鴎外が描いた地下の秘密模様


昨年の9月某日と同じ展開。以前から読みたかった本を借りるために、元隣町の図書館までドライブをしてきた。梅雨の晴れ間の青空は爽快で、車通りの少ない幹線道路をスイスイ。車中でサンドイッチをつまみながら、信号待ちで読書をしながらではあったものの、晴れ渡った初夏の陽ざしのもとでのドライブは、気持ち良かった。

そういえば、その元隣町の駅前に、田舎には似つかわしくない瀟洒なケーキ屋さんがあって、かつては幹線道路を飛ばしてよく買いに行いたものだ。

本場フランスの味を熟知したパティシェの腕前がみるみるうちに評判になって、今や食べログの四国ケーキランキングで、トップにまでのぼりつめた。

昔から好きだった仏蘭西系のケーキ屋さんが自分の街に進出してきて、どんどん人気があがっていく成功物語を見ているのは愉しい。でしょ? 美味しいですよね? 仏蘭西風にいうと、何だか「ベル・エポック(良い時代)」に生きているような気分だ。

ちなみに「エポック」とはフランス語で「時代」という意味。カタカナで使われる「エポック・メイキング」は、時代を作る「画期的」なものを形容する。最近「画一的」という言葉を「がいちてき」と誤読する人もいるらしいので、ここで格好イイ感じではっきり断言しておこう。

「画期的」とは「カッケテキ」と読むのだ!

このカッケに関して細菌説が有力だったところ、それがビタミン欠乏が原因であるというカッケ的な新情報に接しながら、どうしてもその新情報を調和的に頭の中に響かせることができなかった軍医がいる。そのドイツ留学経験のある軍医は「情報」とか「交響曲」とかいう卓抜な訳語を日本語に加えておきながら、カッケについてだけは、謬説を支持しつづけるというカッケ悪い顛末を生きてしまったのだ。

その軍医とは森林太郎、筆名を森鴎外という。 

鴎外最大の悲劇 (新潮選書)

鴎外最大の悲劇 (新潮選書)

 

日本人でありながら、本国ドイツでもカフカ論で高評価を得た坂口正(上記記事に言及あり)が、鴎外が敗北した「脚気論争」でも健筆を振るっている、と書いたこの瞬間、しまった! 「画期」と「脚気」を勘違いしていた! というカッケ悪い自分にも○をつけてしまおう。

なるべく早く、まさしくエポック・メイキングな鴎外研究の一ページに言及したいのだ。 

森鴎外の「帝都地図」 隠された地下網の秘密

森鴎外の「帝都地図」 隠された地下網の秘密

 

確か2003年に書いた処女ブログで、同じ著者のこの本を取り上げて、メディアアーティスとによるロンドンの都市探検企画とつなげて記事にしたような気がする。あれから15年が過ぎてしまったとは、吃驚するほかない。 

帝都東京・隠された地下網の秘密

帝都東京・隠された地下網の秘密

 

秋庭俊による「帝都秘密地下網」ものは上記が第一作だったこともあって、その信憑性の見積もりが難しかった。「実際に地下網に秘密潜入すれば真偽はわかる」とかいうニュートラルなまとめにすることしかできなかったが、今回の『森鴎外の「帝都地図」』は大傑作だと断言してもいいのではないだろうか。

そもそも、秋庭俊の「帝都秘密地下網」第一作について私が懐疑的だったのは、地図自体が軍事機密であり、軍部によって「改描」という改竄処理が行われるのが国家統制上の常識であることを知らなかったことにある。

テレビ局のベトナム特派員時代、ハノイの地図が市販されていなかったので、苦労して取り寄せると、間違いだらけの地図が届いた。(イラクやシリアでも、入手した地図が間違いだらけだったという)。ベトナム人の助手になぜ間違いだらけなのかを訊くと、助手は驚いて、兵役体験がなく戦争の実態を知らない著者を羨ましがったのだとか。

助手の従兄弟は優秀な軍部のエリートで、ベトナム戦争アメリカを敗北に追いやった「ホー・チ・ミン・ルート」(軍事機密の地下網や地上網)を隠すために「改描」を仕事にしているというのだ。

さて、ドイツで近代衛生学の祖ペッテンコーファーや近代細菌学の祖コッホのもとで学んだ鴎外は、留学後、都市衛生学の権威の地位を占めていた。前身ブログにこう書いた。

 荷風森鴎外に師事していたことは知られているが、軍医森林太郎荷風の父がいた市区改正委員会を援護する論陣を張っていたことはあまり知られていない。林太郎は「市区改正ハ果シテ衛生上ノ問題ニ非サルカ」という挑発的な反語を冠した啓蒙文で、コレラなどの伝染病の蔓延を防ぐには、帝都をあげて上下水道の大々的な整備を挙行するしかないと熱弁をふるった。ドイツから帰国した直後、鴎外の「戦闘的啓蒙」と呼ばれる時期の話である。これと符節を合わせるかのように、市区改正委員会も抜本的な上下水道整備の必要性を調査報告するのだが、財政難から上水道のみが優先され、下水道整備が開始されるまでにはとうとう二十年もの歳月がかかってしまったらしい。  

