ケトルが歌う「Table for Two」

OU!

 何かに驚いてしまった。Oh! 何ということだ。そのあとで、何に驚いたか忘れてしまった自分に、またしても驚いてしまった。とはいえ、ブログ記事の冒頭で「OU!」などと驚きの声を書きつけてしまったら、読者に何か驚かせるようなことを書かなくてはならない責任を負う!

 というわけで、何か驚くような情報はないかと思いながらネット・サーフィンしていたら、あった! やはり心がけ次第ではあるべきものが「ある」ようだ。

 どういう理由からか、自分は悪しざまにポストモダン呼ばわりされた時期があって、居心地が悪かった。そんなにポモ好きを公言したこともないし、ポストモダン建築の代表的建造物も、少しも美人に見えなくて困ってしまうセンスの持ち主だ。

 何だろう。リンク先の一枚目の暗い方の側面についている。古典的装飾のペラペラの引用は。ポストモダンの掛け声がかまびすしかった時期でも、このポモ建築が好きだという知り合いはいなかった。ところが、ネット記事をざっと見た感じでは、ポストモダンブームが去った現在でも、正確な批評はあまり出ていないようだ。

 何枚もの写真を丁寧に見た上で、首を横に振りながら、「やはりどう見ても美人じゃないな。むしろ、ブスの領域に半分足を踏み入れている」と呟いた瞬間、「OU!」と驚いてしまった。

 名は体を表すとは、言い得て妙じゃないか。思い出したぜ。この市庁舎を立てた建築家の名は「グレーブス」というのだ。案の定、あの建築が美人かブスかはグレーの領域にあるらしい。

 むしろグレーブスの名に一般大衆が触れるとしたら、太陽が西に沈んでから東から昇るまで、言い換えると「やかん」だったりするのではないだろうか。そう書きつけた瞬間、またしても驚きがやってきた。

OU!

 そうか。その二文字は「お湯」と読むのが正しかったのか。自分にもさっぱりわからないほど、自分の直感は鋭いので、厄介な日々だ。

 そんなわけで、グレーブスのケトルについて調べていると、80年代のアメリカの新聞記事が綺麗にまとめてくれていた。記事は「プロダクトデザイナー→建築家①→建築家②」の順に、ケトルの歴史を追っている。 

 英語を読むのが面倒な人は、建築家①のグレーブス作の笛吹きケトルが、鳥のようにさえずるさまを見届けてもらいたい。

個人的には、朝に鳥のさえずりを聞くのが大好き。確かに、よく見ると注ぎ口についている鳥は可愛らしい。でもこれなら、凡百の笛吹きケトルとさほど違いがあるようには見えない。やはりこのバード・ケトルも「グレーブス」の領域にあると言わねばならないだろう。 

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これに対して、完璧なクール・ビューティーぶりを誇示しているのが、建築家②のアルド・ロッシ作のケトルだ。しかし、デザインは完璧な造型でも、熱伝導が良すぎて、把手を握るのにミトンが必要だという情報もある。笛は吹かないし、普段使いにも向いていない気もする。

(アルド・ロッシの建築家としての仕事については、この記事で言及した)。

LAタイムズの三つのケトルの中で、最も自分が欲しくなったのは、無名のプロダクトデザイナーがつくった「奏でるケトル」。そうだった。この動画を見たとき「OU!」っと驚きの声が出たのだ。

選曲が「Tea for Two」というのもいい。

建築家がどうしてケトルのデザインを手掛けるのか。簡単に言うと、そこにはアートというものを、芸術家たちの特権的な関与物に囲い込むのではなく、アートを大衆のもとへ返そうとする左翼的なムーブメントがある。

 正確には「アーツ・アンド・クラフツ運動」と呼ばれる「無名の職人の手工芸に芸術本来のあり方を求める」ムーブメントだ。

上の辞書にはアールヌーボーへの影響しか書いていないが、重要なのはドイツのバウハウスへの影響だ。バード・ケトルを作ったグレーブスはバウハウスへのシンパシーを表明している。詳しい記事が見つかった。

 バウハウス のルーツは19世紀末のイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に求めることができる。アーツ・アンド・クラフツというと、機械文明を否定したジョン・ラスキンの思想やウイリアム・モリスによる中世の手仕事に回帰したような植物文様などの装飾性の高い壁紙が思い起こされる。

