小鳥たちのさえずりは刑事事件の外で

オースターの『偶然の音楽』に上の記事で触れたとき、久々にジョン・ケージを聴き返したくなった。1950年を境に、ケージは現代音楽家のケージになったと言われる。偶然性や不確定性を作曲手法に取り入れてからのケージは、ひたすら前衛的だ。

物心ついた頃から、支持政党が甘党な自分は、1950年以前のケージが好きだ。晩年、或る舞台でサティーの楽曲使用許可が降りなかったせいで、サティをそっくり踏襲して急ごしらえした楽曲もある。 

 そうなったのは、私がひどくサティを好きだからなんです。この作品は厳密にサティの『ソクラテス』のメロディーラインを、ときには伴奏も含めてなぞっている。私のサティに対する愛着はたぶん非難されるべきものでしょう。でもどうしようもないんです。 

ジョン・ケージ小鳥たちのために

ジョン・ケージ小鳥たちのために

 
CHEAP IMITATION(紙ジャケット仕様)

CHEAP IMITATION(紙ジャケット仕様)

 

 それを聴いても尚、1950年以前のケージの方が、サティーの叙情性と幾何学性の奇妙な婚姻状態に近かったような気がするのだ。

(↑坂口安吾が日本にサティを紹介したことなどは、この記事に書いた。↑)

(↑サティの「ジムノ・ペディ」を小道具にして数時間で書いた短編。推敲したい。↑)

あまり知られていないジョン・ケージのアート作品を紹介しておこう。芸術家たちとの直接交流の多かったケージは、間接的にミース・ファン・デル・ローエマルセル・デュシャンの影響も受けていた。

ミースはガラス建築で有名なバウハウス系の建築家で、ガラス建築のリレーをした上の記事に書いたことがある。デュシャンの代表作はご存知「大ガラス(正式名称:「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」)」。

となると、現代音楽家ジョン・ケージによる「マルセルについては何も言いたくない」という下の作品が、どのような芸術上の文脈に置かれているかがわかってくる。その饒舌なタイトルづけはデュシャン由来に違いないだろうし、「マルセル」のファーストネームも「プルースト」ではなく「デュシャン」で間違いないだろう。

 

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(画像引用元:Not Wanting to Say Anything About Marcel: An Artwork by John Cage » Norton Simon Museum

そんな前衛芸術家どまんなかのケージは、いつも微笑を浮かべている温和でユーモラスな性格だったらしい。遊び心や好奇心も旺盛で、60年代の終わりに、早くもコンピュータによる電子音楽の作曲に取り組んでいたことは、早すぎて「事件」だったとさえ言えるだろう。

いわば、そこには電気仕掛けのケージ事件があったわけだが、刑事事件だとまではいかなくとも、評判がウナギのぼりの電気仕掛けの事件を最近知った。

驚きの声を共有してもらえたら嬉しい。

あ、電気ウナギがツイートしている!  

といっても、ツイッターの英文は水族館職員による創作。電気ウナギのミゲルくんが水槽の中で電気を発すると、それをセンサーが検知して、自動的にツイッター投稿がなされる仕組みのようだ。

 ツイートの中には、「日焼け止めクリームがサンゴ礁を破壊する」という警告のような意識高い系のさえずりがあるので、自分の中でのミゲルくん好感度はウナギのぼりだ。

水中で電気を飛ばす生物も面白いが、水中で磁気を受ける生物も興味深い。

Current Biologyに研究結果を発表したノースカロライナ大学の生物学者ケネス・ローマン氏は、「アカウミガメは生まれた後に大西洋や太平洋を単独で横断し、また戻ってくるという驚くべき特性を持っています。アカウミガメが戻ってくるのは生まれた付近の浜辺か、その浜辺に非常によく似た磁場を持つ浜辺です」と述べています。

この記事には載っていないものの、同じ研究者がわかりやすい実験をしていたのを思い出した。Time誌だった。

    Sea turtles, for example, don’t use the field simply to tell north from south. According to experiments led by Kenneth Lohmann, a professor of biology at University of North Carolina, Chapel Hill, they are actually born knowing a magnetic map of the ocean. Newly hatched loggerhead turtles in the populations Lohmann studies journey 8,000 miles (12,900 km) from their hatching beaches around the Atlantic Ocean to reach feeding areas, and if they don’t keep right on track, they do not survive. Lohmann learned early on that the turtles could sense the Earth’s magnetism: he found that hatchlings from the Florida coast, which normally swim east in darkness to start their migration, swam the other way when they were put in a magnetic field that reversed north and south. That got Lohmann thinking that the turtles’ long-distance navigation might be linked to their being able to respond to whorls and quirks in the planetary field they encounter along the way.

