「They say 税制 是正!」の山びこ

  日本の林業を調べていたとき、山地に明確な境界線がないせいで、相続してもどこが自分の山なのか誰に聞いてもわからない「うちの山はどこ問題」があることを知った。けれど「うちの山はどこ問題」でググっても、めぼしい記事にはヒットしなかった。ネーミングはこれ以外にないので、選んだ検索エンジンがいけなかったのだろう。

ひとりで考えているうちに、これは短編小説になりそうだと直感した。

 主人公は山村の出身。疎遠になっていた野球部の先輩から、突然呼び出しの電話がかかってくる。「お前とキャッチボールがしたい、頼む」と先輩は電話口で言う。不思議に思いながらも、40代目前の元野球少年は先輩に会いに行く。

 二人で久々のキャッチボールに興じているうちに、野球少年だった頃を思い出して、主人公は快活になる。思い切って、こう訊く。

「先輩、何で20年ぶりにキャッチボールに誘ってくれたんですか?」

「『山びこ打線』が急に懐かしくなってな」

「話題になりましたよね、うちの野球部が甲子園へ行ったとき」

「親父が急になくなって、ここの近くの山を相続したんだ。山にいる時間が長くなったら、思い出しちゃったんだ」

「その山、ここから見えますか?」

「見えねぇ。もっと奥にあるんだ。それを見てみろよ」

「あ? このボールですか?」

握っていた年季の入った野球のボールをよく見ると、地図らしき線や目印が書いてある。

「俺の親父も同じ野球部だったんだ。俺とキャッチボールしたのが懐かしくって、そんなところに山の地図を書いたんだと思う」

「大事なボールなんですね」

「しばらく持っておいてくれよ」

「しばらく?」

「地図はばっちり頭に入ってるからよ。ちょっくら、うちの山を拝みに行ってくるわ。小一時間で戻ってくっから」

そういったきり、先輩は帰ってこなかった。主人公は三日待つ。三日だと最初から心に決めていた。山に向かって先輩の名を呼んでも、どうしてだか、山びこも返ってこない。自分ひとりの声が響き渡るだけ。

三日たっても先輩が帰ってこないのがわかると、主人公は野球部の後輩の一人に電話をかける。そしてこう言う。

「お前とキャッチボールがしたい、頼む」

 ささやかな短編小説の素材になるくらいなら可愛らしいけれど、その山々が集まると四国くらいの大きさにまでなってしまい、誰の持ち物かわからないせいで、こっそり交換されていたら厭だ。

佐藤雅彦の『四国はどこまで入れ替え可能か』 については、この記事に書いた。 

話は山だけにとどまらなかった。大変なことになっている。所有者が行方不明の宅地や農地を合わせると、知らないうちに交換されてしまいかねない国土面積のサイズは、四国ではなく九州サイズになっているというのだ。   

 土地の本を読んでいて、懐かしさが込み上げてきた。その昔、税理士試験の勉強をしていた時期が自分にはあったのだ。

何かとんでもなく酷い場所に数年間も幽閉されて、手持ちの資金やら人間関係やらがボロボロになってしまったので、やむなく断ち切って、4か月間集中的に資格試験の勉強をした。会計学の知識ゼロから始めて4か月で、簿記論と財務諸表論に合格できたのは、望外の収穫だった。朝7時から夜0時まで、食事と入浴以外すべて勉強に費やしたら、未知の学問がすいすい入ってきたのだ。

その後も仕事と並行して大学院に通ったり、苛酷労働条件下で働いたり、起業して休日なしで仕事したり、仕事と並行してこのブログを書いたりと、この10年間、ほとんど休みなく忙しくしている。一度きりの人生を、自分なりに輝かせなきゃ。

さて、もう詳細は忘れたが、会社と並行して通った大学院で書き上げた修士論文が、相続税の土地評価での公示価格と実勢価格の乖離がテーマだった。乖離させる必要などない。というか、90年バブルはその両者が乖離していたことに一因があったところまでは確認した。仕事と平行しながら2週間で、約80枚の修士論文を仕上げたことで、専門の文学でなくとも物を書ける自信がついた。

幸運さえつかめれば、人生は「やるかやらないか」であり、「やる」は幸運を引き寄せる。そんな人生観も、その頃から培われてきたのではないだろうか。

 話を戻そう。漁業でもそうだった。林業でもそうだった。「日本の官僚は優秀」だという俗言の根拠はどこにあるのだろうか。九州まるごと一個分サイズが所有者不明だなんていう先進国は、世界のどこにもない。

 国土交通省の2014年調査では私有地の約2割が所有者の把握が難しい土地だという。(前掲書)

 九州一個分サイズの土地が所有者不明になっている原因は、どこにあるのだろう? 日本と土地制度の設計思想が近いとされているフランスでも、同じような問題は起こっていない。

