チョコの再デザインは偶然の音楽を聴きつつ

 アメリカの人気作家ポール・オースターについて、ほとんど書いてこなかった。世評の高いニューヨーク三部作の起源が、フランスの前衛小説にあったことを指摘したくらいだ。

「ミュージシャンズミュージシャン」が存在するように、同じ小説家から支持される小説家「ノベリスツノベリスト」も存在する。一般の人々が逆立ちして読んでも面白くないロブ=グリエだが、オイディプス神話の脱構築的趣きのある『消しゴム』は、大西洋を渡ってポール・オースターのニューヨーク三部作へ影響を及ぼしている。 

最近になってようやく読んだ『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』は、オースターの既読小説群の中で一番面白かった。といっても、ラジオで呼びかけた「短い実話」をオースターが編纂した本なので、厳密には小説とは言えない。 自分は下の掌編小説の材料に使わせてもらった。

ちなみに、『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』の中には、その邦訳直後に小説が書かれ、のちに映画化された『博士の愛した数式』と同じ趣向の実話が収録されている。

恋仲が壊れそうだったゲイ・カップルの片方が、「友愛数」で編んだ手編みのミトンをクリスマスに贈る話だったと思う。小川洋子研究にいそしむ学生は、確認しておくべき影響関係だろう。検索してみると、作家本人がこのエッセイ集で言及しているようだ。 

博士の本棚 (新潮文庫)

博士の本棚 (新潮文庫)

 

 オースターにがっかりさせられたのは、旧約聖書の怪物を意味する『リヴァイアサン』という名の小説が、結局は男の「不治の浮気癖」を描いた小説だとわかったとき。もっと凄いものが出てくるのかと思ったら、『リヴァイアサン』ではなく「リビドーさん」だったのだ。

その前に書かれた『偶然の音楽』という小説は、何よりも書名が美しい。偶然手に入れた赤のサーブで、アメリカの夜をただただ疾走するロードノベルだったと思う。映画では、赤のBMWになってしまっているが。(0:46くらいから)。

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(画像引用元(1/18scale):http://dc.kyosho.com/ja/otm181.html

今までに赤い車を買おうと考えたことはない。けれど、近未来にはルーフが赤い車が今よりぐっと増えるかもしれない。そんなことを考えたのは、数か月前にSCIENCE誌で新しいタイプの太陽光発電ガラスが紹介されていたからだ。

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パネルではなくガラスなので、建築物に上乗せするのではなく、融合した形で活用される。こんなにもカラフルなのは、太陽電池が色素増感型で、植物が光合成するときに葉緑体を使うように、色素が光を吸収して放電する仕組みになっているからだ。

エネルギー変換効率は、シリコン製太陽電池にやや及ばないものの、約1/5のコストで量産できるらしい。コスト面さえクリアできれば、建築物には壁面とガラス面の両方が必ずあるので、導入例は飛躍的に増えそうだ。

世界のエネルギーの40%が建物で消費されているのだから、むしろ美観やデザイン性を向上させながら、建物にエネルギーを生産させようとするのは、自然なデザインセンスだ。2019年から市場流入が始まる見通しだとか。

デザインは何も建築や製品のデザインに留まるものではない。今日調べていて感心したのは、「The girl effect」という発展途上国の少女支援プログラムだった。簡単な英語しか出てこないので、ぜひ三分間視聴してみてほしい。

ソーシャル・ビジネスの世界第一人者は、その著書で堂々と『貧困のない世界を創る』とぶちあげるが、彼が主導するマイクロ・ファイナンスだけで実現できる話ではない。ムハマド・ユヌスが小さいのではなく、問題が世界大に大きすぎるのだ。 

貧困のない世界を創る

貧困のない世界を創る

 

むしろ、子供でも読めるようなわかりやすい文体で、地球が抱えている問題を30の論点に整理したこの本の方が、ある意味では良心的だ。 

世界から貧しさをなくす30の方法

世界から貧しさをなくす30の方法

 

 それでも、あれこれの論点を行ったり来たりしているうちに、問題が大きすぎて、深刻すぎて、どの論点を優先してどんな行動をとったらよいかわからなくなる。そんなとき、「The girl effect」のデザイン能力の高さを思い知るのだ。アフリカの貧困が集中しているのが少女であることを見抜き、少女たちを救うことが最も効率よく貧困問題を解決することを、わかりやすくセンスよく人々に訴える。

