宮沢賢治にトッピングできる三つのもの

飛んでいるのは教え子の女子高生ふたりだったと思う。夕陽をバックにジャンプしている写真は、シルエットしか写っていないのに、プロが撮っただけあって、躍動感があってとても綺麗な写真だった。嬉しくなって、どこかに保存したはず。

その二人が或る時期から喧嘩をしていたらしく、たまたま仲直りの場面を目撃したことがあった。きっと二人で俺を争って喧嘩していたんだと思う。ワルいのは俺さ。悪いが俺は皆のものだから、二人は今後も仲良くしてくれよな。とアイドル気取りの台詞を呟いてみた。何だか居心地が悪いような気もする。自分で自分を愛するのも、なかなかどうして楽じゃない。

カレーは煮込んだ方が美味しくなるというの有名な話。しかし、それも程度問題で、当ブログを1年1か月以上連日連夜更新している自分は、いささか自分を煮込みすぎなのではないだろうか。

すでにそう感じていた数か月前、その女子高生のひとりから「まだ序盤煮」だというメッセージをもらってしまった。どうやら、あの星空を背景にジャンプしていた二人は、ジョバンニとカンパネルラのような親友だったらしい。末永く友情を煮込んで美味しく味わってほしいな。 

100年のジャズを聴く

100年のジャズを聴く

 

 書いているこちらはすっかり煮詰まってしまっているが、「序盤煮」だというのなら、宮沢賢治の話をしなくてはなるまい。愛読本の『100年のジャズを聴く』を読み返していた。文学畑の人はあまり知らないかもしれない。宮沢賢治にもジャズを歌った詩があるのだ。

(…)
まつしぐらに西の野原に奔けおりる
銀河軽便鉄道の今日の最終列車である
ことさらにまぶしさうな眼つきをして
夏らしいラブスインをつくらうが
うつうつとしてイリドスミンの鉱床などをかんがへようが
木影もすべり
種山あたり雷の微塵をかがやかし
どしやどしや汽車は走っていく
(…)

時代は大正モダニズム。昭和に入ってまもなくも含めて、「モボ」とか「モガ」とか呼ばれる都会人スタイルが流行していた頃の話だ。そのような時代考証と「ラブスイン」とか「どしやどしや」とかいう表現から、賢治が聞いていたのはデキシースタイルのジャズだったのではないかと言われている。

上の動画素材は面白い。

  • 大正12年:関東大震災 → 大正15年:大正天皇退位
  • 都会の労働者の不景気 →失業者のサンドイッチマンのデモ
  • 東北の農村での娘の身売り + 都会の企業人たちの夜の社交文化の発達 → 女給(ホステス)たちによる水商売の誕生 

 このような時代の明暗が資料映像として見られるのは貴重なのではないだろうか。あのようにダンスホールで流れているジャズこそが、賢治が耳にしたジャズだろう。宮沢賢治とモボ / モガ文化と最初期のジャズと東北の農村の娘の身売りは、まさしく同時代なのだ。

 宮沢賢治が『グスコーブドリの伝記』に、一緒に暮らす妹が、見知らぬ男にさらわれる逸話を書き込んだのも同じ頃のこと。当時の東北の貧村では、娘たちの身売りだけでなく、「お腹いっぱい食べられる」といった甘言を弄して、婦女子を連れ去る事件が後を絶たなかったという。二・二六事件青年将校たちが、しばしば「愛する女性ー母なる自然ー日本」というように、国家(代名詞はshe)を女性的に身体化して殉死しようとしたのには、身体ごと奪われて底辺へ転落していく女子たちの悲惨な宿命的光景があったのだ。

ジャズ史でいうと、ジャズ発祥の地はニューオーリンズアメリカが第一次世界大戦に参戦して、ニューオーリンズが軍港となったせいで、当地の歓楽街は閉鎖された。ジャズマンたちはシカゴやニューヨークへと逃げて、散り散りになった。

しかし、シカゴではルイ・アームストロングが台頭し、ニューヨークではデューク・エリントンが早々と音楽バンドトップの座へ昇りつめて、むしろニューオーリンズの歓楽街の閉鎖が、ジャズをアメリカ全土へ普及させる結果となったのだ。

