ユーモア短編小説「二冊の洋書の夏物語」

 「説明はいらないだろ」

 彼の家を訪れた或る晩、彼はジャズの名曲を引き合い出して、そう説明を拒もうとする。私は首を横に振る。

 彼は小説家で、私が彼のアイディアやインスピレーションを書き留める役を務めることがよくある。今も私はベッドの上で、両手にノートとペンを握っている。

「それで? 季節は夏。そこから?」

 彼はフィクションを考えたり、嘘をついたりするとき、いろいろな物に触れる癖がある。触れるだけでなく、知らず知らずのうちに触れたものに影響されて、虚構を作っていく癖があるのだ。不思議なことに、本人は全然気づいていない。 

カーテンタッセル*マカロン ご利用サイズ:29cm(円周) (ピンク)

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  いま、彼はタッセルを巻きつけたカーテンの束を触っている。私の勘では、きっと「くびれ」か「束縛」が虚構に侵入してくるはず。

「プリーツだ… 襞の概念がその虚構世界の中心にある。並行宇宙は棚にある本みたいに平行して並んでいるわけじゃない。複雑なプリーツを施したスカートのように、折り畳まれて、或る部分と或る部分が思いがけなく重なり合っているんだ」 

襞―ライプニッツとバロック

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  彼はまだカーテンの束に触れている。はずれた。虚構に侵入してきたのは「プリーツ」。

「それで? 真夏の海辺の町で何が起こるの?」

「雰囲気はエリック・ロメールの恋愛映画だ。20歳同士のカップル。女の子は自分に自信がなくて、男を束縛するタイプだろう」 

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 私は彼のアイディアの断片をノートにメモする。「プリーツ」の次は「束縛」が登場してきた。私の勘も捨てたもんじゃない。彼はタッセルを外してカーテンを閉める。

「女の子は真夏に備えて、申し分のないくびれを仕上げてきている。たぶん… 水着売り場だ。二人で水着売り場に行くが、ああいう場所は男を寄せ付けない。売り場から離れたところで、男の子はさりげなく見守っている。ところが、困ったことに、女の子の水着選びにはとんでもない時間がかかるんだ」

「そうね。どちらかといえば、彼と一緒に行く場所でじゃないわ。続きを話して」

「くびれ」も的中したので、私の不機嫌は少しだけましになる。彼の手が、ベッドサイドに置いてある二冊の洋書を触りはじめる。いよいよ虚構の核心を説明していくのだろうか。私の期待が高まる。

「別の女の子が話しかけてきて、説明してほしいと言ってくる。旅行代理店が百貨店のどこにあるのかを…」

 おやおや。「説明を求める別な女の子」とは、私のことではないだろうか。こういう具合に、現実の出来事を大胆に虚構に織り込んでいくのが、彼の創作スタイルだ。

「説明しても説明しても納得してくれないので、行きずりの女の子との話は長くなる…」

「水着を試着していた彼女はどうなったの?」

「問題はそこだ。行きずるの女の子をやり過ごしたあと… 待てども待てども… 試着室から彼女は出てこない。別の女の子と話しているのを目撃して、妬いたのかもしれない。店員に確認してもらうと、彼女は来ていたワンピースだけを試着室に残して、忽然と姿を消していたことがわかる。本当に消えてしまったんだ。睡蓮の葉の上を美しくすべっていた水滴が、いつのまにが蒸発してしまうように」

「まるで小説みたいね」

「小説さ。あるいは小説よりも奇妙な現実。失踪した彼女とは連絡がつかないまま、そのひと夏の恋は終わる」

 彼は抱えていた二冊の洋書を再びネストテーブルの上に置いた。

「続きは? 続きを説明してよ」

 私はベッドから身体を起こして、二冊の洋書を彼に向かって差し出す。彼は驚いて受け取りを拒む。

「ごめん、いま集中しているんだ。関係のない本は置いておいて。…そうだった。この話には続きがあった…」 

 私は気を利かして、今度はジッポーを彼に差し出す。考えごとに耽ってるせいで、彼は意識なくそれを受け取って、手遊びに使い始める。これで虚構はうまく展開するはず。

「実らなかったにせよ、それは火遊びだった。ふっと消えたあの夏の花火と五ジッポー百歩。結ばれなかった儚くて甘い夏の思い出さ。ちょうど15歳の男の子が13歳の女の子にもらったチョコレートのように」

 彼のお気に入りの思い出話が登場してくる。チョコをくれた13歳の女の子が、やがて20歳になってハワイ向けのスキューバ練習のテレビに、素敵な白の水着姿で出ていた話。私は10回以上聞かされている。

「あのときのサングラスの司会者が歌っていた曲… 『ふたりの夏物語』は、要するに終ってしまった…」

 あれ? 彼には何か気懸かりがあるらしい。いつもの思い出話のクライマックスを端折ってしまった。彼はジッポーのアルミケースをかちりと閉じる。

「FIN。映画の最後で… 誰もが… 終わった… そう思っていた『ふたりの夏物語』には、実はひとひねりした続きがあったんだ…」

 そういうと彼は器用に指をひねって、ジッポーの火をつける。夜の暗い部屋を、炎の光が揺れながら照らし出す。

「火が火を呼ぶというのは本当さ。つまりは、互いが互いを巻き込み、もつれあって、恋の炎になる。深々と複雑に折り重なった並行宇宙と並行宇宙が、恋の炎を中心にもつれはじめる… 思いがけない時空が熱く結ばれて… あの夏、彼女が失踪した試着室が、ふと主人公の自宅マンションの一室とつながるんだ! 二人は運命の再会をする! 涙を流して抱擁しあう! ああ素晴らしきかな、人生!」

 私はまず、手に持っていたノートとペンを、彼に向かって思いっきり投げつけた。

「ちゃんと説明してって言ったでしょう! いまの話が、このクローゼットに全裸の女が隠れていた理由の説明だっていうの!」

 私はクローゼットの扉を叩いたあと、勢いよく開け放つ。中にはシーツで身体をくるんだ若い女がうずくまっている。若い女は私のひどい剣幕に、猫のように怯えている。

 次に私は、ベッドサイドにある二冊の洋書を、彼の身体に命中するよう、狙いすまして一冊ずつ投げつける。

「どうして素直にひとことで言えないの!」

 彼は飛んでくる本から無様に逃げ惑っている。

「ダブル・ブッキング!」