あなたが彼女のためにできるたったひとつのこと

 偶々手に取ったのは、小中学生向けの総ルビの本だった。さすがに簡単すぎたかとも思ったが、内容の衝撃度が凄い。「オキ」というのは、マザー・テレサに同行した取材カメラマンの名前だ。

「貧しい人たちはね、オキ、お金を恵まれるよりも食べ物をあたえられるよりも、なによりもまず自分の気持ちをきいてほしいと望んでいるのよ。実際は何も言わないし、声も出ないけれどもね」

「健康な人や経済力の豊かな人は、どんなウソでもいえる。でもね、飢えた人、貧しい人は、にぎりあった手、みつめあう視線に、ほんとうに言いたいことをこめるのよ。ほんとうにわかるのよ、オキ。死の直前の人でも、かすかにふるえる手が ”ありがとう" っていっているのが。……貧しい人ってほんとうに素晴らしいわ」

マザー・テレサ あふれる愛 (講談社文庫)

マザー・テレサ あふれる愛 (講談社文庫)

 

第一章のここを読んだだけで、早くもマザー・テレサを完全にリスペクトしてしまった。自分とは二十億光年くらい離れた偉人だが、だからこそ、たとえどんな形であっても、マザー・テレサに近づいてみたい。こういう種類のきっかけは、結果的にどんな形になるかより、心意気が大事なのではないだろうか。

マザー・テレサノーベル平和賞を受賞したのは、69歳のときのこと。そこから人生が大きくパラダイス・シフトしたかというと、全然違うのだ。インドの上流階級のパーティーに呼ばれて、卓上の豪華な食事を見たマザーは、「私は今日は断食の日なので」と自分は食事に手を付けず、「食事を貧しい人々に分けてあげてください」と言い残して、パーティーを去ったのだそうだ。

テーブルの上にお菓子があると食べたいだけ食べて、「どうして全部食べたの?」と問い詰められると、名登山家ばりに「そこにお菓子があるからさ」と嘯く自分とは、やはり人間のスケールが二十億光年くらい違いそうだ。 何とかして思考の枠組みを大きく変えて、自分もパラダイス・シフトしなければ。

二十億光年の孤独 (集英社文庫)

二十億光年の孤独 (集英社文庫)

 

 しかし、それにつけても、最近の日本国民の高等教育はどうなっておるのぢゃ。「パラダイス・シフト」で検索をかけても、まともな検索結果がほとんどリストに挙がってこないぢゃあないか。

一般教養レベルの知識を披露しておくと、パラダイスとは、特定の時代の特定の思考の枠組みのことだ。哲学者のミシェル・フーコーによる「エピステーメー」と、ほぼ同義の専門用語。ブリタニカ大辞典が詳しい。

 特定の学問分野を担う科学者の集団において,歴史上の一定期間その成員に共有される研究の範例。元来は,語形変化表の意の文法用語,あるいは範例,模範などの意の普通名詞であったが,アメリカ合衆国科学史家トマス・S.クーンが『科学革命の構造』The Structure of Scientific Revolutions(1962)のなかでこの語を用いてのち,学術的概念として普及した。クーンのパラダイム論によれば,自然科学の歴史は連続的な進歩,拡大の歴史ではなく,いくつかの科学革命(パラダイムの転換)によって画される断続史である。パラダイムを共有する科学者集団が,一定期間パラダイムに基づいて科学を発展させ,その通常科学が行きづまると科学革命が起こり,新たなパラダイムが取って代わるという。

最近の「パラダイス・シフト」の実践例としては、何と言ってもこの漫才が素晴らしかった。テレビ番組上では創作物を脱政治化すべしとするパラダイスを、まさしく「パラダイスの移住相談」を糸口にして、原発問題、基地問題などを撫で切りにしたのだ。何とも華麗なパラダイス・シフトだった。  

あれ?

急にペンが進まなくなった。おかしいことを書いてしまったのかと思って、ここまでの記事を読み返したが、完璧だった。きっと、何か書くべきことを書いていないせいで、ペンの進みが邪魔されているのだろう。もう一度読み返してみる。

わかった。トマス・S.クーンのせいだ。

いや、違うか。また見えなくなってしまった。インスピレーションの尻尾をつかむのは難しい。

とりあえず、マザー・テレサの博愛精神に、どんな形でもいいから近づけるように、今晩は利他精神について勉強することにしよう。

思いやりはどこから来るの?: 利他性の心理と行動 (心理学叢書)

思いやりはどこから来るの?: 利他性の心理と行動 (心理学叢書)

