ウィスキーで麻酔のような夢心地

構想も何も決まっていないのに、映画の脚本について考えていた。

『探偵は湯舟にいる(仮)』では、「主人公が愛車の旧ミニと一緒に温泉に入るのが夢」という設定が面白いかもしれない。たぶん彼は、その夢のせいで、夢が半分叶って、海中へ水没することになるのだろう。

そんなことを思ったのは、今朝の偶然の出逢いのせいだ。今日、駐車場で隣に停まった車は、白のオールドミニ、出てきた母娘はこざっぱりとしたカジュアルな服装、娘は小学生高学年くらい、ミニは英国風タータンチェック仕様、ナンバーは岐阜。……これらの情報だけで、いろいろと想像が膨らんでしまう。

とりとめのない連想をしているうちに、自分の愛車に目が留まった。頻繁に温泉に乗りつけているのに、愛車の方は汚れたままなのが可哀想になって、少しドライブして洗車してあげた。巷間では、「新しく乗り換える車の話を車内ですると、車が持ち主の気を引こうとして、急に故障したりする」と言われることもある。洗車したてで、いつもより快調に走っている愛車を運転していると、そういう不思議なこともきっとあるのではないかと感じてしまう。

カーステレオで流していたのは、「暗黒大陸」という時代がかった歌詞まで出てくるこの名曲。好き。

好きな『gorilla」を聴いているうちに、「ウィスキーなゴリラ」のことを思い出した。これも You Tube で見つかったのは嬉しい。『マジックアワー』での怪演を思い出した。あの運河の見えるマンションへ彼が引っ越してから、もう20年にもなるのか。

耳の良い人は、背景で流れている音楽で或る名画を想起するにちがいない。

 昨晩、少女の成長物語となる「人獣婚姻譚」について少し言及した。少年の成長物語は「魔法昔話」が代表例で、今から半世紀以上前に構造分析が完了している。『ドラゴンボール』のかなりの部分にも、この構造分析が適用できるとされている。 

魔法昔話の起源

魔法昔話の起源

 

 『未来世紀ブラジル』はオーウェルカフカなどの全体主義化の不条理を描いた作品群の中では、最高度に面白い作品なので、この手の映画が苦手な人にも安心して勧められる。自分の生涯ベストテンにも入っている映画だ。

今やユビキタス社会。これくらいぐいぐい引っ張る感じがないと、映画館まで来て、2時間も同じ席椅子に座ってもらえないのだろうか。

未来世紀ブラジルのネタバレあらすじ:起
20世紀のどこかの国。ダクトだらけの家でクリスマスを祝う家族のところへ大勢の情報省の人間が押し入り、この家の主のA・バトル氏を逮捕しにやってきます。この国はすべての情報管理をコンピュータで管理されており、たまたまタイプライターに一匹のハエが入ってしまったことが原因でA・タトルを逮捕するはずだったのにA・バトルを誤認逮捕してしまったのでした。このシステムに反発するテロも多発していました。サム・ラウリーは記録局に勤務していました。彼の母は整形が趣味でサムが出世できるように自分の力を使い、彼を出世できるように根回ししていました。

 

未来世紀ブラジルのネタバレあらすじ:承
 サムの自宅の暖房装置がおかしくなり“セントラス・サービス”へ連絡しますが、なかなか修理にきてくれない業者にいらだつサムのところへもぐりの修理屋のタトルが表れ、あっという間に修理を終えてしまいます。書類の手続きが嫌いなタトルは闇で修理屋をすることを選び作業していました。しかしこの国はフリーの修理屋は認められずタトルには逮捕状が出ていたのでした。誤認逮捕されたバトルへの払戻金を返すためにサムは彼の家族の元へ向かいました。そこで彼がいつも夢の中でみていた女性にそっくりな人を見かけ、慌てて追いかけますが追いつきませんでした。近所の子どもがその女性は“ジル・レイトン”だと教えてくれました。

 