これらは バウハウス のイメージとは俄かには結びつきがたいが、アーツ・アンド・クラフツ運動の背景には、産業革命によって生まれた低質な工業製品への異議申し立てがあり、生活と芸術の統一によって、新たに生まれつつあった大衆社会にふさわしい造形を創造するという理念があった。(…)

その理念はヴァルター・グロピウスによる1919年の バウハウス 設立に大きな影響を与えた。 

バウハウスの全容を概観したいなら、下の記事がオススメ)。

では、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動、ドイツのバウハウス、日本の… 何が系譜に連なっているか、ご存知だろうか? (wikipedia の「バウハウス」には載っていないものの)、日本で巻き起こったの同種のムーブメントは民藝運動だ。

 下の記事は、バウハウス民藝運動の同時代性と共通性をうまく説明している。

(…)僕らはついバウハウス的なデザインというと、合理主義的・機能主義的なデザインをイメージしてしまいますが、「芸術と技術の統一」という理念を掲げているだけあって実際には手仕事を重視したのがバウハウスのデザイン教育です。
 この点は日本民藝運動の理想とするものづくりと同じです。さらにバウハウスは単にものづくりの工房として労働の場であっただけでなく、マイスター(親方)とレーアリング(徒弟)が共同で暮らす生活の場でもあったそうです。ここでも民藝の問題をたんにものづくりの技の問題だけに還元せず、「器の正しさは制度の正しさを要求する」という言葉に代表されるように労働や生活の基盤となる社会制度の問題として捉えた柳宗悦さんの思想に重なります。 

(下は民藝運動の詳細について語っている稀少記事)。

さて、グレーブスのキッチュな建築 → 建築家たちのケトル → アーツ・アンド・クラフツ運動 / バウハウス / 民藝運動 → と、デザインの歴史を系譜学的に紡いできた。10年代現在、このような大衆に溶け込んだデザインのあり方が、何と呼ばれているかは知っておいた方がいいかもしれない。

 それは「ソーシャル・デザイン」だ。 

「ソーシャルデザイン」の教科書

「ソーシャルデザイン」の教科書

 

 上記の教科書はデザイン総論に近い書き方なので、ソーシャルらしいソーシャルデザインをイメージしながらわかりやすく言い直すと、ソーシャルデザインとは(商業的デザインとは対極にある)「地域社会にある人や資源や技術を使って、地域社会の問題や生活を改善するデザイン」のことだ。

高校の英語教科書にも載っているのが、 プレイポンプという遊具型の揚水設備。子供たちが地上の遊具で遊んでいる力で、地下水を汲み上げられる仕組みになっている。下のリストを読めば、これが典型的な素晴らしいソーシャルデザインの実例だとわかるだろう。

プレイ・ポンプを設置するメリットは次のようなことが考えられる。
— 水がきれいなため病気になる人が減る
— 水運びに時間をかけずに済むため、女の子も労働から解放され男の子と同じ時間学校に通える
— 比較的低コスト(75万円程度)で2500人規模のコミュニティーに水を提供できる
— 水をためるタンクにはエイズ防止のメッセージが掲げられ、子どもたちにとって教育になる
— ポンプを設置・維持するのは訓練を受けた地元住民。地元の雇用機会が増える
— コミュニティーの中心や学校の近くに設置されるので、学校帰りの子どもが遊ぶ機会が多い。そして何よりも子どもたちが楽しそうだ!

 ソーシャルデザインは発展途上国だけに必要なものではない。私がお気に入りなのは、公衆電話ボックスをアートギャラリーにしたソーシャルデザイン。

 携帯電話の普及で不要になった電話ボックスを、電話会社がほとんど無料で地域住民に払い下げ、電話ボックスの中を「貸し切り写真画廊」にしてしまったのだ。

記事の中ほどまでスクロ―ルすると、QUEEN の名ギタリストのブライアン・メイも、このソーシャルデザインに賛同して、自身のお気に入りの写真を展示するギャラリーとして使ったのだとか。たかだかひとつの電話ボックスを生かしたことによって、そこが地域の観光名所となり、地元民の誇りの共有財産となり、地域経済も潤ったというわけだ。

では、日本で有名なソーシャルデザインは… と考えていたとき、不意に驚きの声が飛び出てしまった。

OU!

