きいわすきいわす笑ってしまう

例えば、男が戦地に赴く。そんな理由で、離れ離れになる一組の恋人が、ここにいたとする。戦地に行く男はセンチメンタルになって、彼女の写真や手紙や髪をお守りにしたがるだろう。自分も感傷的な男だから、その気持ちはよくわかる。

でも、感受性の強い繊細な男である一方で、「きみの●●をお守りにしたい」というとき、自分が真っ先に思い浮かべるのは、全然別のものだ。

別れの日が近づくと、思いついた表情で、私は彼女にこう告げるにちがいない。

欲しいんだ。欲しくてたまらない、きみの「笑い袋」が!

上は人気アイドルの5人バーションの笑い袋。交代で笑っていく構成になっているので、聞く側が可笑しくて可笑しくて笑いがとまらない、という感じには、たぶんなりにくいだろう。理想的な笑い袋には波が必要だ。だんだん笑いが高まって、笑っても笑っても笑い終わらない感じになり、笑い疲れていったん波が引くが、すぐにぶり返してまたして、また笑いに笑う。

そういうテンションの高い波に、聞いている人間はつられて笑ってしまうのだろう。え? そんなに何がおかしいの? という理由のなさが、とても面白い。欲しくてたまらない、きみの「笑い袋」が!

というわけで、最近私の性格診断をしてくれたどなたかから、「あなたはご自身の『お笑い好き』を内へ抑圧していたのですね」という診断をもらった。確かに前身ブログからうかがえる難解さと繊細さの化合物からは、遠くへ来てしまったものだ。

誤解されるのには慣れっこだし、漱石は猫でもかまわないニャン。お笑いを抑圧した記憶はないものの、無意識に抑圧していたのかもしれない。解放できるものが残っていたら、解放しきってしまいたい。というわけで、今晩はお笑いについて考えてみたい。 

冒頭の「笑い袋」について、似たような実験が脳科学でも進んでいる。芋坂直行は、目を閉じた被験者に「ゲラゲラ」という擬態語を聞かせると、後頭葉の視覚領域が活性化することを実験で証明した。

ちなみに対照群として用いられたのは、「彼女は『ヘユヘユ』と笑った」だったそうだ。「ヘユヘユ」は記憶心理学では代表的な「無意味つづり」らしいが、自分のように、そこに「悲しさと切なさの呼びかけ」を感じてしまうひとびとが、無数にいるにちがいない。

実験の厳密性を担保するためにも、ぜひとも別の「無意味つづり」をおすすめしたい。いま自分が思いついた「きいわすきいわす」のように、完全に無意味なつづりにすべきだろう。  

笑い脳――社会脳へのアプローチ (岩波科学ライブラリー)

笑い脳――社会脳へのアプローチ (岩波科学ライブラリー)

 

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さて、笑うという情動では、複雑な脳内ネットワークが働いているらしい。上の図のネットワークの中に、「ドーパミン系の活性化」があることに注目してもらいたい。

ドーパミンは自己報酬系のひとつだ。ドーパミンを放出させる電極を脳に埋め込んだネズミは、その電極に電流が流れるレバーを、狂ったようにずっと押しつづけたことが知られている。

人間も、些細な刺激でネットワークの一部が活性化されれば、報酬を求めて自分で笑い全体を生み出してしまうのだ。笑い袋で人が笑ってしまう現象は、ここに由来するのである。

脳に笑いのネットワークが存在することはわかった。進化心理学では、さらにこう考える。どうして、人間には笑うという情動が存在するのか? 

同じような問いが、少し前の記事で問われた。

 では、人間には、どうして感情というものが存在するのか? 

自分はこうまとめてみた。

上の本はいま手元にないので、基礎的な知識で概説すると、行動経済学などでお馴染みの「人間の行動の非合理性」は、人間の知性が足りないせいで非合理なのではなく、一見非合理に見える行動にも、長期的な生存の可能性を高める互恵性原理が働いていることが、最新の脳科学の研究で明らかになりつつある。

その互恵性原理を賦活しているのが、意識下で自動的に作動している(互恵性原理を阻害する)合理的利己主義者検知モジュールと、合理的利己主義を放棄するための「感情」なのだというから驚きだ。感情は自然発生的にアプリオリに人間に備わっているものではなく、「生き残り」という至上命題を果たすためのツールとして、人間にインストールされているプログラムというわけだ。

「感情的な人間は損をする」と巷間よく言われる合理的な損得勘定は、実はハズレで、長期的に見れば互恵性原理支持者の方が生き残る確率が高く、だからこそ、互恵性原理を賦活する無意識の自動処理モジュールや損得勘定を越えうる感情が、生得的に埋め込まれている。進化心理学はそう語る。 

当時はアカデミシャンっぽい文章を書く必要があったので、上のように書いた。もう少しわかりやすく書くと、合理性は短期的な功利主義で、それを越える形で機能するようインストールされているのが感情であり、感情は長期的な互恵性原理を働かせるということだ。

今晩の問いに帰ろう。

 人間には、どうして笑うという情動が存在するのか? 

