ユーモア短編「勝手にしやがりたがる幽霊」

 夜更けに、無人の探偵事務所で物音がした。
 探偵のぼくは最近の心身の不調が祟って、酷い風邪をひいていた。また酷い咳が出た。しかし、咳がおさまっても、物音が消えない。誰もいないはずの事務所の廊下を、誰かが歩いてくる音がする。私は念のためドアの扉に鍵をかけて、扉を背にした。息を殺して外をうかがっていると、鉄製の扉の表面にふと影が立った。影は無言ですうっと扉を通り抜けてきた。わっと声をあげて、私は扉から飛びのいた。扉をすり抜けてきた幽霊は、若い男に見えた。
「夜分にすみません」と、幽霊は私に向かって、礼儀正しく頭を下げた。そして単刀直入にこう言った。「私を弟子にしてください!」
 探偵稼業をやっていると、奇妙な連中や出来事に遭遇することがよくある。相手が誰であれ、職業的微笑を絶やさないくらいのことは朝飯前だ。私は幽霊にソファーに腰かけるよう勧めた。
「弟子がどうとかいう前に、あなたはどなたですか?」
「ノックせずに入ってきて、申し訳ありません。私は悪魔です」
 ぼくは幽霊をまじまじと見つめた。普通の紺のスーツを着た若い会社員に見える。それでも男は、こう言って譲らなかった。
「悪魔より探偵の方が、自分に向いているかなと思うんです」
「待ってください。クライアントの利益を守るのが探偵の仕事です。悪事で手を汚す悪魔には、探偵はつとまりません」
「ふっふっふ。はーっはっはっ! 鶴亀。鶴亀」
 少年戦隊ものに出てくるボス悪役そっくりの笑い方で、悪魔は勝ち誇った笑いをした。キャラの設定がよくわからない。私はこの時点で早くも違和感を抱いた。「鶴亀」とは、くしゃみをした人に健康と長寿を祈っていう言葉だからだ。
「今日のガイシャの様子はどうだった」
 いつのまにか幽霊は高飛車な同級生口調で喋っている。ぼくはしばらく微笑んで黙っていた。探偵の目をごまかすのは簡単ではない。「ガイシャ」とは「被害者」の略。犯行現場に駆け付けるのは警察で、探偵は規制線で締め出されるのが通例だ。この悪魔は、どうやら刑事ドラマを見すぎのようだ。私はカマをかけることにした。
「死に顔がとても綺麗で、眠っているようにしか見えませんでした」
 悪魔は何かを振り払おうとするかのように、左右に首を軽く振った。
「勝手な感想だね。あのような美しい死に方を演出するのも、悪魔の仕事なんだ。楽じゃないんだ」
 おやおや、お客さん。さっそく乗っかってきた。私は悪魔を追い込んでやろうと考えた。
「しかし、美しいには美しかったものの、あの着衣の乱れはいただけませんでしたね。どうしてあんな悩ましい姿に仕上げたんですか。だいたい、よくあるコーディネートをどうデコードするかの戦略がなっちゃいない」
 悪魔は唇を固く結んで黙っていた。「悩ましい女性の姿」と言われても、具体的なコーディネートが全然イメージできないらしかった。
「薔薇色…」
 と、ひとことだけ言った。どうやらそれが精一杯らしい。
「薔薇色はわかっていますよ。結局、フロントホックが外れた姿というのを、悪魔がエステティックに肯定できるかどうかということですよ」
 会話の感触で、悪魔が新奇なカタカナに弱い世間知らずな気配が伝わってきた。この場合の「エステティックに」は「美学的に」という意味。きっと取り違えるだろうと期待していると、悪魔はこう答えた。
「勝手を言わないほしい。あのスカートはあれで良かったのだ。すべては悪魔の筋書き通りだ!」
 予想的中! 悪魔はフロントホックをスカートのホックだと思い込んでいる! 相手は悪魔なのだから、手加減してやる必要はないだろう。ぼくは狼狽している様子の悪魔に、さらに架空のカタカナ概念を使って、攻撃を仕掛けた。世間知らずだけが引っ掛かりそうなカタカナを使ったのだ。
「勝手に彼女のクリプトカレンシーになった気分で、妄想の中でマチュピチュしてばかりいるから、世間の感覚とずれるんですよ。トホホ…」
 すると悪魔は猛然と反論してきた。どうやら悪魔は、世間知らずで、「勝手に」が口癖であるだけでなく、強烈な負けず嫌いでもあるようだ。