また「お湯」の話に戻らなければならないだろうか。いや、最高のケトルは、沸騰したら「Tea for Two」を奏でるあのケトルに決まったはずだ。ああ、そうか。そうだったのか。今晩の自分は、あのとき書けなかった記事に追いかけられていたのか。

自分にとって「緑」は、この短編のような色だという刷り込みがあるみたいだ。つまりは、偶然のきっかけで、誰か困っている人を助ける羽目に陥って、それが自分の人に決定的に豊かな実りをもたらしてくれるような。

「緑」色の意味は、人それぞれ異なる。誰かが空腹のあまり思わず開けた未知の扉の先に、新鮮な食べ物の載った食卓があると良いと思う。

Table for Two は、きっと同じような願いを持った人々によって営まれている老舗のソーシャル・ビジネスなのにちがいない。 

「Tea for Two」から「Table for Two」へ持っていく結末はイメージしていたものの、調べる暇がなかったせいで、書き切れなかったソーシャルビジネスがあったのだ。 

代表者の主著にある「20円」という金額の正体はこちら。 

 対象となる定食や食品をご購入いただくと、1食につき20円の寄付金が、TABLE FOR TWOを通じて開発途上国の子どもの学校給食になります。
 20円というのは、開発途上国の給食1食分の金額です。つまり、先進国で1食とるごとに開発途上国に1食が贈られるという仕組みです。

TABLE FOR TWO公式サイト-TFTについて 概要

 面白いのは、上で説明されている「対象となる定食や食品」が、メタボ化阻止や生活習慣病予防向けの健康食メニューであることだ。先進国の国民に余分に回りすぎていて、その国民の健康を蝕んでいる食事のうち20円分が、発展途上国の子供たちの給食一食分にまわる仕組み。自身の健康維持を助けるのに20円は安い出費だ。

 このソーシャルデザインでは、誰もが得をする循環が作られているのが見事だ。

OU!

と、ここで、また謎の驚きに襲われてしまった。私は何に驚いているのだろうか。ちょっと疲れ果ててしまって、上の記事を書き飛ばしていた頃のような調子が出ないな。でも、今晩のところは、心を和ませる時間が持てそうな気がする。

だって、さっき驚いた「OU!」とは、ボウイが歌っていた「Oh! You Pretty Things」の略だったことに、いま気付いたから。

 世界の最貧国は「サハラ砂漠以南」に集中していることが知られている。

 素晴らしいソーシャルデザインとはこういうものだ。私たちの健康食のうち20円分が、最貧国マラウィーの子供たちの可愛らしい笑顔になると考えたら、こちらだって微笑が浮かぶだろう。この喜びの循環の中でなら、屈託なく「ああ、可愛らしい子供たち!」と嬉し気に呟けそうな気がするのだ。

 

 

 

Wake up you sleepy head
Put on some clothes, shake up your bed
Put another log on the fire for me
I've made some breakfast and coffee


Look out my window and what do I see
A crack in the sky and a hand reaching down to me
All the nightmares came today
And it looks as though they're here to stay


What are we coming to
No room for me, no fun for you
I think about a world to come
Where the books were found by the Golden ones


Written in pain, written in awe
By a puzzled man who questioned
What we were here for
All the strangers came today
And it looks as though they're here to stay


Oh you Pretty Things
Don't you know you're driving your
Mamas and Papas insane
Oh you Pretty Things
Don't you know you're driving your
Mamas and Papas insane


Let me make it plain
You gotta make way for the Homo Superior


Look out at your children
See their faces in golden rays
Don't kid yourself they belong to you
They're the start of a coming race


The earth is a bitch
We've finished our news
Homo Sapiens have outgrown their use
All the strangers came today
And it looks as though they're here to stay


Oh you Pretty Things
Don't you know you're driving your
Mamas and Papas insane
Oh you Pretty Things
Don't you know you're driving your
Mamas and Papas insane


Let me make it plain
You gotta make way for the Homo Superior

(上記サイトに和訳あり)