機知っと紅茶が入るまで
地方のテレビ局関係者から、あまり羽振りの良い話を聞かない。CMを作りませんか、という営業を数回会社で受けたこともあるが、ネットや口コミの方が宣伝効率が高いので、とても乗れる金額の話ではないと感じた。
そんな背景もあるのか、地域トップの民放会社が本社ビルを手放して、まだ使える建物を取り壊して更地にしてしまった。数年前の話だ。隣の私立大学が用途も決めないまま買い取って、さしあたり駐車場にしていた頃、そこに新設する建物にどんな飲食店を入れたら良いかの相談に乗ってほしいと頼まれたことがある。企画書を出すので、湧き出るような発想力を貸してほしいと依頼されたわけだ。
どこかで食事を奢ってもらいながら私が提案したのは、まずは学食との差別化。もともとお洒落で高級感のあるレストランの乏しい界隈だ。県外から学会に来た客や社会人が主として使うような大人向けの食事スペースを、内装の差別化と価格帯の差別化で作り上げてはどうかと提案した。
それとは矛盾するが、新入生の授業出席率が高い春から夏にかけて、ランチタイムの1時間だけは、既存の学生食堂から学生が溢れてしまうことがある。その学生たちを吸収できるように、ランチメニューは最低価格帯を800円前後にしたら良さそうだ、とも伝えた。提携したら上手くいきそうな民間のレストランもいくつか教えた。
ちなみに、知り合いの教授は、大型バスが楽々停まる駐車場に温浴施設をつけて、大学を観光コースにしてはどうかと提案したらしい。
誰の提案が通って、どのように設計されたのかは知らない。このサイトで見られる360°の「Le Repas」の全景を見ると、スターバックスのインテリアの影響を感じさせる小洒落た空間に仕上がっているようだ。メニューの価格帯も、だいたい想像通りというところか。
そこを勉強の根城にしている感度の高い学生がいたのは、嬉しかった。勝手な先入観でいうと、松山の若者はお洒落に物怖じしやすいところがあって、全額こちらが奢ってあげる飲み会企画で希望を聞いても、「お洒落なところはやめてください」という返事が返ってきたりする。大学生のデートで賑わうはずの大学至近のお洒落な洋食レストランは、あえなく潰れてしまった。
しかし、その跡地に贔屓にしていたケーキ屋さんが 隣町から移転してきたのは、望外の朗報。この街で最も腕利きのパティシェが生み出すケーキの数々は、逸品ぞろいだと思う。
ちなみに、このお店のイートインでは、美味しいフランス産の紅茶をいただける。
本当はこれに続けて、過去のプライベートな話を書くつもりだった。自宅へ送っていった彼女が、飼っている黒のトイプードルに言うときと同じ口調になって、「もうここで良いよ」。去りがたくて私がじっとしていると「もう、こっちはあなたのおうちじゃないのよ。東京へお帰り。**ちゃんに会ってきなよ」と言って、背中を向けて歩き去っていったこととか。
あんな言い方をされたら、こう答えるしかないではないか。
くぅん。
ちょっと書けそうにない感じだ。最近偶然、 「Le Repas」の近くの建物のガラス越しに彼女を見かけてしまったことが、自分の記憶の中で、奇妙な印象の尾を引いてしまっているらしい。
微熱でもあるのかと思って、会社の体温計で計ったら36.8℃だった。とりたてて問題はなさそう。うどん県ならぬミカン県人らしく、未完の人生にビタミンCを添えて、今晩も頑張ろうと思う。
というわけで、今晩は建築の話。
空き家問題の原因と解決を解説する本の中では、わかりやすいと思う。現代の日本は「人口減少社会」であると同時に「住宅過剰社会」なのだという冒頭の打ち出しはキャッチ―だ。野村総合研究所によると、団塊世代が亡くなり始める2033年には、日本の住宅の空き家率が30.2%になるのに、つまり日本の住宅の三軒に一軒は空き家になるのに、2014年にはイギリスの2.8倍、アメリカの2.3倍の新築住宅を着工している。
日本の住宅市場で、何かとんでもなく不思議なことが行われているのだろうな。そう感じて調べていたら、その通りだった。日本が好きなので、こういう予想が当たってもあまり嬉しくない。ついでに、米英との比較を続ければ、日本の住宅の耐用年数はわずか約30年、イギリスは約77年、アメリカは約55年。
薄々気づいてはいたが、戦時中の「鬼畜米英」より、現在の「ブラック国家」が日本国民になすりつけている「キツイ苦」の方が「鬼畜」なのではないだろうか。
最新の空き家事情や無勝手流の都市計画の杜撰さんなど、日本の歪んだ住宅事情を教えてくれる良書だが、どうして日本の住宅は長持ちしないのかという中心命題の解明には、やや腰が引けている印象だ。認定つきの長期優良住宅にしても、その立地位置を無視して、つまりは都市計画を無視して進められていることを批判するのはもっともだとしても、それを「ストック社会への転換」のひとつとして持ち上げるのは、ミスリーディングだと思う。
低品質高価格な日本の住宅事情を改善するには、日本国民の最大のストック資産である「土地」 を、どうフロー化させるかの思考が不可欠だからだ。
