洋楽のルーツにも敗戦国の哀歓が
生まれ育った町を車で走っていると、思いがけない記憶がよみがえってきて、ドギマギしてしまうことがある。上の記事で話した同級生の実家の歯科医院もそうだが、出身高校の近くにある小さな教会を見かけると、心臓がひとりでに高鳴ってしまう。
(画像引用元:
松山バプテスト教会 - キリスト教の日本バプテスト連盟全教会紹介サイト)
その教会は、電車通学の彼女を駅まで送って帰る細い裏道に隣接していたのだ。ある夕暮れ、その教会の陰で……
イエローカードが累積しているような気もするので、過去の恋愛の記憶に浸るのはやめておきたい。高校一年生のとき、その女の子からもらったラブレターが、こんな高校英語で締め括られていたことを語りたかったのだ。
I can't help falling in love with you.
受験英語風にいうと、「cannot help Ving」か「cannnot (help) but V原形」で「~せずにいられない」という意味を作る。センター試験に出るよ! 暗記してどうにかなることは暗記するんだよ! 浪人生はちゃんと勉強するんだよ!
直訳するなら「あなたに恋に落ちずにはいられない」になるだろう。当時、もっとすっきりと「好きにならずにいられない」と邦訳したコリー・ハートの曲が流行していた。
さて、あなたが思春期の16歳の男子高校生なら、このラブレターにどんな返事を書くだろうか。
「栞を贈りたいんだけど」と自分は彼女に言った。「それが不便な栞でさ。英語の教科書の35ページにしか使えない栞なんだ」とか嘯いて、前夜必死にカッターで作った工作物を彼女に渡したのだった。
言うなれば、ゴダールの映画の冒頭を逆回しにして、文字を少なくする発想だ。
ページと同じサイズの栞に、カッターで八か所の小さな穴をあけた。浮かび上がってくる英語は、もちろんこの八文字。
I l o v e y o u
あの教会の横を、彼女と一緒に数え切れないほど通ったが、教会のクリスマス行事に参加して「メリイクリスマス」を言い合ったこともなければ、バザーのお手伝いをしたこともない。
東京人なら、小さな教会の陰に隠れる展開にはならないような気がする。無数にあるロケーションのうち、どんな場所を選ぶのだろうか。下の記事で東京の聖カテドラル教会の話をしたが、ファースト・キスの場所が、教会のそばでなければならない理由はないだろう。
このように地方人が東京人の暮らしを想像すると、田舎者根性まるだしだと莫迦にしたがるモンキーがうようよ寄ってきそうだ。でも、どうなんだろう。自分は自分で、東京人のセンスなんて、突き抜けちゃっているという自負もある。
そんなことを考えたのは、『東京人』の最新号の太宰治特集を読んだときのこと。
「知られざる傑作短編八選」の選定が、自分と全然かぶっていないことに驚いた。東京人は本当に太宰クラスの文学をわかっているのだろうか。
太宰治は女語りの得意な作家で、16篇も語り手を女性にした小説があるのだという。「女語り」部門からは、「皮膚と心」「恥」「待つ」が選ばれていた。
「傑作短編八選」を見ても、ネット上にあるお勧めランキングと照合しても、どうも自分のセンスからはかけ離れていて、居心地が悪い。
自分の短編ベスト3を披露することにしよう。
太宰の短編の最高傑作は「女生徒」で決まり。ほとんど盗作に近いほど、有明淑という少女の日記をそのまま活用しているので、太宰の筆にはない精彩に富んでいて、それが却って素晴らしい。
「女生徒」に昔から興味を持っていた自分は、或る博士論文を梃子に、一晩でその短編の深層にあるルサンチマンを暴き出したことがあった。この新解釈はかなり強力なので、太宰研究の世界が震撼してもおかしくないが、音沙汰がないところを見ると、太宰研究の世界自体がもはや存在していないのかもしれない。
わかりやすく言い換えれば、太宰治が川端康成を意識して「女生徒」を書いているのと同じ状況を反映する形で、作中の少女が客に「ロココ料理」を作っているのである。これらを二重写しにしながら、ロココ料理の周辺を読んでいくと、太宰治の川端康成に対するルサンチマンが、皿からあふれてどくどくと食卓の上へ溢れているのが感じられる。