答えは、この分厚い本のあとがきに、手際よくまとめられていた。自分の言葉でまとめ直すと以下のようになる。

笑いの原因:暗黙のうちに心で思い込んでいた事実や知識や信念に「不一致」が発見されると、可笑しくなる。

この不一致理論(と不一致解決理論)が、笑いの原因の最有力仮説だ。どのような不一致が笑いを誘うのか、或る論文の設例で確認してみたい。

 結婚相手を探している若い男が,コンピュータ・システムの結婚相談所を訪れた.彼は申込書の相手の希望欄にこう書いた.

「大勢といるのが好きで,ウォータースポーツをやり,フォーマルな装いが好みの,できればやや小柄なタイプ」
すると,紹介されたのはペンギンであった.

https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjsai/JSAI02/0/JSAI02_0_44/_pdf

 適齢期の女性が紹介されると思いきや、ペンギンが紹介されたという「不一致」が笑いの種なのだ。しかし、その「ペンギン」を「ラクダ」にすると、全然おかしくないことから分かるように、「ペンギン」と聞かされた人は、自動的に「不一致」を解決しようとして脳を働かせてしまう。

遡ってみると、確かに「大勢といるのが好きで、ウォータースポーツをやり、フォーマルな装いが好みの、できればやや小柄なタイプ」という条件は、ペンギンと「一致」しているのだ。このような「不一致と不一致解決の二段階」の情報処理が、笑いを生むプロセスなのだという。

そして、感情が長期的互恵原理を動かすのに不可欠だったように、笑いにも進化心理学的な存在理由があるのだ。

 笑いの機能:笑いの感情とは、知識や信念のエラーやバグをつきとめるという厄介な仕事を、人間がサボらないよう、快楽の報酬系としてインストールされた知的進化促進プログラムである。 

 え! と吃驚してしまったのが、上の結論だ。もちろん、世界中にあるジョークが何らかの体系のバグを発見するために投げかけられているわけではない。しかし、笑いというバグ発見機能の報酬システムを、基本機能から拡張して応用しているのが、世にあるジョークだという説には、自分は説得力を感じる。『ヒトはなぜ笑うのか』のそれぞれ脳科学者、哲学者、心理学者の三人の著者は、注意深い論証を展開している。

自分の経験値でも、固定観念や或る体系を刷新する創造的発想力を持っているクリエイターは、笑いのセンスが豊かだと感じることが多い。実に興味深い事実を教えてもらった気分だ。 

 けれど、笑いの最有力仮説である「不一致と不一致解決の二段階理論」には、自分は不満だ。無数にある不一致のうち、笑いを生む不一致はわずかしかない。先行研究では、「不一致」の定義や「不一致」がなぜ笑いを生むかの説得的な説明がなされていないようだ。自分は、むしろ「複数世界の重なり合い」とでも呼び直したい気がしている。 

笑いの方程式―あのネタはなぜ受けるのか (DOJIN選書 10)

笑いの方程式―あのネタはなぜ受けるのか (DOJIN選書 10)

 

というのも、実際の笑いの現場に構造的な分析をかけると、この「複数世界の重なり合い」が、かなりの頻度で析出できるからだ。

 科学思想史が専門のアカデミシャンが、約10年前に上梓したこの本は、大学生たちとの授業を通じて、「お笑いでどうして人が笑うのか」に科学的アプローチを試みた珍しい本だ。わかりやすくするために、自分の言葉に直して、章立てを列挙してみたい。 

  1. 駄洒落など
  2. 自賛自虐あるある 
  3. 二つの世界
  4. シュール
  5. その他のテクニック

 自分の提唱する「複数世界の重なり合い」に該当するのは、実は、1. 3. 4. の三つ。笑いのうち、かなりの部分がこの領域にあるのは間違いない。「複数世界」という言い方で伝わりにくければ、「複数文脈」と言い換えてもいい。1. の駄洒落はまさしく複数文脈の接合そのものだし、4. のシュールな笑いでも、そのシュール要素が背景の世界観を感じさせることが必須となってくる。(背景を感じさせない異文脈接合は、ナンセンスの分類に入る)。 

