恐怖の襞をレース刺繍に編み直して

スイスのザンクトガレンへ行ってみたい気がしている。そこは何世紀も前から「手編み(!)」のレース刺繍が栄えた街で、街にある織物美術館で刺繍の歴史をひもといてみたり、ベッドルームのレース尽くしのリネン類を堪能したりしてみたい。

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(画像引用元:Design is fine. — Gros Point de Venise lace, 1651-1675. Textilmuseum...

そう書くと、いかにも少女趣味で気恥ずかしくなる。でも、こっそりこのブログの読者だけに打ち明けちゃおうかな。

レースの下着は一枚も持っていないよ!

ほっ。

全員が安心したにちがいないところで、記事を前へ進めることにしたい。

映画としては二流だったような記憶しかない。でも主人公の美少年ぶりは、群を抜いているから、どこかで跳ねるに違いないと思った。環境性能に魅かれて、プリウスを愛車にしているディカプリオの話だ。

あの美少年ぶりから約10年後、飛行機王ハワード・ヒューズを演じるなら、確かにこの人しかいないと思わせるハマりぶりだった。しかし、アカデミー主演男優賞は逃した。

上の字幕なしの予告編ではカットされているが、富と名声と美女を手に入れたアメリカン・ドリームの象徴だったハワード・ヒューズは、晩年になって強迫神経症を発症してしまう。

50年代にはラスベガスのホテルを本拠にし、一時はフラミンゴ・ホテルの一翼を借り切って生活をしました。1966年に発行されたジョン・キーツによる伝記 『ハワード・ヒューズ』には、フラミンゴ・ホテルでの生活の一端が、下記のように描写されています。

  • 自分の部屋の両側を空室にし、メイドのサービスを禁じた。
  • プライバシーを守るため、モラルが高いことで定評のあるモルモン教徒の男子学生を配置し、身辺を警護させた。
  • タオル、シーツなどは、それらの学生が本人の部屋の外に置いた。
  • 本人の希望に応じて毛布を持参した学生によれば、ハワードはそれを「細菌を防ぐために」と、窓にかけていたという。

小さなことが気になるあなたへ/OCDコラム>第14回

 ディカプリオは役作りのために、強迫神経症の患者と一緒に生活して、同じ症状になりきろうとした。ここが一流の役者の凄いところで、実際に似たような症状を発症してしまったらしいのだ。症状を消すための集中的なリハビリとセラピーには、三か月もかかったという。 

脳科学は人格を変えられるか? (文春文庫)

脳科学は人格を変えられるか? (文春文庫)

 

ちなみに、恐怖や不安を(暴露療法以外で)半永久的に消せることが、脳科学の研究で判明している。

(英語の自動生成字幕のみ)

簡単に要約すると、恐怖や不安などの記憶を呼び出したとき、その感情の記憶は6時間くらい「柔らかい」のだという。「柔らかい」うちに、恐怖や不安に快適や幸福な様相と関連付けて「上書き保存」してしまえば、その記憶は更新できるのだという。

脳科学は人格を変えられるか』というタイトルは何とも刺激的だ。脳が解明されていけば、脳にAIアタッチメントが取りつけられて、人間とAIの融合が進んでいくにちがいない。

そんな持論を抱きつつ、同じ方向性の先を走っている先人たちをフォローしたのがこの記事。

イーロン・マスク流の「AI脅威論」に自分が共感できないのは、すでにテクノロジーと人間の融合が進行しつつあるからだ。

ところが、2014年に翻訳されたエレーヌ・フォックスの『脳科学は人格を変えられるか』は、「瞑想で脳の構造が変わることを脳科学が突き止めました」というものだった。脳を物理的に改変できるのは、瞑想などによる心の状態であり、脳科学ではなかったのだ。

調べてみると、原題は「Rainy brain, sunny brain」だったので、邦題が mislead だったか、自分がmisread したかどちらかだろう。ただ、個人的に、たまたま今日「あなたはレイニー・ブレインだから、世界のあらゆることに傷ついてしまうの」という一節が心に響いていたところだったので、(ありふがとうございます!)、一種のシンクロになったのが嬉しい。