未来世紀ブラジルのネタバレあらすじ:転
 彼女のことが知りたいサムは職場に戻り彼女のデータを検索しますが、彼女も犯罪者のため名前以外を知ることができず、彼女の情報を知るには情報剝奪局へ昇進しなければなりませんでした。どうしても剥奪局へ入りたいサムはヘルプマン次官へ直談判し、職に就くことができ、先に出世していたジャックを頼り彼女の情報を手に入れ、彼女を助けようと必死で行動します。そしてサムは彼女を助ける手段として彼女のデータにアクセスし『死亡』したことに改ざんしたのでした。
 

未来世紀ブラジルの結末
 サムの想いが彼女にも届き、幸せいっぱいのはずでしたが、2人と元へ情報省が押し掛けます。そこでサムは捕まり、ジャックの拷問(表向きは尋問)を受けるところへタトルと彼の仲間たちが助けに来てくれます。サムは外へ出ることはできたが爆破テロにあい、タトルと離れてしまいます。サムは逃げ切り、最後はジルのトラックで2人でこの国を脱出するのでした…。というのは、サムのイマジネーションであり、実際はジャックの拷問を受けた彼は廃人と化し、ジルは情報省が押し掛けてきたときにすでに射殺されていたのが現実でした。 

映画を絶賛する声なら、さまざまなサイトで読めるだろう。

すでに映画通が指摘していることかもしれないが、繰り返しこの映画を見た自分は、かつて語られていない新発見を見出した気分でいた。映画を見直す時間がなかったのは、残念。確か、主人公が最高実力者に会いに行くために、エレベーターの秘密のボタンを押してその階に辿り着いた直後、部屋への曲がり角を曲がるとき、机の上の写真立てが画面に入る瞬間があった。記憶が定かでなくて恐縮だが、その写真楯に映っていたのが、主人公かその母親で、素性が明らかとならない最高実力者が主人公の父親である可能性を、画面は示唆していたように記憶する。

ジョージ・オーウェルの『1984』に触発されて作られた最大の映画だ。(もちろん、その最大の小説は村上春樹1Q84』)。誰かが書いた気の利いた「未来世紀ブラジル」論に、同じ指摘が入ってはいないだろうか。

面白いのは、全体主義国家の不幸なミスによって犠牲となった冤罪男が、夜な夜な見る夢が、まさしく「魔法昔話」めいた少年成長物語であること。普段は全体主義国家に弾圧されている内気な小市民が、悠然たる大きな翼で大空を駆けめぐり、アイラインばっちりの凛々しいまなざしで、美女とヴェール越しにキスを交わしたりもする。

なりたいのか? 本当はそうなりたいのか? と一心に問い詰めたくなるほど可笑しい。しかも、闘う敵が、ブラジルとは地球の反対側、日本の鎧兜に身を固めた悪役であることにも、笑いを誘われてしまう。

テリー・ギリアムは、そののちも、アーサー王伝説に代表される聖杯物語をモチーフにした『フィッシャー・キング』を撮った。現代の複雑性の高い高度情報社会を、「魔法昔話」の物語駆動力で動かそうとする姿勢は、継続されたようだ。

ちなみに、テリーが属していたモンティ・パイソン名義の映画には、上の記事で言及した「鯖男」の飼い主が出演していたという情報もある。鞭を振りながら、日本語で奴隷たちを威嚇する役だったと思う。

さて、『未来世紀ブラジル』の主人公のように、眠っているあいだに繰り返し現れる夢を、どのように解釈すべきかを、ずっと知りたいと感じていた。

取得したい「明晰夢スキル」は、かなり文学史的な文脈から立ち昇ってきた。 

夢の操縦法

夢の操縦法

 

 「国書刊行会」という出版社名は、読書家に或る感慨を呼び起こさずにはおかない。昨晩のボルヘスはもちろん、海外の幻想文学の翻訳はほとんどここが発信源だ。海外では発禁処分を甘受しているセリーヌの出版元でもある。

 澁澤龍彦御用達の出版社でもあって、そこからかつて澁澤が日本で初言及したエルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵の本が出た。ブルトンの著書にも登場する古文書研究の教授だ。立木鷹志による訳者あとがきを読むと、興味深い指摘に遭遇できる。