上で「財政難から上水道のみが優先され」と私が書いた部分は、「上水道のみが優先され」て鴎外の都市計画が一蹴された部分は正しいとしても、「財政難から」という部分は間違えていたようだ。

秋庭俊は、東京の下水道敷設に地下鉄10路線分の巨額予算が計上されたにもかかわらず、その予算がまるごと明治以来のわが国最大の使途不明金となって闇に消えたと指摘している。

 そして、江戸城をオランダ式の築城術で築き上げたのち、ヨーロッパの首都と同じく、明治政府はその巨額の使途不明金を用いて、隠密裡に地下秘密網を形成したにちがいないと推定するのだ。

欧米諸国に負けない首都防衛システムの構築をめざして明治政府は、隠顕砲台の設置、それに関する地下道の整備、有事の際の明治天皇をはじめとする政府要人の安全確保のための地下道網構築などを図り、それらの地下空間の軍事利用を国民には国民には知りえないところで進めたのだと思われる。だから、軍機保護法と要塞地帯法という法律も必要だったのである。

 その秘密計画によって、都市衛生学の権威の座から失脚した鴎外は、千駄木に「観潮楼」とい呼ぶほど見晴らしの良い自宅を建て、火事があるたびに自宅からの方角を測定して、当時の日本に唯一あった陸軍発表の地図の「改描」部分を修正する日々を送った。そして、17年かけて、「東京方眼図」という軍機保護法に触れる「正しい東京地図」を発表したのだ。背景にあったのは、庶民の伝染病の蔓延を防ぐはずだった巨額の下水道予算が闇に消え、国家中枢を守る秘密地下網へ無断転用されたことへの義憤だろう。

傍証として挙げている「地下の蘭化が心」という題の小文が暗号文だという読みも、とても興味深い。文脈を一見するところ、「地下の蘭化が心」=「亡くなった前野良沢の思い」を国民が喜ぶべきだろうかどうだろうか、と読めるように書かれている。ところが、ここに「オランダ化した秘密地下網を建造しようとする国家の意志」を国民が喜ぶべきだろうかどうだろうか、という底意を読むべきだという解釈は、軍機保護法のもとでの鴎外の言論運用として、充分にありうることだと思う。

おそらく、鴎外の非文学的側面の研究は、今後この一冊を看過して、高みへ到達することはないだろう。

 ただ個人的にはむしろ、同書の論旨の中心線から外れたこの図表に心を奪われていしまった。

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明治中期に人工的な加圧式の水道が普及し始めるまで、エジプト文明以来2000年は、水道は自然流下式だった。言い換えれば、自然と調和した時計型の水道網がまずつくられ、その幾何学的な水道網の上に都市計画が載せられていたのだ。ローマもパリもロンドンもそうだ。

上の図表から感じられるように、自然と調和したデザインには、他のデザインにはない美しさがあるのは確かだ。

そういう美しさに接していると、風呂上がりに鏡に映る自分の肉体が悲しくなってくる。エポック・メイキングなほど頻繁にスポーツジムに通っているのに、少しは筋肉のつきが画期イイ感じになったものの、拭いきれないメタボ感がある。ああ、しかも、せっかくの画期的鴎外論のあとに、何て酷い主題のリレーをしてしまうのだ、ぼくは。

「きっと、駄目、たぶん」

例えば、そんな風に自己卑下につながるような悲しみが生まれたときは、「自分で自分の駄洒落を抱きしめなさい」という古い言い伝えが、私の祖父母の村にはある。

 え? 「きっと、駄目、たぶん」を踏まえた上での「きっとだ、メタボ!」? あはは。何か可笑しいのかわからないけれど、可笑しくてたまらない。くすくす。<tsuyogari> 自分の駄洒落に無理に大笑いしながら、両腕で自分の肩甲骨抱きしめに行くと、洗面所の鏡に写った背中は、誰かと抱き合っているように見えるので、ちっとも淋しくないヨ! そうか、祖父母の村に伝わる「自分で自分を hold me tight やりたい」とは、こういうことか!</tsuyogari>