 

 今ざっと読み終わった。利他的行動がどこから来るのか、脳科学はすでに解明したそうだ。「腹内側前頭前皮質」という部位らしい。面白いのは、そこが他人の痛みや苦しみを共感できる場所だとされていることだ。思いやりは、他人の苦痛への共感を経由して生まれるというのが実態らしい。

 さらに重要な指摘を見つけた。利他的行動を生みやすい種類の社会規範が、ゲーム理論によって4096種類のうち8種類しかないことが報告されているというのだ。この0.19%というあまりに低い確率から、研究者はこれらの8通りの社会規範(リーディング・エイト)が、かなり高い普遍性を持っているのではないかと推測している。 

人はなぜ協調するのか―くり返しゲーム理論入門

人はなぜ協調するのか―くり返しゲーム理論入門

 

そのベスト8社会規範のうち、上の本ではスタンディング規範や神取規範が紹介されているが、変数はわずかに絞ってあっても、行動戦略が16通りもあったりするので、直観的な把握は難しい。個人がどのような言動をとれば生き残り可能性が高まるかのお手本にするのではなく、社会の中にどのような社会規範を導入すれば、社会がうまく回るかの参考にするのが面白いと思う。

重要なのは、「社会内で情報交換によって各人の評判がほぼ定まること」なのだそうだ。こういうのは、ICT化でクリアできる課題のような気がする。中国ですでにはじまっている「社会信用スコア」は、このような理想的な社会規範に応用できるのではないだろうか。 

デメリットの前者はとても気になる。権力を批判するジャーナリストや市民活動家たちが、不当に弾圧される仕組みだ。権力側に恣意的に社会信用スコアを弱体化されて、社会生活に支障を生じても、それを算出するアルゴリズムが開示されていなければ、「あなたが忘れているだけで、昔悪いことをしたんでしょ」という混ぜ返しに、反論すらできない。

後者のデメリットが、バーチャル・スラムと呼ばれる階層社会の出現だ。社会信用スコアが低いと仕事に就けず、仕事に就けないと家を借りられず、家を借りられないホームレスは自動コンビニで食料品さえ買えず、関所のできたゲイテッド・シティにすら入れなくなってしまうだろう。

冒頭でAIに追跡されるさまを描いた犯罪者ならまだしも、人種や性別や遺伝病やIQなどによって、生まれつき社会信用スコアが低いと評価されたら、その人は一生ずっとAIに排除されつづけ、一度もチャンスをつかむことさえないまま、一生を終えることになる。これは恐ろしい未来だと言えはしないだろうか。 

 この記事を書いたときは、ディストピアにつながる諸要素を前景化しておく必要を感じて、上記のように書いた。撤回するつもりはない。ただし、「社会信用スコア」は必ずしもユークリッド的な数直線上の数値で表される必要はないし、一人の人間が持っている特性は、相手との相性次第で変わるものだ。単純数値化せずに、人間関係適正化のための「相性診断」として機能する社会信用スコアなら、対人関係のロスやコストを低減できる可能性がある。

何よりも大事なのは、スコア算定のアルゴリズム国民主権によるチェックが入ることだろう。

さて、上記の記事で引用した『動物の権利』のピーター・シンガーが、近著で「効果的な利他主義」という概念を提唱しているのが、図書館で目に留まった。 

 この本では、著者は倫理学者の椅子から離れて、すっかり社会起業家の口ぶりで、面白い話を次々に語ってくれる。

「効果的な利他主義者」のムーブメントが流行していることは知らなかった。

冒頭の事例も面白い。マットという青年が、平均年収の一割を寄付すれば、一生のうちに100人の子供の生命を救えることを、自分で計算して割り出した。こう思ったという。

目の前の建物が火事で燃えていて、その炎の中にドアをけ破り100人もの命を救えるとしたら、って考えたんだ。それって人生で最高の瞬間になるってね。自分にも同じことができるとわかった。

 それで、毎年収入の一割を寄付するようになったかというと… 違うのだ。何とマットは、約束された大学教授への道を蹴って、ウォール街でサーカス資本主義に踊る金融ブローカーになったのだ。それも「効果的な利他主義」の実践の一環として、寄付金額を増やしすため。年収の半分以上、日本円にして1000万円以上を、毎年寄付しつづけたのだという。

腎臓の片方を無償提供してしまった青年も、本書には登場する。彼はピーター・シンガーに対して、こう謙遜したそうだ。

 ぼくは自分がそれほどすごいことをしたとは思っていません。生体腎移植の効果は、もっておよそ二五年です。(…)ギブウェルによると、一人の命を救うのにかかるコストは二五〇〇ドルくらいです。ということは、マラリア対策基金に五〇〇〇ドル寄付する方が 、四人に腎臓移植を行うことよりも良いことになります。(…)

いずれにしろ、僕はまだ二十四さいですし、本当にいいことをする時間はたっぷりありますね。

 昨晩、騙されて腎臓提供を強いられる人身売買の話をしたばかりだ。まさか、ボランティアで腎臓を提供するブームがアメリカで来ているとは!