[引用者註:明晰夢を見る入眠方法と同じ] 方法を小説に書いているのが、埴谷雄高である。今まで、誰一人としてこのことに触れてはいないが、埴谷は「一般の覚醒状態と同じように意識を維持する極度の集中と、入眠を導くためのリラックス状態という両極端を両立させること」を企図したのである。 たとえば、「闇の中の黒い馬」や「暗黒の夢」で描いたのは、入眠時からやがて明晰夢にいたる話である。(…) 少なくとも、埴谷が企図したのは明晰夢を通して《無限》を夢に見ようとしたことである。

同じあとがきでも明晰夢の科学的研究で有名なスティーヴン・ラバージの名が挙がっている。スタンフォード大学で博士号を取得した明晰夢研究の第一人者だ。

明晰夢―夢見の技法

明晰夢―夢見の技法

 

 しかし、期待していた割には、この科学的研究の成果はそれほど豊かなものではなかった。想像と明晰夢(=夢だとわかっている夢)を比較すると、明晰夢の体験の方が、現実世界での体験に近いリアルさがあり、脳に物理的に与える影響も大きい、というのが結論だ。何度か明晰夢を見たことの易ある自分には、拍子抜けするほど当たり前のように思える。明晰夢をいくつかのスキルを駆使すれば、コントロ―ルできるという実験結果も、じそれほど目新しいものだとは言えない。

ラバージが悪いわけではない。2005年出版の本書の原著が書かれたのは、1985年。約30年前の研究成果だ。

最近では、とうとうトカゲまでが「夢を見ている可能性が高い」とされるようになった昨今、神経生理学に立って「夢は無意味」とするアラン・ホブソンらの立場は、かなり縮んでしまった印象だ。一方、夢睡眠には「逆学習機能」があるとするフランシス・クリックとグレーム・ミッチソンの主張は面白い。

 (夢睡眠の役割は)大脳皮質の神経細胞ネットワークにおける、ある種の望ましくない作用のモードを消去することである。逆学習メカニズムによりレム睡眠中にこの操作がなされ、そのために脳の中にある無意識の夢の痕跡は、夢によって強化されるというよりは、むしろ減弱されるのだと我々は仮定する。

 いわば、不安や恐怖を消去するために不安や恐怖を感じさせる夢を見るという俗説に、お墨付きを与える格好だ。この引用部分を含む論文は、1983年のもの。現在では「レム睡眠中に夢を見る」 という定説も覆されてしまっている。

 そして、スティーヴン・ラバージが前提としているように、「爬虫類はレム睡眠を持たない」が間違っているとする論文が、「サイエンス」誌に査読の末に掲載されたという話も聞いたことがある。それを進化論における画期的成果だと評したのは、この人だっただろうか。

https://brain.mpg.de/research/laurent-department/director.html

いずれにしろ、まだ全貌がよくわからない夢睡眠の実態を、スティーヴン・ラバージの言うように、何らかの学習機能を伴った創造物と主張するだけでは、私たちは満足できなくなってしまっている。その創造物が解釈を待たれているということを、どうしても強調したくなってしまう。 

シンクロニシティ 「意味ある偶然」のパワー

シンクロニシティ 「意味ある偶然」のパワー

 

結局、秋山眞人らによる上記の本が、いま一番進んでいる夢についての知見ということになるのだろうか。

夢とは、潜在意識が顕在意識へと送る象徴言語によるメッセージであり、それはシンクロニシティに満ちており、現実世界もシンクロニシティに満ちている。 

「夢解釈ーユングシンクロニシティ易経」。この辺りの未解明の神秘的な連関は、これまで充分な学術的研究の対象になってこなかった。自分の実人生で頻発するシンクロニシティの解釈も含めて、もう興味津々なので、ぜひとも継続して調べてみたい。

 と、書きつけたところで、目が醒めた。どうやら、ブログを書いている夢を見ていたようだった。「書かなければ」「書かなければ」と思い詰めて、事前に結論や駄洒落を考えないまま書き出しているせいで、夢でもブログを書いてしまったらしい。不憫なぼく。

 せっかく現実世界に目覚めたのだから、好きなことをしよう。外へ街歩きに出かけようと思って、 ドアを開けたら、知らない不思議な建物の外廊下のような場所に出た。やれやれ。どうやら自分の書いたブログの世界に迷い込んでしまったらしい。 