本当は「That's depends!(状況次第です!)」と返答したいところだが、最近さすがに疲れてきたみたいだ。早く自分の心に太陽の光を招き入れたいところだ。

(折り紙でも簡単に作れるらしい)

おやおや。エレーヌ・フォックスの本には、このブログで何度か書いてきたことが含まれている。どうやら自分もいっぱしの「農家が苦痛」になれたということだろうか。と、「脳科学通」を誤変換しているようでは、まだまだか。

フォックスは「サニーブレインとレイニーブレインの黄金比は3:1」だとしている。ポジティブ心理学の知見を導入しているのだ。自分の記事はこちら。

書名だけを読んで 、よくあるポジティブ・シンキング自己啓発書だと勘違いしないでほしい。

バーバラ・フレドリクソンは社会心理学者。「3:1」というポジティブネスとネガティブネスの最適比率は、厳密な研究結果から算出されたものだ。正確には「2.9013:1」だったという。

フォックスはまた、こうも述べる。

環境が変われば遺伝子の発現度も変わり、脳が物理的に変化する。ならば、科学が検証した様々なテクニックで脳を再形成してやれば、抑鬱や不安症を治療して、人生を変える可能性があるかもしれない。

これは、日本の遺伝子研究の第一人者である村上和雄と同じ主張だ。自分はこうまとめた。

  • 思い切って今の環境を変えてみる
  • 人との出会い、機会との遭遇を大切にする
  • どんなときも明るく前向きに考える
  • 感動する
  • 感謝する
  • 世のため人のためを考えて生きる

遺伝子研究というよりは、自己啓発本に近い記述が並んでいる。しかし、実際の医学研究でも、笑いが糖尿病患者の血糖値を劇的に低下させたという論文を、厳しい査読を経て、サイエンス誌などに海外の医学研究誌に掲載したりもしている。笑いが免疫を高めるところまでは、医学的に到達しているのだ。

その先に並んでいる上記の6項目が、とても興味深い。それは根拠のない徳目リストではなく、医学的な状況証拠に満ちているのだ。

例えば、人間の遺伝子が全体の5~10%しか使われていないという事実、発ガンが「発ガン遺伝子オン+ガン抑制遺伝子オフ」の二つのスイッチングによって生じているという事実は、きわめて重要だ。この生死をわけかねないスイッチングを行っているのが、①物理的要因、②化学的要因、③精神的要因なら、そのどれもが重要であることも間違いないだろう。 

そういうわけで、今晩はフリン効果が脳科学の観点から「あり」なのかを、調べてみたくなった。フリン効果と新世代の倫理意識の高さが結びついているという仮説が、ずっと気になっていたのだ。

 ただ、シンガーのいう「効果的な利他主義者」が、フリン効果によって出現した新種族ではないかという説には、プリン愛に生きる男として、強い説得力を感じてしまった。

 心理学者のスティーブン・ピンカーは「論理的能力の向上は倫理力も向上させた」と述べているので、不断に続く人類の脳の進化が、かなり短期的に人類の倫理観を変えつつある可能性は充分にありそうだ。

 新しい世代のあなたが、新しい頭で、『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』が何かを、考え直してみてはどうだろうか。 

 自分も含めて多くの人々が、IQが生得的な知性であり、その値が不変だと勘違いしてリうのではないだろうか。IQは訓練や環境的要因でどんどん変化することが判明している。つまり、フリン効果は、20世紀中盤からの情報化社会の発達と社会の複雑さの増大によって引き起こされたと考えて間違いないというのだ。 

オーバーフローする脳―ワーキングメモリの限界への挑戦

オーバーフローする脳―ワーキングメモリの限界への挑戦

 

 面白いのは、そのIQを訓練するコツとして、先ほども出てきた瞑想(マインドフルネス)に加えて、フロー体験が挙げられていることだ。

低すぎる場所にあるコントロール対象(自分が簡単にできてしまうこと)と、高すぎる場所にあるストレス対象(難しすぎて手の出ないこと)との中間に、夢中でワクワクしながら没入できるフロー対象がある。そこでフロー体験をしているときに、人間のワーキングメモリは向上していくのだという。