しかし、その「きっとだ、メタボ!」を鍵言葉として、自然と調和したデザインの建築について話を進められるのだから、人生はどうとでもなると自分に言い聞かせておこう。

話しを短くするために、丹下健三黒川紀章が主導したメタボリズム(「新陳代謝」の意)という建築運動については、下のまとめをご覧いただくことにしよう。

(上の記事で、同郷の丹下健三に言及した)

(上の記事で、黒川紀章の不思議な選挙カーに同乗していた名女優に言及した)

メタボリズムという建築ムーブメントの影響は、実は地球の裏側にまで波及している。そこでは自然と調和するのみならず、社会と調和する建築が次々に実現しているのだ。ここ数日クローズアップしている「ソーシャルデザイン」が効いた建築群。

この言葉だけを聞いて、皆さんはどんな建築や住宅を思い浮かべるだろうか。昨日取り上げたのが「Unbuild」な建築群だとしたら、地球の裏側のチリにあるのは「Half-build」の建築群。まさしくその名の通り、半分だけ建った集合住宅だ。左の写真のように半分だけ住宅を立て、住人たちが協力しながら、自分たちに合った思い思いの増築をしていく。

上記のサイトと同じ山道拓人の共著本から、自分の言葉でまとめると、「Half-build」方式のメリットは4つ挙げられる。

  1. 政府の補助金が一世帯あたり半額で済む。
  2. 各世帯の実情や必要に合わせた増築ができる。
  3. 増築を集合住宅の住人同士で協力して行うので、コミュニティーが強化される。
  4. 増築によって住宅のリセールバリューが上がる。(最大で10倍になった事例も)。

もう伝わったのではないだろうか。メタボリズムとは、建築物自体の有機的なあり方にとどまらず、そこに住まう住人やコミュニティーのあり方を作っていくソーシャルデザインなのだ。

同じ「Half-build」系でいうと、すでに存在する建築物をまったく異なる空間に変えるリノベーションが大流行している。リノベーションと聞くと、建築物の模様替えをイメージする人も多いかもしれない。しかし、ソーシャルデザインのリノベ事例は大きく地域社会っを巻き込んで、大きな改善効果をあげるものなのだ。地域社会の問題を劇的と言っていいくらい解消してしまう。

(すでに充実した日本語記事が二つあるので、興味のある方はそちらもどうぞ)。

https://www.borderless-japan.com/members/social_business/7093/

コモン・グラウンド:ホームレスの人々への住まいを提供するアメリカの非営利組織 - ニュータウン・スケッチ

チェンジメーカー~社会起業家が世の中を変える

チェンジメーカー~社会起業家が世の中を変える

 

まず『チェンジメーカー』にある概要を、自分の言葉でまとめていきたい。

ロザンヌ・ハガティーというNPO代表が手掛けたソーシャルデザインは、古いホテルの改装だった。ただのリノベーションではない。弱冠20代のロザンヌは、ニューヨーク市から億単位の融資を何とか取り付けると、そのホテルをホームレス、低収入のHIV患者、精神病履歴者、高齢者のためのシェルターとした。提供したのは住宅だけではなく、職業訓練やカウンセリングや医療サービス。

ホームレス避難所という箱モノに、社会復帰につながる支援サービスを組み入れたのだ。このソーシャルデザインは劇的な効果を上げた。

以前に比べ、殺人が100パーセント、窃盗が80パーセント、婦女暴行が62パーセントも減少し、当然地価も高騰した。 

 上記の参考文献に付け加えるとすれば、ホームレスへの職業訓練インターン先として、ソーシャルビジネス界隈では有名なベン&ジェリーズが挙がっていることだ。

動画リストの一本目は日本語字幕つき。何となくアイスクリームから幸せそうなオーラが出ているのを感じる。

 HPに明記されているフェアトレード、フェアな結婚、温暖化対策、平和推進だけでなく、上記のCEOのインタビューでは、同性婚、遺伝子組み換え、選挙とお金の問題などにまで、広くコミットしはじめていることがわかる。そこにユーモアと温かさがあるのが、ベン&ジェリーズらしい。この社会的企業も要注目だ。 

話をロザンヌ・ハガティーのホームレス支援に戻そう。

ニューヨークのタイムズ・スクエア・ホテルだけでなく、各所でホームレス問題を劇的に解決したあと、ロザンヌはホームレス問題の「上流」へと遡りはじめた。

The Foyer is a leading example of social innovation in the area of transitional housing. The Foyer offers an integrated living model where young people are housed for a longer period of time than is typically the case, are offered living skills and are either enrolled in education or training, or are employed.

