだろうか。ここで紹介した富良野市は、街づくりの分野だけではなく、ごみ処理の分野にも、平野にラベンダーを敷きつめて、馥郁たる芳香を放っている。

 富良野市のRDF製造施設の工程はいたって単純。ごみから金属などを取り除き、細かく砕いて強い圧力をかけて成型する。(…)年間約2500トンのごみがRDFになり、すべて道内の製紙工場や熱供給会社に販売されている。

 全国では福岡や三重などでRDFから撤退・縮小する動きがある。富良野市がRDF事業を続けられるのは、他の自治体より製造コストが安く済むからだ。分別収集で生ごみが混ざっていないので、乾燥の工程がいらないのだ。

(…)

富良野市ではごみの分別が14種類で、ごみ袋も7種類ある。年間に出る約7200トンのごみのうち91%は再生利用されており、焼却されるのはおむつ類や動物の死骸など6%。1994年に使われ始めた埋め立て処分場は春と秋しか使わないため、利用期限は当初より20年長い2024年まで延長された。 

(強調は引用者による)

かの有名なゴミ3R運動(Reduce, Reuse, Recycle)は、取り組みとしては貴重だが、消費者たちが懸命に煩雑な手間をかけても、目に見えるメリットが返ってこないのが、少し淋しいところだ。

富良野市では、レッシグのいう四規制概念(法、道徳、市場、アーキテクチャ)が総動員されているようにも見える。法や道徳で縛ったゴミの細かい分別によって、市場競争力のあるリサイクル資源を再生産でき、それが十全に機能するよう、全体的なアーキテクチャ地方自治体が運営しきっているのが素晴らしい。

朝日新聞の記事では、RDFの原材料となるゴミに、分別によって生ゴミが混入しないので、乾燥工程不要のコスト安が実現していると説明している。しかし、実は全国のRDF処理工場で問題が続発しているのは、生ごみの塩分とプラスチック燃焼時の硫化水素が反応してしまい、ボイラーや燃焼炉に損傷を与えるからなのだ。その対策とダイオキシン対策を施そうとすると、灯油による燃焼施設の10倍程度のコストがかかる。だから、生ごみ混入RDFは市場で売れ残り、鳴り物入りRDF処理工場が事実上の「倒産」状態になってしまうのである。

死亡事故まで起きた背景には、巨大ゼネコンの説明を丸呑みして、運営を丸投げした地方自治体上層部との癒着があるとも取り沙汰される。これまた夜のように深い清掃利権の闇にあっても、「消費者による細かいごみ分別」と連動すれば、明るい道が拓けるというのも示唆的な連携スタイルだ。

 しかし、そのような「市民が主役」の好循環が回っているゴミ処理も、社会全体を鳥瞰すればおかしいのだと指摘する声もある。 

日本の循環型社会づくりはどこが間違っているのか?―「汚染循環型社会」から「資源循環型社会」に転換するために

日本の循環型社会づくりはどこが間違っているのか?―「汚染循環型社会」から「資源循環型社会」に転換するために

 

問題の立て方が卓抜だったので、思わず膝を打ってしまった。このブログの読者なら、どう解答するだろうか。

家庭ごみの有料化は地方自治法違反なのに、どうして環境省経団連までもが、家庭ごみの有料化を叫んでいるのか?

 正解の背景には、欧米発で日本にも普及してきた「拡大生産者責任」の原則論がある。詳細は百科事典のリンク先を見てほしい。しかし、まったく難しい話ではないのだ。

拡大生産者責任」とは製品価格にごみ処理費用やリサイクル費用を含めること。そうすれば、価格競争環境のもとでは、自社製品から無駄なプラスチックや過剰包装を省いたり、自社製品をリサイクルしやすいよう設計したりするインセンティブが働く。 

どうして、ゴミ処理は地方自治体の固有の業務であるのに環境省が介入しようとするのか、ましてや、どうして民間企業の経団連が介入しようとするのか。そして、介入して声高に訴える主張が、どうして揃って「家庭ごみの有料化」なのか。

先程の問題の答え合わせをしたい。熊本一規の明快な分析に耳を傾けてみよう。

 その謎を解く鍵は、ごみの有料化とともにプラスチックの償却が主張されている点にあります。

 プラスチックの容器包装のリサイクル費用は、他のガラスや紙などの容器包装に比べてはるかに高くつきます。そのためプラスチック容器包装の分別収集が進み、リサイクル量が増えることは業界にとって頭の痛い問題です。

 もしも自治体がプラスチック容器包装をリサイクルする代わりに焼却する方針に転換すれば、その分、業界はリサイクル費用の負担を免れ得ることになります。

 他方、自治体は、容器包装リサイクルを行うためにはその費用総額の約9割を負担させられ、財政難の折、費用の捻出に苦心しています。悩んだ自治体は、とうぜん、容器包装の関連業界に「拡大生産者の責任徹底」を増やすよう要求します。

 そこで、プラスチックのリサイクルを辞めて、焼却の方針に転換できれば、自治体の費用負担が軽くなります。さらに有料化によって自治体の収入を増やせば、「拡大清算者責任の徹底」の要求もおさまるであろう。これが有料化を主張する経団連の狙いであり、それを環境省が後押ししていると考えると、経団連環境省が「プラスチック焼却とごみの有料化」を叫んでいる理由がよくわかります。 

 企業、自治体、市民の三者の関係の中で、地方自治法違反を犯してでも、市民だけに「一方三独損」を押し付けたがっているようだ。さりげなく読み飛ばした人もいるかもしれないが、自治体がリサイクル費用の9割を負担している現状も、どう考えてもおかしい。世田谷区などでは、自治体処理から民間処理へリサイクルを移行させて、莫大な金額の税金を節約することに成功している。