これはほとんどのアスリートが日常的に行っていることだろう。自らの身体の細部をどう連動させるかを 、簡単すぎず難しすぎずの範囲で追求するのが、アスリートたちのトレーニングの実態に違いない。 

実は、自分の本当の関心は、フリン効果の少し先にある。高度情報社会のせいで、後天的にIQが高まったという話は、わかりやすすぎるし、ドキドキが少なすぎる。ひょっとしたら、人類が集合的に遺伝子上の進化を遂げつつあるのではないかという仮説の方に、強く惹かれてしまうのだ。

(和訳は下記記事より引用させていただきました)

研究者たちは、アルコール分解を助けるためにヒトに通常存在するアルコールデヒドロゲナーゼ(ADH / アルコール脱水素酵素)と呼ばれる一群の酵素が、酵素活性を増加させる遺伝的変異を見出し、その代わりに「アルコール摂取に不利な物理的応答」をもたらすことを発見した。

この場合、アルコールが効率的に分解されないため、アルコールを飲んだ人は気分が悪いとだけ感じ、さらに飲み進めたりすることはなく、あるいは、アルコール依存症になるような飲み方となることもほぼなくなる。

この遺伝的変異は、1つの集団の中だけで見いだされたものではなく、4大陸のそれぞれ異なる場所の 5つの集団において観察されたもので、ここから、その変化が遺伝子上の遺伝的体質の産物であるとは考えにくかった。(※訳者注 / このことは特定の土地や民族の固有の遺伝とは関係ない可能性が高いということ)

 大学の研究者が丁寧に科学と非科学を分別しながら、有名なサルの芋洗い現象を解説している。

サルのイモ洗いは、アメリカの思想家ケン・キース・ジュニアが書いた『百番目のサル』という著作によって、本来とは違う形で世界の人々に知られるようになった。

いわく、日本の幸島で、イモを洗って食べる習慣がサルの間に広まった。99番目まで徐々に増え、ちょうど100番目にまで達したとき、不思議なことに、遠く離れた場所のサルたちが、いっせいにイモを洗うようになった。あくまで架空の物語で、事実ではない。しかし世界中でベストセラーになった。

本のテーマは核廃絶運動だった。人間の意識は共有し得る、表立って運動しなくても、深く思いをめぐらし、それを伝えていくことで、あるとき核は廃絶されると説いた。幸島のサルの物語は、そうした集団的意識をもとに反核運動を進めるシンボルとなった。 

動物生態学の研究を「非科学的」なフィクションに改変した『百番目の猿』は、80年代の著作だった。その象徴的な虚構が、10年代の末に、「科学的」な遺伝子研究によって傍証を得たのが面白い。

時に次元上昇とも言われる「人類の集合的進化」に、これからどんどん科学の解明のメスが入っていくことだろう。

少なくとも、自分の脳内にある恐怖や不安は、記憶を手編みで編み直すことによって消せることを、脳科学は教えてくれている。そうなら、私たちは自分を取り巻く世界を、さらに希望の光あふれるものに編み直すことだって、できるはずなのだ。

あたかも、悲惨きわまりない苦境を希望あるものに編み直そうとするかのように、民族に伝わる伝統の刺繍を続けているパレスチナの女性たちと、彼女たちを支援する日本のNPOの活動を、この記事で紡いできた文脈の締め括りの珠結びとしたい。

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2017年に訪れた時は、10年間完全封鎖が行われていたため、2001年から全く風景が変わっていませんでした。銃撃を受けていた後や紛争の爪痕があちこちに見受けられて、状況の変わらなさに心が痛みましたね。ガザ地区は、流通が制限されているので情勢によって左右されてしまうというのが今でも支援をする上で難しい点です。

(…)

「かわいそうだから」ではなく「素敵な商品だから」と刺繍の良さを感じて購入して欲しいです。

(…)

アメリカのエルサレムへの大使館移転により起きたパレスチナ人のデモへの攻撃により多くの死傷者が出る中、ガザの現状をより多くの人々へクラウドファンディングを通して知っていただける「伝える」ということにも大きな意味があるはずです。