「行方不明の偶然」こそが新大陸

コロンブスは新大陸を目指して、世界の果てだと信じられていた方角へ、舵を切った。

最近、何だかやけに楽しそうに日々を生きている方々の生きざまを瞥見する機会が多いせいで、自分がどこか人生のターニングポイントに差し掛かっているような感じがしてならない。そういう方々が、口々に「目指したい目標は口に出した方が叶うよ」とか呟くのを聞いて、そういうものかもしれないとも思う。

今までずっと黙っていたのを申し訳なく感じている。羞かしくって言い出せなかったんだ。

実は自分は、年老いた両親が亡くなるまでに、どうしても辿り着きたい目的地がある。その新天地とは『情熱大陸』だ。私の書くものが何もわからない両親も、『情熱大陸』に出演しさえすれば、無条件に手放しで喜んでくれるのではないだろうか。そういえば、高校時代に自分でデザインした「頑張T」に、「情熱がすべて決める」と書いた過去が私にはある。

まずは、オープニングの隅に登場する手書きの筆跡の練習から始めなくては。ペン習字は頑張るとして、次に何をしたらよいだろうか。

 一晩で書けるとしたら、エッセイが良いだろうか。今日は人気エッセイを三本探して斜め読みしていた。

もものかんづめ (集英社文庫)

もものかんづめ (集英社文庫)

 

 「ちびまる子ちゃん」の漫画家による好エッセイ集。大人気漫画の「ちびまる子ちゃん」と同じくらいの日常の可笑しみに満ちていて、読んでいて楽しい。ただ、見慣れた「ちびまる子ちゃん」とは表現形式が違うことに、ちょっとだけ違和感を感じてしまう。

漫画やアニメで、面白さを最大限に引き出していたコマ割りやナレーションがないせいで、何だか下書きをこっそり読まされているような気分になるのだ。それだから楽しいと感じられるさくらももこファンには、大のお勧めエッセイ集だ。 

そして生活はつづく (文春文庫)

そして生活はつづく (文春文庫)

 

 飛ぶ鳥を落とす勢いのシンガーソングライターは、エッセイも大評判らしい。タイトルは自分の好きなキアロスタミのパロディーだろうか。 タレント・エッセイというカテゴリーでは、出色のできのような気がする。

そして人生はつづく [DVD]

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 しかし、今晩の衝撃は何と言ってもこのエッセイ集だろう。 

ねにもつタイプ (ちくま文庫)

ねにもつタイプ (ちくま文庫)

 

翻訳の本業では、ひょっとしたら文学通以外の場所では、さほどの知名度ではないかもしれない。このエッセイの書き手が、翻訳者として文芸誌で特集されたり、出版した編訳本がやけに面白いのを、自分は知っていた。

出版社はこう紹介している。

 五月のあの朝、わたしはどうしようもなく恋に落ちてしまった―。木に片思いをしたり、バービー人形と真剣交際したり。変な愛はこんなにも純粋で狂おしい。数多くの熱心な読者を持つ訳者が選び抜いた、奇想天外で切実な想いのつまった11篇。ありふれた恋愛小説とは一味も二味もちがう、「究極の愛」の姿。

変愛小説集 (講談社文庫)

変愛小説集 (講談社文庫)

 

 上手い、面白い、頭良い、博識。この四拍子が揃った感じだろうか。吃驚したのは、評判を取った「変な恋愛小説」の編訳本が、実は編訳者の身体的な生理に由来しているらしいのがわかったこと。翻訳者の日常からくる言葉遊びや自虐的ユーモアなどより、文章が肥大して文学的に膨張したり、登場人物の身体が途中で変形したりといった、変異譚が結構面白い。

某月某日

 シャツの洗濯方法がわからなかったので、裏返してラベルを読んだ。ラベルには、ひどく細かな字でびっしりと指示が書いてある。〈まず全体を軽く砧で叩いたのち〉〈いったん半乾きにしてから鳥に〉〈近隣の川にて一晩〉。読み進むうちにそれはやがて壮大且つ波乱万丈の物語となり、いくつもの国が現れては滅び、何人もの英雄が生まれては死に、寺院やバゴダや大聖堂が築かれては崩れ、素粒子よりもさらに小さなまだ発見されていない物質の世界から宇宙の果てまで旅して帰って来たときにはシャツはすでに朽ち果て、もはや洗うまでもなかった。

 小さな点が宇宙大に拡大していくのが、いかにも海外文学通の著者らしい。ボルヘス的綺想がわずか数行の間に炸裂していて、しかもその元々の区画が、洋服についている洗濯表示タグだったという卑小さに、どこか可笑しみがある。