 それまで皆無に等しかった「お笑い構造分析」初の書物で、自分の好きなアンジャッシュが高評価を受けているのは、どことなく嬉しかった。彼ら練達の「すれちがいシチュエーション・コメディー」を見ているだけで、いつもシナリオの断片が脳裡に次々と浮かぶ。見ていて、とても気持ち良いのだ。<joke>それだけに、彼らの優れたコントが、中国のコメディアンからの剽窃だと知ったときは、落ち込んでしまった。</joke> 夜景鑑賞士検定3級保持者の方が、自分が夜中に読書していた公園を推奨していたので、どことなく親近感を持っていたのだ。

「複数世界 / 複数文脈の重なり合い」という私のお笑い仮説の最も強力な傍証になってくれるのは、このコントだろうか。

善良なピーポくんの台詞を、文脈操作することによって、ダーク・ピーポくんの世界と交錯させる。

今ここに存在する一つの事物に、背景にある世界を読もうとする点では、文芸批評における『物語消費論』にも近い。文脈を読もうとする観客の「物語消費能力」を動員して、二世界の交錯から、笑いを生み出していると言えるだろう。 

定本 物語消費論 (角川文庫)

定本 物語消費論 (角川文庫)

 

何をシチュエーション・コメディーの文責に熱くなっているのだと言われるかもしれないが、登場人物の言動を規定する「状況の力」とを侮ってはいけない。あの『ロミオとジュリエット』のような演劇史に残る悲劇だって、愛しあう二人の意志とは別の「状況の力」だけが生み出した悲劇だったのだから。

実は自分には、ネタ帳を持ち歩く習慣がある。といっても、詩句やシナリオの断片を書き留めるだけのもので、笑いに直結するアイディアを記録しているわけではない。ところが、パブリックな場所で披露したことのない秘かな持ちネタなら、いくつかレパートリーがあるのだ。

男たるもの、時にはそばにいる人を笑わせるために、果敢なピン芸人の顔も持っておきたいものだ。私の一番受けが良いのは、多重人格ごっこ。20代の頃に、普段の人格でいるのが厭になると、6歳くらいの人格に回帰して遊んでいた。主人格のことをパパと呼ぶのがコツだ。

6歳のぼく:パパはいまお家にいないの。お留守なの。

相手:ぼく、いくつ?

6歳のぼく:(手のひらと指で6を作って)6歳!

相手:パパはいつ帰ってくるの?

6歳のぼく:知らない。ぼくが人に優しくしてもらっていたら、急いで帰って来るって言ってた。

相手:(優しく)本当? 教えてくれてありがとう。ぼく、良い子だね。(と頭を撫でる)

実年齢のぼく:(営業マン口調で)あ、どうもどうも、お世話になっております。申し訳ありません、お待たせしてしまって。 

 この多重人格ごっこは、演じる方も見る方も大笑いになる面白い遊びだ。男ひとりで相手を笑わせたいときでも、「複数世界の重なり合い」は大事だという話。今晩はこれで終わりにしても良いだろうか。

と書いて立ちあがって、ベッドにぽーんと身体を投げると、背中の下に異物があるのが感じられた。手に取ってみると、笑い袋だった。あれ、欲しかったやつが商品化されていて、いつのまにかそれを自分は買っていたのだろうか。

 指で押してみた。

くすくすくす。きゃははは。きゃははは。

 嬉しいな。最高の笑い声じゃないか。そう思うより早く、自分も笑いだしていた。くすくす。なぜだかわからないけれど、とても可笑しい。はははっ。笑いが止まらない。ゲラゲラ笑うのを通り越して、知らず知らずのうちに「きいわすきいわす」笑っていた。なんだよ、「きいわす」って。それもまた可笑しくて、息も絶え絶えに「きいわすきいわす」笑っているうちに、それが何かの略称のように思えて、笑いながら何の略かを考えている。考えるけれど、笑いに思考を持っていかれて、また笑ってしまう。いま何か見えたぞ、と思った瞬間の言葉の並びは、こんな感じだったと思うが、笑いすぎていたので本当かどうかわからない。

みと
つまでも
らって
ごしたい

 何だろう、いま見えたあれは。可笑しいな。「きいわす」っていうのは、鍵を忘れないでということなのだろうか。不思議なくらい可笑しくて、また笑い袋を押して、笑い袋の笑い声と一緒に、いつまでも笑っていたのだった。