ユーモア短編小説「エビフライ好きのプレイボーイ」

 別段、蝶ネクタイもしないし、バニーガールの兎耳もつけたこともない。だから、オレのことをプレイボーイだと非難したがる女に出くわすと、面喰らってしまう。偶々、きみにふさわしいイイ男が、きみに出逢うのが遅れているだけでは? そんなにも綺麗なきみにオレが役不足なのは、オレの罪なんかじゃない。きみの美しさの罪だぜ。

 とか何とか、女たちの機嫌を取りながら、大都市の夜景の見えるバーをグラス片手に回遊しているオレは、言われる通りプレイボーイなのだろう。

 ふ。大事なのは呼び名じゃない。オレの夜で重要なのは、少しばかりのアルコールと美女の柔肌とそれを隠す夜の暗さだけ。

 今晩もオレは、同席を許してくれた初対面の美女の横で、ほんのり甘味のこもった莫迦話を楽しんでいた。

 女は年齢を隠していたが、たぶんオレと同じくらいのアラフォーで、オレ好みの長髪クールビューティーだった。これも本名を隠している気配がしたので、本当かどうかはわからない。女はあかりと名乗った。S字の曲線美を強調した服を着ている。

 あかりは職場の男性同僚の挙動に不満があるらしい。

「すぐに叩いたり、服を引っぱったりするのが、厭なの」

 酷い会社もあったものだ。女性の愚痴をゆっくり聞いてあげられなきゃ、プレイボーイは務まらない。オレはさらに彼女の心の鬱積を引き出しにかかる。

「やることが、まるで子供だな。動画を取って証拠を押さえたら、オレが話をしに言ってやってもいいぜ。約束する」

「本当? 年に一回の皆が集まるイベントがあるの。そのときに来て、ビシッと言ってやってよ、子供みたいな男たちに」

「わかった。じゃあ、その詳しい打ち合わせをやらなくちゃね。今度一緒に食事はどう?」

「わお。誘うのが早いのね。まだ話し始めて数分しかたってないわ。簡単に釣れる女だと思ったら大間違いよ。ちゃんと愛情表現をしてくれなくちゃ」

「最初に見かけたとき、新緑の樹と樹のあいだを抜ける子鹿のように、きみが可愛らしく見えた」

「それだけ? もっとくださらない?」

「子鹿を追いかけると、いつのまにか湖のほとりだ。きっと子鹿は水を飲みに来たんだ」

 そういうと、オレは彼女のグラスをぴんと指で弾いた。

「子鹿はグラスに静かに口をつける。あるいは… 子鹿が静かに口をつけるべき場所はここかもしれない」

 オレは自分の唇に指を当てると、華麗に投げキッスを飛ばした。いつもならこの一連の流れで、たいてい酔わせるか笑わせるかできるのに、あかりはボクサーのように敏捷に首を振って、オレの投げキッスをよけた。オレは深く傷ついた。

「ふふふ。まだ絶滅していなかったのね、こういう昭和の香りのするプレイボーイ。…ちがうのよ。もっとわかりやすい愛情表現をもらってもいい? 私いまだにファミレスのエビフライ定食が好きなタイプなのよ」

「エビフライはオレも好きさ。千切りキャベツにもたれかかって、赤い尾っぽが立っているエビフライを見たら、テンション上がっちゃうね」

「あのエビフライくらいわかりやすく、愛を告白して」

「あかりちゃん、綺麗だよ。大好きだ」

「惜しい。テイク2をお願い。わからないかしら、私はあなたに呼び捨てにされて可愛がられたいの」

 アウトボクサーのように遠のいたり、不意に踏み込んで来たり。間合いの難しい女のようだ。尤も、呼び捨てにするのはプレイボーイには難しくはない。オレはわかりやすい右ストレートを繰り出した。

「あかり、愛しているよ」

「嬉しい。素敵! もうひとこと聴けたら、このまま一夜をともにしちゃいそう!」
あれ? 今度はいきなり踏み込んできてクリンチだ。何だか不思議な女だな。まあいいさ、ホテルでじっくり身体検査と事情聴取が必要なタイプなのだろう。

「あかり、とても可愛いよ、大好きだよ」

「ありがとう! 感動で胸がいっぱい。あとひとこと、あとひとこと言ってもらってもいい? 『毎晩あかりのことを考えている』」

「毎晩あかりのことを考えている」

「素敵。もうハートがすっかり溶けちゃった」

 そう喜びの溜め息をつくと、あかりはオレに合図を送るようにしなだれかかってきた。酔っているらしい。俺は彼女の身体を優しく抱きかかえると、介抱するために、彼女をタクシーへ押し込んでホテルへ向かった。あかりが途中で目を覚ましたので、ホテルへは一緒に歩いて入った。

「電気を消して。先にシャワーを浴びてちょうだい」

 部屋のドアを閉めると、あかりはオレの肩越しにそう囁いた。

 こういうときのシャワールームでの胸の高鳴りは、少年時代とさほど変わらないものだ。どんな話をしよう、とか、どうやって彼女の気分を盛り上げよう、とか、いろいろ考えながら、オレはシャワールームを出た。