賢治も聞いたにちがいないディキシーランド系のジャズ(上記がジャズの初レコード)は、陽気で、ノリが良くて、野暮ったくて、やはり「どしやどしや」というオノマトペが似つかわしいものだったのだ。

今日の午前中、宮沢賢治をざっと流し読みしていた。賢治のアクチュアリティーは三つあるというのが私見だ。

1. イーハトーブ宇宙論

登場人物がネコになったこの『銀河鉄道の夜』を、少年時代に見たことがある。水死して星になったカンパネルラに、ジョバンニはこう語りかける。この台詞に代表される利他精神と生命の消尽の誓いが、賢治節の最も美しい部分だろう。

ああ。ぼくは、カンパネルラがあの銀河のはずれにいることを知っている。ぼくはカンパネルラと一緒に歩いてきた。

(しばらく沈黙)

ぼくは、もうあのサソリのように、本当に皆の幸せのためなら、ぼくの身体なんか百遍焼いてもかまわない。

カンパネルラ。どこまでも、どこまでも一緒に行くよ。

(1:42:25くらいから)

しかし、賢治にとって、宇宙へと駈けのぼっていく銀河鉄道は、実は大気圏の向こう側を走っていくものではなかったのだ。

銀河鉄道の夜』を詳細に分析して、作品世界の地図を研究した本を読んで、やはりそうだったかと感じた。

ジョバンニの銀河 カムパネルラの地図―「銀河鉄道の夜」の宇宙誌

ジョバンニの銀河 カムパネルラの地図―「銀河鉄道の夜」の宇宙誌

 

 椿淳一は、賢治の小説内のあらゆる地理的な情報をマッピングして、『銀河鉄道の夜』の舞台が、賢治の住む花巻市の地図を180度回転させたものであることを突き止めた。カンパネルラが溺れた川は、花巻市の中央を流れる北上川に対応している。

しかし、地図と宮沢賢治と言えば、この人を忘れてしまったら、「ある日新鮮なホンダワラが飛んできて、足元に絡みついて」しまうにちがいない。

「道」関係の雑誌と言うべきか、最大手のロードサービス会社が毎月送ってくる雑誌を片手間に読み飛ばしていて、お、と二度見をしてしまったのは、こんな一節に目が留まったから。

 

やはり車にナビは絶対に必要ですね。夫は文学者で詩人なので、地図を渡してナビを頼んでも、地図を見ると夢想の世界に入って何も答えてくれなくなるんです。(記憶による大意)

 

上品そうな奥様が語っていたその「夫」こそが、少年時代から自分が偏愛を寄せていた天沢退二郎だった。こんなところで再会できるとは、という驚きもあったが、そういえば「道」が詩人にとって特権的な詩語だったという記憶も懐かしく蘇ってきた。処女詩集は『道々』だし、今も熱烈に読み継がれている全共闘風?童話では、都心にはないはずの環状九号線が出現して「九環」と通称されている。自分も地図は嫌いではないが、せいぜい環状三号線の切れ端について書くのが精いっぱいだ。 

椿淳一が完成させた『銀河鉄道の夜』の地図は、天沢退二郎がかつて作成した地図を下敷きにしているのである。となると、椿淳一の見せ場は結論部分ということになりそうだ。

自分の言葉で要約すると、『銀河鉄道の夜』と花巻市を重ねた位相に書くことで、宮沢賢治は「宇宙と照応する地上」を表現しようとしたのだという。となると、上記アニメの最後の最後で朗読される「春と修羅」の冒頭の詩句が、わかるような気がしてくる。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

宮沢賢治 『春と修羅』

スピリチュアルだとしか言いようがない賢治の「宇宙=地上」観は、「スピの座上昇気流」とあいまって、今後ますます注目されるアクチュアルな論点となりそうだ。

2. 高木仁三郎経由の反原発論 

宮沢賢治論の単著まで残した原子力研究者であり、独立した民間の脱原発シンクタンクの代表でもあった。有名なのは、福島第一原発事故を予見していたこと。

1995年、『核施設と非常事態 ―― 地震対策の検証を中心に ――』を、「日本物理学会誌」に寄稿。「地震」とともに、「津波」に襲われた際の「原子力災害」を予見。

地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」するとして、早急な対策を訴えた。

福島第一原発 について、老朽化により耐震性が劣化している「老朽化原発」であり、「廃炉」に向けた議論が必要な時期に来ていると (1995年の時点で)指摘。 加えて、福島浜通りの「集中立地」についても、「大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶する」と、その危険に警鐘を鳴らしていた。