 

    To study this, he and colleagues collected baby sea turtles a few hours before they would have left the nest on their own and put them in pools surrounded by magnetic coils. The coils were designed to reproduce the Earth’s magnetic field at specific points along the turtles’ migration. Reliably, the young turtles oriented themselves and swam in the direction relative to the magnetic field that, had they been in the open ocean, would have kept them on course. Lohmann has tested this with 8 different locations along their route, and in each case the turtles head in just the direction required to get them to their destination. The turtles may not know where they are in any big-picture way—as Lohmann says, they may not see themselves as blinking spots on a map—but they have inherited a sense that should they feel a particular pull from the magnetic field, well, better take a right.

簡単に自分の言葉でまとめたい。

  1. 実際にウミガメが大海の磁場の地図を頭に入れた状態で生まれてくることは間違いない。
  2. 赤ちゃんウミガメをプールに入れると、発している磁気に合わせて、泳ぐ方向を変えた。
  3. ウミガメは、自分をナビ地図の中を進む自車のように認識しているのではなく、地磁気に引き寄せられる力を感じているだけなのかもしれない。

あんな可愛らしい赤ちゃんウミガメに、生まれつき大海の地磁気の地図が備わっているとは、生命の神秘を感じずにはいられない。

ところが、21世紀とは、かつて「神の領域」だった領域を、人類が切り拓いていく時代だ。

地磁気を感じて移動する生物が、「量子もつれ」を使って情報処理していることが分かってきた。

鳥類に限らず、一部の哺乳類や魚類、爬虫類、さらには甲殻類や [ゴキブリなどの] 昆虫も含む多くの生物は、地球の磁場の方向を感知して移動の手がかりとしている。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の物理学者Klaus Schulten氏は1970年代末に、鳥類の目の中では、地磁気を感じ取る未知の生化学反応が起こっており、鳥類はそれを頼りに移動しているとの説を唱えた。

同じ Wired の記事を引用して、このブログでも記事を書いた。

上の記事の日付が2011年。世界にまだ数十人しか研究者のいない量子生物学の発展は、最先端の量子物理学と、最先端の生物学を見事に結び合わせてしまった。

 

 しかし半世紀にわたる分子生物学の徹底的な研究によって、生体分子の構造が、DNAやたんぱく質のなかの一個一個の原子のレベルに至るまで驚くほど詳細に描き出された。そうして前に説明したとおり、量子の開拓者たちによる鋭い予測が、かなり遅ればせながらも裏付けられた。光合成系、酵素、呼吸鎖、遺伝子は、一個一個の粒子の位置に至るまで構造化されていて、それらの粒子の量子的運動は実際に、我々を生かしている呼吸、我々の身体を作っている酵素、あるいは地球上のほぼすべての生物有機体を作っている光合成に影響をおよぼしているのだ。


量子力学の世界では、さまざまな論争が絶えなかった。その道を先導して切り拓いたはずのアインシュタインシュレディンガーは、量子力学が次々にシーンを塗り替えていくにつれて、否定派に回ってしまった。実際、アインシュタインは「量子もつれ」を「不気味な遠隔作用」と呼んで、真剣に相手にしようとしなかった。

 

様々に分岐していく量子力学の学問の道が、どんどんもつれていく……。

 

しかし、マラソンの折り返し地点に似た重要な転回点を、誰もが回ることはできたのではないだろうか。その転回点の名は「量子生物学」。私たちの人体も含めて、動物や植物などのすべての有機体が、量子的働きで動いていることが判明したのだから。眼前に未踏の処女地が開けていることがわかったのだから。

この量子生物学に近いところから、面白い情報が出てきた。出所はなぜかまたブリストルだ。水中の電気、水中の地磁気の次は、花と蜂の電気だ。

Although it's known that flowers communicate with pollinators by sending out electric signals, just how bees detects these fields has been a mystery – until now.