 ところが、あかりの姿が見当たらない。電気をつけても、どこにもいないのだ。

 くすくす。まったく。また可愛らしい悪戯を仕掛けてきてやがる。ここは一緒になって遊んであげるのが、プレイボーイらしいオスの度量というものだ。

 オレは腰にバスタオルを巻いたまま、忍び足でクローゼットへ向かった。そして、「あかりちゃん、みーつけた!」と叫んで、勢いよくクローゼットの扉を開けた。

 驚いたことに、中には誰もいなかった。

 オレは撃たれたように、床に倒れて腹這いになった。そしてベッドの下に向かって、「あかりちゃーん!」と叫んだ。しかし、そこにもあかりは隠れていなかった。倒れたとき、腰に巻いたバスタオルははだけた。今やオレは全裸で、ベッドサイドの床に腹這いになっていた。

「社会に貢献する立派な大人になりなさい」。オレは切ない思いで、亡くなった祖母の口癖を思い出していた。プレイボーイが形無しだぜ、まったく。

 死んだ魚みたいに、自分がここで腹這いになっている理由を、何とかしてオレは思い出そうとした。つまりは、あかりがホテルの一室から消えた理由を。

 けれど、結局理由はよくわからなかったのだ。財布とスマホが消えていたので、色仕掛けの窃盗とも考えられたが、小銭も含めたすべての現金が、テーブルの上に残されていた。普通と逆だ。現金だけを盗んでいくのが通例なのに。あかりは何をしたかったのか。

 ただ、スマホと財布を盗まれる方が、現金を盗まれるよりはるかに厄介なのは確かだ。電話帳や仕事のファイルが入っているので、スマホがないと月曜日からの会社勤めもままならない。オレは翌日の日曜日を使って、警察に届けるより先に、自分で盗まれたスマホと財布を捜索することにした。

 捜索方法は簡単だ。あらかじめ登録してあった紛失対応アプリを、起動させるだけ。すぐに地図が映し出された。街中から小一時間の距離にある森の中。そこにオレのスマホがあるらしい。財布もきっと一緒だろう。

 日曜日の朝、オレは愛車を森の中へ走らせた。県道からわずかにそれたところまで来ると、朝の森の外れに、一台の白い国産車が停まっているのが見えた。

 オレの黒のオープン2シーターを見ると、中から女性が降りてきた。

 オレも愛車から降りる。間に10メートルほどの距離を置いたまま、女からオレに話しかけてきた。

「ずいぶん、久しぶりね」

「やあ。最後に会ってから、5年ぶりかな」

 強い風に髪を抑えながら、離れて立っているのは、別れた妻だった。

スマホとお財布は私が預かっているわ」

「どういう風の吹きまわしだい?」

「こうでもしないと、あなたは私に会ってくださらないじゃない」

 オレは肩をすくめた。オレの浮気癖にずっと泣き暮らしていた妻だった。会って話したところで、ハッピーな話にはなりそうもなかったのだ。

 別れた妻の白い車から、もう一人が降りてきた。それを見て、別れた妻がオレにこう説明した。

「別れてから生まれた子なの。ひとりで育てるつもりだったけれど、父親にどうしても会いたいっていうから」

 森の木々を背景に、可愛らしい子鹿がオレの方へ向かって走ってきた。五歳の少女はオレのジーンズの片脚に縋りつくと、オレの顔を見上げて上目遣いでこう言った。

「あかりも、パパのこと愛している」

 オレはしばらく黙っていた。黙っている間に、すべてを理解した。この場所この瞬間に聞いた「も」というひらがな一文字を、決して忘れないだろうと思った。しゃがんで、あかりと同じ目線の高さになると、オレはこう語りかけた。

「叩いたり、服を引っぱったりする男の子がいるのかい?」

 あかりは大きく頷いた。

「パパが注意してあげるよ。次の学芸会のときにね。約束したもんな」

「ありがとう」

 あかりと握手すると、小さな五本指のそれぞれに、さらに小さな爪が生まれたての桜貝のようについているのが見えた。あかりは幼女がよく着るハイウエストの赤いワンピースを着ている。

 オレはあかりを勢いよく抱き上げると、肩車した。あかりはきゃっきゃと声をあげた。オレは元妻のほうに向き直った。

「これから一緒にご飯を食べに行かないか」

「ありがとう。そうしましょう」

「エビフライを食べられる洋食屋でいいよな」

「あかりも喜ぶわ。あなたがそんなに子煩悩だなんて、意外ね。つまらないただのプレイボーイかと思っていた」

「つまらないただのプレイボーイだよ。ただし、ちょっとだけエビフライ好きのな」

 それから、オレは頭の上にいるあかりに向かって「あかり、バンザイしてごらん」と命令した。「バンザイしながら、エビフライ!って大きい声で言うんだよ」

 赤い服を着ているあかりが万歳をすると、エビフライの尻尾に見えるはずだった。元妻が向こうでカメラを構えている。

「エビフライ!」

「エビフライ!」

「エビフライ!」

 きっと素敵な写真が撮れたにちがいない。オレの心はとても浮き浮きしていた。赤い尾っぽが立っているエビフライを見たら、テンションが上がっちゃう性格だから。

 オレは早く三人で食卓を囲みたいと思った。