光指す方角から「うほうっ若丸」参上!

うほうっ!

20代の頃の微かな記憶。演出の腕を買われて、友人の芝居の演出助手を頼まれて、ちょっとだけ手伝ったことがあった。冒頭の叫び声は、そのとき或る学生劇団の女優に、「もっと喜びをこめて!」と指示した台詞だ。前後の文脈は忘れてしまった。

最上級の喜びを表す叫び声で、最もよく使われているのは「ヒャッホー!」だろうか。ちびまる子ちゃんのお姉さんは「らりほー!」だったと思う。「遅れてきたヒッピー」感がよく出ていて、好きだ。

「うほうっ!」と叫んだか、「らりほー!」と叫んだかは、よく覚えていない。家電好きなのになかなか買えなかったドラム式洗濯機を、日立にしようか東芝にしようか、散々迷った挙句、ようやく設置できたときは嬉しかった。

ところが、4年経って久々に調べてみると、厳正な商品テスト付きのこのサイトに、東芝ドラム式洗濯機は影も形もない。

あらゆる場所に原発の暗い影が…。

サザエさん」のCMからも撤退して、「東芝劇場」は終わりに近づいてしまったような気がする。REGZAブランドのテレビやレコーダーも優秀で、大好きだったのに。

東芝ドラム式洗濯機については、平成バブルを論じた下記の記事で少し言及した)。

けれど、どんな大会社だって、これから10年で職業の半分が消えようとしている時代に、未来の経営は見通せないはず。たとえば、自分がこの15年親しんできた或る小説の一部。ゴチックにした部分は、ヤスパースの哲学に親近性があると勝手に解釈している。

 四人とは高校時代の親友だったが、つくるは既に故郷を離れ、東京の大学で学んでいた。だからグループで追放されたところで日常的な不都合があるわけではない。しかしそれはあくまで理屈の上でのことだ。その四人から遠く離れていることで、つくるの感じる痛みは逆に誇張され、より切迫したものになった。疎外と孤独は何百キロという長さのケーブルとなり、巨大なウィンチがそれをきりきりと絞り上げた。そしてその張り詰めた線を通して、判読困難なメッセージが昼夜の別なく送り届けられてきた。その音は樹間を吹き抜ける疾風のように、強度を変えながら切れ切れに彼の耳を刺した。 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)
 

 ヤスパースは、「限界状況のうちに超越者との遭遇が隠されており、自己の存在と超越者を求める努力は、挫折する。しかし、挫折を暗号として解読することで、超越者の存在が証言される」としたとか。

カール・ヤスパース - Wikipedia

「暗号」という概念をどこまで広く捉えて、そこから、世界に満ちている不思議へ、自分が存在している神秘へと迫れるか。そういうチャレンジ精神が、自分の読書の原動力になっている。

ビットコインの登場以来、「暗号通貨(仮想通貨)」が世界経済の中心で大きな渦を巻き始め、その渦の拡大はとどまるところを知らない。

自分のアンテナによく飛び込んでくるのは、ビットコインイーサリアムリップルなど。ロシアのプーチン大統領のバックアップを取り付けたイーサリアムは注目株で、この記事の最後に少しだけ書いた。

ただ、最近主流メディアが騒ぎ立てた「コインチェック騒動」からもわかるように、暗号通貨は暗号技術をクラックされると崩壊しかねない。仮想通貨を比較するには、暗号技術について基礎知識が必要なのだ。ちょうどそれは、資産をどの外貨に移そうか迷ったとき、それぞれの通貨発行国の国情を知っておかなければならないのに似ている。

というわけで、昔読んで無類に面白かった暗号歴史本を、今晩は引っ張り出してきた。 

暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで

暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで

 

 読みどころは、第四章だろうか。両大戦間のドイツ。連合国がドイツの当時最強の暗号機械エニグマを紆余曲折の末に攻略していくさまが、手に汗握る面白さだ。

ドイツの鉄壁の暗合が崩れたきっかけが、第一次世界大戦後のハイパーインフレにあったという史実も面白い。困窮と冷遇の果てに、軍事機密を連合国に売る将校が出たのだ。こうして暗号機械エニグマのレプリカは完成した。しかし、そこからも困難の道のりは続いた。突破したのはポーランドの情報局だった。サイモン・シンの言う通り、「恐怖は必要の母」なのである。そして、完全解読へとプロセスを劇的に前進させたのが、コンピュータの発明者としても知られるアラン・チューリングだった。

 しかし、彼の連合国への多大な貢献は、諜報組織活動の常で、誰にも称えられることはなかった。1974年に当時の秘密を開示した本が出版される前に、チューリングは同性愛者として「猥褻罪」で逮捕され、強制ホルモン治療を受けさせられ、鬱病を発症した。しばらくして、青酸カリを塗った林檎を齧って、自殺したのだそうだ。 