その意味では日本の住宅事情に警鐘を鳴らしつつ、英語初心者向けに英単語ドリルの機能も併せ持った本書は、忘るべからざる貴重な奇書だと言えるだろう。
マンションの老朽化 aging の問題が社会問題 social problem となりつつある。2003年の5月、フジテレビの『マンション残酷物語』という番組で、築後25年のマンションで共用排水管がダメになり、水漏れした」という事例 case が放映された。配管の交換 exchange の費用が高く、修繕 renewal の予算がなく、管理組合の総会で工事の同意 agreement がとれないというのだ。(…)別の見方 viewpoint でいえば、1つ1つ戸建て住宅があったとして、その建物すべての下に公共上下水道が埋設 land burial していることと同じである。配管の寿命が来て交換 exchange するには、その家をすべて壊さなくてはならない。配管の交換 replace どころではない。しかし、今のマンションはそれと同じ構造なのである。
亡国マンション The Truth of Defective Condominiums (光文社ペーパーバックス)
- 作者: 平松朝彦
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2006/01/24
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知らない英単語は一つもなかった。しかし、「交換」にあてる英語が「exchange」と「replace」の2種類あり、その使い分け法が書かれていないので、英単語帳としては今ひとつの出来だ。
ところが、住宅事情の批判書としては、先進的な鋭い知見が満載なのだ。
建築好きの自分としても、この問題は不思議でしょうがなかった。人生で一番大きな買い物である住宅は、ざっくりいうと自動車の10倍の価格。住宅を自動車に置き換えて、こんな思考実験をしてみてはどうだろうか。
日本の自動車の耐用年数は約3年、イギリスは約7.7年、アメリカは約5.5年だとしよう。家系に占める住宅関連費の割合(≒住宅価格)はほぼ同じなのに、どうして先進国の間で、こんなに自動車(住宅)の品質に差がついているのか。
日本の住宅メーカーはとんでもなくモノづくりが下手なんだな。こんなに耐久性が違うのなら、自分は絶対に英国車やアメリカ車に乗りたいぜ。思わず、そんな感想を洩らしてしまう。でも、悪いのは、必ずしも住宅メーカーばかりとは言えない。日本でだけ高い地価が、結果的に住宅の品質を押し下げているのだ。
住宅を理解するには、土地を理解しなければならない。土地を理解するには、バブルを理解しなければならない。バブルを理解するには、日銀を理解しなければならない。
著者の平松朝彦は、文体は独特ではあるものの、土地本位制の研究では野口悠紀雄を勉強し、日銀の研究ではヴェルナーの『円の支配者』まできちんと勉強している。このペーパーバックは、マンション購入予定者の必読本 must-read book に決定 be decided だ。
「土地本位制」では、税収が増える国は地価を上げたがり、それがあれば融資判断を簡略化できる銀行は高い地価を歓迎する。しかも、日本の住宅ローンで用いられているリコース・ローンという方式は、日弁連が違法決議を出すほど、不当に銀行に有利な契約方式なのだという。
日本の住宅政策を最も貧しくしている元凶が「土地本位制」にあることは、この個性的な一級建築士によってだけではなく、学術書でも指摘されている。
土地所有が資産所有としての性格を強めるほど、土地供給は地価変動にたいして硬直的となるのが現実である。
[超訳] 土地が高いもんになってまうと、地価が上がったら舞い上がって手放さへんし、下がっても塩漬けにして手放さへんような、土地狂った状態になってまうんや。
土地キャピタルゲイン課税などを整備して、少なくとも投機的な土地取引に規制を加えることで、低廉な住宅用地の供給を確保しなければならない。これが、日米の住宅政策を比較した論文集の結論で、真っ先に挙がる指摘なのだ。
ではどうすれば日本の住宅事情は改善するのか。
すっかり驚いてしまったのは、不動産の広告でしばしば目にする「専有面積」という用語の使い方が違法だったという事実だ。
水道管や電気メーターやガス管などが通っている場所をPSという。Pipe Space の略だ。マンション業界は、何と、マンション居室を少しでも広く見せるため、また専有部に共用部が修繕困難な形で混入していることを隠すため、区分所有法に違反して、PS面積を専有部に算入しているのだという。
重要なのは、もしこの区分所有法通りの表示がなされていれば、かつて50年代の日本のマンションがそうだったように、修繕積立金がわずかで済む「外配管」設計が主流となることだ。現在の「内配管」設計は、先ほどの自動車の譬えでいうと、ボンネットを開けてエンジンルームにアクセスできない車のようだ。そんな莫迦莫迦しい構造なら、些細なエンジントラブルが起こっただけで、新車に買い替えなければならなくなるだろう。
