羊になろうとしている山羊たちに☆の輝きあれ

マヨネーズの出口が☆型である理由は「ケーキのように美しく盛りつけられるから」だったらしい。星型の出口を見つめているうちに、星にお近づきになりたい、という謎めいた欲望が湧いてきた。何光年離れているのかもわからないし、どうすればよいのかも皆目わからないが、自分が星になるのが一番早いのではという作業仮説を立てた。

たとえそれが一億分の一の可能性であっても、ぜひとも自分にやらせたい。自分には精一杯頑張って☆い。普通の三倍くらいは生命を燃やして☆い。

というわけで、さっそく歯磨き粉を変えることにした。

よし、これでひとつ問題が解決。

次は、星になれるおクスリが市販されていたら、かなり道程をショート・カットできそうだ。買い占めて自分だけ飲んで☆になってしまおう。そう企んで検索をかけていると、この大学のHPに逢着した。

創業者のことを調べたことがある。実は、『心臓の二つある犬』を書いたとき、舞台のモデルとすべき私立の医科大学や薬科大学を、詳しく調査したのだ。仕上がりはこんな感じ。

 路彦は学長の言葉を待って黙っている。ところが老人は不意に黙り込むと、魅入られたように、手元の煙草から立ち昇る煙の行方を、頭を伸ばして目で追った。一条の紫煙は、フリーハンドで描いた垂線のように、微かに揺らぎながらも真っ直ぐに立ち昇り、天井の換気扇に吸い込まれていく。
「...きみはこの煙がどこへ行くと思う?」
「さあ。大気圏でしょうか」
「月ではないかな」
「お伽噺ですか?」
 冗談とも真剣ともつかぬ老人の閑話に、路彦は機知をもって応えたつもりだったが、学長は冷厳な顔つきになって、これはお伽話ではない、と言明した。 「この私立医大を創立した先代の学長は私の父だ。父は戦前お国のために私財を擲って、 臨床医を在野で養成するという使命を奉じた。戦中は疎開先の長野で軍医を突貫養成した。 だが、そんな忠義にお国がようやく報いてくださったのは、あまりに時機外れの父の死亡後だった。ちょうど『もはや戦後ではない』という一節が流布された年だ。それはいかにも遅すぎた。『国家又ハ公共ニ対シ勲績アル者』として旭日双光章を授与されたときは、 それでも遺族一同狂喜したもんだ。煙になった父が昇っていく積年の宿願の場所が、よう やく下賜された気がしてね。旭日というのはわかるかね、日本の軍旗に描かれた朝日のことだよ」
 路彦は奇怪な字体のアジビラを学内に撒く左翼青年からは遠いところにいたが、「無脊椎動物」という侮蔑語をわずかに上回る種族、天上へ至る垂直軸を背骨のギブスにしてかろうじて直立歩行している種族には、快い印象を持っていなかった。

 調査リストに星薬科大学を加えたのは、何と言っても「東洋の製薬王」の異名をとる創業者の息子が、ショートショートの名手だったことを知っていたからだ。 

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

 

 というわけで、今晩は「星へのショート・カット」をひた走るべく、星新一ショートショートの名編に、どこまで迫れるか挑戦してみたい。前回の江国香織への挑戦は、こんな仕上がりの小説になった。手直しすれば使えるし、他人の評価がどうであれ、自分では気に入っている短篇だ。今晩はどこまで行けるだろうか。

お題となるショートショート集は、『ノックの音が』だ。15編のすべてが「ノックの音が」で始まるショートショートの名編揃い。中でも掉尾を飾る「人形」の評判が高いようだ。確かにとても面白く仕上がっている。以下、ネタバレしつつ、部分引用する。

(…)

  数日前、この男は人を殺して金を奪った。殺した相手は非合法の商売をしていた者。だからこそ、奪った金も相当だった。しかし、その痕が問題だ。追われている獣。まさに、その通りだった。ボスの子分たちは子分たちで、復讐と金の回収のための行動に移りはじめているだろう。また、警察は警察で、独自の操作にとりかかっているだろう。二倍の密度で、しらみつぶしの追跡がなされているにちがいない。

 もちろん、これは計算ずみのことだった。そのために、男は前々から、かくれ家としてこの小屋を用意しておいたのだ。 

(…)

 「買ってもらいたいものがあっての。まあ、見るだけ見て下され」

 なまりのある老女の声が聞こえた。(…)

「何を買ってもらいたいのだ」

(…)

「わら人形を知らないのかね。呪いのわら人形を。これは本物なんだよ。作り方を知っているのは、もう私だけになってしまった……」

(…)