サイモン・シンのこの著作は、暗号の歴史の重要性が知られていないのは、それが元来秘匿される種類のものだからでしかなく、暗号の歴史が世界史に果たした役割がきわめて大きいことを教えてくれる。著者お勧めのアメリカ国立暗号博物館は、渡米したら行ってみたい場所の一つだ。

 レビューで絶賛の嵐を浴びている『暗号解読』から17年。暗号がますます私たちの生活に浸透した不可欠のものになってきた。別の著者による「続編」となっていることを期待して、『暗号の数学』を手に取ったが、こちらは暗号構築の基礎となる数学をわかりやすく解説したものだった。 

暗号の数学 ―シーザー暗号・公開鍵・量子暗号・・・―

暗号の数学 ―シーザー暗号・公開鍵・量子暗号・・・―

 

実は、サイモン・シンの『暗号解読』を読んで興奮した自分は、当時「公開鍵式暗号」を純文学小説に導入できないかと真剣に考えていた。

  1. Bさんは、Aさんが公開している「公開鍵」を入手。
  2. 入手した「公開鍵」を使って、BさんがAさんに送りたい文書を暗号化。
  3. 暗号化した文書を、Aさんに送信。
  4. Aさんは、Bさんが送信した文書をAさんが持っている「秘密鍵」で復号し、文書の暗号化を解除。

 Aさんの公開鍵で暗号化したものは、Aさんの秘密鍵でしか復号できないため、 仮に悪意の第三者がAさんの公開鍵を入手したとしても、暗号化された文書の内容が漏れてしまうことはありません。
逆にAさんの公開鍵を持っていれば、誰もがAさんに暗号文を送ることができます。
 また、暗号文をやりとりする相手が何人になろうと、Aさんが厳重に保管しなければならないのは、Aさんの秘密鍵だけです。

メタフィクション好きだった自分は、小説の中で、やはり小説を書いている作家とそれを読む読者の関係を使って、小説を駆動させたかった。その発想からすると、上記の「公開鍵」が「小説の中でAさんが出版している小説」、「Bさん」が「小説読者からのメッセージ」に該当するのがわかるだろうか。

当時は『π』のような数学的な映画が、スマッシュ・ヒットを飛ばしたりもしていたのだ。

けれど、今晩は暗号というものをもう一度広く捉え直してみたい気がしている。例えば、鎌倉時代兼好法師と頓阿のやりとりは、一種の暗合だといっても良いと思う。解号ルールは「沓冠(くつかむり)」という。「沓」が各句の末尾をつないで読むルール、「冠」が各句の始まりをつないで読むルールだ。 

よもすずし ねざめのかりほ 手枕も ま袖も秋に へだてなきかぜ
兼好法師

この和歌を、解号するためにわかりやすく並べ直すと、以下のようになる。

もすす
さめのかり
まくら
そてもあき
たてなきか

 兼好が頓阿に宛てた和歌は、「冠」が「よねたまへ(米をください)」、「沓」が逆順に読んで「せにもほし(銭も欲しい)」となっているのだ。

さらに日本の暗号を過去へと遡ると、どうしてもこの著書にぶつからざるを得ない。昨晩は、松山城の北にある「北斗七星の結界」と松山城を中心にした「五芒星の結界」の地図に目を瞠った晩だった。どの土地にも語るべき地縁的な物語は生きているのだ。 

古事記の暗号(コード)―太陽の聖軸(ライン)と隠された古代地図

古事記の暗号(コード)―太陽の聖軸(ライン)と隠された古代地図

 

 二夜連続。今晩は同じ愛媛県大三島を少し語りたい。しまなみ海道の途中にある大三島大山祇神社愛媛県屈指のパワースポットだ。あの屋久杉に優るとも劣らない樹齢推定2600年の巨大な楠の木がある。対面するだけで、何とも言えないパワーが伝わってくるのを感じる。この大樹に触れて、息を止めて三周すると、願いが叶うとか、恋愛が成就するとかいう言い伝えもあるようだ。

一方で、牛若丸こと源義経源頼朝の鎧や太刀が奉納されていたり、連合艦隊山本五十六も戦時に参拝したりといった逸話から、「戦の神」の聖地として知られてもいる。実際に、源義経が腰かけた樹木を、まだ目の当たりにできるのは、どこか感動的だ。

しまなみ海道で接続される前は、瀬戸内の島のひとつだったので、村上水軍の根城だったという文脈で語られることもある。 

村上海賊の娘 上巻

村上海賊の娘 上巻

 
村上海賊の娘 下巻

村上海賊の娘 下巻

 

