短編小説「地球代表ライキーの夢」

 ぼくは市民公園の芝生の上をランニングしていた。この街には雨がよく降る。しぶきが飛び散るのもかまわず、雨上がりの芝生を走るのが、ぼくは好きだった。頭上の空から、誰かの話し声がした。

「ほら、視野がラリー・クラークの処女映画みたいだ」

 ぼくは立ち止まって空を見上げた。誰もいなかった。ランニング直後の呼吸を整えるために、口を開けて喘いだ。天では二人で話しているらしかった。

「スケートボーダーの目線で撮った映画ね。あれを受け継いだのは、ガス・ヴァン・サントだったかしら」

ポートランドを舞台にして、スケートボード・パークも撮影した」

「街の男の子たちが作った無許可の遊び場だったわね」

「まさしく一時的自律ゾーンさ。この星の若者文化は実に面白い」 

T.A.Z.―一時的自律ゾーン (Collection Impact)

T.A.Z.―一時的自律ゾーン (Collection Impact)

 

 やけにカルチュラル・スタディーズめいた天の声に耳を傾けているうちに、ぼくは思わず溜息をついてしまった。

 夢だったのだ。全身を動かして、生まれ育った町でランニングしたくなったのは、今の自分が、ずっと閉塞空間に閉じ込められているせいだった。

 赤い警告ランプが明滅したので、ぼくは完全に目を覚ました。警告音は1時間に1回は鳴るので、そのたびに叩き起こされることになる。警告音が鳴るのは、宇宙空間に散らばっている無数の宇宙デブリが、シャトルと衝突しそうになるせいだ。

 ところが、今回のアラームは別の原因によるものだった。外部モニターのディスプレーが電波ジャックで切り替わって、そこにきらきらと輝くUFOが姿を現したのだ。UFOはシャトルの横を無音で並行飛行しているようだった。

「地球代表の方、こんにちは」

 言葉は音声ではなく、脳に直接響くテレパシーで届いた。こちらの言語も研究済みらしく、テレパシーの内容ははっきりと理解できた。

「わ! こんにちは。ひょっとして、宇宙人の方ですか」

「その通りです。地球代表のあなたに質問してもよろしいでしょうか」

「どうぞ! ひとりでとても退屈していたところなんです」

「地球に私たちが着陸すると、大騒動になります。騒がれないように、地球の皆さんとお話をしたいのです。地球に住んでいる生命体は邪悪ですか? 善良ですか?」

「子供や動物を虐待する悪い人たちもいます。でも、だいたいは善い人たちが多いですよ」

「本当でしょうか。地球よりはるかに高度な文明を持つ私たちから見ると、地球代表のあなたですら、ペテンに騙されているように見えます。そのスペースシャトルは地球に戻れないように設計されているのではないでしょうか」

「それは嘘です! このシャトルに乗るとき、親友のネルソンが見送りに来てくれて、またすぐに逢えるよって、笑って言ってくれたんです。ネルソンがぼくを騙すはずないでしょう!」

「あなたにとって地球上の生命体がペテン師なのか、天使なのか、私たちから結論は伝えないことにします。あなたを不安にさせたことをお詫びします。質問を変えさせてください。地球は全宇宙の中で下から二番目に文明の程度が低い野蛮な星です。あなたは、地球上の生命体をまだ生かしておく価値があると思いますか? 今でさえ、とてもつらい思いをしているのではありませんか?」

「正直に言うと、今はとてもつらいです。宇宙でひとりぼっちだし、狭いところでじっとしてなきゃいけないし、地球に帰れるのかどうかも、とても不安になってきました」

 ぼくはうつむいた。ネルソンに再会できないかもしれないと考えただけで、淋しくて淋しくて、ちょっとだけ脚が震えた。それでも、ぼくは自分の運命を信じる気持ちを強く持って、顔を上げた。

「お願いです。地球上の生命体を全滅させないでください。確かに、人や動物を殺すのが好きな悪い人もたくさんいます。でも、全然顔見知りでもないのに、路上で暮らしている相手に、食べ物や眠る場所を提供しようとする素晴らしい人々もいるんです。文明の程度は低くても、地球は美しい星です! 地球上の生命を殺さないでください!」

 ぼくは地球代表として何とかそう言い切ったが、自分がどう主張しても、自分はもう地球に戻れないかもしれないと思うと、急に悲劇的な気分になった。

 すると、UFOからのテレパシーに優しい音楽が入り交じった。音楽がぼくをリラックスさせてくれたようだった。

「お答えありがとうございました。では、思念ではなくイメージ映像の形で、あなたが知っている地球上の幸福な記憶を見せてもらうことにします。今から簡単な催眠をかけますね」

 UFOはそうテレパシーで言い終えると、ぼくの脳内を風の音や鳥の鳴き声や潮騒のような幸福な音で満たしはじめた。

 あれ? ぼくの意識はどうしちゃったんだろう? さっきまでの苦しい切ない気持ちが、嘘みたいに消えてしまった。意識の中に、明るい金色の世界がなだらかに広がって、風にそよぐ稲穂のように揺らめいていた。

