短編小説「札束抱擁型の甘い献身」

 昼下がりの都会の雑踏。探偵が窓を閉めると、事務所の中に静寂が戻った。

「それで困り果てているんです」

 ソファーには日焼けしたスーツ姿の男が座っている。男が煙草の煙を吐き出した。

「探偵さんご本人がお困りだとは珍しい。トラブル解決のお仕事なのに」

 探偵はソファーに腰をおろして、大袈裟に溜息をついた。

「妻だけは話が別です。最近の何でも屋さんは、かなり進化していると噂に聞いたので、ぜひお願いできたらと思って」

「お話は電話で伺いました。奥様の目の前で、探偵らしい男らしいところを見せられれば良いわけですね。お安い御用ですよ」

「その通り。現在二人の子供を含めた家庭内地位を、4人中4位から少なくとも4人中2位にまで引き上げたい。それをもって、小遣い額をサラリーマン平均の75%へ回復させる交渉のテーブルにつきたい。希望は以上です」

 何でも屋の男はやや唇を歪めた。それがこの男の笑い方らしかった。

「4人中1位でなくても、かまわないんですか?」

 探偵は、そう訊いてきた男を、世間知らずの田舎者を見るような目で見た。そして、また大袈裟に溜息をついてみせた。

「うちの奥さんを知らないからそんな軽口を叩けるんですよ。女は世界最大の謎です。家庭内トップを目指すとしても、『ローマは一日にしてならず』。これを忘れてはいけません」

 これだから、軽はずみな男は困る。探偵は心の中で呟いた。石橋を叩いて壊して渡れなくなるくらいが、小市民の俺の人生には、ちょうどいいというのに。

「わかりました。お客様が探偵らしく男らしく輝く、最高のシナリオをご準備しましょう。ご希望通り、万一に備えてしっかり保険も付帯しておきます」

「頼んだよ」

 何でも屋が準備したシナリオの決行日がやってきた。

 その日は日曜日。予約していたレストランに、家族四人でランチを食べにきていた。上の息子は10歳、下の娘は8才。二人のリクエストで、お子様ランチのあるステーキ屋さんに、先に三人に入店してもらった。

 東京には、日曜日に窓口を開けている銀行の支店がいくつもある。ぼくは妻にお金を貸してほしいと頼まれて、三軒隣にある銀行へ立ち寄った。ATMに行列ができていたので、窓口の前に立った。

 すると、打ち合わせとは異なる場所なのに、シナリオが動き出してしまったのだ。

 それは突然のことだった。二人組の男が口汚い言葉を喚き散らしながら、支店に乱入してきた。二人はこれ見よがしにナイフを振り回している。一人目の男がカウンターをひらりと飛び越えて、窓口の女の子の首にナイフを突きつけて、人質にした。

 二人目の男が、黒いボストンバッグをもう一人の行員に放り投げた。「札束を入れろ! 早くしろ!」と、大声で喚き散らしている。

 探偵はすぐさま背広の内ポケットから拳銃を取り出した。正確に言うと、それは拳銃ではなく、所持が合法のモデルガンだ。だが、素人には拳銃にしか見えない。

「お前らは、慌てん坊のサンタクロースか。ここじゃ、オレの勇敢な姿を家族に見せられないだろう。おい、その女の子を離せ。ナイフを棄てろ」

 探偵はハードボイルドな口調で、探偵らしい台詞を言い切った。もっと緊張するかと思ったが、事前にシナリオだとわかっていると、沈着冷静に大声が出せるものだ。

「てめえ、何ふざけてんだ。何でお前の家族の前で銀行強盗をしなくちゃいけないんだ! 何だ、その降って湧いたようなヒーロー気取りは。拳銃を棄てるのは、てめえの方だろ!」

 強盗はそう言うと、ナイフを一閃、窓口の女の子の胸元のスカーフを刃先で切り裂いた。女の子の悲鳴が店内に響き渡った。

 ずいぶん派手なことをしやがる。探偵は心中で呟いた。あの裂かれたスカーフも、きっと保険が下りて新品と交換されるのにちがいない。

 すべてがお芝居なのだ。探偵は傲然と顎をあげて、迷わず男の方へモデルガンをぶっぱなした。男の背後にあった衝立のガラスが割れて、粉々に砕けた。殺傷能力はなくても、それくらいの威力はある。保険も下りる。

「しがない中年男にも、たまには主役ぶらせてくれよ。今日はオレの一世一代の夢芝居公演なんだ。舞台を別の場所へ移そうぜ」

 何とかして、妻に探偵らしさと男らしさをアピールしたい。そして家庭内地位の躍進と小遣い増額交渉を勝ち取りたい。俳優たちに発注通りに演じてもらわないと、困るのはこっちなのだ。

「おまえは頭がおかしいだろ! 銀行強盗が銀行以外のどこで強盗するってんだ!」

 探偵はつくづく銀行強盗の言う通りだと感じた。手持ち無沙汰だったので、とりあえず余裕の微笑みだけを唇に貼りつけて。といっても、依然として人質にナイフを突きつけている男に、照準を合わせざるをえない状況は同じだ。支店の中は静まり返っていた。膠着状態だ。