一つは、 「土地の戸籍調査」たる地籍調査が、日本は2016年で52%しか進んでいないことだ。残りの48%は、戦前の手書き地図や明治時代の毛筆の地図を使っているのだという。フランスとドイツでは地籍調査は100%完了済み。韓国と台湾は、2回目の調査が始まっているのだという。

 日本で地籍調査が進まないのには、予算不足以外にも理由があって、「縄のび問題」が邪魔をしている。

 実測した土地の面積が、登記簿に記載されたものより小さいことを縄縮み、大きいことを縄伸びといいます
 縄縮みや縄伸びは、主に地方の農地や山林で起こります。その原因として考えられるのが、これらの登記簿の面積が、測量技術の未熟な明治初期のものが多いことです。また意図的な理由としては、縄伸びは、税負担軽減のための過少申告、縄縮みは、売買代金の嵩上げを狙った、などが考えられます。

(強調は引用者による)

https://www.homes.co.jp/words/n1/525001540/

戦前までの測量地図が税逃れのために土地を縮小コピーしているので、正確に地籍調査を進めれば進めるほど、境界線トラブルがどんどん発生してしまう。地籍調査をしたばっかりに、それ以前には取引できていた土地が取引不能になることまである。

 このようなデータ化自体の不備もあれば、データベースの不備もある。日本の不動産登記制度は明治時代の地租徴収のときに作られたもので、何と登録義務がないのである!

不動産登記は、市町村の固定資産税の課税ベースになっていて、てっきり登記が義務化されているものだとばかり思っていた。ところが、調べてみると、台帳が複数あったり、情報の連携がなされていなかったりで、まるで機能していないことがわかった。不動産登記の義務がなくとも、土地の売買時には所有権移転の登記がなされるが、所有者死亡による相続の登記は、義務でもなく面倒なだけなので、やらない人が半分以上いるそうだ。

毎年こうして、所有者不明の土地が雪だるま式に増えて、今や九州サイズに。雪と違って、私たちが何らかの手を打たないと、雪だるまは一向に溶けてくれそうにない。

 各種の登記制度の連携や制度見直しは当然として、急ぐべきなのは、ランドバンクのような公共セクター連結型のNPOだ。下記の記事では「政府機関」となっているが、地方自治体内部のNPOのような位置づけの組織が、一般的らしい。

 藤井氏によると、ランドバンクとは、空き家・空き地・放棄地、税滞納差押物件などを利用物件に転換することに特化した政府機関で、市場(マーケット)が見捨てた物件への対処が基本で、物件の譲渡、利活用を進めるために滞納された資産税や課徴金はランドバンクの物件取得時に帳消しされるうえ、ランドバンクの保有物件は非課税扱いとなる。

海外でランドバンクを成功させた地方自治体は、成功するランドバンクの特性をこのように列挙している。

  1. ランドバンクと税滞納差押過程が結び付けられること
  2. 再生計画や土地利用計画に基づいた事業
  3. 物件の取得、譲渡などの考え方、優先順位などが透明性を有し、市民の信頼を得ていること
  4. コミュニティ諮問委員会の設置、住民団体との協働
  5. コミュニティプログラムとの整合性 

国交省が空き地活用検討会 米国ランドバンクなどの事例報告 - 住宅最前線 こだわリポート - NIKKEI 住宅サーチ

 このようなランドバンクが日本でそのまま成功するかには、疑問もある。アメリカに比べて、日本は土地の税制に問題を抱えているのだ。この記事でも、日本の「土地本位制」が日本の住宅事情を大きく悪化させていることを書いた。

Amazon に、2010年に購入した記録が残っていた。修士論文を書くときに、参考文献の一つにしたような記憶がある。この新書の30ページほどに、日本の土地制度に歪みが生まれた原因と経緯がまとめられている。 

 第三章は、何度読んでも、現在読んでも面白い。最初の数十行で、平均的な日本人の固定観念を壊してくれる。まとめるとこんな感じだ。

日本は国土が狭いので地価が高いは嘘 → 都市的用途の土地は国土の1/30~1/50程度でしかない。土地は充分に余っている → 土地の利用価値(フロー)よりも資産価値(ストック)が重視されているので地価が高い

 このような歪みが起きたのは、税制と借地法にあるのだ。今晩は税制にフォーカスしたい。

この周辺が私の修士論文と関わりのあった領域だ。当時も調べていて驚いた。 ①路線価<②公示価格<③実勢価格の順に地価は上昇する。実際に取引されている土地の価格は③なのに、③の約半額と言われる①に基づいて、相続税や固定資産税が計算されるのだ。当然、土地の税額も半額となる。 