「刺してみなさるがいい。強くはいけないよ。足のほうでも、そっと突いてごらんなされ」

 男はやってみた。とたんに飛び上がり、うめき声をもらした。自分の足に鋭い痛みを感じたのだ。(…)

「これは当人そのものといっていい。逆にお守りにも使えるよ。これが安全なうちは、その当人にも危害が及ぶことはない……」

 (…)

 男は金庫を開き、なかの札束をカバンに移し、かわりに人形をおさめた。老女の言う通りならば、こうしておけば、おれも安全というものだ。弾丸にも襲われないだろうし、当ったところで無傷ですむだろう。

 男は金庫の扉をしめた。容易にはこわれない金庫だ。この小屋に金庫をそなえた時は、ばかげたような気がしないでもなかったが、こんなふうに役に立つとは思わなかった。

 気のせいだけではない。ここへ来てはじめて、心からの安心感がわいてきた。おびえた気分はどこかへ消え、絶対的な防備を身のまわりに得たようだった。久しぶりに、ぐっすりと眠れそうだ。

 男はダイヤルをまわし、さらに鍵をかけ、その鍵をみつめた。やがて、その鍵をたたいてつぶした。鍵を残しておくと、だれかが拾ってあけることもありうる。それを防ぐには、念を入れておいたほうがいい。さらに万全を期し、この金庫をそとに持ち出し、地下に埋めることにしよう。人形はだれにも発見されず、おれも他人につかまるまい。ゆうゆうと逃走もできるのだ。
 埋める場所をきめるため、男は小屋から出ようとした。ドアを引く。しかし、それはなぜかあかなかった。鍵もかけてなく、さっきは簡単にあいたのに.........。
 男は窓ガラスを引こうとした。しかし、それもあかない。拳銃でガラスをたたいてみたが、割れるどころか、ひびも入らない。こんなことがあるだろうか。男はあわてて、壁に体当りをし、屋根を調べ、床板にも突進した。しかし、それも同様で、なにもかもびくともしない。ちょうど、きわめて丈夫な金庫の中に閉じ込められでもしたかのように。 

ノックの音が (新潮文庫)

ノックの音が (新潮文庫)

 

 自分に課したルールは以下の4つだ。

  1. 「ノックの音が」で書き始める。
  2. 作品世界外の誰かへのメッセージや示唆を含ませない。
  3. 駄洒落に固執しない。
  4. 文芸誌にも掲載可能となるよう、やや純文学寄りの文体を採用する。

 では、これから構想を練ることにしたい。頑張れ、俺。

 

Missing

 

  ノックの音がした。約束の時間きっかりだ。友人のKがぼくの部屋へやってきたのだ。ぼくは机に向かって短編小説を書いていて、一段落したところだった。

 「持ってきたよ」とKはポケットから、カードの束とウィスキーを取り出した。Kとは数年の短い知己だ。どこかの学会の後で流れたパーティーで知り合った。心理学の研究をしているフリをしながら、十年くらい超心理学の研究にのめりこんでいる40代の学者。同年代だったこともある。固い話を好むパーティーのお歴々の中で、雑食性の好奇心を持っている作家のぼくと、やけにウマが合ったのだ。

「実験はどれくらいかかりそうだい」とぼくはKに訊いた。

「すぐに終わるよ。0時を回ったら、妻から苦情の電話がきみに入る手筈になっている」

 ぼくはKの顔をしばらく見た。Kの表情筋が表情を作ろうとしているのはわかったが、それが笑い出しそうな表情なのか、泣き出しそうな表情なのか、わからなかったのだ。

 Kと妻の間に子供はなく、妻はサーモセラピストという温熱療法のマッサージ師をしている。健康だけでなく、美容にも効くらしいので、エステティシャンと呼ぶべきかもしれない。一度だけ顔を合わせて、オイルマッサージをしてもらった。小柄で手が分厚くて温かい。そしてよく笑う。

 ぼくは手を伸ばして、テーブルの上に置かれたカードを、マークを表にして並べた。初めて遊ぶカードだった。 

ESP Cards

ESP Cards

 

「ESPカードで遊んでもらうだけさ。簡単な神経衰弱だから、すぐに終わる」

 Kはひと通り説明すると、ぼくにカードの同じ記号のペアを、裏返したままで当てさせた。透視しようとしても見えるはずもなく、外れるときもあれば、稀には当たるときもあった。電卓を叩いてデータを計算したKは、ぼくの実験結果を祝福した。