 さらに短いけれど、この変異譚も面白い。

某月某日

 小学校の同級生と偶然に再会した。彼女は父親の後を継いで落語家になると皆から思われていて、自分でもそう言っていたのだが、訊いてみると、後を継ぐのはやめたという。ならばどうするのかとたずねると、思いつめた表情で「じつは蝶に弟子入りしたんだ」と言って、渦巻き状の口吻をピッと伸ばして見せた。お父さんは許してくれたの、と訊くと、彼女は寂しそうに笑い、黙って首を横に振った。 

このエッセイを読んだ目利きの編集者なら、「ぜひとも短編小説をうちの雑誌に書いていただけないでしょうか」という依頼をすでに入れているはず。日本人がしばしばエッセイで歌い上げる花鳥風月や四季の移ろいがほとんどない代わりに、短編小説になりうるエッセンスが豊かに愉し気に横溢している。

おそらくこの人が得意なのは、「未知数の残る方程式」と私が勝手に名付けている作品世界だろう。謎が謎のままで終わると言えば、ややわかりやすすぎる。謎だらけなのに、自分がなぜか引きつけられて行動してしまい、どうなったのかもわからず、ただそのときの不安や恐怖のような感情だけを記憶しているといった一連のシーケンス。それらはつまり、何よりも夢に似ているのだ。「ぜっこうまる」という短いエッセイも絶品だ。

 小学校五年生の、放課後のことだった。その日は台風が近づいていて、生暖かい風が校庭を吹き回り、空をどんどん黒い雲が流れていった。

 私は同級生のカヲルちゃんと、あとクラスの二、三人とで、体育館の横の水飲み場の周りに集まっていた。これからカヲルちゃんが  ″ぜっこうまる” の作り方を教えてくれることになっていたからだ。

 カヲルちゃんは、なかなか本題に入ろうとしなかった。「まず鍋を用意してねぇ……」などと言いながら、ものうげに足で地面に無意味な図形を描いたりして消したりしている。

(…)

 カヲルちゃんは相変わらず黙っている。なのに私も、他の子たちも、カヲルちゃんの白い足が地面をならすのを、じっと見つめつづけていた。今にして思えば、″ぜっこうまる” は本当は ″べっこうあめ” の聞き間違いだったのかもしれない。カヲルちゃんは、単にもったいぶっていただけなのかもしれない。でも、その時の私にとって ″ぜっこうまる” は、宇宙を動かしている見えないシステムの名前だった。カヲルちゃんも、キダ君も、体育館に集まっているみんあも、その時たしかにシステムとつながっていた。私ひとりが、つながれないままだった。

 その時の何か取り残されたような不安やさびしさやもどかしさを、私は何十年もたった今もどいこかで感じつづけていて、だから五年生のあの何でもない放課後は、何度も何度も私の頭の中でリプレイされてしまう。カヲルちゃんの沈黙、キダ君のウィンク、流れる雲、誰かの叫び、転がるバケツ、選ばれた人たちの体操着のまぶしい白、何度も描いては消される地面の図形。

子供時代に感じていた寄る辺のない不安が、夜に夢となって現出したような感じのエッセイ。エッセイの全編を読んでも、結局「ぜっこうまる」が何なのかはわからないが、わからないからこその子供らしい不安が、夢魔的な色調でうまく描き出されている。エッセイよりも、短編小説で読みたい感じもする。

これも敵いそうもない難敵エッセイだが、「情熱大陸」へ到達するには、尻尾を巻いて逃げるわけにも行くまい。 「春を歌にして」のときより、もう少しハードルを上げて、こんな条件で、今晩はエッセイに挑戦してみたい。

  1. テーマは自由、枚数は3枚
  2. 「未知数の残る方程式」式の文学性のあるエッセイにする。
  3. 情熱大陸」を何らかの形で織り込む。
  4. 自分をご機嫌にする縁語を好きなように織り込む。

今のところノープランではあるものの、3時間くらいで仕上げられなければ、情熱大陸は永遠に遠いままだ。頑張れ、俺。

「ミッシング、アクシデンタル」

 

  深夜のバス停に長蛇の列ができていた。私も並んだ。仕事で疲れていたので、私は立ったままうつらうつらしていた。ふと腕を肘でつつかれて、起こされた。黒いスーツの男性が隣で微笑している。「もうすぐバスが来ますよ」。あ、本当だ、来た、と思ったバスは、停車せずに通過した。「パッシング、バス」と男が呟いた。男は精神科医だと名乗って、やけに親し気に私に耳打ちしてきた。「この列の中に隠し事をしている人物がいるんです。だからいつまでたってもバスが来ないんです」。私は激しく首を横に振った。男は医師独特の優しい口調で、こう告げた。「怖がらなくても良いんですよ。この列の人たち全員が、隠し事をしているのがあなただとわかっています」。私は恐ろしい思いで、バス停の列を振り返った。人々の列は夜の底を這う不吉な蛇のように、闇の中をどこまでもどこまでも伸びていた。全員が暗い目でこちらを見ているような気がした。ああ、こんなにもたくさんの人々を待たせているなんて、自分は酷い人間だ。罰せられるにちがいない。私の胸は不安で高鳴った。