実際、15歳までに出産して、充分な教育機会もないまま、エイズに母子感染して死んでいく女性たちが、地域の貧困をどれほど加速させているかは、想像に難くない。少女たちがまともな教育を受けて、自分の人生と身体を、男性による支配や早すぎる出産やHIV感染から守ることができただけでも、インパクトは大きいだろう。その地域にムハマド・ユヌス流のマイクロ・ファイナンスがあれば、少女たちはちょっとした行商をして男性顔負けの経済力まで得られる。エンパワーメントの対象として、少女が最高のポイントなのは間違いない。

そのように問題分析がしっかりとしているだけでなく、それを小学生でもわかるように直観的なグラフィックで説明できるデザイン・センスを、やはり讃えずにはいられない。 

今やデザインは、地球を再デザインする意志なしには成立しないと断言してもかまわないだろう。

   Why design now?  なぜ今デザインなのか? この問いへの答えとして、世界のデザイナーたちは(…)社会と環境のさまざまな問題に取り組む。どうすれば世界にクリーンなエネルギーを供給できるか。人と物を安全に効率よく運べるか。どうすれば地域社会で安全で持続可能な環境の中で暮らせるようになるか。原料を取って廃棄物を捨てるという開放系を閉鎖系に転じられるか。どうすれば世界中の人々が富を分かち合い、生み出せるようになるか。

なぜデザインが必要なのか――世界を変えるイノベーションの最前線

なぜデザインが必要なのか――世界を変えるイノベーションの最前線

 

というわけで、この記事を書きながら少し甘いものが欲しくなったので、美味しそうなチョコはないかと検索していたら、日本代表に捧げたくなるチョコレートが売っていた。シュートの軌道がやや甘くなりそうではあるものの、shooting star と同じく、キックした直後に三回願いごとをすれば、きっとゴールは決まるのではないだろうか。

けれど、今やデザインは地球を再デザインすること。大事なのは、カカオ豆の生産体制から消費者の口に届くまでのトータル・デザインであるにちがいない。

デザインがまずいと、ちょっとした「事件」で世界第二位のカカオ輸出国が純輸入国に転落してしまうことになる。ブラジルで起こったチョコレート・テロ事件には、典型的なほろ苦さがあった。

 1989年、ブラジル最大のカカオ大農園で起こった天狗巣病は、瞬く間に伝染が広がり、約10万本のカカオの木を切り倒して、その州のカカオ大農園を壊滅させた。ブラジルのCEPLAC(カカオ農園プラン実行委員会)が、カカオの栽培を優秀な単一品種に頼っていたことが、最悪の結果を招いたのだった。

モノカルチャーの危険」

そう断言したくもなるが、どこか不思議な証拠が次々と見つかりはじめた。次に感染源となった大農園で、風通しの良いところにある未感染の木に、感染したカカオの枝がロープで結わえ付けられていたのだという。

バイオ・テロには歴史がある。第二次世界大戦中のフランスはドイツのジャガイモを壊滅させるべく、疫病菌を培養していた。アネリカは日本のコメを壊滅させるべく、イネイモチ病菌を培養していた。人口地震と同じく、天災に見せかけた人災は、相手の敵愾心を喚起することなく損害を与えられる戦略的兵器なのだ。

ブラジルの或る州のカカオ大農園が壊滅してから17年後、その「人災」の犯行を自白した男がいた。CEPLACの生物技師ら5人は、左派的動機からカカオ大農園の「農地解放」を実現すべく、カカオ産業壊滅を狙ったテロを起こしたのだった。 

世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち

世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち

 

バイオ・テロは証拠が残りにくく、犯人を特定しにくい犯罪だ。それもあって、天災もあって、地域の農産物が脆弱な状況にあるのなら、品種の保存や多品種化などの保守体制は不可欠だ。

書名の『世界からバナナがなくなるまえに』は、20世紀半ばまでに、輸出用バナナの品種が世界で遺伝的にひとつになったという極端なモノカルチャーの危険を説いている。

この進化生物学者が言うように、19世紀に主流のバナナ品種を壊滅させた病原菌が進化して、アジアから東アフリカへと広まり、バナナ栽培の盛んな中米へ近づきつつあるのは、確かに不気味だ。

では、『世界からバナナがなくなるまえに』、私たちはどうすれば良いのだろうか。シリア内戦の最大の激戦場となったアレッポは、街並みの多くが灰燼に帰した。

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しかし、この内戦の中、シリアの農業当局の数人が、国家財産である種子バンクを国外へ持ち出すことを決意する。87%の種子を複製して海外へ送付すると、残りの種子とともに激戦地アレッポを離れて疎開した。シリア農業の出発点たる「種」を守る戦いは、2014年を経てもまだ続いている。

