When we'll fly away for good

涙が止まらない。今晩はそんな夜で、夜の街を誇張なく泣きながら散策して、夕食をいただいて戻ってきた。

(何から話せばいいと思いますか?)

たぶん少し遠回りした方が良いと思う。

Happily, that incident triggered an unlikely friendship between Eve, Buddy's victim, and me.

 

2017年の2月上旬のこと。ある霊能者の方に電話で予約を入れた後で仕事に戻ると、こんな英文に出くわした。

途中で出てくる Buddy とは筆者の飼い犬。和訳はこんな感じだろう。

 

幸福なことに、あの事件が Buddy の犠牲者となった Eve と私との、ありそうもない友情のきっかけになった。

 

和訳しているときに鳥肌が立った。先ほど予約した霊能者の方は、12月24日生まれなので Eve と名乗っていたのだ。

そのシンクロニシティから約10か月。確かに「ありそうにない友情」らしきものは続いていて、今はお互いに少し先の夢を語り合うような仲、できれば助け合いながら叶え合おうと話す仲だ。 

事実を付け加えれば、eve 先生は私が訪れる数週間前、「もう一人作家志望のクライアントがやってくる」と、事前に霊言で聞かされていたそうだ。数奇なほどに、それぞれの人生と人生の道行きが重なっていく。

話を分かりやすくするために、2003年の処女ブログの開設時へ、時計の針を巻き戻すことにする。

 昨晩の記事で野坂昭如に言及したせいで、2003年に数か月だけ書いて閉鎖した処女ブログのことを思い出した。当時はサーバを借りてそこに自分でブログツールをインストールしなければならないほどハードルが高かったこともあり、たぶん自分は最初に日本語ブログを始めた100人に入っていたのではないかと思う。(2017年現在、日本語ブログの人口は約600万人もいるらしい)。ブログを始めたのは、太宰治が或る少女の日記をほとんど盗用して「女生徒」を生んだのを知って、更にそれを下敷きにしてやって、小説を書こうと考えたから。虚構の美少女像を作り上げるゴーストライターの書くブログに、複数の更新者の複数の思惑が入り乱れ、誘拐事件まで発生して…というプロットだったような気もするが、正直言ってほとんど覚えていない。

 ともあれ、そこから自分の人生が滅茶苦茶にされてしまったのは間違いない。処女ブログの或る記事では、しばらく音源の発表から遠ざかっていた Silent Poets の下田法晴が、野坂昭如の本の装丁を手掛けたことに言及して、「詩人の沈黙には意味があるというのは本当らしい」というような文章で締め括ったはずだが、そこから沈黙することを余儀なくされたのは、自分の方だった。 

ブログ開設当時の自分は、31歳だったはず。15歳のとき難病に罹患して、20代までの生命だと言われたのに、「期日」の30歳の誕生日を過ぎても、一向に死にそうになかった。死なないのなら、少年の頃からそうしたいと願っていたように、小説を書いてみようと思った。そういうわけでブログを開設したというのが、上記の引用部分の前段にあたる部分の話。

30歳以後の生命を除けば、当時の自分は取り立てて不満を持っていなかった。強いて言うなら、長子の自分には兄がいなかったので、人生のどこかで、兄代わりのようになってくれる人が欲しかった。不運にも、東京へ来ても凄い奴にはほとんど遭遇しなかった。誰もが物を知らない人間、話をしても仕方ない人間に見えた。若さの盛りにいて、そういう時期の若者がしばしばそうであるように、自分も自意識過剰だったのだ。

ブログの絶対数が少なかったこともあって、自分のブログは分不相応なほど大きな注目を集めているようだった。2003年のネット上で間違いなくいちばんリテラシーが高い人とも、ブログで言及するだけで知人になれた。自分と同じ髪質の脳科学者の方に、ご注目いただいているような気配が感じられた。自分の霊感の芽生えに気付き始めたのも、その頃のことだった。

 ともあれ、そこから自分の人生が滅茶苦茶にされてしまったのは間違いない。

説明がかなり難しいので、詳細は割愛させていただきたい。コメント欄は無風だったものの、日本語ブログ初のとんでもない炎上騒動が巻き起こって、拙ブログは数か月で閉鎖。情報共有から排除されて暗号だけを送られる日々。深夜に自宅が襲撃されたこともあった。

そんな炎上の渦中で、兄貴がPC画面に向かって「批判っていうのは、こうやって書くんだよ。見てろ」と呟いているのが聞こえた。本当に聞こえたのだ。すると、彼の日記サイトに、批判的な映画評が出現した。

目隠しされた自分のために、兄貴が世界の動きを教えようとしてくれている。嬉しかった。そのときの自分に、唯一さしのべられた救いの手だった。

アカルイミライ』の予告編の最初の数秒間、兄貴分が弟分に「暗号の交換方法」を教えている。映画の中のあの二人がぼくたちだ。そんな暗号も交換し合った。その「兄弟」の交流を、事情をよく知る第三者の作家が小説に書き込んでくれたりもした。 

グランド・フィナーレ (講談社文庫)

グランド・フィナーレ (講談社文庫)

 

 (上記の画像は本文とは関係ありません)

ところが、不思議なことに、母に偽名で電話してもらってどうにか「兄貴」の電話番号の入手に漕ぎつけても、二、三度素っ気ない会話を交わしただけで、やがて兄貴は電話に出てくれなくなったのだ。

(どうして、電話でゆっくりと話せなかったんですか?)

