建築とラブソングの陰影礼賛

 ミュージシャンがヒット曲を作るとき、曲を先に書く「曲先」と詞を先に書く「詞先」があるらしい。しかし、世界広しといえども、紙媒体に載るはずもない「曲先」でショートショートを書いたのは自分くらいではなかろうか。小説になりそうなお気に入りの曲が尽きたので、今日は目先を転じて、その創作期間に目に留まった些事について批評的エッセイを書くことにしたい。

 「曲先」でも「詞先」でもない。性淘汰で機先を制するのが、サブリミナル嗅覚だということを、下の記事に書いた。

血縁を生み出す異性選択で、若い男女が選び合っているのは、実は、自分とは異なるMHCというタンパク質製造法タイプだと言われている。それを、サブリミナル嗅覚で選び合って、婚姻や妊娠が成立しているケースが、かなり多いらしいのだ。 人間はあらゆる機会を生かして、異種強勢を目指す生き物なのだ。

 そのサブリミナル嗅覚を駆動させているのが、「鋤鼻器」という感覚器官で、犬や猫などの家畜にはあっても、人間にはないとされてきた。それがどうも人間にもあるらしい。赤ちゃんにあることは確認済みだったのが、成人の鼻からも見つかり始めた。人間も、鼻の粘膜にある秘密の鋤鼻器を使って、お互いのたんぱく質のMHC型を嗅ぎ分けているらしいのだ。

 MHC型の種類が遠い場合と近い場合とでは、ネズミの繁殖度は明らかに違う。遠い方が有利で近い方が不利というくっきりと色分けできる線(ターニングライン)が、データ群の上に浮き出るのだという。ともすれば日本人は、非科学的だとして欧米では等閑視される血液型占いを好む。けれど、科学的真実は、別方向の未踏の地にありそうなのだ。

フェロモンやたんぱく質のMHC型を嗅ぎ分けている「鋤鼻器」。犬や猫などの家畜にあるこの感覚器官を、別名「ヤコブソン器官」とも言う。 

ヤコブソン・セレクション (平凡社ライブラリー)

ヤコブソン・セレクション (平凡社ライブラリー)

 

 その知識に接したとき、自分は構造主義の曙光、ヤコブソンの「猫たち」の分析を思い出さずにはいれられなかった。レヴィ=ストロースと共著でボ-ドレールの詩「猫たち」を徹底的に分析した記念碑的論文だ。ごく簡単に言うと「内容と形式の不即不離」の構造を見出した。 (こちらの論文 3. に詳細あり。https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/4/ando-k.doc

 哺乳類の繁殖では、遠いMHC組と近いMHC組との間に、前者が優勢(雑種強勢)のターニングラインが浮かび上がった。ボードレールの詩の場合は、内容と形式との間に通常あると考えられているターニングラインを、詩想が跨ぎ越して乗り越えていったのだ。

 色が変わる時に使う英語は、change ではなく turn だ。ターニングラインについていろいろ考えながら、夜の建築のタイムラプス映像を眺めていた。今朝、タイムラプス写真について可愛らしい短編を書いたせいだった。

 これは谷崎潤一郎が見たら、激怒するんじゃないだろうか。ひとことでいうと、明るすぎやしないかと感じるのだ。きらきら輝く都会の夜景を好む乙女心を、知らないわけではない。

 本気で書いた小説の一節で、たまたま都会の夜景について筆が及んだとき、自分はこのように書いた。

 その旅は都市から都市へと続いた。死海近くの古代都市の街路では、アスファルト上 を駱駝が歩いていた。イランーパキスタン間の街道沿いには、砂漠からの砂塵に侵されて、 廃墟群となった真っ暗な宿場町があった。車窓の向こうを、ネオンサインが明滅しながら過ぎる。光の箱を積み上げたオフィスビルが過ぎる。東京の夜の嘘のような明るさが、世界のごく限られた地域、ごく限られた時代のものでしかないことを、路彦は夙に知悉していた。遥か昔から、この街路を浸しては立ち去っていった夜々の数限りなさを、目裏の闇の中で反芻する。人の顔の中に圧縮された人生が息づいているように、街路にも圧縮された歴史が折り畳まれている。旅人は本能的にそれを知覚している。というより、その圧縮された歴史に触れるためにこそ、人は街々を旅するのだろう。

 そのとき調べておきたいと思ったのが、日本の照明デザインの草分けである石井幹子の仕事。時間がなくて参照できなかったし、参照できていたとしても上記の描写に影響があった気はしない。それでも、虚構を支える背景知識の確かさのためには、読書欲をそそられてしまう性格。今日読むことができて、ようやく約束を守れたような気がして嬉しかった。

 下記の著書の表紙に写っているのは、ベルリンのランドマークであるフライデルブルク門。「平和」や「Peace」という意味の言葉が、多国語で投影されている。

 