 フォイヤーは、一時的住宅提供の分野における社会的イノベーションの代表的例です。フォイヤーは、若者がよくある場合より長期間にわたって居住でき、そこで生きていくスキルが提供されたり、教育や職業訓練に従事したり、雇用されたりする統合的な生活モデルを提供しています。

Foyers | The Homeless Hub

 ロザンヌは北アイルランド紛争の痕跡の残る街で休暇を過ごしていたとき、アイルランドやイギリスやオーストラリアで盛んなフォイヤー・プログラムを若年者ホームレス予備軍の救済に使うことを思いついたという。

Haggerty, the founder and executive director of Common Ground Community in New York City, decided to replicate the Foyer Program in her next project – the renovation of an old YMCA residence in Manhattan’s Chelsea neighborhood, which will set aside 40 of its 207 units for young adults ages 18 to 24 who are aging out of foster and residential care or are homeless or at risk of homelessness. The Chelsea Residence will provide employment, educational mentoring and life-skills training programs; 

ニューヨーク市のCommon Ground Communityの創設者兼エグゼクティブディレクターであるHaggertyは、次のプロジェクトでFoyerプログラムを導入することに決めました。マンハッタンのChelsea地区にある古いYMCAレジデンスの改装において、207室のうち40室を、扶養されない18~24歳で、住居が必要だったり、ホームレスだったり、ホームレスへ転落する危険のある若者たちにあてます。Chelsea Residenceは、雇用や教育メンタリングや生きていくスキルのトレーニングプログラムを提供します。

というわけで、森鴎外が東京の秘密地下網に抵抗する地図を自作していたという衝撃的な発見から、「Half-build」系のソーシャルデザインの利いた住宅例をふたつ概観した。

書いている本人も、今頃になってようやく気が付いた。今日の記事の隠しテーマは何だったかに。

ここ数日、連続書きしているソーシャルデザインの源流には、パパネックの思想があるとされている。 

生きのびるためのデザイン (1974年)

生きのびるためのデザイン (1974年)

 
人間のためのデザイン

人間のためのデザイン

 
地球のためのデザイン―建築とデザインにおける生態学と倫理学

地球のためのデザイン―建築とデザインにおける生態学と倫理学

 

 『人間のためのデザイン』を読んで、思いがけなく感動を覚えてしまった。パパネックはデザインと生態学には深い関連があるという。そして、生態学の核心となっている基礎的真理は「自然は個々に分割できない連続したもの」だというのだ。

パパネックは、何であれデザインするときは、色のコントラストやプロポーションに自然との調和を意識するべきだと説く。そして、デザインの有機的パターンをいくつか挙げると、フィボナッチ数列にまで言及するのだ!

これは晩年のチューリングが発見した世界だ。

むしろ自分は、チューリングをコンピュータの発設計者やドイツの暗合機エニグマの解読者ではなく、同性愛絡みで自殺する2年前に発表した「反応拡散方程式」の数理生物学者として記憶したい気持ちが強い。

テレビ番組でも取り上げられている。キャプチャー画像を紹介しているブログを見つけた。

シマウマや縞のある魚などの体表の模様は、変数がたった二つの連立偏微分方程式によって表せることを、チューリングは発見したのだ。その二つの変数とは、下の例では、活性化因子と抑制因子である。

下のキャプチャー画像つきのブログがわかりやすくて面白い。

ロザンヌ・ハガティーのNYのホームレス避難所もいい。日本のメタボリズムの影響を受けた「Half-build」方式のチリの集合住宅もいい。どちらもソーシャルデザインとして素晴らしい。しかし、そのソーシャルデザインの背景には自然が見えてなければならない。言い換えれば、鴎外のように、改描だらけの歪んだ地図の下に、幾何学模様の水脈が見えてなくてはならない。

ソーシャルデザインをさらに透かし見て、ネイチャーデザインを視野に入れて、それと調和していく線の引き方が、デザインの未来で輝いているような気がしてならない。 

(先駆者パパネックの直系の道を進んでいるのは、この人だろうか)。

(記事の最下部で自然の有機的デザインの生まれ方について言及した)

デザインと生態学に深い関連があり、生態学は「自然がすべてつながっている」ことを教えるので、さまざまな分野の学問を渉猟する学際的なものになると、パパネックは説く。

同じような勘に駆られて、インターディシプリン志向でこのブログを書いている自分も、本当は野や山や川に出かけて、木や花や虫に触れて、その声にならない声を聴き、自然が一体となって連なっているランドスケープの美しさを堪能したい。

と書いたここまでで、この記事は終わらせることにする。自分のうちにある声にならない声、いやむしろ悲鳴に近い「I scream」が「早く食べないと溶けちゃうよ」と叫んでいるから。と呟いた台詞に、自分の大好きなケーキ店名ほどのエスプリがあるかは心もとないが、アイスクリームは溶ける前に食べた方が美味しいことは確かさ。

 

 

 

 

ハーゲンダッツ好きを告白した記事)