 しかし、忘れてはならないのは、大山祇神社に祭られている大山積神は、孫の孫に初代天皇を持っている。つまり、大山積神の孫の孫が神武天皇なのである。そう聞けば、大三島神社が、全国の三島神社の総元締めであることも、納得が行くような気がする。 

では、なぜそんな日本有数の神社を、かつては交通の便の悪かった大三島に建立したのだろうか。そこに宇宙の法則とも言うべき、夏至冬至(公転)と日の入りと日の出(自転)が大きく関わっていたことは、蜜柑県人にもあまり知られていない。

古事記のコード』に収録されているこの地図を見てほしい。 

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神武天皇が東征に出発した地は、大分県の宇佐。そこから夏至の日の出の方角に大三島があり、大三島のから夏至の日の入りの方角には東征で次に向かった埃宮がある。そして、その次に向かった吉備にある高嶋宮は、大三島から見て、同じく夏至の日の出の方角となっているのだ。 

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 足摺岬から見ると、冬至の日没方向には笠沙岬があり、そこで大山積神の子神が結ばれた。足摺岬の真北には大三島があり、さらに真北にはヤマタノオロチを退治したスサノオが姫と結ばれた地。その水平方向の東には、霊峰・富士山が聳えている。

少しだけ、アカデミシャン寄りの情報を記しておけば、構造主義以降、日本の神話の類型の分析を進めていた研究者たちは、このスサノオの特殊性に日本の神話を読み解く鍵を見て取っていることが多い。

80年代のレヴィ=ストロース系の神話研究と構造主義の受容は、日本独自のトロース日本の構造主義の波及は、山口昌男の「トリック・スター」や「祝祭」などを鍵言葉とした構造主義的共同体論を生み出した。同じ「へるめす」の同人だった大江健三郎の中期の作品群は、山口昌男の「歴史・祝祭・神話」をめぐる思考がなければ、まったく別のものになっていただろう。 

歴史・祝祭・神話 (岩波現代文庫)

歴史・祝祭・神話 (岩波現代文庫)

 

 しかし、この周辺の構造主義四天王のレヴィ=ストロースの仕事と日本特殊的な神話研究との間に、充分な橋が架かっていないような気がしたことを、今晩思い出した。レヴィ=ストロースが大著『神話論理』に含まれている800くらいの神話類型の中で、アメリカ原住民由来でない神話が一つだけある。それがスサノオの神話なのである。レヴィ=ストローススサノオを「母に固着して引き籠る男」の原住民神話と接続している。

『批評空間』以前、80年代の構造主義受容の周辺をちらちら覗いてみると、多少の混乱はあるものの、それほど奇異で偏頗な主張がなされているわけではな言うように読めた。例えば、レヴィ=ストロースフロイトに一定の評価を与えつつ、ユングに苛烈な批判を加えているが、そのユング批判(ユングにも『トリックスター論』がある)はフロイトにも該当するものだ、フロイトへの称賛は同じユダヤ人であるというジューイッシュ・コネクションだろう、という指摘などには、かなりの妥当性があるにちがいない。当時の先端知だった構造主義文化人類学から、日本の神話研究にどのようなフィードバックがなされたかを、もう一度調べてみたい。

 大三島にまつわる数々の伝説は、蜜柑県人としてすでに脳内の滋養分にしてあった。

ところが、富士山と足摺岬を結ぶ北東のラインについては、充分な知識を持っていなかった。線分を北東へ伸ばせば茨城県、南西へ伸ばせば宮崎県に行きつく。上の地図ではあえて書かれていないようだが、その直線が、伊勢神宮を通っているのがわかるだろうか。

瀬戸内の鄙びたひとつの島が「聖地」になったのは、神武天皇の東征の「星座」が刻まれたからだった。高千穂(峰)レイラインと呼ばれる上記の配列線の背後にも、古事記などの神話の雲が幾重にも関わっていそうだ。

ひとつだけ、自分がこのレイライン上で気が付いたことがある。そのときにはアハ体験の喜びのあまり、「うほうっ!」と思わず叫んでしまった。「線分を北東へ伸ばせば茨城県、南西へ伸ばせば宮崎県に行きつく」。日の昇るその東の地が「日立」、日の沈むその西の地が「日向」と呼ばれているのは、ほぼ確実に偶然ではないだろう。

そこでは、夏至冬至(公転)と日の入りと日の出(自転)が大きく関わっていて…mン と書きつけたところで、友人の芝居に演出助手として、「もっと喜びをこめて!」と指示した台詞が、どういう文脈だったかを思い出した。たぶん、あれは「宇宙の法則」の略だったはず。

さあ、皆さんもご一緒にご発声ください。

うほうっ!