BERLIN MESSAGE FOR PEACE―ベルリンに灯された平和のメッセージ

BERLIN MESSAGE FOR PEACE―ベルリンに灯された平和のメッセージ

 

 ライトデザインの彼女の代表作を見ながら、やはり「暗さが生きている」と呟いてしまった。日本は谷崎潤一郎の『陰影礼賛』の国。夜の建築を昼の状態に近づけることが、ライトアップではないのだ。

 谷崎潤一郎は照明を投影する事物が主役なのではなく、「陰影」が主役なのだとはっきり述べている。

 尤も我等の座敷にも床の間と云うものがあって、掛け軸を飾り花を活けるが、しかしそれらの軸や花もそれ自体が装飾の役をしているよりも、陰影に深みを添える方が主になっている。 

陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)

 

 陰影というと「シルエット=影絵」をイメージする人が多いかもしれない。 しかし、陰影とシルエットとはむしろ逆の概念だ。シルエットとは、事物の立体感を消して平面化した輪郭図。陰影とは、光と闇をバランスよく配置して、事物の立体感や素材感を際立てることなのだ。光がなければ陰影は生じようがないので、単純な「暗さ」礼賛という話でもない。

 要するに、「陰影」とはこのブログの文脈でいうとターニングラインそのもののことだろう。谷崎は東洋的なぼんやりとした暗さを称揚した。一方の西洋建築では、18世紀のジェームズ・アダムによって、このターニングラインと同じものが「ムーブメント」と呼ばれて、建築の新様式を生み出したらしい。

 建築が建築図面の中にあるのではなく、光と影、昼と夜に属することが、18世紀にはすでに考えられていたのだ。当時の代表作として挙がるのが、イギリスのブレナム宮殿。設計者はアダム兄弟ではないが、彼らが丁寧なコメントを著書に記している。

遠方からとらえたときの動的な起伏に富んだ世界初の建築に、アダム兄弟は称賛を惜しまない一方、さらにその方向性を推し進めるための提言も行っている。美的欲求に急かされて、外壁の装飾を複雑にしすぎないことで、遠視したときのターニングラインを明確に力強くするよう提唱しているのだ。

 さて、今日のこの記事のテーマはターニングラインだった。

 哺乳類の繁殖では、遠いMHC組と近いMHC組との間に、前者が優勢(雑種強勢)のターニングラインが浮かび上がった。ボードレールの詩の場合は、内容と形式との間に通常あると考えられているターニングラインを、詩想が跨ぎ越して乗り越えていった。18世紀以降の優れた建築家は、建築が光と影が織りなすターニングラインで形作られることに、意識的だった。

 この記事最後のターニング・ラインはこのジャズ・スタンダード。その名も「Night and Day」。甘い歌詞のラブソングだ。 

 自分の知る限り唯一のジャズ構造分析書がとても面白かった。ボードレールの詩と同じく、「内容と形式の不即不離」が楽譜上に浮かび上がっているというのだ。

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ジャズ・スタンダード・アナライズ~名曲誕生の謎を紐解く

ジャズ・スタンダード・アナライズ~名曲誕生の謎を紐解く

 

 紗がかかってグレーになっている部分がマイナー調、何もない白い部分がメジャー調。悲しげな夜のマイナーキーと明るい昼のメジャーキーが交互に繰り返されるさまが、まさしく「Night and Day」だというのだ! まさしく写真の楽譜の中央に、縦にターニングライン(夜と昼の境目)が入っているというわけだ。

 楽譜の読めない自分にはまさしく目から鱗。カヴァー歌手の美しさともども、忘れがたい曲になった。

Night and day, you are the one,
Only you beneath the moon or under the sun,
Whether near to me or far,
It's no matter, darling, where you are
I think of you,

Day and night, night and day, why is it so,
That this longing for you follows wherever I go?
In the roaring traffic's boom,
In the silence of my lonely room,
I think of you,


Day and night, night and day,
Under the hide of me,
There's an oh, such a hungry yearning, burning inside of me.
And this torment won't be through,
Till you let me spend my life,
Making love to you,
Day and night, night and day.  

 ところで、この記事の冒頭で「血縁を生み出す異性選択で、若い男女が選び合っているのは…」と書いたときから、頭の中でこの曲がずっと回っていた。ひとつの問いもずっと回っていた。その問いとはこうだ。

夜も昼も彼のことを考えていたこの女性は、その恋を成就させたのだろうか?

ターニングラインとは、或る意味では、彼女が明るい昼の側へ踏み出したのか、暗い夜の側へ踏み出したのかの境界線でもあるだろう。

 どっちだろう? どっちかはわからない。それでも、歌詞の和訳を思い浮かべていて、何だか他人事とは思えなくなってしまった。

 だから、ターニングラインを昼夜のどちらへ跨いだとしても、彼女がハッピーであればいい。通りすがりのそんなささやかな祈りを、ふとここに書きつけておきたい。いずれにしろ、明けない夜はないのだから。