高木仁三郎 - Wikipedia

現在は遺志によって託された基金が、貴重な情報発信を行っている。

 高木仁三郎市民科学基金(高木基金)は、2000年10月に62歳でこの世を去った市民科学者、高木仁三郎の遺志によって設立されました。高木仁三郎は、自らの遺産を元に基金を設立し、彼の生き方に共鳴する多くの人々に寄付を募り会員になってもらい、次の時代の「市民科学者」をめざす個人やグループに資金面での奨励・育成を行ってほしいとの遺言(「高木基金の構想と我が意向」)を残しました。 

高木基金について|高木仁三郎市民科学基金 

宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジー

宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジー

 

 反原発の記事はいくつも書いてきたので、高木仁三郎についても書いたつもりだった。まだ文章にしていなかったようなので、あらためてどこかで記事にしたい。 

 3. 農業技術の指導者としての宮沢賢治

高木仁三郎が自身の原点に据えているのは、賢治が羅須地人協会という私塾を起ち上げた初回、このような集会案内を配布したことにある。

 今年は設備も何もなくて、学校らしいことは何もできません。けれども希望の方もありますので、まづ次のことをやってみます。

   十一月廿九日午前九時から

     われわれはどんな方法で我々に必要な科学を
     われわれのものにできるか  一時間  

 この賢治のスタンスが、自らや後進を「市民科学者」たらしめるべく奮闘した高木仁三郎の原点なのだろう。 

市民科学者として生きる (岩波新書)

市民科学者として生きる (岩波新書)

 

  ちなみに、宮沢賢治がわれわれのものにしようと企図したのは、厳密に言うと、農業技術の科学だ。

 この農業とIoT技術のコンビネーションをどう作っていくかを、今晩書こうと思っていた。 

ITと熟練農家の技で稼ぐ AI農業

ITと熟練農家の技で稼ぐ AI農業

 

 

 

でも、もっと面白くて楽しそうなことを書けというリクエストが、読者からどんどん寄せられている気がする。「お茶目じゃないデクノボーは、ただのデクノボーだね」。そんな声まで聞こえる。宮沢賢治のアクチュアリティー3方向は概要だけは書けたので、何か面白いことを考えてみようか。ん? 無理? いける?

 

掌編小説「初ディナーで器用仕事」

 

 その夜その男とは初めて会った。結婚適齢期の私にとって、初対面の男が私をどこへ連れて行ってくれるかは彼の愛情表現を見るところ。男が年上なら、なおさらだ。

 私たちはすでにテーブルに着席している。正確にいうと、男の方が数分遅れて席に腰かけた。

 私が不機嫌なのは、男の着席が遅れたせいではない。でも、どうしても口角が下がってしまって、うつむきがちになってしまう。これから食事の間ずっと、この沈んだ気分から脱け出せそうにない。

 私のそんな表情に気付きもしないで、男は得意げに話しだした。

「結局、ほら、ラブってゲームみたいなものでしょ。いくつかのパラメータを操作して入力しあうだけ。恋だの愛だのいっても、すべて数値上の処理で最適化されたマッチングを探すだけ。探せなければピリオド、っていう具合に」

「ずいぶん醒めているんですね。私は恋愛をゲームだなんて考えたことないです」

「別にそれはそれでいいんだ。時間だって労力だってお金だって限られたリソースさ。誰もが好きなメインディッシュをオーダーすればいいし、フィーリングが合わなければキャンセルしたってノープロブレムだ」