(…)
「博士」の言うように、川端康成に「これ以上へつらうのはもう厭だ」という魂の叫びを、太宰治が白紙に刻んでいるように読めて仕方がない。
(…)
先ほど「女生徒」は一読して「この少女は何かを隠している」という直感がはたらく短編だと述べた。思春期の少女はその隠している何かを、まるで誰かに悟らせたいかのように、律儀に点綴している。
(…)
あれ?と、最初の引用部分で少し違和感を感じてほしい。「いけない娘」になって「ひとりきりの秘密」を持つようになるのは、思春期の少女にはよくある話。凡庸な書き手なら、それが片思いであれ、両思いであれ、男の子との恋愛沙汰だとして書いていくはず。次に、その男の子が亡くなった父にどのように似ているかへ、筆が進むのが普通だ。しかし、太宰はその「いけない秘密」を少女が「たくさんたくさん」経験していると書いている。どうも恋愛ではなさそうだ。
二つ目の引用部分では、まず「ただ、どぎまぎして、おしまいには、かっとなって、まるでなにかみたいだ」と書いてある「なにか」が何に似ているかを考えてほしい。少女が名詞ひとつ形容詞ひとつ言い出せない、「はっきり言ったら死ぬ」ほど、「汚れて、恥ずかしいこと」とは何だろう。
答えは出た。少女は「薔薇色のセクス」(大江健三郎)を習慣的に慰める「秘密の習慣」を持ち始めたのである。
ここで、さすがは太宰、独自のエロティックな視線で生々しい少女像を描き出している、と立ち上がって拍手してはいけない。座り直して、もう一度ロココ料理の周辺へ思いを馳せよう。「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す」とまで感じた川端康成に、太宰治は「お客様を眩惑させて、ごまかし」つつも、「それでも私は、やっぱり弱くて」「奉仕をする」ことを選んでしまっているらしい。
贈り物は贈る相手の嗜好を考えて選ぶものだ。
川端康成の最高傑作の一つ「眠れる美女」は、薬で眠らされた処女の裸を老人が弄ぶ話だった。太宰治はその川端へ宛てて、「処女の自慰」を潜在的な文脈に織り込んだ「女生徒」を贈与したのにちがいない。それと気づいたかどうか、川端康成は太宰の「女生徒」を激賞した。
しかし、それは「贈与」と呼べるものだったろうか。「小鳥を飼い、舞踏を見る」生活への批判程度では到底済まない川端の性的奇癖を、多少の「眩惑」をほどこしつつも、衆人環視のもとに出現せしめ、「わるいのは、あなただ」という解読可能な暗号でその宛先まで書き込んだ太宰にあったのは、「処女の自慰」を贈って川端を「刺す」、という怨念のこもった強い「殺意」だったのではないだろうか。性的嗜好の核心を突かれているだけに、贈られた川端も対処に困る。表だって喜ぶことも怒ることも難しい。
太宰の遺作に引っかけて想像すれば、川端康成からの批判に対して、川端好みの処女のエロスを仕込んだ贈答品を差し出しつつ、内心では「おやおや、恐れ煎り豆。わあ! 何という下衆な性癖」とおどけて「グッド・バイ」を告げる縁切り状をも、同時に手渡したことになるだろうか。この「グッド・バイ」の残響が、「女生徒」の末尾にかすかに残っているのが、読み取れるような気もする。
あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。
第二位は、ダザイストたちがなぜか言及しようとしない「フォスフォレッスセンス」だろうか。
夢と現実を行ったり来たりしながら、言いだせそうで言い出せない「舌先現象」を美しくまとめ上げている。読みどころは、美しき戦争未亡人が、米兵相手に売春しているという裏設定だろう。