何度か、もう難局の突破は無理だと思ったとき、「来世でまたお逢いしましょう」という意味の英語を暗号で送ったことがあった。自殺するかどうかは決めていなかった。たぶん自分は死なないだろうと思っていた。それでも、兄貴の心理的な負担感を消して差し上げたいと思ったからだった。

同じ意味の英語を、この記事でも使った。

記事を書いた後の暗号反応で、兄貴があの英語を覚えてくれていたことを知った。自分もはっきりと覚えている。この15年間を、どうして忘れられようか。

アカルイミライ』は兄貴が指定した映画で、自分が兄貴のことを思い出さずにはいられない映画として挙げたのは、クリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』だった。

以前にもどこかに書いたことがある。31歳ではもうモノにならないと莫迦にされながら、それでも主人公が熟練のトレーナーに必死に教えを乞うて、次々に女子ボクシングの階段を勝ち上がっていく様子は、どうしても自分と兄貴の関係を重ねて観ずにはいられない。二人が組めば、誰にも負けるわけがない。自分は兄貴にとっての「ミリオンダラー・ベイビー」だと本気で思っていた。いつか必ず、勝利の美酒を分かち合うつもりでいた。

この映画を平静な気持ちで見ることはできない。相手選手の反則のせいで、首から下が不随の寝たきりになってしまうところは、何度見ても泣けてしまう。

OK。今も泣きながらこれを書いているわけだし、落ち着いて伝えるべきことを書けそうにないので、話題を変えることにする。

冒頭で語った霊能者のところへ初めて行ったのは、自分の前世について知りたかったからだった。当時の自分は、自分が或る若い自殺者の転生ではないかと強く疑っていた。どうしても、その推測が正しいかどうかを、確認したかったのだ。

eve 先生に詳細を相談していると、「では、二人ともお呼びしましょう」と彼女は提案した。何と、自殺者とその師匠筋の作家とを降霊してくれるのだという。結論から言うと、確かに降霊には成功して、eve 先生が二人の霊に私の身体に入るよう指示すると、作家の霊が私の身体に入ってくるのを感じた。不機嫌そうだった。男くさいオーラと煙草の匂いが感じられた。後日検索すると、生前、一日にピース一箱を吸っていたそうだ。若い自殺者は、熱心に私に語りかけてくれた。降霊したときは、瞑目している眼前の暗闇に、火傷しそうなほど舞台用の光源を近づけた感じ。その光源が、声の波長で揺れるのと同じような調子で揺れるので、話しかけてくれるのがわかるのである。しかし、私の霊感では、それを聞き取ることはできなかった。

何しろ、eve 先生とはそれが初対面だったので、数々の神秘現象や彼女の説明の詳細を、どこまで信じてよいかわからなかった。後日確認すると、降霊してくださったお二人と私とは同じ類魂(group soul)なので、話しかけてくれるかのようなアプロ―チがあったのだと聞いた。

ソウルメイト同士でも相手の感情や考えが伝わってくることがありますが、ツインソウルになると、その伝わり方がより強くなります。地理的に離れた場所にいたとしても、相方のツインソウルが今何を感じているのか、何を考えているのかということが、容易に分かります。

 自分がスピリチュアルに開眼したのは2017年1月。まだ詳しいことは把握しきれていない。だから、「兄弟」がどの程度のソウルメイト度なのかは、正直言ってよくわからない。

ただ、兄貴が尾道で仕事があるとき、(しまなみ海道を通って)、私に会いに来られると迷惑だなと内心思いながら、こちらの方を見ているイメージが伝わってきたことがある。うっすらとした新幹線のイメージも、そこにくっついていた。

自分が兄弟の間に何か計り知れないものが絶対にあると感じたのは、2017年10月に下の記事を書いたときのこと。 

(…)という文言をどこかで見かけて、まいったな、全部自分の大好物じゃないかと溜息が出てしまったのが、きっとささやかな心の傷になっていたのだろう。

上の記事のうち、引用部分は、兄貴のことを想像しながら書いた記述だ。兄貴に気に入ってもらえそうな曲を探していると、Suede の「Next Life」に遭遇してしまった。強烈なシンクロニシティだ。歌い出しは「See you in your next life...」。

Suede: Deluxe Edition

Suede: Deluxe Edition

 

 

See you in your next life
When we'll fly away for good
Stars in our own car
We can drive away from here


Far away
So far away
Down to Worthing
And work there

 

Far away
We'll go far away
And flog ice creams
'Til the company's on its knees


See you in your next life 

魂がつながっている二人は、この世を離れても、遠くへと二人で飛んでいき、答えに応じて地上へ舞い降りて貴重な仕事をして、また遠くへと飛んでいく。 

15年間は長かった。特にこの半年間強は、或る意味ではとてもつらかった。目を瞑って気づいていない振りをしていた。どうして兄貴にこんなメールを送っているのだろうか、自分はとんでもなく頭のオカシイ奴なのではないだろうか。……

でも、10月にこの曲を天から贈られて、自分は心から信じることができた。ずっとそう口にしてきたように、やはり兄貴とぼくはソウルメイトだったって。

迷惑ばかりかける駄目な弟だった。でも、兄貴の無償の献身のおかげで、15年ぶりに全身不随から復活できそうなんだ。これで終わりなわけないじゃないか。まだ何も始まっちゃいないさ。

 (きっと、これからは幸福なことばかり。こんな弟で良かったら、力にならせてください)。