このような配管の問題も含めて、修繕容易性を高めて建築物の超受模様化を図る工法を、スケルトン・インフィル住宅(SI)という。住宅メーカーの宣伝では、間取りの自由度を強調されすぎるきらいがあるが、元はといえば、建築物の長期安定利用を目的としたもの。国交省のサイトではこう説明している。
国土交通省では、世代を超え利用可能な「100年住宅」の普及を主要施策と位置付け、その主要方策の一つとしてのSI住宅の開発・普及に取り組んでいるところであり、国土技術政策総合研究所・独立行政法人建築研究所の研究の成果をふまえ、今般、法務省の協力を得て、下記のとおり取り扱うことが可能となりましたので、お知らせします。
SI住宅:建物のスケルトン(柱・梁・床等の構造くたい躯体)とインフィル(住戸内の内装・設備等)とを分離した工法による共同住宅。スケルトンは長期間の耐久性を重視し、インフィル部分は住まい手の多様なニーズに応えて自由に変えられる可変性を重視して造られるもの。
スケルトン・インフィル住宅(SI住宅)の普及促進に向けた環境整備−SI住宅に係る登記上の取扱いを明確化−
さて、国交省は「100年」のタイムスケールで動いているが、以前から「300年」を基準に集合住宅を作ってきた建築家が福岡にいる。
共用配管の取替を行いやすくした「外配管」システムの普及の妨げとなっていた横引勾配による床下増を、共用廊下とバルコニーの二方向に排水することにより、半分の高さ増で抑えるようにしました。横引き主管の中央を頂点として二方向に排水することで、床下ふところを260 ミリに抑えました。
細かな発明や改良を重ねて、出願した特許は100以上。300年だと、何世代が住む住宅になるのだろうか。日本の住宅として寿命が10倍であることの凄さは、700歳まで生きる日本人をイメージすればわかりやすいのだろうか。凄い数字だと思う。
ところで、「外配管」のスケルトン・インフィル住宅が、区分所有法での私有概念の整理からその活路を得られるように、土地の私有というストック財産を固定観念から掬い上げることが、日本の住宅制度の問題点を解く鍵になりそうだ。
鍵の一つは、定期借地権を利用した「つくば方式」。
建物の入居者は、建物を耐久性の高いスケルトン(躯体)とインフィル(内装、設備)に分けてつくっておく。30年間は建物購入費を返済しながら、借地代を支払う。30年後に、入居者は建物譲渡特約によって建物のスケルトン部分を土地所有者に譲渡することができる。(…)
つくば方式の第1号棟では、一時金なしとし、権利金相当分を30年にならして基礎地代とした。こうした措置は、入居者にとって支払いが軽減されると同時に、土地所有者にとっても税金の負担が軽減されるため、双方にメリットがある。
資産として私有することをマストだと考えさえしなければ、古くからあるリバース・モーゲージも、魅力的な選択肢だろう。しかし、十数年後に3軒に1軒が空き家になるような国では、銀行が取り組みたがらないこの制度は、先行きに明るい見通しがないのかもしれない。専門書にも、少子高齢化がリバースモーゲージの可能性を狭めていることが書かれている。
居住福祉をデザインする―民間制度リバースモーゲージの可能性 (新・MINERVA福祉ライブラリー)
- 作者: 倉田剛
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結論としては、たぶんこうなる。
戦後の「土地本位制」が日本の住宅の質を低下させ、建てては壊す日本の住宅慣習を作った。しかし、土地や住宅を私有のストック資産と見るのではなく、住宅の長寿命化と同時に、フロー資産として利用の流動化を図れば、ライフステージに合った最適な住宅を手に入れることは、不可能ではない。
ところで、建築好きな仲間と一緒に、建築のどこを見るのか話し合ったことがある。その中の一人が、動態視力をもって建築を見ると告白したので、彼のことを見直すようになった。
建築が静的な構造物だと思ったら大間違いだ。少なくとも住宅に関しては、刻々に変化する「光」と「風」を観察できなければ、建築を理解したとは言えない。
日本の戦後史を振り返っていて常々感じるのは、それを見極めるのに虚構への動態視力が必要だということだ。原発の安全神話にせよ、土地の値上がり神話にせよ、数々の作り話(myth)を読解ミスしたら、以後安心はできない。虚構の背後には、誰が何をどう動かしたがっているかの底意が、常に蠢いている。それらをの暗闇の中で見極める暗視力と動態視力が、この時代を生き延びるのに不可欠だろう。
と書けば、何とか記事は機知っと仕上げったことになるだろう、と書いたこの一行に、どこかで言及した『エスプリ』が含まれてしまったのは、いつかその店のティーカップに唇をつけたいと切望していた紅茶が入るのを、いつとも知らないまま、自分があてもなくずっと待っているからなのだろう。ただひたすら、その tea が tear にならないことを願いながら。