 私は男がやけにカタカナ語を使いたがることに気付いた。自分の頭の良さやら博識やらをひけらかして、「次世代の制代のヴァリューチェーンが」とか「イノヴェイションを活性化するストラテジーがないと」とかのたまうMBA憧憬男が、私はあまり好きではなかった。こういう男たちはどういうわけか必ず「ウ濁音」をテキストメッセージで使いたがる。その昔「ヴェロンヴェロンに酔っぱらっちゃってさ」と送ってきた男もいた。酒より自分に酔っていたのだろう。

 インテリ気取りの眼鏡男は話を続けた。

「結局、会社でもプライベートでもそうだけど、フラットな視野で活用できていないリソースを組み合わせて、オープンイノヴェイションを創出できるかどうかが、ネクステージの鍵なのさ」

 ネクステージという英語はあるのだろうか。ひょっとしたら、MBAには憧れているだけで、いまだに高校生向けの英語文法書を勉強しているのかもしれない。 

Next Stage英文法・語法問題―入試英語頻出ポイント218の征服

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  眼鏡男は初めて私が視野に入ったように驚いて見せた。

「食べないのかい?」
「もう少ししてから、いただきます。お話がとても面白いから」

 男は満足そうに微笑んだ。

「ひとつの経営状況に、ヴェスト・ソリューションはひとつしかない。それはプライベートも同じさ。ないものを嘆くのではなく、あるものでどれだけブリコラージュできるか。その戦いなんだ、退屈なエブリデイ」

 私は愛想笑いを維持したまま、自分がいま置かれている状況のベスト・ソリューションが何かを考え始めた。男は私のことなんて気にもかけずに、自分の蘊蓄を披露しつづける。

「例えば、例えばの話だよ。スマホの筐体に、基礎的なアプリとOSだけを載せたプラットホームを販売しているヴェンチャーもある。ユーザーはネット上の無料アプリをダウンロードして、好きなようにトッピングすればいいだけ。オープン・イノヴェーションの波は、もうカスタマー側にまで広がっているというわけ。わかるかな?」

「今のお話は、今晩のディナーにこのお店を選んだことと、あなたがそのメニューを選んだことと関係があるんですか?」

「もちろん。この店に初めて来たきみが、そこまでわかるとは思わなかったよ。なかなかやるね」

 私はまだ料理にひと口もつけていなかった。そのまま乱暴な音を立てて立ち上がった。この男とは、これ以上話しても無駄だと感じたのだ。私が店の出入り口に向かうと、男が追いかけてきた。

「待って。待ってほしい。ぼくの話が高度すぎてさっぱりわからなかったんだとしたら、謝るよ。高度な話って、分からない人にはとても退屈だと噂に聞くから」

 この男は謝るべきところを完全に間違っている。私は自分が立ち止まったことを深く後悔した。再び立ち去ろうとしたとき、背後からさらに男が呼び止めた。

「待って。初めて見たときから、とても綺麗だと思ったんだ。色白でしっとりと光っている感じが。好きだ。本気で好きだと思った」

 私は振り返った。化粧水を美白用に変えたのが良かったのかもしれない。私はその晩はじめて男に向かって微笑んだ。男もほっとしたような安らかな微笑を浮かべている。

「本気で好きだから、もらってもいいよね。きみの冷やしざるうどん」

 このとき男と私の間に張りつめていた沈黙が、我が人生最悪の沈黙だったと思う。

 初対面のディナーで私をうどん屋に連れてきたことも許せなかったが、男が130円のライスだけふたつ注文して、無料トッピングコーナーにある天かすと葱と天丼のたれで、お手製天丼をふたつ作って席についたことも許せなかった。

 私は絶望的な気分だったので、小さな声で「どうぞ」と言った。男は喜色満面の笑顔になって、こう言った。

「ありがとうございます。一度食べてみたかったんです、冷やしざるうどん!」

 男が急に敬語になったのは、冷やしざるうどんに敬意を感じているからだと思われた。この恋愛ゲームは、わずか数十分でピリオドが打たれたのだった*1。私は店を出る間際、ひとことだけ男に向かって言葉を投げた。

「ヴァカ!」 

 

 

 

 

 

 

雨降りの日々にどうぞ。Brad Mehldau「When it rains」『Largo』より 

*1:MARU-GAME製麺だけに。