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 上の記事で書いた建物の中にいるようだ。出口を探そうとするが、どこにも扉らしい扉がない。すると、緑の芝生を見せながら湾曲していたガラス面に、すっと霞が降りた。透明だった硝子が急にフロスト化して、半透明になってしまったのだ。

 「急に目に霞がかかったんです」とぼくは、いつのまにか目の前にいる女医に説明をしている。女医は30歳くらいで、細い眉を描いてクールな顔つきを作っている。知っている女性のような気がしたので、まじまじと見つめると、彼女が誰かを思い出した。

  自分の小説で書いた女だったのだ。小説ではこう描写した。

 

振り向くと、30代くらいの驚くほどの美人が、黒の細身のパンツスーツに身を包んで佇んでいる。接触してきた女のあまりの美しさにどぎまぎして、まるで昔観たスパイ映画のようだと彼が感じていると、不意に女は張り付けたような装飾的な微笑を浮かべた。

 

「残念ですね。霞がかかっているのなら、この病院からは出られません」

と女は事務的に答えた。そう言った後、カタカタと電子カルテに文字を打ち込んだ。そして、こう付け加えた。「駄洒落交じりで話してください」

「?」

「ルールですから」と女はこちらを向いてきっぱりとした口調で言った。この女性は、私立医大の学長の秘書だったはずだ。どうして彼女は、そしてぼくは、ここにいるのだろう。

「この病院のルールなんです。黙って従ってください」

 こんな病院は早く抜け出さなくてはならない。一刻も早く脱出してやる。ぼくは固く心にそう誓って、女にこう訊いた。

「視野の霞が消えたら、退院できますか?」

「ダ・ジャ・レ・マ・ジ・リ・デ」

女の唇が無慈悲にそう動くのを、ぼくはじっと見つめていた。どうやら本当にそれがこの病院のルールで、そのルールを守らないと退院させてもらえそうになかった。

 「目の霞がスカスカになって隅から消えたら、めでたい鯛を胃に in したくなるような退院ができますか?」

驚いたことに、女は何も答えなかった。ぼくは両手で頭を抱えてしまった。ぼくがいま言った駄洒落が、電子カルテに記録されていく音が、カタカタと鳴った。

「あなたにかかっているのは霞ではなく麻酔ですよ」

「魔粋?」

「麻酔」

ぼくは漢字を思い浮かべて、その意味を理解した。確かに、意識ははっきりしているのに、全身「麻酔」がかかっているような不思議な感覚がある。

「これから手術を始めます。もっと酔いたいならアルコールを持ってこさせますよ」

取りつく島がないように見えた女が、急にしどけない感じで、肩のラインを斜めにして、ぼくへ首をかしげてこう訊いてきた。

「それとも、やっぱり麻酔の方が良いっていうの?」

それは愚問というものだろう。どう駄洒落で切り返すべきか。

「まずい?」

女は初めてふふっと笑った。

笑ってもらえるような話なら、それはそれでいい。ぼくは自分の全身「麻酔」が、さらに強く効いてきたのを感じた。女が何か話しかけてくるが、うまく聞き取れない。おかしい、おかしいと思っているうちに、英語で聞かれていることに気付いた。

「自殺しちゃうくらい圧力をかけられたら、麻酔はもう好きじゃなくなるんでしょう?」

女の語彙が不意に殺気立ったので、ぼくはぐらぐら揺れる身体を固くして身構えた。喉がからからに渇いていた。酒でも何でも流し込みたい気分だ。身体は身構えながらも、なぜか、英語の否定疑問文は Yes / No を逆にして答えなければならない、答えなければならない。そのことだけが頭を占めていた。

「……ムッシュー?」

女は、今度はフランス語に変えて、同じ質問をぼくにしているようだった。「…麻酔はもう好きじゃなくなるんでしょう?」

フランス語でも、Yes / No を逆にして答えるのは同じだ。麻酔が全身に回っているのを感じていた。痛みがすべて消えて、肩で呼吸しながら吸い込む空気のすべてに、幸福感が満ちているような気がした。下手な駄洒落で答えても、きっと思わず口角が上がってしまうくらい、もうどこにも痛みは感じないことだろう。

ぼくは一息にこう答えた。

「Oui, 好き」