ここから、倫理学の話をしたい。西洋の倫理学は次の3つの潮流に文類できる。

  1. 徳の倫理学(Virtue ethics)
  2. 功利主義倫理学 (Utilitarian Ethics)
  3. カントの義務論(Kantian Deontology) 

西洋倫理学の3つの伝統:Three core functions of Western Tradition of Ethics and Ethical Studies

 1.の徳倫理学がよくわかっていなかったので、この記事を書くときに調べた。

最も論証が難しく、つかみどころがなかった徳倫理学は、道徳的な感情や気質による「コミットメント問題」の解決を通じた、長期的に社会での生存可能性を高める処世術だと言えるのではないだろうか。

ところで、そのような徳倫理学の範疇にある道徳感情が、カントが論理的に導出する義務論的倫理のように「真理」として存在するかは、判断の難しいところだ。

フランク-山岸俊男のラインは、「感情主導による長期的社会的妥当性」が、狩猟採集社会の先史時代から、人類が進化の過程で発達させ遺伝的に継承されてきた「真理」なので、それに合わせた社会設計をすべきだとする適応論的アプローチを主張している。これに対して、この分野の近刊を多く持つ金井良太は、人類の脳は狩猟採集時代からさほど進化していないので、脳の働きに適応するよう再帰的に社会を設計し直していくべきだとする。 

 自分の気質はさておくとして、「カントの義務論」はもう流行ることはないだろうな、と感じていた。「定言命法」という一種の絶対的な命令なのだ。

 君の意志の格率が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ。

 ちょっと暑苦しくはないだろうか。これでは、テーブルの上のお菓子を好きなだけ食べられなくなってしまう。実際、哲学者のバーナード・ウィリアムズは、人間は「宇宙の視点」を持てない日常生活に属する生き物だと主張して、カント的義務論を批判した。

ところが、上記の記事で自分が推した徳倫理学に続いて、カント的義務論のブームが来ているのだという。正確には、カント的義務論をベースにした「効果的な利他主義」が広まりつつあるらしい。その種族が利他行為をする理由は、徳倫理学に深い関わりのある愛や共感からではない。「宇宙の視点」から見た理性だというのだ! 

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何をどう読んでも、「宇宙ブーム」に結びついてしまうのはどうしてだろう。

先ほどの拙記事には、二つの対照的な考え方があった。

フランク-山岸俊男のラインの「感情は普遍的真理」説と、金井良太による時代時代の人類の脳に合わせて再帰的に社会を設計し直していくべきとの主張。依然として、専門外の自分には、どちらが正しいのかわからない。

ただ、シンガーのいう「効果的な利他主義者」が、フリン効果によって出現した新種族ではないかという説には、プリン愛に生きる男として、強い説得力を感じてしまった。 

急いでいる人は、まとめを読んだ方が早いかもしれない。

社会が複雑化するにつれて現代人のIQはあがった。
これは
①分類すること、
②論理を使って抽象概念を扱うこと、
③仮定を真剣に受け止めること、
の3点に要約される科学的思考習慣によるという。

心理学者のスティーブン・ピンカーは「論理的能力の向上は倫理力も向上させた」と述べているので、不断に続く人類の脳の進化が、かなり短期的に人類の倫理観を変えつつある可能性は充分にありそうだ。

新しい世代のあなたが、新しい頭で、『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』が何かを、考え直してみてはどうだろうか。

よし、決まった。結論もポジティブだし、今晩はこれで終わりにして、蕎麦でも食べに行こうか。そう呟いた瞬間、まだ違和感が残っているのに気付いた。

きっと、何か書くべきことを書いていないせいで、ペンの進みが邪魔されているのだろう。もう一度読み返してみる。

わかった。トマス・S.クーンのせいだ。この記事に書いたクーンの件が終わっていなかったのだ。

本当はこれに続けて、過去のプライベートな話を書くつもりだった。自宅へ送っていった彼女が、飼っている黒のトイプードルに言うときと同じ口調になって、「もうここで良いよ」。去りがたくて私がじっとしていると「もう、こっちはあなたのおうちじゃないのよ。東京へお帰り。**ちゃんに会ってきなよ」と言って、背中を向けて歩き去っていったこととか。