「おめでとう。ヒツジだよ」

「ヒツジ?」

「偶然当たる確率よりも、有意に高い確率が出ている。聖書を信じるヒツジと、信じないヤギの話から来ている呼び名さ」

「ぼくに超能力があるっていうこと?」

 Kはすぐに首を横に振った。そして、笑い出そうとしているのか、泣き出そうとしているのか、わからない表情をした。

 「いろいろな研究結果がある。言えるとしたら、きみがこの世界を信頼しているということかな」

 ぼくはK自身がヒツジなのかヤギなのかを訊いた。

「超能力の研究をこっそりしているくせに、ヤギなんだ。ヤギの結果を出すのは、たいてい超常自然現象の否定論者たち。無意識のうちに、外れたカードを選んでしまう。偶然なら一万分の一の確率だっていうから、偶然じゃないのは確かだ」

「本当に無意識に外してしまうの?」

「無意識に。そういう現象は missing と呼ばれている。要するに、世界のありのままを受け入れられずに、判断がすべって失敗してしまう」

 ぼくはキッチンからKを振り返った。ウィスキーは綺麗なアンバー色をしていた。

「水割りがいい? それとも、お湯割りにする?」

 いつもとは違って、お湯割りがいいとKは答えた。哲学者気取りのKも、とうとう奥さんに感化されてしまったらしい。微笑が込み上げてくる。Kは結婚以来ずっと、サーモセラピーを自分に施そうとする奥さんから逃げ回っていたのだ。暑苦しいと抗議して。

 次の瞬間、ちょっとした破滅的な音がした。ぼくの右腕が、誤ってKのウィスキーの壜を払い落してしまったのだった。慌ててKに謝ると、ぼくは自前の酒で急いでお湯割りを作って、Kの前の卓上にサーブした。

「ゆっくり片づけていいよ。時間はたっぷりあるから」

「でも、もうすぐ奥さんから電話がかかってくるんだろう?」

 時刻はまもなく深夜一時になるところだった。Kの表情を観察しようとしたが、Kはあえて表情を表に出さないようにしているように見えた。ぼくはしゃがみこんで、床に黒い染みをつくっている液体を、布に吸わせ始めた。

「本当に大丈夫なんだ。頼むから、ゆっくり片づけてくれ」

 Kの人生は無茶苦茶でした。もがけばもがくほど、Kを縛っている鎖が、深くきつく身に食い込むのでした。いつのまにか、Kには多額の生命保険が掛けられていました。残る人々に禍根を残してはいけないと、Kは説得されました。滅多にいないぜと、Kは笑顔の7人の男たちに話しかけられました。自分が消えることで、幸福な世界を創れる人間なんて、滅多にいないぜ。
 Kは自分がヤギであることを悟りました。ありがとうとその場で答えました。その場にいない人々にも、同じ言葉を伝えたいと思いました。

……上記の数行を読んだとき、自分が書いた覚えのない記述が、なぜ執筆中のPCの画面上にあるのか、思案に暮れた。

 実は、その思案への没頭に辿り着くまでに、割れたウィスキーの壜をビニール袋に入れ、床を拭き上げ、Kがいないのを不審に思って、戸外を少しだけ探し、玄関にKの靴がないのを、何度も確認している。

 壁の時計が1時を過ぎているのが見えた。 ぼくはウィスキーの匂いのする床に座り込んで、Kの奥さんから電話がかかってくるのを待った。普段聴いているジャズを、聴く気にもなれなかった。

 待っても待ってもかかってこないことがわかると、Kの顔を思い出そうと試みた。瞼の裏で、Kは笑い出そうとしているのか、泣き出そうとしているのかわからない表情をしていた。それから、普段はよく笑うKの奥さんが、分厚く温かい両手を精一杯動かしつづけて、一心不乱にKの胸や腹や背中を撫でさすっている場面を想像した。そして、今日の実験の missing。……

 信じたがっているはずなのに、世界をありのままに受け入れられなかったKの無意識について考えた。Kは何を missing していたのだろう。無意識に何を踏み外して、何を拒否してしまったのだろう。 

 5時間待って、夜が明け始めても、Kの奥さんからの電話はなかった。とうとう、涙があふれてくるのを止められなくなった。ミステリー小説を書いたことがあるので、5時間も経てば死後硬直が始まることを知っていたのだ。

 朝の7時に、Kの奥さんから電話がかかってきた。昨晩の23時くらいにKが自殺したことを知らせる電話だった。彼女がKの身体を撫でさせりつづけた8時間のことを、ぼくは考えた。彼女は泣きながら、自殺の理由で知っていることはないかとぼくに訊いてきた。

 彼女に読んでほしい短編があるから、正午までに書き上げて、届けにいくとぼくは告げた。そのようにして、これを書いた。