叔父が「あのひと」を無理に芝居へ連れて行こうとする。当時の劇場は文化的な社交場だから、たぶん叔父は美人の姪として「あのひと」を自慢して歩きたいのだろう。父ではなく、叔父というところには注意が必要で、上流階級の文化を嗜むことができるほど裕福なのは、叔父。「あのひと」の家計の程度はというと… ジープが来たら否応なく「仕事」をしなければならない境遇だ。ここから読み取れるのは、夫を戦死で亡くした未亡人の窮乏と糊口を凌ぐための売春。その買春相手から、戦死した夫の魂を鎮めるための花束をもらうという筋立てが、何ともうら悲しく味わい深い。ここにも敗戦が暗く切ない影を落としている。
そして第三位は「メリイクリスマス」で間違いないと自分は考えている。ところが、『東京人』にはイラストつきで全文が掲載されていたものの、太宰文学の人気ランキングにはまったくあがってこない。
厭な予感がした。太宰研究の第一人者が「『女生徒』の母娘=キャッツ・アイ女賊説」を提唱したりする不思議な世界のことだ。またしても、「メリイクリスマス」の真価が見過ごされているのではないだろうか。気懸かりになって、午前中に図書館で調べてきた。
ビンゴだった。
重要なのは、太宰にとってこの短編が、敗戦をまたいだあとの戦後第一作であるという事実だ。
東京は、哀しい活気を呈していた、とさいしょの書き出しの一行に書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻って来たのに、私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。
この書き出しを覚えておいてもらいたい。
小説は敗戦直後に、主人公が「唯一の女性」と慕っていた女友達の娘に、偶然出会うところから始まる。主人公は娘の母とは、四つの理由でプラトニックな女友達の関係だった。
- 清潔好き
- お互いに恋愛感情なし
- 気遣いが上手で気心が知れている
- 少しではあるがいつも酒を呑ませてくれる
ところが、主人公は20才の娘となら恋をできそうな気になって、娘を口説きにかかろうとする。ロマンチックな話をしながら、母娘の住むアパートまでついていく。
すると、母が戦争で亡くなっていたことを知り、娘が悲しみからそれを言いだせなかったことを知るのだ。
亡くなった母の分も合わせて、三人分の鰻を屋台で注文して娘と食べていると、屋台の客が米兵に「メリイクリスマス」と陽気に声をかける。
「ハロー、メリイ、クリスマアス。」
と叫んだ。アメリカの兵士が歩いているのだ。
何というわけもなく、私は紳士のその諧ぎゃくにだけは噴き出した。
呼びかけられた兵士は、とんでもないというような顔をして首を振り、大股で歩み去る。
「この、うなぎも食べちゃおうか。」
私はまんなかに取り残されてあるうなぎの皿に箸をつける。
「ええ。」
「半分ずつ。」
東京は相変らず。以前と少しも変らない。
以上が、この短編のあらましだ。
青空文庫を通読して、どこに読解の鍵が潜んでいるかがわかっただろうか。鍵は最終場面の引用部分の、米兵の反応にある。
時は12月。人々が口々に「メリイクリスマス」を言い合っても、何の不思議もない季節だ。なのに、どうして米兵は「とんでもないというような顔」をするのだろうか。
それは、敗戦直後の「占領軍>>>日本国民」の「支配ー被支配」の関係が残っているからだ。ちなみに、当時の米軍の兵士たちは、「日本人は残虐で劣悪な下等人種である」という洗脳を徹底的に施されている。対等に笑って「メリイクリスマス」を言い合うなんて、まさしく「とんでもない」ありえないことなのだ。
となると、もう一つ考えてほしいことがある。上記の『人間失格』の不貞のような泥々の愛憎劇を、きれいさっぱり拭い去ったこの「唯一の母」は、占領国日本で何を象徴した存在だったのだろうか。
もう一度、上記の四項目を確認してほしい。あの四項目を備えた「唯一の女」とは、私見では「戦前の古き良き日本」だ。
洒脱な恋愛喜劇に見せかけつつ、太宰が戦後第一作で書きたかったのは、「戦前の古き良き日本」が米軍に亡きものにされた悲しみだった。その文脈を引き寄せるかのように、この「唯一の女」は(敗戦を決定づけた)広島の空襲で亡くなっているのだ!