 ごめんよ。

 昨晩の記事のアホウドリの雛に、そう謝りたい気分だ。先進国の日本でも、溢れかえるほどのプラスチックを削減できそうにない。きみたちの胃袋にペットボトルのキャップがたまっていくのを、どうすることもできないかもしれない。 

あ、ごみは捨てても希望を捨ててはいけないのだった。しっかり分別して、魂の四次元ポケットにしまっておかなくては。

 2か月前に出たこのプレスリリースに、ワクワクを感じてしまうのは、自分だけではないだろう。 

 積水化学工業株式会社(代表取締役社長:髙下貞二、以下「当社」)と米国LanzaTech(本社:米国イリノイ州、CEO:Jennifer Holmgren、以下「ランザテック社」)は、この度、“ごみ”をまるごと “エタノール”に変換する生産技術(以下「本技術」)の開発に、世界で初めて成功しました。ごみ処理施設に収集されたごみを一切分別することなくガス化し、このガスを微生物により、熱・圧力を用いることなくエタノールに変換することで、既存プロセスに比べ十分に競争力のあるコストでの生産を実現・実証しました。大量に存在しながらその工業利用が極めて困難であった“ごみ”を、化石資源に替わる資源として使いこなすことを実現した、革新的な成果です。

“ごみ”を“エタノール”に変換する世界初の革新的生産技術を確立|新着情報|積水化学

心なしか、プレスリリースの文体が高揚しているようにも感じられる。「都市チュー」で書き始めたこの記事に、私の論旨の流れを無視して、「分別不要でゴミを丸ごとエタノール化」なんていう凄いことをぶち上げてくるとは。

流石は会社名に「キス」が含まれているだけのことはある、とか冗談を言っている間に、自分も興奮してきて、この社名が「セクシー化学」にしか見えなくなってきた!

 本技術で生産する“エタノール”はそれ自身が最終製品として年間75万kL程度の大きな市場を有するのみならず、石油化学製品の6割程度を占める“エチレン”と同様の構造である“C2構造”を持つことが特徴であり、既存化学プロセスの活用でエタノールをエチレンモノマーやブタジエンモノマーに変換することで、身近なプラスチック等の有機化学素材に誘導することが可能です。これにより、ごみの再利用による化石資源の代替のみならず、サステナブルな社会の構築のほか、全国各地での新たな産業創出(地方活性化)や、炭素の固定化効果による大幅なCO2排出抑制に貢献できると考えています。

 実は素人が最初に発想しがちなプラスチックごみの油化は、技術的コスト的ハードルが高いことが、理系人の間では知られている。しかし、まさか分別していないごちゃまぜのゴミが、最終的にプラスチックになるとは想像もつかなかった。

この画期的な新技術がまともに運用されたら、やがてゴミ収集車はもちろん、あらゆる自治体の車が、ブラジルを走り回っているのと同じフレックス燃料車になるはずだ。ゴミ分別が不要というのが、ブレイクスルーとしてとても大きい。この記事で書いた管理放棄林も、間伐材エタノールになるのなら、人の手が入って、蘇るかもしれない。 

何だか希望が湧いてきた。日本のエネルギーの安全保障も大きく改善する可能性が出てきた。

ブラジルは、オイルショックに見舞われたのをきっかけに、1975年、国家的戦略「国家アルコール計画」でエネルギー転換政策を立ち上げる。ガソリンに代わる代替エネルギーとして、サトウキビを発酵させて作るバイオエタノールを生産、拡大してきた。一時、供給の不安定さ、コストダウンの難しさ、ガソリンでもバイオ燃料でも走れるフレックス車の技術や車種の不足などが理由で計画はとん挫しかけたが、90年代、原油価格の高騰とともに、ビジネスとしても確立。アメリカ、ヨーロッパなどに売り込み、現在、ブラジルは、世界随一のエタノール輸出国となっている。

トウモロコシやサトウキビのような食料とは比較にならない。ゴミ・エタノールの原材料の素晴らしさは、「夢のエネルギー源」といっても過言ではなさそうだ。

http://cgi2.tky.3web.ne.jp/~in1964/interview/7/interview.cgi

ごちゃまぜのゴミが新品のプラスチックになるのなら、エタノール燃料のガイアックスに石油利権経由の圧力をかけて潰した政治家や官僚も、「再生可能人材」に化けるかもしれないな。そんな「再生工場」を誰か開発してくれないだろうか。

「ごめん、勘弁」。そんな声が聞こえる。ごみを新品のプラスチックにはできても、それだけは難しすぎるということかもしれない。

とか呟きつつ、本当に今晩書きたかったことが別にあったのを思い出した。

「都市チュー」を目撃した小学生は、やがて高校へ進学して英語を学び、あれが「アーバン・チュー」であったことを悟り、次に進学した東京の私立大学でフランス語を齧って、あれが「アバンチュール」だったことを思い知った。ずいぶん大人になったものだ。

そのアバンチュールについて、今晩ワクワクしながら書こうと思っていたのだが、いつのまにか話が逸れてしまった。

それも良いかもしれない。そもそも人前で書くことじゃないはずだ。なにしろもう大人だから。

このアバンチュールがこうなっタラとか、ああなっタラとか、夢想しているうちに、不安になって毛布にキツくくるまったりとか、思春期的な理由でテレビを消したりとか、大人だから、全然そんなことはしないのだ、と書きつけつつ、ふと、ぼくもずいぶん大人になりましたでチュー、と声に出した呟きが、どうにもあどけないフグ田タラオにそっくりだったことを、どう適切に説明したらよいのか。

どうしたらよいかわからないので、今はすべてをタラちゃんのせいにして、今晩も眠ることにしたい。