 その長蛇の列を薄暗い灯りで照らし出しながら、一台の車がこちらへ向かってくるのが見えた。アンティークの外国車のように見えた。リンカーン・コンチネンタルだった。「パッシング、コンチネンタル」と男は呟いた。それに応えるように、私の口が勝手に動いて「ミッシング、アクシデンタル」と呟いてしまった。「行方不明の偶然」。……どうして自分はそんなことを呟いてしまったんだろう。

 男は心底嬉しそうな笑顔を私に向けた。「やっと隠し事をしているのを、自分で認めてくれましたね」。そして、こう続けた。「では試しに、互いに自分の最愛の女性の名前を呼びましょう。せーので、行きますよ、せーの!」。

 気が付くと、私は「ミャャア」と鳴いていた。驚いたことに、男は同時にこう言った。「ラング・ド・シャ」。どうしてこの男は「猫の舌」を意味する洋菓子の名前を言ったのだろう。

 すぐに男は、感傷で目を潤ませた。「ずいぶん探したんですよ、ミッシング・キャット(迷い猫)」。私は激しく首を横に振った。「もう逃げなくても良いんです。一緒に猫町へ帰りましょう」。男の顔はいつのまにかグレーのふさふさとした体毛でおおわれている。その猫の顔で威迫しながら、私の腕をきつくつかんでくる。「だ、駄目です」と、私は辛うじて声を絞り出した。「駄目です。私は王妃に偶然頭を撫でてもらって、どうしても人間にしてもらいたいんです!」。「でも、さっきの鳴き声からすると、その王妃も猫なんでしょう? 猫町はすぐそこです。帰りましょうよ」。「本当は人間の王妃の名前なんです、さっきの鳴き声は。抑圧しきっているせいで、呼べなくなっちゃって。呼ぶと消えてしまいそうな気がして、怖くて」。精神科医めいた解説を施さねばならないのは、私の方だった。

「迷い猫のくせに何を言っている! 現実を見たまえ!」と、男はおかまいなしに私の腕をきつく引っぱってくる。すると、腕を肘でつつかれて、立ったままうつらうつらしていた私は、夢から目醒めた。両手にはペンと手帳を握っている。手帳には「ミッシング、アクシデンタル」と書いてある。確かに、私は書く仕事をしていたのだった。
 深夜のバス停には長蛇の列ができている。私は口の中で小さく「ミャャア」と鳴いてみた。それから、バスの列から抜け出た。まだ辿りつかない「行方不明の偶然」を追って、反対方向へ向かって、ひとり霧に濡れた夜道を歩き始めた。

 

 どうなのだろうか。いつも思うのは、書き出す前にそれなりに考えてルールを課しているのに、想定とは全然違うものが書けてしまうということだ。「情熱大陸」を織り込むのはきわめて難しかったし、これまでこのブログで使ってきたお気に入りの「縁語」も、ほとんど挿入できなかった。Word の文字カウントで1435字だから、分量もややオーバーしている。3枚は短すぎて、ほとんど何もできないという印象だ。

(20枚限定ルールで書いた純文学短編はこちら)。 

 エッセイというより、掌編小説になってしまった。この分量で明確な卓越性を発揮するのは、本当に難しいな。即戦力のエッセイを書くつもりが、かなり風向きが変わってしまった印象だ。

自分の人生に起きた珍しい事件は、あらかた書いてしまった。下のような事件性のあるエッセイが、自分の書いたものの中では珍重されるのかもしれない。

神戸児童連続殺傷事件とのちょっとした関わり。

オウム真理教事件とのちょっとした関わり。

情熱大陸」への道はまだまだ遠いとの印象は、拭いがたく心中にある。それでも、このブログを書き始めて今晩で333日、ほぼ毎晩連日連夜更新して、新領域への挑戦も数限りなく実践してきた。起業して1年半後からの思いがけない経緯での新たな挑戦だった。

つまりは、このブログこそが私にとって新大陸だったとは言えるだろう。その足跡の巧拙を論じるのは易しいだろうが、会社の仕事と並行してほぼ休日なしで書き続けるのは、並大抵の苦しさではなかった。この苦しさを乗り切ることができたのは、ひとえに無償の献身や心ある声援を捧げてくださった多くの方々の尽力のおかげというほかない。あらためて、心からの感謝をお伝えしたく思う。

誠にありがとうございました。

 

 

It was more like a dream than reality
I must have thought it was a dream while you were here with me
When you were near I didn't think you would leave
When you were gone it was too much to believe

So with tomorrow, I will borrow
Another moment of joy and sorrow
In another dream, and another
With tomorrow

So with the sun there won't be time just to look behind
There won't be reasons, no descriptions for my place in mind
There was so much I was told, it was not real
So many things that I could not taste
But I could feel

So with tomorrow, I will borrow
Another moment of joy and sorrow
In another dream, and another
With tomorrow