「土地はずっと半額」なら、相続財産のうち「土日の金融資産」を「平日半額の土地資産」に変えて子孫に譲った方が、はるかに税負担を減らせるのは間違いない。富裕層の資産が「平日半額の土地資産」に集中したために、相続向け資産としての低利用度の土地が急増したのだ。そしてその現象が、高度経済成長期に、商業利用向けの土地の不足を招き、地価が高騰したのである。 

不当に税負担が安いのは、相続税だけでなく、固定資産税も同じだ。上記新書の発売直前で、実勢価格ベースで比較すると、日本の土地の実効税負担率は約0.06%。アメリカの多くの都市での土地の実効税負担率は1~2%なので、日本の方が土地の税負担が約25倍安いことになる。したがって、このような結論が導かれるのだ。

 仮に固定資産税の実効負担率が高ければ、土地を単なる値上がり待ちで保有することはできなくなるだろう。少なくとも、土地を有効利用するインセンティヴ(誘因)が働くはずである。このように、日本の土地問題の根底には、税制の歪みが大きく作用しているのである。(前掲書)

 さて、このような土地税制の歪みは、日本の国のさまざまな病巣とつながって、ほとんど処置困難な多臓器不全を引き起こしているように見える。

 2015年の野口悠紀雄の近著を読んでいて、やはり処方箋は「それ」しかないだろうと感じた。「それ」とは、リバース・モーゲッジと相続税と介護制度の連携だ。

 銀行員の友人に、リバース・モーゲッジの動向を訊いてみると、リスクもあるので推しづらい商品なのだとこぼした。

リスクは3つある。金利上昇と担保割れと長命。 金利が上昇したり、担保物件の評価額が急低下したり、所有者が想定より長生きしすぎたら、担保物件をフロー化した金融資産が不足してしまう。しかし、この不確定要素には、 逆コースもある。金利が低下したり、担保物件の評価額が維持されたり、所有者が想定より短命である場合もあるのだ。その場合、少子化により相続する子孫のいない財産のうち、フロー化しきれなかった残余ストック資産も少なからず発生するはずだ。

この両方のケースを保険原理でリスクヘッジすることを、野口悠紀雄が提唱している点が、この本の看過すべきでない読みどころのひとつだと自分は感じた。

現在、民間主導で普及しつつあるリバース・モーゲッジが相続税と関連づけられると、当然、担保物件の評価手法が最大の注目を集めるだろう。

実は、相続税の「半額」路線価評価は、税の過大徴収を抑止しようとする「保守性の原則」に起源がある。国民に利益のある評価法でもあったのだ。しかし、その評価が「保守的」なままだと、リバース・モーゲッジでは逆に国民に不利益に働くので、土地の評価法は実勢価格に近づく可能性が高い。変動分をリスクヘッジする保険原理がリスクをカバーするはずだ。そうしないと、介護保険制度が持たないという切迫した事情もある。こうした諸々の要因が、戦後以来の日本の病巣の中心だった「土地本位制」という歪みを完治させる可能性があるのだ。

しかし、恐ろしいことに、その臓器が完治してしまうことが、別の病巣を襲ってしまう可能性も否定できない。いわば、長年の心臓病が完治して、勢いよく血液を全身に送り出し始めると、たちまち脳溢血を起こして倒れてしまうイメージだ。

相続税強化やリバース・モーゲッジなどによって、土地が大量にフロー化されると、別の病巣を直撃して、そもそも「神話」だった「土地本位制」が崩壊し、不動産バブルの崩壊を招きかねない。

別の病巣とは少子高齢化だ。あと十数年で、日本の住宅の三軒に一軒が空き家になる時代が来る。誰が大金をはたいて土地や住宅を買うだろうか。

上記のランドバンクの記事では、同じくリーマン・ショックという住宅バブルの崩壊後、崩壊前には77,000ドルした住宅が1ドルで売却された事例がクローズアップされている。

少し前に、私たちは<戦前>にいると語った思想家がいた。その<戦前>のイメージが何度も呼び戻されているこの時代、「戦後の焼け野原」が蘇ってくるような崩壊の予兆が辺りに犇めき合っているような気がしてならない。

 と、今晩も、何とか記事を締め括ることができた。明るいことを書きたいのは山々だが… と書きつけた瞬間、自分の身体を電流が走り抜けたような気がして、「山」「山」「山」「… とわれしらず繰り返してしまう自分がいた。勘違いなら勘違いでかまわない。自分が「山」に惹きつけられて、ふらふらと立ち上がって、「山」へ分け入ろうとしていく理由を、どこかに探し求めようとしても、検索エンジンはきちんとした答えを返してくれない。選んだ検索エンジンがいけなかったのだ。山びこに訊いてみよう。そう思い直して、私はこう叫んだ。

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