花が(ハチなどの)花粉媒介者に電気信号を送ってコミュニケーションを取っていることは知られているが、ハチがどうやって電気を検知しているのかは謎のままだった、今までは。

May: Dancing hairs alert bees to floral electric fields | News | University of Bristol

 記事の最初から、大事なことがさらりと書いてある。ハチの体をおおう繊毛が、花から送られてくる電気信号を感知しているという発見より、花がハチに電気信号を送っていたという前段階の発見の方が、ビッグニュースなのではないだろうか。

あの NATURE 誌も、ブリストル大学のダニエル・ロバートの研究を引用して、花とハチの間に、電気的コミュニケーションが成立していることを報告している。ハチが花の蜜に魅かれるのは、花の色や香りよりも、花がどのような電気信号を送っているかだったのだ。

華のある女性が誠実なら、ますます魅力的に見えることだろう。

花々は素敵だ。花々が蜂に電気信号を送るときのやり方は、まさしく「オネスト経営」そのものなのだ。

Dr Heather Whitney, a co-author of the study said: “This novel communication channel reveals how flowers can potentially inform their pollinators about the honest status of their precious nectar and pollen reserves.”

共同研究者のホイットニー博士は「この新しいコミュニケーション回路は、花が花粉媒介者に、貴重な蜜や花粉の残りの状態を、どうやって正直に伝えているらしいかを、明らかにしているんです」

Professor Robert said: “The last thing a flower wants is to attract a bee and then fail to provide nectar: a lesson in honest advertising since bees are good learners and would soon lose interest in such an unrewarding flower.

ロバート教授は言う。「花が一番やりたくないことは、ハチを引きつけたのに蜜を与えないことです。もしそうしたら、そんなケチな花には、学習能力の高いハチはすぐに見向きもしなくなることが、花が正直に宣伝する理由なのです」

 何と、花はハチに対して、相手の利益の多寡を正直に伝えようとするのだ。

花々というのは、姿かたちが美しいだけでなく、心までも美しいのか。

 その感想は少し間違っているかもしれない。大事なのは、ハチは花から蜜を取り、花はハチに受粉を手伝ってもらうというように、花とハチが利益共同体であり、共同進化してきたことだ。言い換えれば、長期的に利益共同体でいるには、「信頼ベース」のコミュニケーションが必要ということだろう。そんなことまで、野に咲く花々は、私たちに教えてくれるのだ。

人間の脳の研究が難しいのは、(癲癇患者などの例外を除いて)、めったなことでは開頭手術が行えないこともあって、それぞれの部位の動きを数値化しにくいからだ。 

量子力学で生命の謎を解く

量子力学で生命の謎を解く

 

その意味では、「量子生物学」の分野が、動物たちの「量子もつれ」つきの複雑で精妙なコミュニケーションを解き明かして、生命の神秘を解明していく近未来は、さほど遠くないような気がする。

妹が飼っていたインコは、身体を撫でてやると、口を少し開けて目を細めたものだ。動物たちにも人間と同じく感情はあり、同じく脳を働かせて生きている。相手が動物や昆虫や哺乳類だからといって、「マーマルについては何も言いたくない」と花形研究者を気取るのはクールじゃないだろう。

確かに、「量子もつれ」はほとんど偶然に見えるし、不確定性に満ちている。けれど、その未来が明るいのは間違いない。世界に数百人しかいないこの分野の研究者たちに、草サッカーをしているときのような明るい声援を送りたい。

早朝の自然の中で、小鳥たちが口々に囀っている音楽を聞くのが好きだ。それと同じく、偶然と不確定性に満ちた音楽を確立したケージが、「小鳥たちのために」という副題のインタビュー集を持っていることを思い出そう。

ケージが追いかけた音楽は、鳥を閉じ込める cage の外で、小鳥となって飛び回っていた。量子力学と不確定性と生命の神秘を追い求めていく私たちの未来も、cage の外にあることだけははっきりしていることだろう。