「勝手に決めつけないでほしいな! 全知全能の悪魔なんだから、勝手にカレンシーになっても文句いうな! 想像でもな、まだマチュピチュとか、唇に触れる地点まで行っていないんだからな! 悪魔であっても、慎み深い敬虔な子栗鼠ちゃんなんだ、オイラは!」
 勢い込んでそうまくし立てたせいで、悪魔は鼻呼吸に失敗した。大きなくしゃみをした。
「鶴亀、鶴亀」
 ぼくがそういうと、悪魔はぼくを指差して、目を剥いて怒り始めた。
「悪魔の長寿を願うとは、何という不届きもの。頭の中のフロントホックがいくつもはずれているんだよ、きみは! とにかく、あのガイシャを見事に手配したのは、オイラなんだからな!」
 可笑しな怒り方をしている悪魔が、人差し指で差してくるのを見て、ぼくは妙案を思いついた。ぼくはぼくで悪魔を指差して、簡単な催眠術をかけはじめたのだ。
 探偵事務所に来るクライアントの中で、稀に記憶をどうしても思い出せなくなった人に、ぼくは了解を取って催眠術を使う。といっても、本人の顕在意識を残したままの浅いヒプノセラピーなのだが。
 魅入られたようにぼくの指先を凝視しはじめた悪魔は、すぐに催眠にかかって、ソファーの背もたれにしどけなく身をまかせた。さっきの剣幕はどこへやら、かなり素直な性格で催眠にかかりやすい気質のようだ。
 ぼくは物静かな声音で、悪魔に話しかけた。
「あなたは… 深い眠りの底に横たわって… 安全で守られています… 教えてください… あなたは本当に悪魔ですか?」
「いいえ… ごめんあさい… ちがいます… お母さんに言われたんです… 悪魔だと名乗っていて… それでも友達になってくれる人が、本当の友達なのよって…」
「本当ですか? 本当ですか? あなたは子供の頃… 本当にお母さんとマチュピチュ仲良くしていましたか…」
マチュピチュ… マチュピチュしてもらえませんでした… オイラがいけない子だったからです… でも、悲しくて… 淋しくて… だから『お母さんに悪魔を名乗れ』と命じられた物語を… ひとり淋しく勝手に生きてきたんです…」
「もう悪魔を名乗らなくてもいいんですよ… あなたは悪魔じゃない… 悪魔じゃない… 幽霊として、探偵の仕事をしていくとしたら、どんなことができますか?」
「Word と Excel を少々。ネットは得意です。悪魔を名乗ってふらふらしていたら、魂を売るから、大好きなポルシェの旧車を手に入れてほしいって頼まれて、外車を見事に手配してあげたんです…」
「なるほど、ガイシャの手配に成功したんですね。それは素晴らしい… 人間ではなく幽霊のあなただからできることの中には、何がありますか?」
「壁を通り抜けたり… 時々、人の心の中が勝手にわかってしまったり… でも勝手なんです… 珍しいくらい勝手だから… うまくいかなくて…」
 若い男の幽霊の胸のあたりに、ぼうっとほのびかりする光の玉が現れた。それがゆっくりと、幽霊の男の気道を通って、口から出てくるのがわかった。幽霊の男はその光の玉を両手で捧げ持って、大切なものを贈るように、ぼくの胸の前へ差し出した。
 ぼくはしばらく目の前の光の玉を見つめていた。それから、この幽霊の世間知らずぶりや、自慢していたガイシャの手配のことを思い出した。
「ありがとうございます。心身ともに弱っているので、ありがたく頂戴することにいたします」
 ぼくは宙に浮かんでいる光の玉を、両手でそうっと招き寄せて、口を開けて呑み込んだ。光の玉が心臓の近くまで落ちてくると、急に自分の生命が、不調が嘘のように再び輝きだすのを感じた。ソファーから飛び上がりたいほど、元気になった。
「弟子入りを認めます。あなたは、今日からぼくの弟子です」
 ぼくはそう若い男の幽霊に告げた。
 探偵稼業をやっていると、奇妙な連中や出来事に遭遇することがよくある。

 人が悪魔に魂を売ってしまうこともあれば、悪魔が魂を人に「勝手」もらうこともあるのだ。

 

 

 

 

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