三島好きが太宰嫌いなのは世の常。自分も太宰にはそれほど詳しくない。
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太宰治検定に出題されているかどうかも知らない。ただ、太宰治の心の中に、このような心理的複合体があることは、よく知られているはずだ。
①哀しみー②滅びー③恥ずかしさー④明るさ
例えば、②+③=「苦悩の年鑑」
日本は無条件降伏をした。私はただ、恥ずかしかった。ものも言えないくらいに恥ずかしかった。
例えば、②+④=「右大臣実朝」
平家ハ、アカルイ、とおつしやつて、アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ、
このような基礎知識を前提に、戦後第一作「メリイクリスマス」での太宰の敗戦への態度を、私的に整理してみたい。重要なのは、書き出しと結末とのコントラストだ。
戦争に負けたせいで、町も悲しげに沈んでいると思ったが、「唯一の母」が広島で亡くなったとわかってからも、日本人を蔑んでいる米兵に明るい挨拶をし、墓前に供えることもなく亡母の鰻まで食べてしまう活気がある。けれど、国が滅んだことも意識できないその明るさが哀しい。
この私見を覆すに足るまともな研究は、まだ出ていないようだ。
数行しか米兵は出てこないのに「占領軍文化の目新しさを描いた」とする批評は的外れ。「戦後社会に対する痛烈な批判」という批評も、言葉の選択を誤っているように感じられる。滅んだことも意識できない戦後の日本の渦中にいて、太宰は哀歓を味わっているのだ。
さて、「メリイクリスマス」は、米兵への挨拶と相手の蔑んだ反応が、短編の読解の鍵だった。ちょっと無類に面白い評伝を見つけたので、この文脈に接続してみたい。
「疑惑の大将」山本五十六の遠戚で、ラ・フランスを日本の紹介した祖父を持つ湯川れい子の評伝を、夢中になって読了した。岸田今日子と演劇女優仲間だったとか、寺山修司の周辺で音楽評論家としてデビューしたとか、人脈論としてもとても面白い。
ちなみに、寺山修司と湯川れい子らが著者の『ジャズをたのしむ本』が、地元の図書館で検索にあがってきたので、喜び勇んで借りに行ったら、ペラッとした一枚のイラストの切り抜きだけが出てきた。なるほど。イラストのコレクションだったのか。
「真鍋博コレクション」は、愛媛県出身のイラストレーター故真鍋博氏のイラストをはじめとする著作などの多様な諸活動を掲載した図書や雑誌など約3万点を収集したコレクションです。
https://www.ehimetosyokan.jp/contents/siryo/tokukore/manabe/manabe.htm
湯川れい子の波瀾万丈の人生を、自分の興味に合わせて、列挙してみたい。脚本家が書いたような起伏の激しい人生だ。
- 英語が好きだったので、GHQの兵士に話しかけてアイスを奢ってもらい、両親に大目玉を喰う。
- じゃじゃ馬ぶりをたしなめてくれた年上のインテリの幼馴染に恋して、婚約者となる。
- 高校三年生のときから、女優を目指して奮闘する。
- 銀座で美男子の外国人船乗りに心を奪われる。「私は彼を愛さないではいられなかった」と自作の詩をノートに書く。
- ダンスホールで、ジャズに詳しい多浪の医学部受験生と激しい恋に落ちる。
- 湯川れい子の両親と医学部受験生の両親が、二人の交際を猛反対。二人で包囲網を抜け出してマイルス・デイヴィスを聴く。
- 就職した会社を3か月で辞めて、英語で歌う歌手として、米軍基地を慰問する。
- インテリの幼馴染との結婚が迫った前夜、結婚が厭で手首を切って自殺未遂。
- 結婚して入籍はするものの、幼馴染は仕事で渡米。日本に残った湯川れい子は、医学部受験生と密会しつづける。
- ジャズ評論家としてデビューし、寺山修司の周辺と交流するようになる。
デビュー前までをピック・アップしただけでも、いささか波瀾万丈すぎて、息が詰まりそうになる。婚約者の幼馴染は、医学部受験生との長期の「浮気」をどう捉えていたのだろう? とか、単身で渡米するとき、孤独すぎる新郎がどんな気持ちだったかとか、ドラマの脚本に落とすときに必須の想像が、駆けめぐりやまない感じだ。
もちろん、音楽評論家としてデビューしてからも、華々しい活躍と波瀾万丈はとどまることを知らない。再婚の結婚証明書を熱愛するエルビス・プレスリーに書いてもらったなんていう逸話もある。それよりも興味深いのは、湯川れい子に、スピリチュアリズムにも造詣が深い一面があることだろうか。
幸福への共時性(シンクロニシティ)―もっと豊かにもっと健康に生きるための26章
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評伝を流し読みしただけでも、彼女がシンクロニシティーに愛されているのが伝わってくる。それは、外国人に初恋をしたときに書いた詩句「私は彼を愛さないではいられなかった」を読むとピンとくる。