あんな言い方をされたら、こう答えるしかないではないか。

 

くぅん。 

そう閃いた次の瞬間、電話がかかってきた。電話に出ると、向こうから AI らしい人工的な口調の女性の声が聞こえてきた。

人工音声:もしもし、今晩も執筆終了お疲れさまでした。

ぼく:誰? 初めて聞く声だけど。

人工音声:初めまして。ガラス美術館の細川硝子屋夫人です。ガラシャと呼んでください。

ぼく:ガラシャ、何の用事だい? 自宅も会社もガラスは間に合っているよ。

ガラシャたしかに、あなたは魔に遭っておられます。13年前と同じく、硝子越しにしか話せない相手がいらっしゃるはずです。

ぼく:! 

ガラシャ人工知能と人工音声で、あなたと硝子越しの女性との会話を再現して差し上げましょうか?

ぼく:本当? 誕生日おめでとうメールを送っても、返信がないんだ。少しでも話せるのなら、こんなに嬉しいことはないよ。

ガラシャ読み上げます。「しかし、過去の一時点に立って、思い通りにいかなかった人生に仮定をいくつ積み上げても、決して過去へと戻ることはできない。(そうわかっていても、Mにひとことだけ、「すべて本当だったんだよ」とだけは、どうしても伝えたいという気持ちがある。いつかそれは可能になるのだろうか?)。そこに真実が籠っているのなら、ティッシュを溶かす涙だってあるだろう。水に溶けるなら、水に流せるかもしれない。」

ぼく:その「いつか」が今晩めぐってきたというわけか。……少し前から、きみが硝子の向こうにいるような気配を感じていたんだ。

M:久しぶりね。フルチャージでよく頑張ったわね。まさか、本当にこんなことになっているなんて。ずっと心配していたのよ。

ぼく:ごめんね。いつも迷惑や心配ばかりかけ通しで。

M:ねぇ、謝ってもいい? 私の方こそ、ごめんね。信じてあげられなくて。

ぼく:どうして、Mちゃんが謝るのさ。最初から、信じられないような魔に遭った話だったんだ。でも、信じられないくらい、とびっきりの Cadeau なんだぜ、これは。Mちゃんには、どうしてもお礼を言いたい。

M:お礼って、あのFiction の話でしょう(微苦笑) 5年くらい前に 、あなたが **ちゃんに会いに行くことが運命で決まったから、私が泣く泣く身を引いたっていうあの Fiction。あなたは現実を虚構で美化する癖があるから。

ぼく:いや、冗談じゃなくて、本当にお礼を言いたいんだ。ぼくが転落しないように、ずっと手をつないでいてくれて、本当にありがとう。

M:こちらこそ、ありがとう、って素直に返せるように、ひとつお願いしてもいい? 不安に駆られたとき、私の名前を呼ぶ癖を、もう卒業してくれない?

ぼく:ごめん、すっかり癖になっちゃって。気の休まる時間、気の休まる場所がほとんどなかったから……

M:わかった。じゃあ、しばらく「マルちゃん」で代用するのは、どう? 

「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?

「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?

 

M:「マルちゃん」なら、次に呟くべきお守りの言葉にも移行しやすいでしょう?

ぼく:ありがとう。ぜひとも、そうさせてもらうよ。ちなみにその「マルちゃん」は、何味をイメージしたら良い?

M: すでに言ったわよ。あなたの潜在意識はもう気づいているはず。

ぼく:まさか… フルチャージ!

M:(くすぐられたように笑う)

ぼく:愛を教えてくれてありがとう。せっかくの幼馴染なんだから、困ったことがあったら、何でも相談してね。いつでも、何でも、助けてあげたい気持ちがある。

M:あなたがちゃんとした大人になったら、そうしてもらうかも。彼女のこと、本気で好きなんでしょう?

ぼく:うん、本気で。少なくとも、もうこれ以上ツライ思いをさせたくない。

M:だったら、それにふさわしい言葉の使い方があるはずよ。好きなら、どうして彼女の名前を素直に呼べないの?

ぼく:それは、その… とても複雑な心理機制が、いくつも働いていて…

M:どんな恋愛心理なの。説明してよ。

ぼく:説明するよ。まずは、照れさ。……

 (以下、唐突ですが、省略します)。