「さあ、私たちに教えてください。あなたが地球で体験した最も幸福な思い出は何ですか?」

車… 後部座席に乗せてもらって… 西海岸まではそんなに遠くない… ビーチへ出かける週末が、最高の思い出… 大好きなあの遠浅のビーチ… 砂粒が細かい… 裸足で走るのがとても気持ちいい… 親友のネルソンが投げるフリスビーを、跳びあがってキャッチするのが最高の快感で… そう、いつも賭けをしている… キャッチに成功すると、ネルソンが冷たいエビアンを奢ってくれる約束… だから、ぼくもネルソンもいつも大はしゃぎで… 冷たい硬水が美味しい…

「ありがとうございました。では、地球代表のあなたが、あと少し、もっとこうだったら、とても幸福だという空想を教えてください」

何だろう?… ネルソンの末の妹… キャシーはまだ小学生… 10月はキャシーの誕生日なのでネルソン家はいつも大騒ぎ… でも、躾の厳しい家庭だから… いけないのはぼく… 思春期に家出してホームレスだった過去があるから… 家の中には入れてもらえなくて… 外庭からこっそり誕生パーティーを眺めていた… これまで毎年… ぼくだって、きちんとした服を着て、きちんとした言葉遣いをすれば… 真っ直ぐに腕を伸ばして、堂々とネルソン家の呼び鈴を押したい… あら、ライキーじゃないの! おめかししてパーティーにきてくれてありがとう(とハグ)… ネルソンのママらしい出迎え方をされたい… テーブルには誕生ケーキ… 何かのジョークで皆が笑うとき、ぼくも一緒に笑うことができて… 末っ子のキャシーが誕生日のキャンドルを吹き残してしまったら… ぼくが身を乗り出して悪戯で吹き消す… 明るくなった食卓で、キャシーが頬をふくらませていて… 駄目だよ、ライキー。やり直し、やり直し… もう一回電気を消してってば… ぼくが跳びあがって俊敏に電気を消す… またしても真っ暗… おい、何やってんだよ、換気扇まで消すなよ、ライキー… ごめん、ネルソン。じゃあ、こうしよう。誰が最初に換気扇をつけられるか競争!… 私もやる!… あっというまに暗闇のスイッチ早押し競争になる… 三人できゃあきゃあ言い合ってじゃれあう… そして、ケーキの後は、ぼくからの誕生プレゼント… 秘密特訓していたユニークすぎるオリジナルダンス… キャシーは手を叩いて大笑いしてくれる… それがぼくにとって最高の幸福… 

 「ありがとうございました。どうかしましたか? 泣いているのですか?」

「ちょっと心が震えて揺れてしまいました。いろいろと想像しているうちに、どうしてもああいう誕生パーティーに参加したくなっちゃって… もう外庭からの見学は厭だっていう気持ちになって… どうしてもああいう風になりたいのに、どうやったらその夢が叶うのかもわからないのが、ただ淋しくて」

「あなたの心の奥に温かい愛があるのを感じました。大好きなんですね。その親友や周りの人たちのことが」

 ぼくは頷いた。

 すると、驚いたことに、シャトル内部の六面すべての壁が、眩しいくらいに煌々と輝きはじめた。六面の壁は輝くだけでなく、壁を通り抜けて、眩しい光を帯びた不思議な物体が、壁の形状を変えながら、出たり入ったりしているのが視認できた。

 驚いて身を固くしているぼくに、優しい声音のテレパシーが降ってきた。

「地球代表のあなたの心の奥に、宇宙最大の構成要素があるのを確認できました。熟議の結果、地球に着陸して生命統制活動をするのを、私たちは中止することにしました」

「本当ですか? 嬉しくてたまりません! 地球上に生きているネルソンやキャシーなどの生命体が、全員助かるんですね!」

「それだけではありません。たった今、宇宙調整を行いました」

「宇宙調整?」

「宇宙の法則、略して『うほうっ』と呼ぶ人類もいます。次の週末に、このシャトルが地球へ帰還して、あなたのお友達の住む西海岸へ不時着するよう、宇宙調整をしておきました」

「え! 本当ですか? ありがとうございます! 宇宙調整、最高です! 地球に帰ったら、次のキャシーの誕生パーティーに向けて、ダンスの練習をしなくちゃ!」

「後ろ足で立ち上がって、呼び鈴を押す練習も必要かもしれませんね、ライキー」

「地球に帰れるなら、できる仲間の真似をして、それもどんどん練習しちゃいますよ! どこかの宇宙人さん、ありがとう!」

 ぼくは目を瞑って集中して、最大の感謝のテレパシーをUFOへ向かって送った。ありがとう! ありがとう! ありがとう! ぼくのライキーという名前は、ソ連が打ち上げたロケットに搭乗していたライカにちなんでいる。名前を覚えてもらえたのも嬉しかった。

 モニター画面から、オレンジ色の発行体が遠ざかっていくのが見えた。ぼくはテレパシーだけでは足りないような気がして、声に出して、ワン、ワン、ワンと吠えて、にぎやかに尻尾を振った。

 やがて、モニター画面の遠くに、小さな青いビー玉のような美しい星が見えてきた。
 嬉しくなって、もう一度、ワン、ワン、ワンと鳴こうとしたとき、感極まって喉が詰まったせいで、うほうっとぼくは鳴いてしまった。