それが、やがて彼女が溶けそうになるほど熱愛するプレスリーの名曲を予告していたことに、どれくらいの評伝読者が気付いただろうか。自分の青春時代にも流れていた「好きにならずにいられない」は、実はプレスリーが原曲なのである。
湯川れい子の評伝で、個人的に一番ぐっと来たのは、彼女が欧米の音楽に魅惑されるきっかけだった。それは出征して戦死した長兄の遺品のレコードだった。正確にはレコードは高価で買えなかったので、レコードのジャケットを模写したスケッチだったのだ。
洋楽評論家のこの原点を目にしたとき、太宰治の「メリイクリスマス」と同じだなと思って、胸が熱くなるのを感じた。
自分たちの親しい人間を滅ぼした敵国の文化を受け入れ、葛藤と闘いながらも、それを生きる糧にしていくこと。敗戦国民が歩まざるをえなかったあの道程を、日本の音楽評論家の第一人者も辿ってきたのだ。
さらに付け加えるなら、音楽評論家として人気絶頂の33才の時、ヒッピー文化の洗礼を受けた湯川れい子は、突然の引退宣言をしている。引退して彼女が向かった先は、ドラッグが蔓延するヒッピー文化の疾風怒涛の中ではなく、フィリピンだった。
彼女にアメリカ音楽を教えた長兄が、どのような場所でどのように戦死したのかを、探索する旅に彼女は出たのだ。
となると、このブログの読者は、この記事がフィリピンの日本人捕虜の話につながることがわかるだろう。
ダイエー帝国の興亡を描いた『カリスマ』の中で、最も強烈な読書体験だったのは、マニラの俘虜収容所体験だった。収容所には、先に述べた中内功、大岡正平だけでなく、『空気の研究』などの日本特殊論の著作を持つ山本七平もいたというのである。そして、この記事で述べた私の祖父も。
(…)
山本七平の『ある異常体験者の偏見』の中には、名字が同じという理由だけで何人もが濡れ衣を着せられ、総立ちの現地傍聴人たちによる「ジャップ、ハング、ジャップ、ハング」という怒号の中、冤罪者の処刑を決する「人民裁判」の様子が詳しく描かれているが、あまり引用する気になれない。疲れている身で、無罪の人間の処刑を生々しく脳裡に思い描くのはきついから。
確かなのは、私の祖父が漢字三文字の珍しい姓を持っていなければ、自分は今ここには存在していないかもしれないという厳然たる可能性だ。
「ぼくの顔をお食べ」といって、自らの身体を痛めて差し出されたひと切れのパンや、「流通革命」により誰でも買える価格で差し出された豊かな食料を目の前にして、ひょとしたら貧困の限界状況にあったかもしれない人々が、円谷幸吉の遺書にも似た言葉で、飛びつくように喜び勇んで食べている様子を、この記事の最後に思い浮かべたい。その背景では、沈む間際の夕陽が輝いていることだろう。
自らの顔をちぎって差し出したアンパンマンが、いずれその顔が別の顔にとってかわられるるのだとしても、日本一となったダイエーがやがて斜陽となり沈んでいくのだとしても、両者による戦後の食料窮乏者への献身的な姿勢が、どこか重なって見えるような気がしてならないのである。
これを指摘している情報が、検索であがってこないのは不思議で仕方がない。
占領軍兵士に蔑まれる場面が鍵の太宰治「メリイクリスマス」は、同じく「支配ー被支配」の捕虜収容所を舞台にした『戦場のメリークリスマス』に、系譜として明確につながっていることは間違いない。
おそらく大島渚が企んだのは、「アメリカ>>>日本」の太宰短編を、舞台を日本軍捕虜収容所とすることで、「日本<<<米英」へと反転させる逆転劇だったにちがいない。そこではおそらく、ホモセクシャルの性的倒錯と「支配ー被支配」を逆転させる関係倒錯が、同時に試みられているのだろう。いわば、『戦場のメリークリスマス』は『家畜人毛唐』としても読めるのだ。
この周辺を追いかけていると、自分の中にいる永続敗戦論者としてのアバターが、浮き浮きしながら探索したがるのが自分でわかる。
少なくとも、湯川れい子が歩んできた人生を目にして、彼女の対談本がどうして私の視野のな中で光ったのかは、すっかり得心がいった。
今日もぱっと光ったこの本を、中身も確認しないまま図書館から借り出して、帰りの信号待ちの車内で読み始めた。なるほど、と私は膝を打った。あちこちのページが、自分がこれまで追いかけてきた主題につながる本だったのだ。夢中になって、あっという間に読了した。
ただ、時間があまりない。今晩は最後に予言をひとつだけ書き添えて、記事を終わりにすることにしたい。
予言: 湯川れい子の波瀾万丈の人生は、近い将来、コシノジュンコの母をモデルにした朝ドラ最高傑作「カーネーション」に匹敵する、無類に面白い朝ドラになるでしょう!
若者言葉で云うと、朝ドラになる可能性は 「ありよりのあり」で、もっと簡潔に云うと確実に「ある」のを感じる。
しかし、この種の予言を誰に伝えれば良いのだろうか。一般のブログ読者よりも、プロの脚本家に伝わったら素敵だろうな。せっかくだから日本のポップ音楽に乗せて、暗号で伝えることにしてみよう。
ピンクに申す「ある」と
(自分が一番聞いた湯川れい子作詞の曲はコレ)