 そのとき、もう一人の行員が俳優めいた思いがけない行動をとった。冊束を詰め終わったボストンバッグを、強盗ではなく銃を持った探偵の方に投げてきたのだ。ナイフで詰め込み作業を急かしていた強盗の一人が、逆上してナイフを振り上げた。そして、こちらへ向かってきた。

「おのれ、ふざけやがって」

 刃先がぶれないようにナイフを懐の奥で構えて、強盗は熊のような獰猛さで体当たりしてきた。探偵は身体の前にボストンバッグを構えて、ナイフの刃先を受けた。完璧な殺陣だった。

「なかなかのナイフさばきだ」

 探偵は余裕を示そうとして、探偵らしいセリフを何とか言ってのけた。しかし、強盗がバッグからナイフを引き抜くと、ナイフは血で濡れている。探偵の顔色が変わった。重傷だ。保険の上限額でまかないきれるかどうか心配だ。

「すまん。俺が悪かった」

 探偵は唐突に謝罪した。そういうなり、血の付いたナイフを構えている強盗に向かって、あっけなく拳銃を宙に投げた。

 数秒前に解放された行員が、支店の出入口自動閉鎖ボタンを押したのがわかっていたのだ。強盗が体勢を崩して、投げられた拳銃を受け取ったのと、探偵がキイキイ音を立てて、降りてくるシャッターの隙間から、転がり出るように退出したのは、ほぼ同時だった。

 胸から下を血まみれにした探偵は、日曜の昼の街路を駈けながら、シナリオの続きが追いかけてくるのを待った。しかし、誰も追いかけてくる様子はない。それでも、探偵には自分がどこへ行くべきなのかわかっていた。家族の待っているステーキレストランへ入店すると、ボストンバッグを抱いたままソファーに倒れ込んだ。

「あなた、どうしたの。しっかりして」

 妻が探偵にしがみついて、半狂乱になって叫んだ。ソファーから床へ流れ出す血を見て、警察が呼ばれた。

 血の臭いが騒ぎを大きくするということは、やはりあるのかもしれない。ステーキ店の常連らしい屈強な男たちが、「俺たちの店で気ままに騒ぐんじゃねえ」と束になってクレームをつけに来たが、到着した警官たちに制止されて、事なきを得た。

 探偵は札束の入ったボストンバッグを警官に手渡すと、気を失った。

 

 

「退院おめでとうございます」

 探偵事務所のソファーに座った男が、開口一番そう告げた。

「ありがとう。しかし、とんでもなく酷い目に遭いましたよ。まさか、あれが本物の銀行強盗だったなんてね。後から来たプロレスラーたちが、シナリオの俳優だったんですね」

「ええ、おっしゃる通りです。しかし、これも怪我の功名です。あまりにも勇敢な立ち振る舞いだったので、新聞や週刊誌でも大騒ぎでしたね。ご商売も繁昌するようになったんじゃないですか」

「ご名答。依頼件数が三倍になったんだよ、ワトソン君」

「よ! 平成のホームズ! 名探偵!」

 何でも屋は依頼人に景気よく喝采を送ると、探偵事務所を後にした。

 次に向かったのは、ホームズ。より正確に言うと、探偵が35年ローンで建てたマイホームだった。

 何でも屋は客間に招き入れられた。探偵の妻が冷ややかなお茶を出して、対面に座った。

「こんなに上手くいくとは思わなかったわ」

「おそらく旦那様は慎重なご性格で、心にたくさんのリミッターがかかっているのでしょう。『シナリオで仕掛ける』という段取りのおかげで、見事にリミッターが外れたみたいです」

「探偵の癖に石橋を叩いて壊して渡らない性格で、商売が行き詰って困っていたの。大好きなダーリンなんだけど、いつもリスクを見積もってばかりの保険大好き男なのよ。まさか本気を出したら、二人組の銀行強盗と渡りあっちゃうなんてね。惚れ直したわ」

「奥様の前でいいところを見せたいという男心も、きっとどこかにあったんだと思いますよ」

「あの人に限って、それはどうかしら。だったら、これまでもっと稼ぎを持って帰ってきたはずよ。ま、これも一種の『甘い献身』ね。探偵事務所が猫の手も借りたいほどの大忙しになったんだから。…あら、二人が刑務所に入った割には、ずいぶんお値段がお安いのね」

「仕事がまったくなくて、三食昼寝つきの刑務所が恋しくてたまらないやつもいるんです。しかし、奥様のシナリオは少々過激でしたな。万一ご主人が刺殺されたら、どうなさるおつもりだったのですか?」

「それは心配ないのよ」というと、探偵の妻は化粧ののった紅色の唇を伸ばして、艶然と笑った。「だって保険を掛けてあるから」

 何でも屋の男はそれに愛想笑いで付き合いながら、心の中でこう呟いた。

「女は世界最大の謎だ」。

 

 

 

 

ブラック・レディオ

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So for these next few minutes, submerge your mind
Peace is filling your mind
I'd like you to visualize your mind interior

 

I offer you my sweet devotion
I will try to make it easier for you
I reach for your and sweet devotion
Here I know, here I know
Don't waste my time
On reasons you can't fight
Lay down with you, sweet devotion
Sweet devotion, I'm not perfect but my faith is true
Be here I know, here I know
Don't waste my time
On reasons you can't fight
Your mind, listen, your mind

 

When you look, I'll be gone
Tears for you, no tears for you