国家の基層には一次産業がある。人々の生命に直結する「種」を守ろうとする内戦下のシリアの人々と、無知なまま種子法廃止を受け入れてしまうこの国の人々とは、白と黒くらいのコントラスト差があるような気もする。

(種子法廃止については、上の記事をどうぞ)

いや、モノトーンの色眼鏡を外して、赤のSAABくらい鮮烈な色をイメージしながら、もう一度チョコレートを見てみよう。 

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ガーナ共和国の子供たちが、嬉しそうに森永のチョコレートを持っている姿が微笑ましい。

デザインが地球を再デザインすることなら、チョコレートの生産のプロセスで最も再デザインしなければならないのは、児童労働だろう。

上の記事でも言及したように、この分野を走っているNPOはACE。菓子メーカーと協働した豊かな実績を携えて、頼もしくも「2025年までに世界中のすべての児童労働をなくすこと」を目標に掲げている。

21世紀の話だとは信じられないかもしれない。子供奴隷船が漂流している現場を抑えられたことがあった。「これはお伽噺ではない」という丸山真男の一句がよみがえってくる。できればお伽噺であってほしかった。

 2001年4月17日未明のこと、西アフリカのベニンの港町「コトヌー」に一隻の船が帰港した。船はナイジェリア船籍の「MVエティレノ号」だ。全長60mほどの小さな船舶だが、その船の中には23人の子どもがおり、みな病気で食糧や水も不十分な状態だった。

 この船が3月30日に同港を出港したとき、多数の子どもたちが積み込まれたというのだ。その数は130人とも180人とも伝えられた。「ユニセフ(国際児童基金)」など諸団体は警告を発した。「その子どもたちは近隣諸国の農場や家庭に人身売買される『奴隷』である」と。

 このため船は近隣諸国で入港を拒否されてさまよっていたという。帰港を待ち構えていたベニン政府、警察、ユニセフなどの関係者はくまなく船内を捜索したが、船内で確認できた子どもは23人だけであった

 その後調査がおこなわれ、実際に人身売買が確認されたのは13人とされた。親には子ども1人につき14ドル相当のお金(当時のレートで1400円)が支払われていたという。しかし100人以上の子どもの消息は不明のままだ。

 子どもたちはどこに消えたのか。 

上記のような奴隷同然の人身売買や児童労働の問題だけではない。世界の富の偏りは、とてもまともなものだとは思えない。

1999年以来10億人近くが極度の貧困状態から脱したが、2013年の時点で、1日1.9ドル未満で家族と暮らす人は7億6,700万人を数え、その数を上回る人が飢えと戦っている

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触れると死ぬかもしれない電気製品の廃棄物の山。8歳になるファティは保管の子供たちと同様に有害ごみの中から何かお金になるものを見つけようと必死になっている。これも生きるためだ。見つけた金属のかけらは頭に載せたバケツに入れる。数年前に患ったマラリアが痛むので涙が止まらない。でも生きるためにこの仕事を続けなければならない。 

偶然、発展途上国に生まれ落ちて、偶然、まともな教育や仕事も得られず、偶然、飢えた悲惨な境遇で死んでいく子供たち。

このガイア地球で鳴り響いている「偶然の音楽」には、もの悲しい旋律もあるのだなと思い知らされる。ソーシャルビジネスの旗手ムハマド・ユヌスのように、『貧困のない世界を創る』とはとても言えないし、ほとんど何もできないけれど、「偶然の音楽」に載せて、ひとことだけ呟いておきたい。

きみたちのことを忘れずにいて、時々思い出しているよ。

 

 

 

アフリカ系アメリカ人の悲惨を歌った歴史的名曲)

Southern trees bear strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black bodies swinging in the southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.

南部の木は、奇妙な実を付ける
葉は血を流れ、根には血が滴る
黒い体は南部の風に揺れる
奇妙な果実がポプラの木々に垂れている

 

Pastoral scene of the gallant south,
The bulging eyes and the twisted mouth,
Scent of magnolias, sweet and fresh,
Then the sudden smell of burning flesh.

勇敢な南部(the gallant south)ののどかな風景、
膨らんだ眼と歪んだ口、
マグノリアモクレン)の香りは甘くて新鮮
すると、突然に肉の焼ける臭い

 

Here is fruit for the crows to pluck,
For the rain to gather, for the wind to suck,
For the sun to rot, for the trees to drop,
Here is a strange and bitter crop.

 

カラスに啄ばまれる果実がここにある
雨に曝され、風に煽られ
日差しに腐り、木々に落ちる
奇妙で惨めな作物がここにある。

ビリーホリデイ「奇妙な果実」:Billie Holiday – Strange Fruit – マジックトレイン・ブログ